第39話 恋の大騒ぎ
盗賊たちに無抵抗状態で暴行され、怪我をした海遠だけは大事を取って部屋で休んでいたが、無事に孫娘を嫁がせることができた町長が皆にお祝いのお酒と食事をふるまってくれた。皆、一つの問題が解決したことでほっとしていたことと、久々の慶事でもあるので、和やかで明るい雰囲気だった。
そんな中、蓮音は、この身代わり花嫁行列事件によって、ある重大な事実に気が付いてしまった。
剣護のことが好きになってしまったかもしれないということだ。
蓮音にとって、一人の男性を異性として愛しいと思うのは初めての経験ではあったが、「あの人を思うと胸がドキドキするのはなぜ?」というような曖昧な感覚ではなく、ほぼ確信に近かった。
(仕方がないじゃない。だって、あんなに強くて見目麗しい男性が、自分にやたら優しくしてくれて、好きにならないほうがおかしいでしょ? だから、これはわたしが悪いのではなく、あの人が悪い。だけど、わたしはこれから別の男に嫁ぐ……。少なくとも表向きは。しかも、肝心のあの人には他に好きな女性がいて……。でもその人も別の人と結婚するから……って、一体どうしたらいいの!)
怒涛のように様々な考えが頭の中を駆け巡る。この辺の考えていることが全部表に出てしまっている蓮音。食事をしながらも蓮音は一人で百面相をしていた。
蓮音の心の変化を最初に見抜いてしまったのは、あのイチャイチャ場面を目撃した香隠と万梅を除けば海遠であった。
盗賊の砦にいた際、二人はずっと手を取り合っていた。というか、剣護が蓮音の手を引いていたのだ。姫様は盗賊ごときを恐れて男に縋るようなか弱い女性ではない。にもかかわらず、自分は武器も持たずに、すべて剣護に任せて。どう考えてもそれは尋常じゃない。緊急事態である。
次に気が付いたのは明鈴だ。姫様がいつも以上におかしい。一人で頷いてみたり、首を振ってみたり。それだけならばまだいい。食べることに関しては決して手を抜かないあの姫が、食事に箸をつけることもおろそかにして、熱に浮かされたようにぼーっとした顔をしている。ぼーっとしながらじーっと見ては目を反らし、またじーっと見つめているのだ、ある男を。
蓮音と万梅はお茶を少し飲んだ後、少し疲れたからと言って席を外そうとした。それをみて、剣護は、部屋まで送ると、二人について行った。助っ人三人衆も、遠慮をしたのか、部屋に戻っていった。明鈴、香隠、エリック、蒼迅、ガクは食事が終わった後もその場に残り、お茶を飲みながら雑談をしていた。
明鈴は蓮音と剣護が去ったのを見て、すかさず香隠に質問をする。
「盗賊の拠点ではなにがあったのです?」
「……くっ、わたしの口からは何も言えん!」
しばらく固まっていた香隠は、重い口を開いたかと思うと意味深なことを口走る。これ以上二人のことを聞かれると困るので、香隠も静かに席を外した。
「ああ、隊長、これは本当に……本当にまずいですわ……」
明鈴はつぶやいた。
「確かにマズいですね」
なぜかエリックが隣で頷いている。色恋には興味がないこの男が、事の次第をわかっているとは思えないのだが……。
子どものガクでさえも、蓮音が纏う空気が、妙にぽわぽわしていることに気がついていた。蓮音の心境の変化に関して、何も知らないでいるのはある意味蒼迅だけだった。
「これは、いよいよアレの出番では?」
エリックはありえないぐらい嬉しそうな顔で、明鈴に耳打ちする。そう、この男、色恋にはまるで興味がないのだが、アレ、つまりは魔法の惚れ薬の効果を早く確認したいという気持ちだけは本物だ。
エリックは、自分の欲望に対しては実に純粋なのだ。蒼迅の恋を応援してやろうなどという親心は微塵もないが、これがいい機会とみて、すかさず惚れ薬の使用を勧めてきたのだ。
意を決したかのように、明鈴は、蒼迅が惚れ薬を差し出すように、適当な話をでっち上げて説得を始めた。
「隊長、先日、エリック殿から馬車の中で預かったお薬を少し分けていただけませんか? 実はあのお薬は、身体の回復を飛躍的に高める副次的な効果もあるようですので、海遠に飲ませて差し上げようと思うのです」
「本当に怪我に効くのか?」
「ええ、血の巡りが良くなることで、怪我の回復も早くなるのですよ!」
エリックもノリノリで、今思いついた適当な説明をする。
蒼迅が薬を取り出すと、明鈴は奪うようにして受け取り、急いでお茶の用意を始めた。だが、明鈴が使っている茶器――鮮やかな鳥と花の柄が描かれた白磁の蓋碗は、自分たちが今、手に取っている無地の茶碗とは随分と異なっていて、直感で海遠に出すものではない気がした。
「ちょっと待て、本当にそれ、海遠に持っていくのか? 怪我人相手とはいえ、女一人で男の部屋に行くのは問題だろ? 俺が持っていってやるよ」
蒼迅が白磁の蓋碗がのった盆に手を伸ばすと、明鈴は慌てて薬を手に取る。
「いやー、男が持っていった方がいいなら、私が行きますよ! この通り、私は元気ですのでね!」
「その薬をどうするつもりだ?」
「これは……」
「だから、さっき説明したじゃないですか! 怪我の防止に効果的だと!」
「防止? 回復じゃないのかよ? やっぱり、お前らには渡せない、それをよこせ!」
「いやですわ!」
と、気が付いたら三人で薬の奪い合いになっていた。
剣護は剣護でいつも通りに振舞っていたが、実は内心でかなり動揺していた。愛する人を怒らせてひどく泣かせてしまった。涙をぬぐうためとはいえ、頬に触れてしまった。吸い付くような頬の感覚がまだ手に残っている。さらに抱き寄せ、あの美しい髪にも触れてしまった。ずっと手を握っていた。俺、手汗をかいたりしてなかっただろうか、そんなことも今更心配になる。
「おやすみ、ゆっくり休んで」
何事もなかったかのように涼し気な顔で蓮音を部屋に送り届けたものの、どうも気持ちが落ち着かない。酒でも飲むかと思い、食堂に戻ると、明鈴たちがすったもんだしていた。
と、その時――
手を滑らせたエリックが瓶の中の薬を思いっきり剣護の顔に向かってぶちまけてしまったのだ。
いつもだったら、何が飛んできたところで難なく避けていただろうが、物思いにふけっていたため、うっかり薬を浴びてしまう。
顔にかかった液体を反射的に袖で拭うが、一体なんだろうか。非常に甘ったるい香りと味がした。
「おい、お前たち何をしている?」
「ああああ、李公子! た、大変申し訳ございません!」
「ひー! 貴重な薬がああ!」
「薬?」
「あ、いえ、ただのシロップです、あまーい砂糖水ですよ~、ははっ」
そこまで聞いたところで剣護は食堂を後にした。
明鈴がおろおろしている。
「ど、ど、ど、どうしましょう、エリック様っっ!」
「これは…………明鈴さんが一肌脱ぐしかないです!」
「ええ? 一肌脱ぐって何をすればよろしいのでしょうか?」
「そうですねぇ。汚れた服を洗ってあげると言って脱がすのですよ、彼の服を!」
エリックは、明鈴をけしかけて、惚れ薬を浴びてしまった剣護を誘惑してくるようにと促す。正直、効果がわかれば、誰が誰に惚れようが、エリックには全く関係がないのだ。
「わたくしがそんな大役を!? でも、隊長のために、が、がんばってまいります」
「お、おい!」
蒼迅が止めようと声をかけるのも聞かず、明鈴は慌てて剣護の後を追った。
「あの、李公子、服が汚れてしまわれましたよね。わたくしが綺麗にいたしますので、脱いでいただけませんか?」
剣護は立ち止まって明鈴をチラッと見ると、いつもと変わらぬ様子で「不要だ」とだけ告げて、そのまま立ち去ってしまった。
(あら? わたくしと目が合ったのに普通ですわね? 薬が効いていないのかしら?)
惚れ薬が顔にかかったものの、飲んだわけではないだろうから、効果がなかったのかもしれないと思い、明鈴はその報告も兼ねてエリックたちの元に戻った。
一方の剣護は、明鈴が立ち去った後、自らの胸元を強く抑え込む。
「クソっ……あれはまさか媚薬か……?」
心臓の鼓動が早くなり、体が異常に熱い。
少しでも薬を洗い流して頭を冷やそうと、井戸の側まで行くと頭から水を被った。
気持ちを落ち着けようと座禅を組んで瞑想してみるが、蓮音の頬にもう一度触れたい、髪を撫でたいといった雑念ばかり浮かんできて全く集中できない。蓮音の手は小さくて温かかった、ずっと握っていたい、抱き寄せた蓮音からはいい香りがした……ダメだ集中しろ!
剣護が煩悩と闘っている間、エリックたちも大変なことになっていた。
薬の効き目がないと明鈴がいうので、エリックは瓶を拾うと「こうなったら!」と言って少し残っていた薬を飲んだ。
「うーん、確かに効果が……」
「なさそうですね」と続けようとしたところで、胸が締め付けられるように熱くなり、息が苦しくなる。
「こ、これは、これはちゃんと、効いている!! うひょーーー!」
味わったことのない高揚感に身を包まれるとともに、なんだか目の前にいる蒼迅が信じられないぐらい愛おしく感じる。
「あはははっ、やばい……やばいぞ、これは! これは確かに効いているー!!!」
エリックは興奮を抑えきれずに、一目散に蒼迅に抱き着いた。エリックもまた、身悶えしながら熱すぎる一夜を過ごすことになるのだった。




