第十一話 天体観測
「八郎くん、私の与太話に付き合ってくれません?」
話し出す前に与太話と言われても、そう言いかけたがそれを飲み込む。取り敢えず頷き、八郎はまず聞き手に回る事にした。
「空を見た時、大抵は雲が浮かんでいるでしょう。その雲が、どうしてかは分からないけれど偽物の様に見える。偽物の様に思える。不思議ですよね、そんな筈無いのに。あの雲が絵みたいに見える。
高い高いあの空が実は平面で、あの雲はただ映し出されているだけ、なんて。あはは」
彼女は笑っている。
笑っているけれど、それは心から笑っている様には見えなかった。
蓮見の話は、八郎にとっても共感し難い話である。
生まれた時からずっと存在しているものを、世界の前提を疑おうなどと、考え付く方が珍しい。
「でもこれ、最近腑に落ちたんです。
絵の様に見えるから偽物、じゃなくて。絵が本物の様に見えているだけだった、って。
画家が偉大なだけなんだなぁと思いました。私の疑念は、いとも簡単に粉々にされた訳ですよ」
空は次第に暗くなって行く。
疑いようもない程完璧な空が、偽物であるのを知っているのは八郎だけだ。今ここでは、八郎だけの筈だ。
「世の中何事も、私は疑ってかかる様にしてるんです。小さい頃は信じやすいタチでしたけど、それでちょっと痛い目みたことがあるので。だから今でも疑ってますよ。
どうして両親は、名門校と名高い高校への入学を蹴ってまでこの学園に入学させたんだろう、って」
「それは腑に落ちた?」
「いいえ。疑問と疑念がたっぷりと。
考えれば考える程、変でおかしくてしょうがないです。こんな変な学園に、何故入学する事になったんだろう。こんな変な街に、どうして来る事になったんだろう......八郎くんは、疑問に思わなかったんですか? こんなにハイテク技術が揃った街が、どうしてニュースにも新聞にも載らなかったんだろうって」
言葉に詰まる。
彼女はもう、全てを理解しているのではないかと、八郎はそう思ってしまう。
蓮見が疑う理由は明確だ。不信感がある、それ一つだけ。
この箱庭の外見は完璧だ。
世界の何処かにはこんな場所があるんだろう、そう思わせる程、そう見紛う程に、この箱庭は完璧だ。
けれど彼女が不信感を抱いてしまうのは、隠れている研究所の存在が原因だ。
研究所が居るせいで、この箱庭には少し歪みがある。司書が居ない図書室が良い例だろう。
その小さな歪みのせいで、彼女は気付いてしまっているのではないだろうか。
「どうしました、そんな深刻そうな顔をして。ジョークですよぉ、ジョーク。本気じゃないですから」
「滅茶苦茶本気に聞こえたけどな......」
空の暗さは、段々と色濃くなっていく。
日没がじりじりと迫ってきていた。夜空にオレンジ色が滲んでいる。
「今から言うジョークは飛び切りですよ。覚悟は良いですか?」
「笑い死ぬぐらい、飛び切り?」
「ええ。とんだ大馬鹿だと笑ってしまう程に、飛びっ切りのジョークを」
空を見上げていた彼女は、体の向きを八郎に向ける。二人は向き合う形になった。
一呼吸おいて、蓮見の唇が動く。
「この世界の空って、偽物なんですよ」
八郎にとって、最も笑えないジョークが飛び出した。
八郎が抱いていた疑問も、今ここで確信に変わる。
蓮見栞織はこの箱庭を疑っている。
そしてこの言葉にどう返すかで、蓮見の疑念も確信に変わってしまうだろう。
「八郎くんはどう思いますか、今日一日の感想として」
蓮見の瞳に絡め取られる。
目の動き、体の動き、呼吸、八郎の一挙手一投足全てが彼女の瞳に捉えられている。居心地の悪さを感じる程に、彼女の視線は八郎だけに向けられていた。
瞬き一つせず、まるで何かを待っている様に。
「確かに変だとか、色々違うなって思う所はあった。
けど、そうだな............空は、本物だと思う。俺は、そう思う」
「______ですよね! 良かったぁ、安心しました。これで同意されたらどうしたものかと......」
「......へ?」
鳩が豆鉄砲を食ったかの如く、八郎は唖然としている。蓮見の表情は柔らかく、と言うかニコニコ笑っていた。まるでイタズラが成功した子供の様に。心底楽しそうだ。
「え、何? なんで? どう言う事?」
「最初に言ったでしょう、与太話だと。
ホラ話で与太話、戯言で冗談です。だから、今日の話は笑って流して下さいね。ほらほら、そろそろ星が見える頃合いですよ。準備準備」
空を見上げると、いつの間にか夜空に変わっていた。小さな煌めきがまばらに光っている。
肉眼で見る限りでは、本物の星空だ。
「まずはですね、北極星を探しましょう。あちらが北ですので」
蓮見による天体観測講座が始まった。
星について話す蓮見を見て、八郎は蓮見の星好きを実感した。ただ帰り道に夜空を見上げる程度で、星に関する知識も関心も少ない八郎にも分かりやすく、尚且つ興味をそそる語り口。彼女は星が好きだからこそ、その好きを誰かに共有したいのだろう。
「あっちの星が見えますか? よくひしゃくの形と言われる北斗七星です。ひしゃくって言われてもあんまりピンと来ないとは思いますけど。そこから......ありました、あれが北極星です」
「肉眼で見えるんだ。て事は、あっちが真北か」
「そうですよ。将来船で旅をする事があれば、是非一度探してみて下さい。海の上には遮るものがありませんから、ここよりもずっと綺麗に見えますよ」
蓮見の瞳は星の輝きを映している。
本当に偽物だと分かったとしても、彼女はあの星々を悪く言わないだろう。どちらかと言えば、プラネタリウムを見ている様な感覚なのだろうし。
「海かー、行ったことないな」
「私もです。旅行もそこまで、行ったこと無いので」
「俺も無い。家族とも、行ったことないし」
空気が少し重くなった気がした。
話す必要が無い事をつい話してしまったのは、八郎が蓮見にかなり心を開いているからだろうか。
それとも、彼女が心を開かせたのだろうか。
八郎は空気を重くした事を後悔し、何か話題を変えられないかと辺りを見回す。
けれど目につくものは、やはり空に浮かぶ星々だけだった。
「俺、プラネタリウムとかもあんまり行った事ないからさ。天体観測とか初めてなんだ。でもすげー楽しいよ。ありがと、栞織さん」
「いえいえ。こちらこそですよ、八郎くん。私も今日は、とっても楽しい一日でしたから」
蓮見は望遠鏡で空を見る。
星を見る彼女は楽しそうで、とても人の腹を探る様な人間には思えない。少なくとも八郎は、そう思いたくなかった。
空は満天の星が広がり、すっかり世界は夜になっている。太陽の光を目指す様に、虫が街灯の光に集っていた。
その時、遠くの方で何かの童謡らしき音が聞こえた。防災無線だろうか。時計を見ようとすると、蓮見がいきなり声を上げた。
「わー、門限! すみません八郎くん、寮の門限が!」
「門限? 何時までなの?」
「あともう30分で門限オーバーです、申し訳ないんですが望遠鏡預かって頂けませんか!?」
手早くケースに収められた望遠鏡を蓮見から預かる。忘れ物を確認した蓮見は、大急ぎで階段を駆け降りていく。八郎もその後を追いかけ、信号が変わるのを待っている蓮見の元へ追いついた。
「すみません、押し付ける形になってしまって。このお詫びは必ず......」
「良いよ全然。栞織さん、夜だし気を付けて。女の子一人じゃ危ないから」
「お気遣いありがとうございます。八郎くんも気を付けて、また学校で会いましょう! さようなら!」
信号が変わると同時に、蓮見は手を振りながら走り去っていった。
「八郎くんお疲れ〜。それ望遠鏡?」
「お疲れ様です。やっぱり学校開いてなくて」
一縷の望みに賭けて学園へ戻った八郎だが、やはり門は固く閉じられていた。よじ登って中に入ったまでは良いものの、扉はとうに鍵がかかっていて、結局研究所に望遠鏡を持ち帰る羽目になったのである。
「へぇ。その感じだと何かしてきたのかな、蓮見ちゃんと」
「ちょっと星見て来ました。場所は___」
「それは後で報告書。帰るよ、俺八郎くんが帰ってくるまでずうっっっっっっっと待ってたんだから。クソ暇だった」
「それはすみません......」
二人は箱庭の外に出て、各種扉にロックをかける。大きな鉄扉が閉まった事を確認し、13ゲートを後にした。
「そう言えば、報告書ってどんな感じのやつなんですか?」
「報告書? あー、アプリでやるやつだし、割と簡単だから。身構えなくて良いよ」
「はーい。お腹空いたな」
「食べ盛りだねえ。仕事はなる早で頼んだよ、遅れたら塩見に絞られるから、文字通り」
運動神経抜群の塩見ならやりかねないなと、頭の中で不知火が絞られているイメージが過ぎる。
食堂で夕食を摂った後、八郎は自室に戻った。
部屋ではすっかり居着いたロボットが、我が物顔でベットを占領している。引っ掴んで充電スポットに置いてやるとと、わーわーと騒ぎ始めた。
『メールチェック、早クシロ。目上、早ク、遅イ』
「だーわかった、わかったから静かに!」
言われた通りにメールをチェックする。
習慣づいていたものの、初日の忙しさにかまけて今日は疎かになっていた。メールを開くと、霜山から一通届いている。恐らく報告書の件だろう。
霜山です。
初日お疲れ様でした。本日中に報告書の提出をお願いします。これから彼女達との接触がある日は必ず作成するようにして下さい。
報告書の書き方、提出方法をまとめた資料と、専用のアプリケーションを添付しておきます。分からない事があればメールか、アルファ班の不知火君に聞く、もしくは私の部屋に来て下さい。
添付されていたファイルを開いて内容を確認する。どうやら配布されている端末上で報告書の作成が出来るそうで、アプリをダウンロードして開くと、今日売店で見た狐のキャラクターが操作の案内をしてくれた。
「日付、曜日......げ、時間。何時くらいだっけ」
報告書はかなり記入する内容が多く、会話内容やその当時の時刻などを出来る限り正確に記入しなければならない。
本のページを捲る様に、今までの出来事を思い出す。
蓮見の楽しそうな表情、かけてくれた言葉。
色とりどりの記憶が浮かび上がる中、やはり印象に残っていたのはあの時の事。あの時の与太話の事だ。
八郎は記憶を辿りながら、一行一行を埋めて行く。
あの時の与太話も、覚えている限り、出来る限り正確に。
「これで完成、っと。で、えーっと......後は送信するだけね、了解」
『書ケタカ。モウ夜遅イゾ』
「だなー。風呂入ってくるわ」
端末を机に置き去って、八郎は浴室へ向かった。
部屋には光が残っている。
部屋の電気と残された端末、ロボットの瞳、その光だけが残っていた。
ガタリ、充電スポットから一人でにロボットが転げ落ちる。床を伝って机を登り、己の体からケーブルを伸ばして端末に差し込んだ。
『____データ転送中、残リ、2分23秒』




