第十話 放課後
激動とでも呼んでみたい時間が終わり、八郎は放課後を迎えた。勿論、ここで全てが終わりな訳では無い。むしろこれからが本番と呼んでも差し支えない。
「お待たせしました、八郎くん。続きにしましょうか」
昼間の続きがこれから始まるのである。
蓮見の手には何処かの鍵が握られていた。恐らく屋上の鍵だろう。
「私、一応天文部として活動をしているんです。ただ春はあまり星を見るのには適さないので、活動はあまり出来てないですけど」
「夜でも明るいもんな、春先は」
「ただ、今日はどうしても八郎くんに星を見せたいので! 先生にお願いして許可をもぎ取りました。最後のお楽しみですよ。それじゃ、部活を見て回りましょうか」
教室の電気を消して、二人は廊下に出た。
元々人数が少ない学校故に、放課後でも静かなままだ。けれど美術室からは、数名の話し声が聞こえてくる。
「美術室だけあると言うのも、少し不思議ですよね。数あるものの中でどうして選ばれたんでしょう」
「さぁ。そう言うのは分かんないな、予算の都合?」
「初期投資は確かに、少なそうですけど......まぁさて置き、美術部の方が活動してますね。リンさんが澄夏さんをモデルに絵を描いているみたいです」
開いている窓から覗いてみると、机に突っ伏して眠っている小野町を、もう一人がキャンバス越しに観察している。
座っている姿だけでも分かる程背が高く、髪は非常に短い。所謂ベリーショートと呼ばれる髪型をしていた。リン、と言う名前だけでは、男性か女性かどうかも判別出来ない程に、彼か彼女は非常に凛々しい顔つきをしている。
「_____ねぇ」
鈴を転がす様な声だ。
いつの間にか、彼女がこちらを向いていた。腕や足、姿勢はそのままで、頭だけをこちらに向けている。
「今日は、紹介とか、出来ないから......また、今度にして。ごめん、ね。栞織ちゃん」
「いえ、こちらもお邪魔してすみません。失礼しますね」
蓮見は窓を閉じる。
その後数秒思考して、困った顔をして、またいつもの顔に戻った。
「ウチの部活はほぼほぼご友人同士の遊びの延長線上なので、こう言ったこと普通に起きます、ですので悪しからずです、めげずに次行きましょう次!」
「一旦落ち着こうぜ、どーどー」
「うぅ......良いなあ皆さんは。天文部には誰も来ないのに.......」
「それなら俺が入部しようか?」
蓮見はパッと目を輝かせる。
「良いんですか? やったぁ! ありがとうございます八郎くん、このご恩は一生忘れません!」
「そんな武士じゃないんだから」
心の底から嬉しそうにする蓮見は、普段の落ち着いた雰囲気とは違って子供らしさ全開だ。
八郎は照れくさそうにしているが、緩む口角を抑えきれていない。感謝を止めない蓮見を宥めているが、全然満更でもなさそうである。
「よし、じゃあ外行きましょう。運動系の部活もありますので!」
蓮見は階段を降りていく。
少し駆け足な彼女を追って、八郎も階段を駆け降りた。
「凪くんが走ってると思ったんですが......アテが外れちゃいましたね」
「凪......鴉丸くんだっけ?」
「そうですよ。凪くんは三年生にお姉さんが居るそうです」
「そうなんだ」
会話はそこで止まった。
と言うより、話題が尽きたと言っても良い。
この学園はそもそも在籍している人数が少なく、勿論部活の数も少ない。そして毎日活動している部活の方が珍しい方である。
その為、今日の部活動紹介はここで打ち切りとなってしまったのだ。
「すみません、今日は殆ど活動してないみたいで......」
「いや全然、気にしないでいいから」
「申し訳なさが割り増しです〜......じゃあもう、天文部に行っちゃいましょうか」
二人は学内に戻り、三階へと向かう。
二階の外階段で、ふと遠くを見渡す。木々の隙間から、仄かに桃色に色付く大樹が見えた。
「あれ、桜の木?」
「あぁ、広場のやつですかね。何でかは分かりませんが、全然散る気配がないんですよ」
外扉を開けて、三階の部屋に入る。
やはり前に見た通りだ。お菓子のゴミや飲みかけのペットボトル、乱雑に放り投げられたクッション、部屋中が滅茶苦茶に散らかっている。
「......はぁ、またですか。お掃除お掃除」
「凄い散らかってるな。いつもはどうなの?」
「私一人ですし、そこまで散らかる事もないです。掃除してますし。ですけど、時折誰かがサボりに来て、散らかしっぱなしにしてるみたいで。ちょっとムカムカします」
「災難だな、手伝うよ」
ゴミを集め、散らばったクッションやらを回収し、換気の為に扉を開け放った。綺麗になった部屋は、低いソファと平積みの本だけになる。随分と殺風景な部屋だ。
「まだ随分時間がありますね、日が暮れるまで1時間以上............八郎くんって、そう言えば寮に入るんですか?」
事前のパンフレットに書かれていたが、学生達は寮で生活をしている。両親から離れて暮らす以上、仕方がない事なのだが。
だが、八郎はその事の詳細を知らなかった。
何せ引っ越すだとか寮に入るだとか、そう言った話は一つも聞いた覚えがなかったからである。
「えーっと............いや、引っ越し、そう引っ越しがまだでさ。荷物届くの遅くなるらしくて」
「あらら。でしたらホテルとかに」
「うん、近くのとこ取れてるから、大丈夫。うん」
凌ただろうか。
ホテルがあるかどうかは分からないが、かなり手の込んだ箱庭であるのだし、まあホテルくらいあるだろうとたかを括っていた。
後で塩見か霜山に報告しておかなくては。存在していなかったら大問題だ。
冷や汗が伝うが、八郎はなるべくそれを意識しないように視線を蓮見に向ける。
____堂々としとけば、逆にバレない......多分
蓮見は普段と変わらない顔だった。
と言うか少し困惑している顔だった。誰だって急に見つめられると、戸惑ったり不快に思うだろうに、八郎はそれに気付かず観察を続けてしまう。
「そんなに見つめられると穴が空いちゃいますよ」
「あ、ごめん。そう言うつもりじゃ」
「分かってますよ、ちょっとしたジョークです」
蓮見は外扉のガラスを見ていた。
恐らく、ガラス越しの空を見ていた。
けれど彼女の心は、何処か遠くに行っている様な気がしてならない。
数メートルの距離に居る筈なのに、蓮見との間に酷く距離がある様に思えてしまう。
「ね、栞織さ___」
「八郎くん、出かけますよ」
「え?」
「最後のお楽しみでしたけど、今から行きましょう。望遠鏡を持って、一緒に。お気に入りの場所があるんです。私と一緒に、星を見ましょう」
蓮見は準備の為に寮に戻って行った。
三十分後ぐらいには戻る為、丁度良い時間になれば生徒玄関へ降りてきて欲しいと伝言を残して。
少しの間自由になった八郎は、望遠鏡を持って職員室を訪れる。
「すみません、霜山先生いらっしゃいますか」
「どうぞ」
奥のデスクで、霜山が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。地上の新聞なら是非読みたいのだが。
「靴を取りに来たのと、ちょっと聞きたい事があって......その、ここってホテルありますか?」
「............あるにはあります。因みに、どうしてそれが気になったんですか?」
「実は______」
八郎は蓮見との会話を霜山に伝えた。
霜山は額に手を当て、少しため息をつく。
「やられましたね、鋏切君」
「それってどう言う......え、あ、まさか......!」
かなり遅れて八郎は気付く。
女子である蓮見と同じ寮に入る事は無いし、何なら彼女に寮に入っているかどうかを確認する術は無い。
蓮見はあの時、八郎はどんな反応をするかによって何かを見極めていた。カマをかけられていたのだ。
知らないなら大人しく知らないと言えば良かったのに、焦って適当な言葉を口走ってしまった八郎の反応は、彼女が抱いている感情を更に増幅させてしまっただろう。
「うわっ、すみません......」
「まだ彼女にとっては、疑念がある程度のラインでしょうし。これ以上ヘマをしなければ問題ない、と私は考えます。気を付けて下さいね」
「はい、次は必ず」
「よろしい。それで、その望遠鏡......蓮見君が持ち出しの申請をしていましたね。何処に行くんですか?」
「お気に入りの場所に連れてってくれるみたいです。場所は教えてくれなかったんですけど」
霜山はコーヒーを一口飲んだ。
「でしたら今日の報告書を書く際に、そこでの会話をしっかりと記入しておいて下さい。必ずですよ」
「報告書......分かりました。勿論です」
「それでは、そろそろ下校時刻ですので。君も、時間は大丈夫ですか?」
霜山が部屋の時計を指差す。
時計の針は、蓮見との約束の時間に近付いていた。
「それじゃあ、お先失礼します。お疲れ様でした」
「お疲れ様。また明日」
職員室の扉を閉じる。
コーヒーの匂いは、扉の先まではついてこなかった。
八郎は生徒玄関に出る。夕日が沈み始めた空は、薄青とオレンジのグラデーションに染まっていた。上手く言葉には出来ないけれど、何度も見た事がある夕方の空だ。
「八郎くん、お待たせしました」
リュックを背負った蓮見がこちらへとやって来る。
「どこかで飲み物を買って行きましょうか。近くにコンビニありますので」
彼女と共に学園の外に出る。八郎にとっては未知の世界だ。
学園の外は、端的に言えば静かだった。
正確に言えば、車通りも人通りも一つも無かった。
誰もここで生活をしていない事が分かる程に音が無い。恐らくと言うより、本当に誰も居ないのだろう。
先を歩く蓮見の後について行きながら、八郎はそんな事を考えていた。
歩き出して数分後には、もうコンビニの明かりが見え出した。
横断歩道を渡る為に赤信号を待つ。
車は一台も来ない。エンジン音も排気ガスの匂いも無い。けれど律儀に、目の前の信号の色が変わるのを二人並んで待っている。
「そう言えば八郎くん、電子決済使えます? この街殆ど現金非対応ですよ」
「え? ちょっと待って、確認......これか......? あ、空っぽだ」
「あちゃー。お財布は?」
財布。
意識の外から突如現れたその概念により、八郎は一気に焦り出した。
研究所に来た時は持っていた筈だが、目が覚めた時には所持品は消えていた。没収されたんだろう。
他にお金を使いそうな所は食堂だけだ。
だが研究所の食堂は、薬野から聞いた限り給料から引かれるシステムの筈である。つまり財布は必要無いし、電子決済だって利用していない。
____じゃあ、俺の所持金って、まさか
考えに考え抜いた出た結論は、一文無し。
今の八郎は、所持金0円である。
「ごめん栞織さん、俺、俺なんか一文無しだ今」
「突然なるもんなんですね。まぁ天文部部長として、今日の分は奢りますよ。返さなくて良いので」
「ほんっっとにありがとう......!」
コンビニで蓮見に飲み物を奢ってもらい、二人はまた歩き出す。
空はもう夕暮れと呼んで差し支えない程、オレンジ色に染まっていた。日没まではまだ時間がありそうだ。
「あそこの階段、見えますか? あれを登り切った先がゴールですよ、頑張りましょうね」
少し遠くに見える階段を指差して蓮見は微笑んだ。
八郎も背負っている望遠鏡をしっかりと背負い直し、疲れが出始めた体に鞭を打つ。
次第に見えて来た階段は、小さな山を登る階段だった。自然が残る階段を一段一段と登って行くと、少し開けた場所に出る。
数台並んだベンチ、それと東屋。どうやら公園らしい。
「もう少し暗くなるまで、おしゃべりでもしましょうよ」
一番空が見えやすいであろうベンチに蓮見は腰掛けて、八郎を手招いた。
「ここはきっと、私達二人だけでしょうから」




