第十二話 星を探す
いつも通りのアラームと、ロボットの声が鳴り響いている。慣れ始めた朝の風景だ。
「おはよ。そういやなんで昨日床に落ちてたの?」
『オマエニ言ウ必要ノ無イ事ダ』
ロボットはそうはぐらかし、瞳の光を消した。人間じゃないくせに、このロボットは非常に人間らしい。
身支度を済ませてメールを開くと、不知火から一通届いていた。
このメールを開いてるって事は、多分八郎くんはもう朝の支度を終えている頃合いだろうね。俺はまだ寝てると思うけど。
俺は今日休む予定にだから、学校には一人で行って。13ゲートに行けば、小汚いおじさんが扉開けてくれるから
「小汚いおじさん?」
八郎は取り敢えず朝食を済ませて、13ゲートへと向かった。
「よーっす、郁人の言ってた新入りくんだな? 待ってろよぉ、飲み切ったら開けてやっから」
アルコールの臭いが数メートル離れていても漂ってくる。ボサボサの頭は墨の様な色をしているが、墨の様な艶はない。よれてシワだらけの白衣を着崩している様を見ると、確かに小汚いおじさんで通じてしまうのも頷ける。
「あの、えぇ......?」
「ん〜? あぁ、何______あ、名乗ってねぇな。俺は栄澤、栄澤和人。よろしくぅ」
「鋏切八郎です、よろしくお願いします」
「硬い硬い、リラックスしよーぜ八郎。一応階級同じだろうし」
そう言い切ると、手に持っていた缶飲料を一気に飲み干した。
「んじゃ、開けるわ」
慣れた手付きで扉を扉を開ける。
地面に座り込んでいた栄澤に隠れて気が付かなかったが、サラリーマンが持っている様な四角いビジネスバッグが落ちている。
よく見ると、白衣の下はシワのないワイシャツだ。
ヨレヨレの白衣さえ脱いでしまえば、風体はちゃんとした人間へと様変わりするだろう。それとアルコールの臭いさえなんとかすれば。
「あの、栄澤さんってどこで働いてるんですか?」
「学園。教室やれんのが俺とかしか居なくてさぁ、ここはいつでも人手不足だしよぉ。てか八郎って生徒だろ? なんで裏口からなんだよ」
「多分俺が昨日ヘマしたからかと......」
「あそう、まぁ気にすんなって。俺もまだ報告書上げてねぇから。ドンマイドンマイ」
あなたにだけは言われたくない、八郎は必死に口を噤んでそう思った。
時刻はまだ始業時刻には早く、人気のない学園も今は静まり返っている。閑古鳥すらも居ない。
ただ、運動場だけは別の様だった。
「おー、佐奈ちゃんの弟、マジで元気だな。若いねぇ」
「陸上部らしいですよ」
「部活かぁ、てことは朝練? 真面目だねぇ。あぁでも、何も知らねぇのかあの子。姉貴より素直で、良い意味でバカだしな。ま、そりゃそうか」
「何も知らないって、それどう言う_____」
「八郎にも分かる時が来るぜ、そのうちな〜。それより聞きたかったんだけどさ、それ何? 銃?」
そう言って栄澤は八郎が持つ望遠鏡のケースを指差した。
「望遠鏡ですよ。昨日返し損ねたので、今日返しに」
「へぇ〜。一応備品だった気がするし、扱いは丁寧にな。なんか壊したら給料から天引きだぞ」
「バイトでもそれくらい分かってますって」
「バイトだから言ってやってんだよ〜、昇進して職員になって、霜山さんの邪魔をするんなら俺は容赦ぁしねぇ〜ぞ〜?」
「学園内の廊下で誰が呑気に仕事の話をして良いと言いましたか?」
二人が背にしている職員室の方から、怒りを滲ませた男の声が聞こえた。
振り返るとそこには、鬼の形相_____ではなく、いつもと同じ表情で、青筋を立てている霜山が立っていた。誰がどう見ても怒っている。
「すみませ___」
「鋏切君、君はまだは大目に見ましょう。
ですが栄澤、君は別です。職務中に飲酒した上で余計な事を口走りましたね? 減給処分にします、私から所長に掛け合いますので。ついでに酒も禁止、この際禁酒しなさい」
霜山は怒涛の勢いで栄澤を捲し立てる。
「......はい、すんませんでした」
「よろしい、では職務に戻りなさい。鋏切君も、そろそろ教室に居た方が良いですよ。蓮見君の登校時間が近いので」
「っす、失礼します」
八郎は階段を登り、自分達の教室へ向かった。
教室には誰も居ない。鴉丸凪の席にカバンが置かれているだけだった。
自分の席に座る前に窓を開けた。
窓から流れてくる風は、春の暖かさを引き連れている。
「ちょっと寝るか......」
春眠暁を覚えずとも言われる様に、春の眠りは朝の光も気付かせない程である。
詰まる所、八郎はこれからホームルームで霜山に叩き起こされるまで熟睡をかますのであった。
時刻は放課後。
霜山に追加で説教をされた八郎は、トボトボ歩きながら職員室を出た。
カバンを取りに教室へ戻る。
教室にはもう誰も居ないかと思われたが、蓮見が一人で本を読んでいた。
「お疲れでしたか? 望遠鏡、預けっぱなしにしちゃいましたし」
「いや、俺がうっかりしてただけだから。栞織さんは誰か待ってる?」
「八郎くんを待ってました。部活に来てくれたら良いなあって」
「そっか。けどまだ明るいし、星見えないよな」
「なので_____ちょっと私の悩み、聞いていただけませんか?」
言葉を返せない。
八郎の脳内を一つの思考が逡巡する。
出会って二日の関係性で、いきなり悩み相談を持ちかけられることがあるのかと。
___流石に急すぎないか、何かある......いやでも
彼女が本当に悩んでいたのなら、それは聞くべき事なんじゃないのか。八郎は己の仕事を思い出す。
彼女達にとって精神への負荷は毒に等しい。
研究所も積極的に暴走させたい訳じゃないだろう。八郎はそう考え、こくりと頷いた。
「じゃ、行きましょ」
蓮見は誘う様に手を差し出す。
八郎は恐る恐る自分の手を重ねた。二人は三階、天文部の部室へ向かう。
部室は案の定物が散乱しているかに思われたが、今日はゴミの一つも落ちていない。誰も来ていなかった様だ。
「それで、悩みって? 俺に何とかできるかは分かんないけど、力になれるなら」
「聞いてくれるだけで大丈夫ですよ。正直、解決策は何となく分かってるんですが............でも、ちょっとくらい弱音を吐きたくて。ダメですか?」
今まで誰かにこんな事、言えなかったので。
蓮見は弱々しい声でそう付け加えた。
八郎は息を呑む。
ここまで人に頼られてしまったら、もう断る事なんて出来やしないだろう。
二人きりの部屋の中。八郎は頷いて、蓮見に続きを促した。
「実は最近、ずっと頭が痛むんです。ズキズキーって。痛み止めもあまり効かないので、ちょっと辛いんです。学校、休んじゃいたいくらい」
拍子抜け、と言えば失礼に値するだろうな。
ただあの前振りから繰り出されたのが、こんな悩みで良かったとも八郎は思ってしまった。
「それはもう病院行った方が良いと思うけど」
「それは分かってますよ、ちょっと言ってみたかっただけですから。休む程じゃあないですし、少し生活を改めようと思ってますから」
「そっか。あーでも、髪の毛ずっとくくってるとかでも頭痛くなるんだってさ。叔母さんが言ってたっけ」
「へぇ、それならアレンジとかしても良さそうです。今度試してみましょう」
おさげにした三つ編みを指にクルクルと巻きながら、蓮見はそう言った。
三つ編みを解けば、どれくらいの長さになるのだろうか。
「悩みはそれだけ?」
「いえ、もう一つ」
目線を下に向けたまま、蓮見は言葉を紡ぐ。
その瞳は前髪で翳っていた。
「例え話です。八郎くんは、街中で道に迷っている人を見つけた時、どうしますか?」
「まぁ、助けるかな」
「じゃあその人が、もしも_______もしも、死んでしまうかもしれない危険な場所に行こうとしていたら、どうしますか」
翳っている瞳は、不確かだが八郎を見つめている様に思えた。
例え話にしては、蓮見の様子は随分と深刻そうである。まるで例え話が、蓮見自身の話をしているかの様だ。
「......話を聞いてみる。どうしてそこに行くんだって」
「ではその人は、『ただ真実が知りたい』と告げました。それなら?」
「ドラマみたいだな。んー、それなら俺も一緒に行くかも。誰か隣に居れば、その人が一人で___」
「一人で死ぬ事は無い、ですか。かっこいい答えですね、惚れ惚れしちゃいます」
顔を上げた蓮見は笑みを浮かべている。
望んでいた答えが返って来たのか、随分と嬉しそうに。
「俺なんかで止められたらだけどな」
「きっと出来ますよ、あなたなら」
八郎は考える。
この例え話の、死んでしまうかもしれない危険な場所に赴こうとする迷い人が、蓮見自身かもしれないと。枕詞が『友達の話なんだけど』、から始まる話の様に、自分の事を迷い人に置き換えて話しているのではないかと。
____だったら今栞織さんは、何か危険な事をしようとしている?
ちらりと蓮見の方を見る。
彼女は八郎を見ていなかった。ただ、少し辛そうな顔で額を抑えている。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「......栞織さん。何か手伝って欲しい事とかある?」
一呼吸おいて、蓮見は笑みを作った。
「____ありません。お気持ちだけ受け取っておきます」
その笑みは、今までとは違う作り笑顔だ。
何かを必死に堪えている様な笑顔で、蓮見はそう言った。
「今日はもう帰った方が良いよ。頭、痛いんでしょ」
「あはは......ですね。お言葉に甘えて、そうさせてもらいます」
さようなら、と蓮見は手を振って去っていった。
その背中を見送り、八郎は適当な場所に腰掛ける。
「死んでしまうかもしれない、危険な場所......」
一人になっても頭はさっきの話で一杯だった。
こんな頭で報告書が書けるだろうかと八郎は自嘲する。その不安と心配は誰も咎めないだろうに。
「俺も帰るか」
八郎は職員室に鍵を返しに向かった。
扉をノックして中に入り、鍵を返しに来たと告げて去ろうとした時。
「八郎、もう帰る?」
「ムウさん!?」
突如職員室の奥から、千草の声が聞こえて来たのだ。
「ムウさんなんでここに、てかなんで学校に!?」
「私も先生。意外だった?」
「まぁ、そうですね、驚きました......」
千草は机の上の書類を手早く片付けていく。
最後にクリアファイルを鞄に入れ、机の上で二回、トントンと鞄を落として中身を整えた。
「じゃ、帰ろ。ゲート開ける」
「え、あっ、はい!」
千草と共に13ゲートから研究所へ戻った八郎は、千草の隣で外周の通路を歩いていた。
普段はドローンが飛んでいるが、今は一機も見当たらない。二人きりでただただ歩いていた。沈黙と共に。
その沈黙を先に破ったのは千草の方だった。
「八郎。蓮見栞織は何を言ってた」
「不調が続いてるって言ってました。頭がズキズキして痛いって」
「それだけ?」
「もう一つあります」
八郎は覚えている限り、蓮見との会話の内容を千草に伝えた。
「......八郎は、どう思った?」
「どうって......ちょっと、危うい感じでした。何か危険な事しそうな雰囲気だったんで」
「やっぱり」
千草には何かの確信があったらしい。
八郎は何一つ掴めていないものの、彼女の纏う雰囲気の変化だけは感じ取っていた。
普段のクラゲの様に揺らいで掴めない雰囲気が、今は何かを恐れている雰囲気に変わっている。
「ムウさん?」
「八郎、武器、ちゃんと手入れしておいて」
「毎日やってますよ?」
「すぐ使う事になるから」
千草はそう言い残し、通路をいきなり走り出していった。八郎は挨拶も出来ぬまま、口をポカンと開けて呆然としている。
「置いて行くんですか、ムウさーーん!!」
その叫びは、決して千草の耳には届かないのだった。




