89.恥ずかしい姿
朝起きると、カオルはもうすでにベッドから出て着替えていた。
「おはよ」
「おはよう」
ドレスではない、いつもの服。でもまだ白衣は着ていなくて、上は適当なシャツだけ。さらに彼女は髪を下ろしていたので、若干雰囲気が違って見える。
普段のカオルが「お姉さん」だとしたら、今のカオルは「お姉ちゃん」……かな。ニュアンスの違いは、正直僕自身よく分からない。
「おっ、早速反応してるな。ユウくんの前で髪下ろすことあんまないからね。で、どう思う?」
これは……どう答えるのが正解だろう。見るのは初めてじゃないけど、こうして改まって感想を求めるからには何かあるはずだ。
「いやなに、仕事する時はどっちの髪型がいいかと思って。あ、どんな君もキレイだよみたいな台詞はナシね、新婚夫婦じゃないんだから」
新婚夫婦の響きに、僕はあれこれと想像してしまった。「それにアレ言われても大して嬉しくないんだよな〜」とぼやいていたカオルは、僕の反応を見て、恥ずかしそうに頬を染める。
あからさまな照れ隠しに、彼女は咳払いをひとつ。
「んんっ! ほら、早く答えてよ」
「どっちも良いと思う……」
「話聞いてたぁ~?」
カオルは腰に手を当て、前かがみになって僕を覗き込んだ。
「元カレたちと同じことを言うってんだな君は」
厳しめな口調でカオルはそう言った。冷気が伝わりそうなほどに青い瞳が、僕を射抜く。
本当にどちらの髪型も良いと感じたけれど、彼氏たちと同じだと思われるのは嫌だ。昨日のこともあってか、そんな気持ちが湧いてくる。
僕は自分から顔を近づけた。
垂れた髪がサラサラと僕の鼻先を撫でる。普段は後ろでまとめられている髪が前の方に来るのは、この髪型ならではかもしれない。
そしてカオルが言っていた仕事とは、当然あの店で働く時のことだろう。となると、ターゲットにする客の年齢層は高めだ。カオルがそんな人達の指名を受けることはないとはいえ、人気を得るにはそうしたボリューム層の好みに合わせる必要がある。
いわゆる「おじさん」にとっては、どの髪型が正解になるのか。こうして髪が触れるのは嬉しいことなんだろうか? まず自分から考えてみよう。僕は……特別嬉しさは感じない、ただ、柔らかい髪とその香りに包まれるのは……なんだか落ち着く。他の人もそれは同じかもしれない。だけど、こうして垂れた髪に包まれるには、けっこうな身長差が必要だ。カオルはその辺の男性よりは高身長だから、そこ自体は問題ない、けれど相手方からすれば、自分との身長差を思い知らされるということにもなる。相手がプライドの高い男なら逆効果だ。カオルに屈んでもらう以外の方法で髪に包まれるには、寝転がったり後ろから抱きつくような体勢になったりする方法がある……。でもそれはポニーテールでも可能だから、比較に値しない。
そうだ、普段のポニーテールと下ろした髪との違いを探ってみよう。やっぱり一番は、僕自身が感じた雰囲気の違いだ。お姉さんかお姉ちゃん……。おじさん方の好みで言うと────ダメだ、なおさら分からない。そもそも今のカオルが持つお姉ちゃん的空気感は、髪型よりもそのラフな服装のせいかもしれない。仕事中はドレスを着るから、ドレスに合わせて考えて……。カオルは自分の体が武器になると自覚してふんだんに活かしている、まずそれを損なうわけにはいかない。その点では、髪を下ろしてしまうことにより、バラけた髪がボディラインを隠す可能性もある。蛇の獣人のリオさんのように、黒を基調として一本の線に整えるなら良いだろうけど、カオルの赤髪はどうしたって髪自体が目立つ。それなら髪をまとめて後ろに流した方が──。
「な……長くない? あと……近い」
「あっ、ご、ごめんっ。答えに迷っちゃって……」
僕はカオルの髪の中に入ったまま思考を続けていた。意識が思考にばかり囚われてしまったので、ずっと彼女を凝視する状態になっていることに気づかなかった。慌てて離れ、適切な距離を取る。
兵士だった頃から情報分析は好きだった。色々と考えるのに夢中になって、仲間に呆れられることもしばしば。少し、それを思い出した。
「むぅ……こんな月並みなやりとりでここまで真剣に悩んでくれるのは君くらいか。やっぱ他の男とは違うね」
カオルの言葉に、胸が満たされていく心地がした。
会ったこともない相手に対抗心を燃やすというのも不思議な体験だ。それに僕は彼らと違って、彼氏なんて立場にはなれていない。でも現状では間違いなく僕の方がカオルからの評価は高いはず。それを想うと、言葉にできない高鳴りが胸を打つ。
(まあ、カオル本人の前でそれに浸るわけにはいかないけどね)
僕はさも冷静だったように表情を正して、ひとまずの答えを言うことにした。僕の好みではなく、あくまで「仕事のうえで」という当初の問いに合わせて。
「髪型はポニーテールの方が良いんじゃないかな」
「いつも通りが良い、と。よし、君が言うならそうしよう。にしてもその顔……『僕は本当にどっちも好きだし何なら他も見たい』って顔だな。分かった、ユウくんの頼みならしょうがない、たまには下ろしたり他の髪型も試してみることにするよ。正直言ってクソめんどくさいけど、ユウくんが『彼氏にすら見せたことのない姿を見たい』と言うなら私は応えるしかないからね」
勝手に気持ちを追加されてしまった。だけど両方良いと思っているのは本当だし、他人には見せない姿を見せてくれるのは素直に嬉しい。
カオルは微笑み、囁いた。
「お姉さんの恥ずかしい姿も、全部見せてあげる」
「……!?」
「髪型の話だよ? 例えばツインテールとか。アレクシアは似合ってるけど、私がやるとたぶん見てる方がキツいじゃん? ンフフフフ、なに想像しちゃったのかなぁ〜?」
昨日の今日だというのに、カオルはわざと挑発的なことを言い、僕の反応を見て楽しんでいる。
昨晩の誓いを無駄にされたような気がして、さすがに僕も反抗したくなった。
「僕はカオルと違って、真面目に考えるタイプだから」
さっきのカオルの瞳に負けないくらいの冷たさを含ませて、ボソリとこぼす。
彼女は目を見開いて体を強張らせ、即座に膝をついて僕と目線を合わせた。
お姉さんが少年を見下ろす構図じゃない。ただ一人のカオルとして、僕を見ているのが分かった。
「すまない……忘れたわけじゃないんだ。君に『覚えてて』と言った以上、私もそうするのは当然だ。昨夜のことはしっかり覚えているさ。冗談では済ませられないラインがあることを、今一度胸に刻むよ。だけど……もし良ければ、この関係を続けさせてほしい。お姉さんとして君をからかいながら一緒に旅をするというのは、すごく楽しいんだ。バカにしてるわけじゃない、本当に、これまでの人生の中で、今が一番楽しいと胸を張って言える。だからこれからも、変わらず私と一緒にいてほしい」
本心からそう望んでいるのが伝わる。これからも自分と一緒にいて、お姉さんと少年でいること、そしていつもの掛け合いを繰り返していくこと、カオルはそれを望んでいる。
その内容をお姉さんじゃなく私として、少年じゃなく僕に、一切の冗談抜きで頼む姿には不思議な矛盾があって、僕はつい可笑しくなった。
「それにだね、昨夜の感じを人前でやるわけにはいかないだろう? ドタバタコメディやってるくらいが旅をするうえでちょうど良いんだ。そのぶん、2人きりの時は……ね?」
目線を合わせたまま、カオルは思い切った口ぶりで言った。いつもなら自信満々に僕との関係を深めようとするくせに、今は臆病さが見え隠れする。それだけ彼女は後に引けないつもりでいる。後に引けないことを言うことに怯えている。
(つくづくこの人は、からかいで自分を保っているんだね)
さっそくカオルの恥ずかしいところを見せてもらった気がする。そもそも、よく考えてみたらカオルの恥ずかしい姿なんて今まで散々見てきたじゃないか。なら、僕の方にはなんの心配もない。
カオルが怯えているなら、僕が「大丈夫だよ」って言ってあげないと。
「2人きりの時は、どうしてくれるの?」
「へぇっ⁉︎ いやそれは……その時のお楽しみというか、むしろどうしてくれても良いというか……」
僕が乗り気になるとは思っていなかったのか、カオルは真っ赤になって僕から飛びのいた。
「冗談だよ」
「……っ、うう~このタイミングでそれは卑怯だ……」
ちょっと効果がありすぎた気がするけど、とにかく僕がカオルの頼みを受け入れるつもりでいることは伝わったと思う。




