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88.覚えてて

 カオルのお尻を触った、正確には触らされた僕に、アレクシアから冷たい声が飛ぶ。


「ねえ、何してんのアンタ」

「いや僕じゃなくてカオルが……!」

「そう、私がやったんだよ。協力してくれたユウくんへのご褒美、というのは置いといて、今日の客はこっちの方が燃えそうだったからね。そんな雰囲気があった」

「確かに……。さっき『あんなガキに』って言ってた人、ちょっと喜んでそうな声でした! でもなぜ……?」

「いいかいマルカ、世の中にはね、女を()られて喜ぶ層もいるんだ」

「ええ〜⁉︎ そ、そうなんですか⁉︎」


 マルカは男性陣3人を振り返る。皆なにも答えなかった。肯定とも否定とも言えない気配に、マルカは納得のいっていない表情を見せる。


「まあとにかく、初日の出来としては上々だろう。オウミさんへの土産(みやげ)話は大して手に入らなかったが、それは後日に期待だね」


 店を抜け、夜の街道へと出る。その瞬間、大きなどよめきが起こった。


(こっちのことも考えておくべきだった……)


 外の人からしてみれば、「メイドとヤクザを連れて店に入った少年が、今度は美女を連れて出てきた」という状況だ。驚かないはずがない。

 それを確認したアレクシアが小声で話す。


「先輩、もう一芝居(ひとしばい)頼むわ」

「了解。──っ、私をどこに連れていく気? 悪いけど、私は君みたいな子どもに抱かれる趣味はないよ」

「カオルさんにしてはずいぶん無茶な設定ですね……」

「しっ! 今はこれで良いのよマルカ。ってか本当はそれが普通なの。子どもに抱かれる趣味ある方がおかしいの」

「他の女がどうだったか知らないが、私はそう簡単に屈したりしないからね」


 カオルはいかにも悔しそうな素振りで僕に言い放った。それでも吐息はどこか甘く、もうすでに堕ちているかのような気配を漂わせる。


 明らかに周囲の反応が変わった。カオルはこのちょっとした流れだけで、一般人は踏み入ってこれないような関係を匂わせることに成功したんだ。


 生唾を飲む音と、嫉妬に燃えた視線に包まれながら、僕たちは鉄と蒸気の中を抜けて行く。中心部から離れれば、そこはオウミ商会の息がかかったエリアだ。


「この辺りまで来れば大丈夫です。皆さん、お疲れ様でした。特に(あね)さんのご苦労は測り知れず……」

「いやいや楽しかったですよ。誰かさんのせいで台本が狂っちゃいましたけど」

「うっ、その節はすまない……」

「まあその後は上手かったじゃねーか。あのイス最高だったぜぇ〜? 次は俺も座らせろよ」

「君の尻に価値は無い」


 それぞれリボンやネクタイを緩め、完全に仕事終わりモードで事務所へ帰る。ゆるーい空気で到着した僕たちを待っていたのは、


(あね)さんッ、お(つと)めご苦労様ですッッッ」


 ガチガチなヤクザの出迎えだった。


「私、懲役(ちょうえき)行ってたと思われてんの?」

「ハッハッハ! ワシ一回やってみたかったんじゃコレ! さて、報告を聞こうか」

「報告っつっても、今日は大した情報無いですよ〜」


 ドレスのまま、カオルはドカっと腰掛けた。風圧で布が浮き上がり、歓声が湧き起こる。


 そしてそのまま今日の振り返りへ。と言っても、カオルはまだ店のことを教えられている途中で、本当に大した情報はなかった。オウミさんもその辺は織り込み済みだったのか、どちらかというと僕とカオルの(から)みの方に興味を示していた。


 最終的に「カオルに目を付けたおじさんはけっこうお酒に強いこと」、「客の中には見せつけられると燃える人がそこそこいること」が今日の収穫(しゅうかく)になった。


「多少設定の変更はありましたが、今のとこ問題なし! ユウくん、次は普通に客と嬢のプレイもしてみよーね」

「僕はこのままでも良いけど」

「ユウくんノリノリでしたもんね」

「ハマりすぎて逆に怖いわ」


 毒婦会との抗争に進展は見られないものの、焦っても仕方なし。続きはまた明日、ということで今日はお開きに。



 〜〜〜〜〜



 部屋に戻ると、カオルは普段そうするように衣服を脱ぎかけ、慌てて手を止めた。


「おっと、今日はダメだった。この下ショーツだけだからさ。このままベッドの上で裸になっちゃったら、()()がただの冗談じゃ済まなくなるもんね?」

「……そうだね」


 僕は美しい所作で肩(ひも)に手をかける彼女に見惚(みと)れてしまっていて、そのせいか、カオルの言う冗談を真剣に思い起こしてしまった。普段なら適当に合わせられるところも、ちょっとだけ本音が混ざる。


 店にいた時も、そして今も、僕は()()を意識してしまっていた。


 そんな僕を見た彼女は、思い詰めた表情になって、僕に言った。


「ユウくん、子ども云々(うんぬん)は、その……忘れてほしい。あくまで設定の中の話というか、君なら流してくれると思ったからやったんだ、良いね? ……いや、それは自分勝手すぎるか。ここはちゃんと謝らなきゃね、冗談にしてもあれはやりすぎだった。本当に、ごめん、ユウくん」


 そう言うと思った。


 カオルは自分の少年愛を悪だと思っている(ふし)がある。実際、無垢(むく)な少年に手を出すのは悪と言っていいだろう。性犯罪ってやつだ。

 自分の欲求と罪悪に折り合いをつけるために彼女が見出したやり方が、今の「からかい」なんだと僕は思う。常に「一線」を見極め、もしその域を越えてしまったら、しっかりと大人の顔をする。それがカオルという女性なんだ。


 もちろん、そのわきまえ方は嗜好(しこう)を楽しむ者にとって理想的な在り方なんだろう。線引きをハッキリさせて、何かあった時は真っ先に自分から非を認め、相手のケアをする。さらにその対象は、気心の知れた者だけに。文句のつけようもない在り方だ。


 きっとそれは、カオルが長い人生の中で見つけた矜持(きょうじ)。だから、出会ってそう長くない僕が否定することは許されない。少なくとも、今はまだ。


 それでも、このまま冗談で終わらせられては僕の気持ちの行き場がない。なにもカオルを糾弾(きゅうだん)したいわけじゃない。自分の気持ちを誇大化させて、無理やり関係を変えたいわけでもない。


 カオルの在り方を受け入れて、それでいて相手にとっては冗談で済まないこともあると伝えるんだ。


「……僕にだって、限界はあるからね」


 長い逡巡(しゅんじゅん)の末、僕が絞り出した言葉はそれだった。からかいに対する(いら)立ちの限界なのか、もっと生物的な欲求の限界なのか、自分でもどちらを指しているのか分からない言い方になってしまった。


 それでも、カオルはその意図を理解してくれる気がする。


 ただ、心ではそう思っていても、実際の反応を見るのは怖かった。


 だから僕は、カオルに背を向ける形でベッドに横たわった。


 しばらくの無音──そして、ベッドが(きし)む音。


 カオルが背中から僕を抱きしめた。だけど、いつもと感触が違う。体を極力当てないようにしている、そんな触れ方だ。


「ユウくん、私はさ、男の子と……男の人と、こんな関係になったのは初めてなんだ。だから分からないんだよ。どう接していいのか……今でも分かってないんだ」

「でも、彼氏はいたんでしょ?」


 はいそうですか、と済ませるのも何か違う気がして、僕はこの前カオルが言っていたことに言及した。

 答えは知っているけど、それをもう一度カオルの口から聞きたくて。


「いたよ。だが、恋人らしい関係ではなかった。『トロフィーワイフ』って知ってるかな、男が自分のステータスを示すためだけに選んだ妻のことなんだけど、あれの彼女版だね」

「うん。アレクシアからも聞いたよ」

「私はどちらかというと男の子っぽい趣味にばかり興味を持っていたからさ、そういう方面では男子とかなり仲良くなれたよ。だがそれが逆に私の女らしさを失わせた。彼女らしさ、なんて言うまでもないね。恋愛の対象としては、つまらない女だったんだろう。二股かけられたことだってあるよ。本当に、トロフィーとしての価値しかなかったんだ、私は」


 カオルの声は、少し震えていた。


「ああ、ちょっとだけ訂正。自分で言うのもなんだけど、私って身体(からだ)は最高だろう? 肉体を求められることはしょっちゅうだったな。もっとも、私のことを大切にしてくれないやつに預ける体なんて持ち合わせていなかったが」


 カオルはさっきよりも体を近づけ、僕の背中に体重を預けた。


「肉体関係は当然ゼロ、子どもの話なんて尚更(なおさら)だ。だから演技とはいえ、あんな話をしたのはユウくんが初めて。ネタとしてすら、男と子作りの話をしたことなんてないよ。そう考えると……私、冗談では済まないことを言っていたんだね、フフッ。君は私の初めてをどんどん奪っていくな」


 思っていた着地点とは少し違うけれど、カオルは僕が望んだ答えを言ってくれた。

 僕は自分が卑怯者に思えた。カオルの「からかい」というやり方を否定したくない、だけどそれで終わらせてほしくない、だからこうして、カオルの方から「冗談」を否定してくれることを期待して話を振ったんだ。


「知らないと思うが、私はサキュバスだ」

「え? い、いや……知ってるけど」


 一際(ひときわ)真面目な口調で、突然カオルは原点に立ち返る。予想していなかった流れに、僕はつい背中を振り返った。


 カオルの蒼い目。それが淡く輝いていた。でも、あの「男を喰らうような魔性」は感じられない。瞳の奥で、何かを押さえ込んでいるようにも見えた。


「知識としてじゃない、実感としての話だよ。君と接する時の私は『お姉さん』としての私だからね。一度君の唇を奪ってしまった時は……まだギリギリお姉さんだったはずだ。だが、この並外れた衝動がいつ暴走してしまうか、私にも分からない。こんなにこみ上げてくるのは君が初めてなんだ。でも、そのせいで君を傷つけるようなことはしたくない。私の力を受けた人間がどうなるか、見てきただろう? 君はまだ()()()()で済んでるんだ。君をあんな風にしたくない。もしそうなったら、私は自分という存在に耐えられなくなる。だからお互い踏み込みすぎないよう、冗談として発散していたつもりだった。君にも、私自身にも冗談だって意識させれば、そういう距離を保てると思ってた。そっか……君にとってはそんな簡単な話じゃないよね。気づいてなかった、いや、気づかないフリをしていたのかもしれないね」


 そうか、カオルは普通の女性ではないから。

 カオルが冗談を言うのは、性犯罪がどうとか(たしな)みがどうとかなんて単純な内容だけじゃないんだ。自分を守るため、そして何より相手を守るため、その間にあるものを守るための……。


「今日のあれは私にとっても君にとっても冗談で片付けていい話じゃないよね。忘れてなんて軽々しく言ってごめん。今本気になられちゃうと困るけど……もし……この先……またこの話をすることになったら、その時は真剣に向き合うと約束する。だから、やっぱり…………覚えてて」

「……わかった」


 僕の中で出かかる衝動を抑え切って、しっかりとカオルの気持ちを()んだ。

 これで本気になっちゃいけないなんて、生殺しにもほどがある。だけど僕が欲望に負けてしまえば、カオルのしてきたことが全て無駄になる。だから耐えた。

 それに、カオルへのこの感情を性欲なんかと結び付けたくはなかったから。


「それとね、私はやり方こそこんな感じだけど、それは照れ隠しというか…………ドキドキしてるのは、私だって同じだから」


 知ってるよ、とは言わなかった。カオルの言葉も、それで終わった。


 返事の代わりに、僕は腕を広げてみせた。普段とは逆の立場。

 カオルは何も言わずに、僕に体を預けてくれた。


 この先僕たちがどういう関係になっていくのか、想像もつかない。でも、たとえどんな結果になったとしても、お姉さんとしてのカオルも、サキュバスとしてのカオルも、カオルとしてのカオルも受け止めてあげたい。


 だから僕は、忘れないと誓った。


 忘れられるわけ、ない。

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