82.崎谷薫は穢さない
文学少女のようなリオと、女戦士のようなマーサ。
リオのドレスは露出こそ控えめだが、ボディラインがくっきり浮き、むしろ服の向こうがありありと想像できてしまう。
マーサの方は厚手のシャツと汚れたオーバーオールという、一見地味な格好だが、がっしりした筋肉とそれを覆う女性的な脂肪は、今にもはみ出さんと服を押し返し、健康的なエロスを感じさせる。
そして──対面しただけで分かる。プロフェッショナルだけが持つ本物の風情を、この2人は秘めていた。
「よろしく頼むよ。リオ、マーサ」
薫は足は組んだままに、両手を広げて自分の両隣に座るよう促す。
並の相手ならばそれだけで生唾を飲んでしまうほどの所作。動揺など決して悟られないはずの、完璧な振る舞い。──しかし。
「無理しなくてもいーって! こっちがやりづらいよ!」
「うん……このお姉さん……このお店どころか、女を買うの初めて」
一瞬で、見抜かれてしまった。
リオとマーサは勧められた通りに両隣に座ったが、薫はもうその真ん中から抜け出したくなっていた。
「さすがプロだね。でもさあ……もうちょい遠慮ってものがあってもいいんじゃあないの? なんていうか……失礼じゃない?」
これは敵わない、と姿勢を解き、薫は肩を落とす。輝きすら放っていた彼女の姿は、一瞬でくたびれてしまった。
「変に肩肘張ってるお客さんは一発で崩しちゃったほうがいいんだよ。その方が結果的にリラックスできんだから」
「でも……黙ってた方が良さそうな時は、そうする……」
つまり、薫の場合はさっさとほぐしてやった方が良いと判断されたのだ。
「まあいいや、変にカッコつけるよりそのままの方がウケが良いってことだな。私はちょっと背伸びしてるくらいの子が好きなんだがね」
「あー、なんか分かるよ」
マーサは同意してくれたが、リオはそんなの知ったこっちゃないとメニュー表を開き、薫に見せる。
「飲み物、いい……?」
人の話を流し、あげく注文しようなど。まるで礼儀がなっていなかったが、メニュー表からひょっこりと現れた顔と、黒髪の間から覗く瞳は、「そういうところもこの子の良さだな」と思わせてしまう可憐さがあった。
「あ、ウチもいいかな? おねーさんどうする?」
「……。酒はダメなんで……オレンジジュースください」
メニューを見るでもなく、薫は思いついた飲み物を言う。潜入のために来ている以上、下手にアルコールを入れるわけにはいかない。
「はーい。すんませーん! こっち!」
メニューに書かれた『0の数』がやけに多く見えたが、薫はこの世界の価格相場を完全には把握していなかったので、普通に頼んだ。それに値段よりも、アラビア数字らしきものが使われていることの方が印象深かった。
「お待たせいたしました」
ボーイがすぐに頼んだものを運んでくる。
オレンジジュースというものがこの世界に存在するか不安だったが、なんの不都合もなく注文は通った。グラスに注がれた液体の色、香り、紛れもなくあのオレンジジュースだった。
(メニューに使われてる文字といい飲食物といい……理解が早まって助かるよ)
見ず知らずの場所で現れた、既知の飲料、それが薫を安堵感で潤していく。
「そんじゃ、乾杯!」
「かんぱーい……」
「乾杯」
氷の音が、心地よくカランと鳴った。
「うーん、人の金で飲む酒はうまいな!」
「おいしい」
「ああ、ぜひとも人の金の味を楽しんでくれ。糸目はつけないから」
情報さえ得られれば返済の必要もなくなる。薫はとにかく2人に取り入ることに専念した。
マーサは大ジョッキのビールを一息で飲み干していく。獅子のたてがみのような金髪に、輝く気泡が映えていた。
対照的に、リオはちびちびとウイスキーに口をつける。一口ずつ確かめるような飲み方は、こちらにまで味わいが伝わってきそうだった。
薫が指名した2人は店の中でもトップクラスの酒豪だ。容姿端麗かつ話しやすいのでリピート率が高いが、売上(つまり客から巻き上げた額)もトップクラスだった。この調子だと薫もどれだけ搾られるか分かったものではないが、それはまた別の話。
「にしても、女の人が来るってのは珍しいな」
二杯目のビールを頼んだマーサが単刀直入に聞く。やはり気になってはいたらしい。
「もの好きな人がたまに来るけど……おねーさんもそーゆー人?」
「いやまあ込み入った事情があってね、別に変なことしようって気はないから安心してよ」
「違う……お姉さんも、もの好きな人……私わかる」
適当に流そうとしたところを、リオが鋭く指摘した。
「見ただけで分かっちゃう? やっぱすごいなプロは」
「というか……お姉さんが分かりやすい」
「なんだなんだ、おねーさんもウチらが目当て?」
「そうじゃない、マーサ。……けど、すごく……もの好き。お姉さん……小さい男の子、好きでしょ」
一目で見抜かれ、薫は肝を冷やした。
「──マジで分かんの?」
「店長と同じ気配がするから……」
その店長とは一度話してみたいが、関わり合いにはなりたくないなと思いながら、薫はジュースに口をつけた。
「そうだな……うん。引かないでほしいんだが……私は少年が好きなんだ」
「へ、へー……そうか、うん、まあ人それぞれじゃない?」
「引くなって言ったじゃん! なんだよその顔は? いま目そらしたな? ほら、目をそらしてるッ! 私のこと危ないヤツだと思ってるらしいな! マーサちゃん」
人当たりの良いマーサが露骨に目をそらしている。が、看破された以上は薫としても引き下がる理由はなく、逆に食ってかかった。
「気持ち悪いのはわかる、わかるよ。だがこっちにもハッキリと『理由』がある、『背景』があるッ! 詳細は省くが、とにかく子どもを食い物にしてるような、その辺のドス黒くて汚い大人どもと一緒にされたくはないねッ」
そのあまりの剣幕の中に、マーサは確かな意志を見た。
正直言って、マーサは少年愛や小児性愛といったものに良いイメージは持っていない。しかし、なぜか薫からは嫌な匂いがしなかった。目の前の女には、気色の悪い黒さが見えなかった。
それはリオも同じことだった。この店の店長に似た妙な気配こそ感じ取ったものの、薫はそれよりももっと真っ直ぐな、真剣な精神を持っているように見えた。
「理解したよ、おねーさん。あんたは本当にそうなんだろうな、そんな気がする」
「それに……お姉さんみたいな人から好かれるなら……相手の子も、喜ぶと思う」
「いいや、そうとも限らない。子どもにとって、年上ってのは基本的に恐怖の対象だからな。慎重にいかなくっちゃあいけない。万が一にも、相手にトラウマを残すわけにはいかない」
「おおっ、その考え……本物の子ども好きって感じだね」
「でも男の子の落とし方なんて知らないから、いつも身体にモノ言わせてんだけどね」
「なんじゃそりゃあ!」
「台無し……」
気取らず、隠しもしない正直なトーク。それはマーサとリオにとっても接しやすく、心地いいものだった。
自然と空気が和らぎ、次の言葉が口をつく。
「だって難しいじゃん……距離感とか、付き合い方とか……」
「おねーさん、見た目だけなら経験豊富そうなんだけど」
「ないんだな、それが」
「意外……」
「だからさ、プロのお二人に助言を仰ぎに来たんだ」
薫はさっそく本題のひとつに切り込む。淫魔の性質に加え、夜の蝶の技術が加われば怖いものなしだ。
「そんなこと言われたって、ウチらも男の子相手に色恋やったことなんてねーからなー」
「そこをなんとか。ついドキドキしちゃうような色気の出し方とか教えてよ」
マーサは困り顔でジョッキを傾ける。
当然のことながら、相手方も子どもを誘惑する方法など心得ていない。むしろ知っている方がおかしいのだから。
だが、彼女たちは彼女たちなりに頭をひねってくれた。
「まー結局さー、自然体で良いんだよ自然体で」
「自然ねー」
「ほら、その方がさ? この人は自分と一緒にいて安心してくれてるんだなーって思うじゃん? 安らぎっつーの? それを感じてくれてんだなって。自然体っていうか、素だね。家でだらけてる時みたいな」
「じゃあ、普段からちょっとだらしない女を演じればいいのか」
「演じるんじゃなくて……うーん、まあそれでいいや」
少年の前では出来るだけカッコいいお姉さんでいたい、というのが薫の願望であったが、だらしなさ故に醸し出されるエロスも悪くないと、かねてより思ってもいた。
果たしてユウくんはそういう女を好むのか? と薫が考えていると、リオも案を出してくれた。
「自分にしか見せない表情があると……好印象……」
「あ~、そういうの好きそう。ロマンチストだもんな、リオ」
「マーサ、黙って……」
恥ずかしそうに口をへの字に結ぶリオの表情は、なるほど確かに好印象だった──。
その後薫は、容赦なく酒をあおっていく2人にドン引きしたり、普段どういう客を相手にしているのか聞いたりして過ごした。
そして何杯目かのジョッキが片付けられた頃、マーサが先程までとは違う気配で口を開いた。
「ねえ。同じ女の人から見て、こういう仕事してる女って、どう思う?」
彼女からは想像できないほど重い響きに、薫は思わず身構得る。しかし、薫の答えは決まっていた。
「なにも思わないな。変な話だが」
なぜ働いているのか、という事情にもよるが、少なくとも、自分の意思でこの道を選んだ者をとやかく言うつもりは無い。
それに彼女たちは接客のプロだ。プロから学ぶべきことは大いにある。その点において、薫が敬意以外の感情を持つことはなかった。
なにも思わないとの言葉通り、薫はそのまま口を閉ざした。偏見を持たず詮索もしない。
薫と彼女たちが友人であったなら、この店で働くようになったきっかけのひとつも聞いただろうが、そのような関係でもない。
だから、これ以上語ることもない。
「お姉さん……いい人」
「ンフフ、でしょ~?」
適度な距離を保ちつつ、それでいて打ち解ける。少年相手にはなかなか出来なかったことを、薫はいとも簡単にやってのけた。
(そろそろかな)
いくなら今。薫はふたつ目の本題に入る。
「そうだ、話変わるんだけど、ふたりはサキュバスって知ってる?」
どうせ知らないだろうという思いから、薫は何を隠すでもなく投げかけた。だが。
「んー、オーナーさんが言ってたような気がする」
「……なんだって?」
前提が、瓦解した。
ここまでの調べでは、サキュバスはこの世界にいないということだった。
手がかりとして挙げられるのは、以前出会った『元老院・六道満』から「淫魔」というワードを聞いた程度であり、同じく元老院のメンバーであるアレクシアに至っては、何の情報も持っていなかった。
(そういやアレクシアから元老院について詳しく聞いてないな。ま、あの様子じゃ詳しくは知らなそうだけど)
薫はあの後輩に対して絶大な信頼を置いている。後輩が元老院のメンバーであることを知っていながら深く言及しなかったのは、彼女が敵であるはずがないという思いと、敵であってほしくないという思いの現れであった。薫当人は、全くもって無自覚だが。
後輩の若干ムカつく笑顔を思い浮かべつつ、薫は頭を切り替えた。今はやはり、自分自身のルーツについてだ。
「店長がその名前を言ったのか? サキュバスって」
「店長じゃなくて……オーナー……」
リオがすかさず指摘する。
(そうか、店長とは別にオーナーがいるのか)
果たしてそのオーナーは何者なのか? またひとつ、薫が探るべき目標ができた。
「サキュバス──『相手が男なら無敵』だっけ? オーナーが言ってたよ。いいねェ、そんなのがいたらこの仕事は天職だろうなー」
「いいや、そんな楽なもんじゃないさ。いくらサキュバスだからって無双できるわけじゃあない。現に私は、惚れた男ひとり落とせないサキュバスを知っている」
「ホントに『知っている』って顔だね」
「他人事じゃないみたい……」
知っているもなにも、自分自身のことだ。
薫は辺りを見回し、自分に注がれる視線が段々と少なくなっているのを確認してから、ひとつ、賭けに出た。
「ああ、なにせ私がそうだからね」
赤髪が揺れ、衣服が盛り上がる。他の客たちに気づかれない範囲の、最低限の露出。
「おー、すっげ」
「おー……」
薫の予想に反し、反応は控えめだ。
「珍しい尻尾だねー、ツヤツヤしてる」
「ツノ……かっこいい……」
「あっ、待っていきなり触んないで……んっ」
「おっと、ごめんごめん」
体をビクッと跳ねさせて、ようやく一息。
「ハァ……やっぱ人に触られるのは慣れないな。それはそうと、案外普通の反応してくれるもんだね。もっと驚かれると思ってた」
今まで見せてきた相手と比較すると、マーサとリオの反応はやはり控えめに過ぎる。
「まあ、角とか尻尾は見慣れてるし? ウチらも獣人だし」
「うん……」
「なにィィィィィーーーーッ⁉」
今まで普通の人間だと思って話していた相手は、なんと獣人だった。
「ほれ、耳」
たてがみのような髪をかき分けて、マーサは毛で覆われた耳を見せた。一般的な人間とは違う大きな耳が、頭頂部にモフッと覗く。
「おお本物だ……。いや待て、ウチらって言った?」
漫画のようなケモミミに薫は思わず目を奪われたが、すぐに切り替える。
「うん……レロっ」
振り向いた薫にリオが見せたのは、先端が二股に分かれた長い舌だ。
「うわエロ。じゃなくて、えーと……」
言葉に詰まる。
あまり表に出さないが、薫は人種間で起こる諸問題を人一倍重要視していた。これはかつて見てきた第三次大戦による教訓だ。人種同士の溝というものは、一度できてしまえば塞がることはほぼなく、むしろ広がり続け新たな亀裂を生み出すのである。
普段なら、あえて無礼な態度を取ってみて、相手と距離を縮めてみたりもする薫だが、今は潜入中の身だ。
ただでさえ敵地に足を踏み入れているというのに、余計な敵を作るわけにはいかない。
なればこそ、せめて勝手知ったる人間の女を指名しようと思い立ったわけだが……。
「ウチが狼で、リオが蛇! どーよ、おねーさんと同じくらいカッコいいっしょ! がおー!」
「レロレロレロレロ」
そんなことを知る由もない相手方は、種族の垣根をいとも簡単に乗り越えてくる。
「あ、ああ……。ところで、私は何か失礼なマネをしなかったかな?」
「え、いきなりどしたん」
「いやー、あのー」
「……話、聞こうか……?」
薫は肝心な部分を伏せつつ「獣人と話した経験が少ないから」と伝えた。
様々な事情が絡み合い、深刻な顔つきになってしまった薫を、二人は明るく笑い飛ばすだけだった。
「そんなん言ったらウチらもサキュバスと喋るのなんて初めてだし?」
「お互い……無礼講」
「それに失礼なことなんてなんもないよ~。心配しすぎだって」
言われてみれば、自分という存在は普通の人間とは違うものだ。分かってはいたことだが、こういう風に自覚するのは初めてだ。
他の『人間』からバケモノ扱いされるのとも違う、言ってみれば同族とも呼べる獣人からの指摘。軽い物言いだが、軽いからこそ自然。
薫は己でも無意識のままに、そして相手も気づかぬままに、人知れず救われていた。
殊この場においては、自分が抱えている心情は些細な問題である。それを改めて自分に言い聞かせてから、薫は会話に戻った。
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「え? てことはつまり? おねーさんは男の子好きのサキュバスで、しかも現在進行系で少年にちょっかい出してるってわけだ! かーっ、いやスゴいねまったく。失礼云々ならそっち気にした方がいいんじゃないの?」
「そこを突かれると痛いな……」
マーサから的確なお言葉をもらい続けていたときだった。
「ちょっと、席……外すね……」
「ん? ヘルプでも入った?」
「そんなとこ……」
リオが突然席を外した。
しばらく経って戻ってきたとき、リオの隣にいたのは、恰幅のいい『マダム』とでも呼ぶべき見た目の女だった。
「いらっしゃぁ~い、あなたがカオルちゃんね」
豪奢な耳飾り、首飾り、指輪その他諸々をガシャガシャと揺らしながら近づく様は、まるで巨大な怪物が駆け寄ってくるようだった。
「あっ、店長!」
カオルがその正体を尋ねる前に、マーサが答えを言った。
「ふーん、この人が……」
薫は挨拶を返さなかったが、相手はお構いなしに捲し立てる。
「突然だけど、あなたウチで働かない⁉︎」
「は?」
なんとなんと、これからいかにして潜入しようかという店から、お誘いの声がかかった。




