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81.崎谷薫は出戻らない

▽▽▽▽▽▽


 ──時は遡り、ユウ一行と別れた後──


 女磨きとはよく言ったものだ。

 崎谷薫(さきやかおる)は、落ち着いた雰囲気のエントランスでひとり思った。


 己の出自をごまかすために、ヤクザたちへ適当に言った事ではあるが、その実、自分にとって適切かつ妥当な内容であったためだ。


 この世界に来てからというもの、男の相手をする機会が増えた。身ひとつで交渉しなければならない場面が増えた。


 以前の世界では、自分の研究成果を餌に相手を釣ることの方が多かったのだが、ここではそれが使えない。いくら科学技術を伝えたところで、それを活用し普及できるほどの人物がいない。


 厳密に言えば、科学を買い取ってくれる相手もいるにはいるし、薫本人が普及に尽力すれば、ここが科学の世界になるまでそう時間はかからないだろう。


「だが……」


『十分に発達した科学は、魔法と見分けがつかない』とは、アーサー・C・クラークの言葉だったか。


 この世界では魔法そのものが、貴族たち、あるいはその上位の存在により独占され、秘匿(ひとく)されている。そんな所で外の世界の御業(みわざ)を開けっ広げに使えば、どんな災いを引き寄せてしまうか分からない。


「いっそ、相手がみーんなクソ野郎だったらやりやすかったんだが」


 薫は片目を押さえながら、意味もなく格好つけたポーズを取る。


 ロクでもない(やから)を支配下に置くだけなら、この眼があれば十分なのだ。この魔眼とも言うべき能力さえあれば。

 とは言っても、むやみやたらに発動できるものではないし、人前で使わないに越したことはない。


 結局は、科学でも魔法でもない、自力で男を落とせるだけの技術が求められるのだ。


「しかし一番の問題は……ユウくんが私に慣れてしまっていることッ!」


 胸につかえているのは、数時間前のやりとり。顔を火傷しかけて「フーフーしてもらえば治る」だのなんだのと巫山戯(ふざけ)た時のこと。

 あの時、思いの外あっさりと流された。照れ隠しでもなく、本当に、ただあっさりと。


 崎谷薫は歯噛みする。


 出会ったばかりのユウは、薫の動作ひとつひとつに赤面する少年だった。だが今は違う。


 それは親密度が高まった証であったが、同時に、心が(とど)まっている兆候でもあった。


 以前こそ互いに距離感がつかめず、心が近づいたり離れたり、故に時には心が重なることもあった。だが慣れてきたとなれば状況は変わる。

 人に慣れるということは(すなわ)ち、ちょうどいい距離感をつかんだということ。付かず離れずの位置の取り方を、ユウが学んでしまったということだ。


 心が重なり合ったまま留まるのならば、むしろ望むところであるが、あいにく薫とユウはまだそう言えるほどの仲ではない。


「こういうのを由々しき事態って言うんだろうな……いや違うか? 合ってんのか? クソッ」


 実を言うと、ユウはユウなりに己を律し、初めての感情に振り回されないようにしているだけなのだが、薫はそれを知る(よし)もない。


(どうすれば夢中になってもらえる……?)


 崎谷薫は考える。過去に男性と付き合ったこともあるが、その中で「経験」と呼ぶに相応しい出来事は何ひとつとしてなかった。つまり彼女にとって、これは初めての恋愛の駆け引き。そもそも誰かを本気で好きになったこと自体が初めての体験だった。


(手がかりが無いわけじゃあないが……)


 ユウも今は年頃の男の子だ。メカに興味を示すそぶりを見せたことが何度かある。

 あるいはその気になれば、豊満な身体を存分に使って(とりこ)にすることもできるだろう。


「いやいやいやいや、そういうことじゃあないだろう」


 惚れてほしいのは知識にか? 身体にか?

 否、薫はただ自分自身を好きになってほしいだけだ。崎谷薫という存在そのものを。


「そうだ、もっと本質的な部分……そこを磨かなくっちゃあな……」


 しかしながら、薫には薫のプライドがあった。それは「お姉さん」としての自己存在。常に少年の心をときめかせてしまうような、いけない女、そういう者でありたいという信念があった。


 そのためには、少年を綽々(しゃくしゃく)とからかえるような余裕が必要だった。

 そして、薫が理想とする「お姉さん」とは、自分の持つ魅力の全てを駆使して少年を愛でる者のことだった。


 薫の中で、少しずつ意志が固まっていく。


「正直……色仕掛けで真っ赤になってるユウくんめちゃくちゃカワイイんだよなァ〜ッ。必死に見ないようにしてるけど視線が向いちゃってるあの感じ、たまんないよねェーッ! ──あの姿を引き出したのは私の魅力ってことでいいんだよな? なら、恥じるものでもないよな……魅力を以て少年を愛でてるんだからな……」


 誰にともなく語りかける。

 それは踏みとどまっている現在の自分への言い訳かもしれなかったし、これから覚醒する未来の自分への宣言かもしれなかった。


「うん、そうだな……ユウくんとは健全な関係を築きたいが、プラトニックすぎると彼が踏み込んで来なくなる可能性もあるからな……まずは……『極上の女』がこんなにも身近にいるということを、ユウくんに理解してもらうッ!」


 女として見られたところで、必ずしも(ただ)れた関係になるわけではない。

 相手が喜ぶ話題を提供したところで、必ずしもその会話しかしなくなるわけではない。


「この知識も、この体も、全て含めて私だからな。結局は、それが私の本質だ」


 要は使い所なのだ。自分はこれから、己の武器の使い方を学ぶのだ。


 お姉さんとしての在り方を極めれば、あの少年はきっと夢中になってくれる。


 そう目標を定めた時、この店は今の自分にうってつけの場所となった。


「ンフフフフ……今の私、カッコいいんじゃあないか? ユウくんが見たらなんて言ってくれるかな……」


 独り言は、床に敷かれた絨毯(じゅうたん)に吸い込まれていく。こうも長ったらしく語られても、文句のひとつも言わない、良質な絨毯だと薫は思った。


 そして、そろそろネタが尽きてきたとも思った。


 薫がこんな所でうだうだやっているのは、要するに時間稼ぎのためだ。

 どこか魔性の女っぽい気品漂う顔と物腰をしているため男にはモテるが、彼女の中身は初心(うぶ)というのもおこがましいほどの生娘であった。

 風俗店に入るとなればさすがに緊張する、それが崎谷薫だった。


「アレクシアなら『やめとけやめとけ!』って言ってくれると思ったんだがな……気持ちよく送り出しやがってあの馬鹿」


 その後輩は店の外で「先輩が寝取られちゃう」と騒いでいるのだが、薫には聞こえていない。背後に構える鉄扉(てっぴ)は、音を完全に遮断してしまっていた。


「それにしても、毒婦会が裏についてる娼館か……とても良い雰囲気は感じられないな」


 絨毯の先、眼前にあるもうひとつの扉を見る。エントランスを隔てているあの扉の先には、毒婦会の息がかかった百戦錬磨の女たちが待ち受けている。


「だが、私だってサキュバスだ。どっちが恐ろしい女か、試してやろうじゃあないか! ついでにユウくんに粉かけそうなやつがいないか確かめてやるッ!」


 様々な目的が絡まったまま、薫は覚悟を決めた。



 ~~~~~



「こっち側の扉はなんか地味だな」


 外の雰囲気と違って、店へ続くその扉は飾り気がなく、取っ手らしいものも見当たらなかった。壁に埋まっているかのような作りで、切れ目が壁から浮き上がっていることにより、かろうじてその部分が扉になっていると分かる。

 扉らしさを極端になくすことで、あちらとこちらを完全に隔絶している。そんな扉だった。


 薫は入り口でそうしたように、減圧レバーを探そうとする。その時だった。


 ひとりでに扉が開き出した。それも奥側ではなく、横にスライドして。


「自動ドア……⁉︎」


 この世界にあるはずがない──と思われる物の存在に思わず身構える。しかし薫の警戒に反して、彼女の目に飛び込んできたのは、端正な顔立ちのボーイだった。


「いらっしゃいませ」


 そのボーイは女性客の来店に一瞬怪訝(けげん)そうな顔をしたものの、すぐさま表情を正し、客を迎えるプロの姿になった。


(彼が開けてくれたのか……? いや、だとしても客が入ってくる側に取っ手すらつけないなんてことがあるか……?)


 考える薫の後ろで、またもひとりでに閉まっていく扉の音がした。振り返った時には、扉は静かに元の位置へと収まっていた。


(やはり自動ドア。魔法で動いてるのか? それとも最初に思ってた通り、この世界にはすでに発達した技術が……?)


 転移する以前、薫はこの異世界を高度に文明が発達した場所だと考えていた。彼女の祖先が書き残した『技術書』は、そう思わせるだけの代物がいくつも載っていた。

 ふたを開けてみれば、ここはいかにもファンタジーといった世界だったので油断していたが、今、こうして、文明の片鱗(へんりん)に触れている。


「お客様?」


 後ろを向いたまま固まる薫に、ボーイが声をかける。それで薫の意識は引き戻された。


(まあ、蒸気機関があればできなくはないのか……? それに、自動ドアの仕組み自体は紀元前のエジプトから存在したって言うしな……)


 無理やり納得して、薫は改めて店内を見渡した。


 さっきのエントランスは、比較的暗めのシックな空間だった。それとは対照的に、店内はとにかくきらびやか、ゴージャスな内装だ。


 黒い革のソファーは大理石の床と互いに引き立て合い、用がなくても一度座ってみたいと思わせる。

 テーブルは至ってシンプルな作りながら、よく磨かれた天板は程よく光を反社し、ゲストとキャストの顔を明るく照らす。

 客席を囲むように取り付けられた窓も、外の光をやさしく取り込み、店内をまばゆく、それでいて品のある色合いに仕立てていた。


(思っていたより広いな。それと……娼館ってより『キャバクラ』の雰囲気だ)


 視線を上へと動かす。真っ先に目に入ったのは、ど真ん中に鎮座する巨大なシャンデリア。どこかの王宮にでもありそうなこれが、店の雰囲気を決定づけていた。


(ん? あのシャンデリア……本当にろうそくか? 火が不自然な気もするが……)


 気になることはいくつかあったが、このまま黙っていると追い返されるかもしれないと思い、薫は一旦ボーイに返事をすることにした。


「すみません、こういう所に来るのは初めてなもので。つい緊張しちゃいました。どうも不安でね」

「ご心配なく。私どもはお客様に心安らぐ場を提供することをモットーに営業致しております。夢のようなひと時をお楽しみいただけることをお約束いたしますよ」


 どの客にも同じこと言ってるんだろうな、と思わせるセリフを張り付いた笑顔で吐き、ボーイは薫を席へ促す。

 薫は彼についていく前に、ひとつ質問した。


「上の彼女たち……あれは? あの作業着っていうか、安全服っていうか……」


 先ほど上方を眺めた時、シャンデリアよりも印象深いものがあった。


 2階席の卓についている女性たち――彼女らの姿は、どう見てもこの店にはふさわしくないものだった。

 1階は鮮やかなドレスを(まと)った娘たちばかりだが、2階はその逆。汚いとすら言える格好は「わざとやってんのか?」と聞きたくなるくらいにテイストが違っていた。

 体格も、その辺の男なんかよりも遥かにガッシリしている。


「彼女たちもキャストでございます」

「あれが? 言っちゃあ悪いが客をもてなす服装には見えない」

「そこが良い。とおっしゃる方々がいらっしゃるのです」

「ふうん……?」

「ここ『ファクタ』は鉄工の街であり職人の街。数こそ少ないですが、中には女性職人もいるのです。無骨な衣服に身を包み、汗と(すす)にまみれながら仕事をする――そんな姿に()かれ、この街に足を運ぶ方もいらっしゃる、ということです」

「なるほど。あれはそういう『プレイ』ってわけだ」

「はい。もちろんあの汚れは全てメイクですのでご安心を」


 街のコンセプトそのものと一体化した嬢の存在に感心しつつ、薫は案内された席に座る。

 他の客や嬢からの視線が注がれっぱなしだったが、そんなものは気にしていない素振りだった。もっとも、気にするほどの余裕が無かっただけだが。


(っべえーーーー。めっちゃ見られてるけどそれどころじゃあないッ。どうしよう絶対指名とか注文とか聞かれるッ。やり方なんてまるで分からないぞッ!)


 緊張と、それをごまかすための演技がかった心の声がないまぜになり、薫はいよいよわけが分からなくなっていた。それを周囲に悟られなかったのは、ひとえに彼女の放つ魔性のおかげだった。


「ご指名はいかがなさいますか?」

(きたああァァーーーーッ)


 脈打つ心臓を抑えるのに必死な薫の前で、二つ折りのファイルが開かれる。薫の緊張は最高潮へ近づいていた。


 ――だが、次の瞬間に薫の心臓を最も大きく跳ねさせたのは、風俗初体験だとか自分の尊厳だとかとは全く関係ない出来事であった。


(これは……『写真』かッ⁉)


 ファイルに貼り付けられた女の子たちの画像、それは肖像画というにはあまりも鮮明すぎた。


(オイオイオイオイオイ、この店、やっぱり何かおかしいんじゃあないか?)


 写真の発明は19世紀ごろ。この世界の技術水準がそれに及ばないというわけではないが、それを差し引いてもその写真は鮮明だった。


 予感が確信に変わり出し、それが薫の頭を冷静にしていく。今すぐにでも店全体を探索したいところだったが、まずは情報を仕入れることを先決とした。


「それじゃあこの娘と……そうだ、2階にいるタイプの娘もセットでいけますか?」

「その場合は2階席へのご案内となりますが、よろしいですか?」

「ええ、もちろん」


 席にこだわりがあるわけではない。むしろ、自然に2階へ移ることができるのは好都合だった。


(欲を言えばじっくり1階を見てからにしたかったが……下にいる間に席が埋まっちゃうかもしれないしな)


 ボーイに連れられ、階段を上っていく。その間も、彼女に向けられる好奇の視線は注がれていた。


「こちらの席へどうぞ」

「どうも。それで指名ですけど、もうひとりはこの娘で」

「かしこまりました」


 ボーイは(うやうや)しく礼をして下がる。


 この店には獣人も数名勤務しているようだったが、薫が指名したのは人間の2人だった。獣人という存在に興味は尽きなかったが、まずは親しみのある種族と会話をしたかったからだ。万が一にも、相手種族にとっての地雷を踏み抜くようなことがあってはならないからだ。


 勝手知ったる人間族を指名することは、今の薫にとってベストな選択だった。


 待機中、無言の数分。謎の高揚感と、その芯に眠る緊張感。こういう時、人は無性に余計な考えが(まわ)りだす。


(勢いで2人同時にいっちまった……値段も調べずに……。職人タイプが気になったとはいえ、ミスだったか? オウミさんから金借りてるんだぜ私は。まあ金融屋さんから引っ張り出してやった分もあるけどね)


 足を組み、膝の上で指を組む。「何もやましいことはありませんよ」という態度で嬢を待つ。身に(まと)った白衣がその潔白をより強調しているように見えた。

 そんな彼女は、汚れた作業着まみれの2階で、一層目立っていた。

 無数の視線を浴びた薫は、自然と己の姿を顧みる。


(そりゃあ目立つよな。白衣でこんな店にいるって何だよ……なんかもう私の方がキャストっぽいんじゃあないか? 科学者、サキュバス、お姉さんの3キャラいけるしな。あ〜ユウくんとイメージプレイしてェー、いつもやってるか、アハハハハハハハハハーーーーッ。いや、あれはプレイじゃあないな、本気だ。)


 この上なく冷静だというのに、頭がまとまりそうにない。


 傍から見れば、彼女は「店の監査に来た本部マネージャー」といった様相だが、その実態は「借金背負ってまで風俗店に来たのに、いざ本番を前にビビっている素人」だった。


 今の自分の姿がいかにマヌケかを考え出すと、薫はやけにムカっ腹が立ってきた。


(なんでこんな緊張しなきゃいけないんだ? 童貞じゃあないんだぞまったく……あ、でも昔あの頭ピンクから『先輩は精神が童貞』とか言われたことあったな……じゃあここで捨ててやろうか? でもそれはユウくんの役目だ。つーか、だから私は童貞じゃあねーんだよッ。ついてないもん。経験も無いけどねッ!)


 フン、と鼻を鳴らして足を組み替える。適当に怒り散らしてスッキリしたのか、ようやく思考が情報収集へと向いていく。ちょうどそこに指名した嬢がやってきた。


「指名、ありがと……。リトリオットだよ……リオって呼んで」

(かっ、かわいいーーーーッ)

「指名あざまーっす! ウチはマーサ。おねーさんこの店初めて? ウチに任せときな、たっぷり楽しませたげる!」

(かっ、かっこいいーーーーッ)


 薫は自分の直感と審美眼を褒めてやりたいと思った。

 薫は見せられた写真の中で1番おとなしそうな娘と1番活発そうな娘を選んでいた。それは単純に、そういうタイプならパターンが掴みやすく、情報も探りやすそうだからというだけの理由だったが、実際目の当たりにしてみると、思わず目を奪われるほど2人は魅力的だった。

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