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76.到着

 食事を済ませた後、あの白いバケモノに変えられてしまった旦那の部下たちを軽く(とむら)ってから、僕たちはファクタへ向けて出発した。オウミさんの(はか)らいにより、旦那たちは向こうで預かってくれることになった。


 カオルは馬車の扉を開けるやいなや、僕の手を引いて自分の隣に座らせる。「君はここだ」と告げる彼女の言霊(ことだま)には、絶対強者としての力が宿っていた。


 カオルらしくもない姿に、僕は思わず身震いしてしまった。


「っ、ごめん。昨日の今日だからね、正面から向き合うと耐えられそうにないんだ」

「……僕も、同じ」


 カオルにだけ聞こえるようにこっそり言う。

 そう、同じ気持ちだ。宿のホールにいる間はその場の雰囲気でごまかせたけど、客車の中で密閉されてしまうとそうもいかない。


「でも隣じゃなくても」

「それはそれ、これはこれ。せまさを言い訳に少年と密着できる機会なんて、そうそうないだろう?」


 カオルはあくまで「少年を()でる」形なら気(おく)れすることはないみたいだ。でも僕はそんなことない。カオルと真剣に話し合うにしても、カオルに愛でられるにしても、僕は自分の中の何かが書き換わっていく気がしてならない。


 ざっくり言うと、ドキドキする。今は特に。


 この位置だって相当キツイんだ。対面するよりマシというでだけであって、隣にいられると妙な緊張が走る。


 何より、僕の正面にはアレクシアが座る形になっている。これが一番キツイ。案の定、彼女はご機嫌斜めだ。その隣に座るマルカは、明らかに精神がすり減っている。


「か、顔が怖いですよ……」


「あの2人が離れれば離れるほどアタシの顔も戻っていくわ」


「つまり半日くらいはその顔ってことか、若いうちからシワが深くなっちゃうぞ」


「余計なお世話! いいからもっと離れなさいよ」


 にらみつけるアレクシアをカオルは笑い飛ばす。まるでそうやって気を紛らわしているような、単純に性根が出ているだけのような。


「無茶言うなよ、この馬車思ったよりせまいんだから。荷物まで置くとこの通りだ」


 と言いながら、カオルはかろうじて残っていたスペースをさらに詰めて見せた。


「こんの……!」


「まあまあ、カオルさんも落ち着きたくて必死なんですよ」


 この中でただ一人冷静なマルカが、今にも噛みつきそうなアレクシアをなだめる。柔らかく優しい態度とは裏腹に、その声はニヤついていた。


「ゆうべは2人ともスゴかったですもんね~、あんまり覚えてないけど2人が顔真っ赤だったのは覚えてますよ!」


「や、やけに楽しそうじゃないかマルカ。君はそんないやらしい笑い方をする子じゃなかっただろ」


「え~? だって、ねえ~?」


「……ああそうか、そういうお年頃か。まったく可愛いなこの乙女ちゃんは」


「私ほとんど寝ちゃってたから分からないんですよ、だからもう一度詳しく教えてくれませんか? 2人がああなっちゃうくらいの内容」


 お前本当は全部覚えてるんじゃないか? という感情が車内に満ちる。マルカ当人ですら、それを踏まえて聞いているように見えた。


 今の彼女は、あの男たちと違って扱いやすい相手じゃない。崎谷薫の頭脳を以てしても、はぐらかすのは容易ではないはずだ。


 仕方なく、カオルはあの内容を振り返る。話すたびに彼女は言葉を詰まらせ、モジモジと手を組んだり指を合わせたり。せわしなく手を動かしたと思ったら、ふと僕の手を掴んできたり。僕まで不必要に挙動不審になってしまった。


 話を聞くマルカは、時折カオルを哀れみながらも、微笑ましい顔やじれったそうな顔、そしておじさんのような顔をコロコロと変えていた。


「しかし……そもそもこんな話をすることになったのは、そこの頭ピンクが原因なんだけどね」


 服を引っ張って胸元をあおぎながら、カオルは一段落つける。体にこもった熱を押し付けるように、彼女は責任の所在を後輩に求めた。


「また人を色で……言うならせめてピンク頭でしょ、順番が違うのよ順番が」


「そういう問題なんですか?」


「アタシが原因なのは認めるけど、先輩が余計なことまで全部喋ったのは先輩自身が悪いんだからね。特に性欲とか。ガキ相手に何言ってんだか」


 後輩は怖気づくことなく、開き直りにも近い形で受け流す。「この頭ピンクが」と返された先輩は、真っ赤な髪を振り乱してうろたえた。


「それは……うん、おっしゃる通りだ。すまないユウくん、あれは言わなくても良かったかもしれない。だが……隠さずに言うことが、あの場においての私の責任だと思ったんだ。何があっても避けては通れないことだからね」


「大丈夫。気にしてない……ことはないけど気にしないようにする」


 確かにあんなことを聞かされるとは思っていなかった。でも、不思議と嫌な気持ちは湧かなかった。


「それに、カオルからそんな酷い感情が伝わってきたことはないから」


「え、マジで? 意外と鈍いな君。じゃあもっと直球で行ってもいいってことか」


「そういうところだよ」


 そうだ、彼女はにはそういうところがある。

 ああは言いながらも、彼女は危険なラインをしっかり見極めている。決してそれを犯そうとはしないんだ。


「フフ、君もだいぶ分かってきたじゃないか。いささか純粋すぎる気もするが、悪くないぞ、この感じ」


「その割には目が危ないけどね、サキュバスさん」


「完全に狙ってますよね」


 アレクシアとマルカは彼女の言葉を信じていないご様子。でも僕には分か――


「おや、バレてしまったか。女同士だからかな? 厄介なのが身近にいたもんだ」


 氷で首筋をなぞられる感覚。


 獣のような息遣いが耳にかかる。この中にいれば安全という範囲、その最後の一線に、彼女はあっさり足をかけようとした。


「冗談だよ」


 クスっと笑うカオルは、確かに冗談めいて、けれどかつてないほどの色気を放ち、(まと)わりつかせていった。


「お、思ったよりガチじゃない?」

「な、なんかこう……スゴイです……!」


 目の前の2人も、これには生唾を飲んでいた。


「ンフフ、今はまだ冗談。まだ、ね。でも時間の問題かなぁ、この先、私が人間でいられるのか完全にサキュバスになってしまうのか、全くわからないからね。君が嫌がっても、止まれないかもしれない」


 (あや)しげな笑みを浮かべて彼女は言う。自身の唇をなぞる指先は、僕をからかうと同時に、あの時のことを思い出させていた。


 あの日、六道満(りくどうみつる)と戦った後、突然僕にキスをした時のこと。


 きっと、カオルはわざとそれを連想させたんだ。

 その裏にある悲しみを、僕は感じ取れずにはいられなかった。


 カオルは自分のことをサキュバスとして語るとき、いつもどこか自虐的な言い方をする。

 自分に性欲があることを嫌悪している彼女にとって、淫魔という特性は自己嫌悪に拍車をかけるものなのだろう。抑えの効かない、自分の信念に反する、本能的な欲求。


 それに支配されてしまうかもしれないと、彼女は言っている。


 それは、嫌だ。僕が襲われることじゃない、カオルが全くの別人になってしまう、それが、嫌だ。

 だから、


「カオルがカオルのままでいてくれるなら、僕は受け入れるよ」


 彼女を(つな)ぎ止めるように、彼女の存在を固定するように、わざとそう言った。


 淫魔になったとしても、そこに崎谷薫がいてくれるなら、僕はそれでいい。彼女を自分の在り方で苦しませたくない、僕がそれを受け入れてあげたい、そう思ったから。


 しばらく、車内が静まり返った。


(……な、何か言ってほしい)


 覚悟を決めて、色々余計なことまで考えて伝えたのに、カオルは目を白黒させて僕を見つめるだけだ。

 アレクシアも何も言ってくれない。マルカに至っては、胸を押さえて足をバタバタさせていた。


「ヤバい、『結婚しよう』しか返事が思いつかない」


 ようやく聞こえたのは、カオルのそんな声だった。

 斜め上の答えに、今度は僕の目が白黒する。何か言葉を返すべきだと思っていても、頭が真っ白になって追いつかない。


「…………ば、ばっかじゃないの⁉︎ はー、つい飲み込まれてたわ」


「完璧! 完璧ですよユウくん! あのカオルさんがイチコロですよコレ!」


「アッハハハ! 落ちる、そりゃ落ちるって! マァズいなぁ、お姉さん、いよいよ余裕かましてらんないなぁ」


「そこは前からボロボロでしたよ」


 一世一代にも近いセリフは、女子の話の種にされてしまった。これじゃ言い損だ。


 けっこう、本気だったのに。


「それにしても、ユウくんはサキュバスの私でも愛してくれるのか。もしかしてそっちのが好みだったりする? 際どい格好でさ、角と羽と尻尾が生えてるような、そういうエッチなお姉さんがいいのかな?」


「そういう意味で言ったんじゃない……」


 カオルは笑いながら僕にもたれかかって、尻尾を巻きつけてくる。ひんやりして柔らかい尻尾が体を這うたびに、妙な声が出そうになる。


「ごめんね、私なりの照れ隠しだ。もう少し付き合って。それに、君にも責任はあるんだからね?」


 はしゃぎ合っているマルカとアレクシアの隙を突き、耳元でカオルが(ささや)く。


「女を本気にさせたらこうなるんだよ」


 子どもを(さと)すような言い方なのに、子ども騙しが一切ない、本気の言い方だった。


 大人しく、僕はしばらくオモチャにされることを選んだ。


「それでそれで、ユウくんはどっちが好きなんですか?」


「へっ、どーせ露出が多い方がいいんでしょこのエロガキは」


 答えてはいけない、どう答えたって僕のイメージが大変なことになる。


「答えは沈黙、なんて通さないわよ」


 わかってる、アレクシアがそれを許すわけがない。

 でも、どちらも嫌だなんて言ったらカオルを傷つけてしまうし、そもそもそんなこと思ってない。だけどどちらも好きなんて言ったら最後、僕はエロガキとして確立してしまうんだ。


「ま、どっちだっていいじゃないか。彼はどんな形であろうと、崎谷薫が崎谷薫のままであるなら愛すると言ってくれたんだから」


 カオルが助け舟を渡してくれる、しかしそれは泥舟だった。

 愛するなんて言ってない。そんなハッキリと申し上げたわけじゃない。

 でも、否定するほどでもないと思った。


「あーっそ、そういうことね、やっぱし乳デカけりゃそれでいいんだ。道満(どうまん)から聞いてるわよ、巨乳好きのユウくん」


「それは違う」


 何が何でも否定したいと思った。断じて巨乳好きなんかではない。


 そういえば、六道満(りくどうみつる)とアレクシア=ヴァーンスタインは同じ元老院という組織の仲間だった。なら、満からあることないこと聞いていてもおかしくない。


「……やっぱり、ユウくんも大きいのは下品って思っちゃう? 私の身体は嫌いかな」


 尻尾で僕の頬をツンツンしながら、寂しげに聞くサキュバス 。からかっているとは分かっていても、その言葉には彼女の過去が積み重なっているような気がして、僕は答えられなかった。


「目が泳いでますよ」


 違う、マルカが思ってるようなことじゃない。カオルの過去を想って迷ってるだけなんだ。


「まーこれは見逃してやってもいいわ、男ならしゃーない。無駄にデカいもんぶら下げてる先輩も悪いから」


「無駄とはなんだ無駄とは!」


 なんか、前もこんなことがあった気がする。


 僕はこの世界のどこかにいる(みつる)を呪いながら、淫魔と小悪魔2人からの恥辱に耐え続けた。


「なんにせよ、君が私を受け入れてくれるなら私も同じことをするけどね」


 もうさすがに気が済んだだろうという辺りで、カオルは僕にトドメを刺しにきた。


「我慢できなくなったら、私が全部受け止めてあげる」


 様々な意味が折り重なったその言葉は、確実に僕の芯を貫いた。


 つい、彼女の方を見てしまう。彼女もまた、僕をじっと見つめていた。


 そのまま、数秒。


 彼女の目に映る僕が完全に真っ赤になったところで、僕たちは示し合わせたように顔を逸らした。


 顔を見ないようにと隣に座ったのに、これじゃ台無し。だけど、スッキリした。


 小悪魔の方からは、舌打ちと感嘆が聞こえてきた。



 〜〜〜〜〜



 その後は、意外にも車内の雰囲気が落ち着いて、(やわ)らいだ。

 もうお腹いっぱいというか、とにかく十分堪能したって感じだ。


 道中、僕たちはカオルとアレクシアの思い出話を楽しませてもらった。


 そしてたまに小休止として、途中にある村々に立ち寄ったりもした。


 行く先々でもカオルは人気で、オウミさんはそれを見逃さずに商品の宣伝をさせていた。パーヴァートさんが上手いことやかましく合いの手を入れてくれたおかげで、売れ行きはなかなかのものだったらしい。


 ついでに、実演販売に付き合わされるアニキが見れたのは良い思い出になった。


「んーっ、さすがに長旅だと疲れるな。てか眠気が尋常じゃない」


「眠い……」


 数時間経った頃には、僕とカオルの目はほとんど閉じかけていた。


「そういえば、2人とも昨日は全然眠れてなかったんですよね」


「アタシたちでも疲れてきてるんだから、そっちはなおさらよね」


「そうそう、あんなこと言うから興奮しちゃって。昨日はユウくんが私を寝かせてくれなかったんだ」


「…………」


「あらら、これは重症だな。早いとこ横にしてあげよう」


 朦朧(もうろう)としたまま、僕は馬車に入っていく。柔らかいものに頭が乗る感覚がした後、僕は意識を手放した。



 ――――夢を見た。

 誰かが、僕に語りかけてくる。


「キミねえ、カオルちゃんと仲良くしてくれるのはいいんだけど、積極的すぎないかしら? 進展早すぎておばさん追いつけないわぁ。カオルちゃんもあんなに入れ込んじゃって、私は不安です」


 どこかで聞いたような声。


「だけど……うん、大丈夫かな! 容量も順調に増えてる。君なら問題なさそう。大変だと思うけど、よろしくね」


 無意識に記憶が手繰り寄せられる。

 この世界に転移した時、カオルとキスをした時。そうだ、あの時も、この声が聞こえた。


「ああ、でも早すぎはダメだからね? 物事には段階というものがあります」


 頭の中が澄んでいく。代わりに、こちら側の意識が薄れていく。


「今はそれだけ。そうそう、そろそろ起きないと危ないわよ~」



 それを最後に、目が覚めた。同時に襲いかかる息苦しさ。視界は真っ暗だ。


「う〜ん」


 身をよじり、楽な姿勢を探る。


「うわっ」


 気づけば、僕はそこから落ちていた。


「ふがっ」


 間抜けな声がした方を見ると、赤く長い何かが垂れている。これは……カオルの髪だ。結んだ髪が後ろから前に回っている。


 頭と膝がくっつきそうな、すごい姿勢で(うつむ)いているカオルがそこにいた。


 どうやら僕はあの隙間にはさまっていたらしい。僕が抜けたことで支えがなくなり、カオルはあんな姿勢になっているんだ。


「どう? 先輩のひざ枕、気持ち良かった?」


「そんな風には見えませんでしたけどね……だんだんカオルさんの上半身が降りてきて……」


「胸に引っ張られたんでしょ。やっぱデカいのはダメね」


 あくびをしながら、アレクシアとマルカが呆れ顔で僕を見る。


(そういうことか)


 ひざ枕をしてもらったはいいものの、カオルも眠ってしまった後は、彼女の体から力が抜け、次第に前傾していったんだ。結果、僕を圧縮する形になった。

「横」で潰されることはあったけど、「縦」でいかれたのは初めてだ。


(ひざ枕か……)


 自分が寝ていた姿を改めて想像する。すればするほど、恥ずかしくなった。ただ、とても気持ちよかったという事実だけが残っていた。


「寝心地は、良かった」


 起き上がり、正直な感想を述べ、僕は席に戻る。


 ちょうどその時、馬車が止まり、オウミさんの部下がドアを開けた。


「着きましたぜ」


 ということは、僕たちはようやくファクタへ着いたんだ。その街の名を耳にしてからずいぶん時間が経った気がする。


 カオルを起こして馬車を降りる。のっそりと後をついてくる彼女は、数時間前の色気なんて一切感じさせなかった。


「く、首が……腰が……」


 酷い姿勢で寝ていたせいで、その形で固まってしまったらしい。


「おばあちゃんか。いや年齢的にはおばあちゃんだったわ」


「うるさいぞ小娘、心も体もまだまだ若いわ」


 年寄りが言いそうなことを口にしながら、ゆっくり上半身を起こし、カオルは目の前に広がる街を見据えた。


「おお、これは……興奮してきたな」


「な、なんで興奮するんですかカオルさん」


「やっぱり先輩はこういうの好きよね、まあアタシもそのタイプだけど。マルカはあんまり合わない?」


「新天地はどれも興奮するけど、1番はこういう街に来た時だよな」


「間違いないわね」


「何言ってるかわかんないんですけど」


「なんで何言ってるかわかんないんだよ」


「私がおかしいんですか⁉︎」


 鉄を打つ音、油の匂い。

 建物を取り巻く金属管、噴き出る蒸気。


『工業都市ファクタ』に、僕たちは到着した。

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