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67.これからだよ

「さあ行きなさい、”ヴィクティ”」


「ア……」


 ヴィクティと呼ばれた怪物は、旦那の声にわずかな反応を示し、のっそりと歩き始めた。


 身長は3メートルほどか。天井に頭を何度もひっかけて、その度に()け反っては、ズルンっ、ズルンっと勢いに任せて頭を抜く。


 つい数秒前までは人間だった彼に、もはや理性と呼べるものは残っていなかった。


「ア」


 数歩ほど進んだところでヴィクティは止まり、虚空を見つめ(たたず)んだ。

 ぬめりのある液体が皮膚から滲み出し、生臭い悪臭を放っていた。


「ッ、盾を!」

 一歩引いて隠れていたカオルが、目を見張って切迫した声を出す。


 その瞬間、目の前に()()()が迫って来た。


 ガァァァァ……ン


 すんでのところでアレクシアが巨大な膜のような盾を張り、ヴィクティのタックルから僕たちを守った。

 あちらには盾が見えていないのか、ヴィクティは何かを探るように爪を振り回した後、盲目的に何度も突進を繰り返した。


「なんなのよコイツ!」


 驚愕するアレクシアに落ち着く暇を与えることなく、白い体は迫ってくる。しかし彼女の盾は強力で、凄まじいはずの衝撃を微塵(みじん)も通さない。


 それでも、怪物(ヴィクティ)は止まらない。


「また盾……あなたのそれは魔法ですか? これは厄介な……しかし時間の問題でしょう。ヴィクティ、続けなさい」


 ぶつかる度にヴィクティの体が歪み、皮膚に血が滲む。やがて肉が爆ぜても、彼は臆することなく、血を撒き散らして叫ぶ。


「撃って! こっちの攻撃はすり抜けるわ!」


 盾の維持に集中しながらアレクシア呼びかける。その声でみんな我に返り、迎撃体制に入った。


 今度の主力は、銃を持つオウミさんたちだ。


「よっしゃあ……ワシらの力見せたらあっ」

「ドカドカとやかましいんじゃあ!」

「おいっ、もっと弾ァ持ってきてくれ」


 水を得た魚のように、ヤクザたちは銃弾の雨を放つ。威力、精度の低い弾丸であっても、この数なら十分すぎるほどのダメージを与えられるはずだ。


「アァア」


 けれど弾が当たる寸前、ヴィクティの体から骨のようなものが皮を破って伸びた。それはすぐに形を変え、彼の全身にまとわりつく。

 金属にも似た光沢を放つ骨は、鉛玉をいとも簡単に弾いた。


「ちいっ、何モンじゃおどれぁ!」


 攻撃がまるで通じないこと、何より、自分たちの威信を(おとし)められたことに、オウミさんたちは焦る。声を荒げ強がる様子にこそ、むしろその気持ちが表れていた。


 焦りは次第に他のメンバーにも伝わっていく。


 透明な盾の膜の向こうから、旦那は僕たちのことを楽しげに眺めていた。


「素晴らしい、想像以上ですよヴィクティ。君は多少鈍いところはありましたが、やる時はやる、そんな男だった」


 思い出を振り返るように、旦那が目を瞑って語り出す。


 その隙を狙って、僕は引き金を引いた。

 しかしそれも、ヴィクティが絶妙な緩急のある動きで腕を伸ばし、大きな爪で弾を滑らかに(はじ)いた。


「──ほら、この通り。やはり彼は良い人材でした」


 続けて襲い掛かる弾丸をヴィクティに(さば)かせながら、旦那はパイプを取り出し、火をつける。


 吐き出される煙と共に、旦那の思い出話が(こぼ)れていった。


「そう、彼は良い人材だったのです。たまに考え事をしてボーっとすることはありましたが、適宜(てきぎ)指示さえ与えていればテキパキと動く」


 それを実証するように、ヴィクティは眼前に展開される盾を削りつつ、飛んでくる弾丸から的確に旦那を守る。


「人望もあった。人の話をよく聞き、自分よりも他人を優先する性格、それでいて信念もあった……潜入している身でしたが、料理人として、真剣に彼と仕事がしたいと思うほどでした」


「そこまで……知り合っておいて……」

 必死に剣を握り自身を支えていたマルカが、こらえきれずに苦しげな声をだす。

 人であった頃のヴィクティのことを考えてしまったのか、その表情はひどく痛ましかった。


「ある日、彼と口論になったことがありました。確か、肉の下処理の話でしたか。私のやり方に横から口を挟んで……あれは昨日のことのように思い出せる」


 旦那の口は止まらない。

 過去が語られる度に、ヴィクティの善良さと、旦那のドス黒い部分があらわになっていく。


「後から調べると、実は彼が正しかったことが判明したのです。ああ、早く謝っておくべきでした。今となってはそれも叶いませんが……いや、念のため誤っておきましょうか? 申し訳ないことをしましたね、ヴィクティ」


 旦那は形だけの謝罪を述べる。けれど彼の目は、パイプの先から放出される紫煙の輪にしか向けられていなかった。

 煙の先に過去の影を見ているのか、いや、そんな素振りはまったく感じられなかった。


「とんだクソ野郎ね」


 ヴィクティの攻撃を正面から受けつつ、アレクシアは悪態をつく。他のみんなも、彼女に同意するように旦那を睨みつけた。

 目に見えず、言葉にならない嫌悪の塊が、旦那を突き刺した。


 しかしそれすらも楽しみの一つであったかのように、彼は嫌味な笑みを浮かべた。


「しかしですねぇ、あなた方さえ来店なされなければ、このような手を使うこともなく、ヴィクティは今も厨房で鍋を振っていたはずなのですよ」


 ”爪”を振り攻撃するヴィクティを名残惜しそうに見つめ、旦那は呟く。


「あるいはただの客であれば、我々も普段通りにもてなしていたでしょう。ですが、あなたが現れたとあっては、こちらも動かざるを得ない」


 旦那は勢いよく煙を吐き出し、鋭い目つきでこちらを睨み返す。


 その視線の先にいたのは、オウミさんだった。


「ああ? ワシに何の用じゃコラ」


 当人はまるで理解できていない、でも旦那が何の意味もなくオウミさんを見ているようにも思えない。


(個人的な怨恨か? それとも……)


 彼らに一体なんの因縁があるのか、それについて考えながら、銃のグリップを強く握る。

 味方たちの間を縫い、暴れまわるヴィクティの動きを読んで、旦那を狙う。

 彼の意識がオウミさんに集中している間に――


「そして、君」


「えっ⁉」


 僕が呼吸を整え終えた瞬間、旦那は首をグリッと動かして僕を見た。


()()()()()()()()少年がひとり。これはなんとしても手に入れたい……想像以上に骨が折れそうですが」


 注文? 注文とはなんだ。……思い当たる節はひとつ、『人狩り』。


 女性を狙っているとばかり勘違いしていた。狙いは子どもか。でも、だとしたらオウミさんに固執することはない。僕とオウミさんには特別な関連性も無い。


 今分かったのは、旦那に注文を下した相手がいるということだ。旦那を倒しても終わりじゃない、まだ裏がある。


「君は、えー、ユウと呼ばれていましたか?」


 旦那の目が、僕を品定めする。


「オウミに、ユウ。あなたたち2人さえいなければ、ヴィクティも、私の部下も、ここのスタッフも、そしてお連れ様も、きっと助かったのでしょうね」


 …………。

 僕たちが来たから、自分は仕事をすることになった。僕たちを捕まえるために戦力が必要になったから、自分は手近な駒を犠牲にすることになった。旦那はそう言いたいわけだ。


 めちゃくちゃな話だ。そんな理屈で「人が死んだのはお前のせいだ」と言われても、すんなり受け入れる人間はいない。


 けれど、意識に反して僕の体は強張った。無駄な力が入り、筋肉が怯えるように震える。

 照準がぶれ、視界に映るヴィクティに嫌でも気を引かれる。


「特に君は、子どもだというのに得体の知れない力がある。私は君を警戒して、想定よりも多くの駒を使ったのです」


 旦那は壁にかけたランタンたちを見やり、その灯りひとつひとつに小さく言葉を投げかけた。

 なんと言っているかまでは聞き取れなかったけど、まるで祈りを捧げているかのような光景だった。


「降りてくる前に、上でアレを倒してきたのでしょう? 本来はあんな数を用意することはなかった。宿の人間を使えば事足りた。しかし万が一に備えて、私は部下を切り捨てる選択をしたのですよ。ああ、君さえ現れなければ――」


(………………。)


「なぁぁぁに勝手なこと言ってんだ!」


 唇を噛んで感情を整理していると、僕は突然、後ろから抱きしめられた。


「わっ、わっ」


「うちのユウくんに有る事無い事吹き込みやがって、弟が怖がってるでしょーが! なに? 瞬間催眠的なやつ? ユウくんが欲しくなる気持ち理解できるが……私に断りもなく勝手な真似は困るなあ!」


 さっきまで陰で大人しくしていたカオルが、いつの間にか意気揚々と前線に立っていた。


「カオルさん⁉」

「せ、先輩⁉」


 危ないから下がっていろという周りの声を聞き入れず、カオルは僕を抱きかかえた。

 彼女の手が僕の手に重なり、銃を下ろさせる。


 背後から僕を覆う彼女の呼吸に、だんだんと僕の呼吸が合わさっていく。

 気づけば、震えは収まっていた。


「ユウくんが来たから人が死んだなんて、通るかっ、そんな話!……オウミさんの方はよくわからんけど」


「ワシらのせいにするのも筋通らんわボケ」


「とにかく、殺したのはアンタだ。上で死んだ人たちも、ここで暴れてるヴィクティも、みんなアンタのせいだ」


 一番怯えていたカオルが、一番勇敢に啖呵(たんか)を切る。その姿に、旦那とヴィクティの雰囲気に飲まれていたみんなも、気力を奮い起こされた。


「手にかけたのは事実でしょうに……それで、どうなさるおつもりですか。彼らに報いることもできないで」


 真っ向から言い返してくるカオルに、旦那は居直って問いかける。

 パイプの煙が、苛立つようにくゆっていた。


「過程はどうあれ、彼らが死んだことに変わりはないよ。そこのヴィクティも、もう元には戻らないんだろう。なら、せめてもの(とむら)いにアンタを倒す。どの道そうしなければ私たちも進めない」


 いつになく真剣な表情で、カオルは宣言する。怒りとも決意ともつかない気迫が、彼女から(ほとばし)っていた。


「虚勢を張るのはよろしくない。そこの彼女、防御には自信がおありのようですが、それしかできないのではありませんか? 他の方々も、そこからまともに戦えるようにも見えません。ジリ貧です」


 旦那が丁寧に状況を語り、勝ち目のなさを執拗に伝えてくる。


「奥の手があるのならとうに見せているはず。どうやら、機を逃したようですね」


「いいや、これからだよ」


 勝ち誇った顔をする旦那へ、カオルはそれ以上に好戦的な笑みを見せた。


 それと同時に、僕の体の中を何かが流れていく感覚が走った。


(この熱は!)


 カオルに、僕に呼応するように、後方から物音が聞こえてくる。

 風を切り、(ページ)をめくりながら。

 自らの意志で、ここに来る。


 カオルは振り返ることもなく、飛んできたそれを後ろ手で掴み取った。


「すぐ楽にしてやる。ヴィクティ」


 カオルの腕の中で輝いていたのは、彼女の先祖が書き遺した――――魔導書だった。

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