63.タフな女
「喰らえっ、パイル・バンカーっ!」
アレクシアは、大きく振り上げた鉄の拳を雑に叩き付ける。けれどそれは床を揺らすだけに終わった。旦那は呼吸ひとつ乱さずに後ろへ飛び退き、何事もなく攻撃をかわしてしまっていた。
「こ、このっ!」
追い打ちをかけようとするアレクシア。焦って放った一撃は、案の定またかわされた。彼女は攻撃には向いていなかった。
「あれっ」
「遅い!」
後退し開いた距離を一気に縮めるように、旦那が踏み込む。同時に懐から引き抜かれた手には、鋭いナイフが握られていた。
(この速度……っ)
アレクシアは姿勢を崩したままだ。今すぐに体を起こさないと、間違いなく刺される。
僕が間に入ろうにも、もう間に合わない。
風を切り、最短距離で刃が向かう。
肉を引き裂く音────の代わりに聞こえたのは、無機質な防御音と、金属が砕け散るような音。
「ぐはっ」
「ふん、ただのナイフなんて掠りもしないわっ」
目を向けると、そこには顔から血を流す旦那がいた。弾かれて砕けたナイフが、顔に刺さったんだ。
「バっ、バカな!」
さっきとは一転、上ずった声を出し、歯を食いしばりながら旦那が引き下がる。
アレクシアは構え直したパイルを突き出し、次は当てると言わんばかりに威圧感を放ちながら、ゆっくり近づいた。
「くうっ」
旦那は新たに取り出したナイフを苦し紛れに投げつける。でも、
────”ヴゥン”
突如として空間が揺らぎ、ナイフを弾いた。
(これは!)
この光景には見覚えがある。満と……、元老院第七席、六道満と戦った時に見たものだ。
満の時は、彼が纏ったローブに防御の効果が備わっていたようだった。でもアレクシアのそれは異質だ。どうやって発動しているかわからない。予備動作も、痕跡もなく、自然に発動し、そして消える。
『アタシの力は防御特化なの』
彼女の言葉が思い出される。初めて合った時も、敵が放った大きな火球を容易に防いでいた。
アレクシアは、確かに防御に秀でている。
「…………チッ」
まともにやり合うことは不可能だと判断したのか、旦那はその素早い身のこなしで厨房に姿を消した。おそらく地下室へ逃げる気だ。
「……気配が消えた」
「よし、まずはみんなを起こすわ。アンタも手伝いなさい」
物音がしなくなったのを確認すると、アレクシアは寝ている人たちの方を見た。旦那を深追いする気はないらしい。僕もそれに賛成だ。地下室には彼の仲間があと数人いるはずだし、人質を取られたまま乱戦に入るわけにはいかない。
「全員起こすにはかなり時間がかかるかも」
「まあ見てて」
改めて寝ている人たちを数えてうんざりする僕を横目に、アレクシアはその場で両手を正面にかざした。すると彼女の足元からドーム状の光が現れ、宿全体へと広がっていった。
「どんな薬か知らないけど、これでどうにかなるはず」
きっと、アレクシアが自分の体から薬の効果を消し去った魔法を、みんなにも使ってくれたんだ。
「う、うう……ん」
心配が杞憂に終わって人心地が付いたその時、一人の男が立ち上がるのが目に入った。
(効くのが早いな────いや、違う!)
それは仲間じゃなく、アレクシアが最初に殴り飛ばした男だった。
男がいる場所は、アレクシアからは死角になっていた。今対処できるのは僕しかいない。余計なことをされる前に仕留める。
男の背後に回り込み、地面を蹴って首に飛びつく。打撃の心得はあるけど、それだけで倒せるかは分からない。だから絞め落とす。
ただ、それを確実にするためには、やらなければいけないことがあった。
(……っ)
意を決して、僕は腰のタオルに手を伸ばし、引き剥がした。
「な、なにやってんのアンタ!」
彼女に見られたくはなかった。でも背に腹は代えられない。
タオルを男の首に巻き付け、それを利用し思いっきり締め上げる。
もしかしたら、素手で十分だったかもしれない。全裸になる必要はなかったかもしれない。だけど、防御専門の女性ひとりと武器を持たない子どもひとりでは、この方が確実だったんだ。
「ぐ……かっ……こ、このガキ」
哀れにもこの男は、殴り飛ばされようやく目覚めた瞬間、また気絶した。
「ふう」
「ふうじゃない! さっさと隠せ! あ……あと……それなに⁉︎」
アレクシアは顔を手で隠しながら僕を指さす。
そして僕も気づいた。裸よりも、もっとマズイものを見られたことに。
僕の下腹部に刻まれた紋章が、いやらしく灯りを反射する。
「っ!」
咄嗟に手で隠し、これ以上ない速さでタオルを巻き直す。
自分でも驚くほど、あどけない声が出た気がする。
「そ、それ、淫紋ってやつ? え? マジ?」
無言で頷くと、アレクシアは引きつった顔を僕に向けた。
「趣味……なわけないか。じゃあ、先輩が?」
一瞬迷って、また無言で頷いた。カオルが悪いと言っているようで気が引けたけど、実際これはカオルが原因だ。
「やっぱり。もうそれくらいしか連想できないもん。シールとかじゃないわよね? 本物? ちょっと触らせ……やっぱいいわ。いやー、えー? 先輩、ほんとにサキュバスなんだ……」
彼女は何とも言えない顔でしばらく佇んだ。その心中、察するに余りある。先輩に対するイメージが崩れたのか、それともイメージ通りだったことにショックを受けているのか、とにかく何とも言えない。
「はーっ、これは気にしても仕方ない! うん! 今どうするかを先に考えるわ!」
そう言って、アレクシアはホールを見渡した。みんなが起きるのを待つか、地下室へ乗り込むか、二つに一つだ。
「あのオッサン、戻ってくる気配が無いわね」
「うん……あっ、地下室から外に通じる道があるのかも」
だとしたら、あの異常者たちを逃すことになる。それは彼女としても避けたいところだろう。
「それは困るわね……でも、あいつらもそう遠くへは行けないはず。それに、今は頭数を揃えるのとみんなを守ることが先決よ。下手を打てば余計に危うくなる」
冷静な声で述べる彼女には、確かな意志があった。
「とりあえず。ほらっ、起きなさい」
アレクシアは近くに転がっていたパーヴァートさんをペシペシ叩き、目覚めを促した。
「薬の毒素は消せるけど、起こすのは手作業だから面倒ね」
「う〜ん、カオル……もっと叩いて……」
「チッ」
寝ぼけたことを言うパーヴァートさん。そんな彼の頭に、鈍い一撃が降りかかった。
「いっっっっだぁ! え⁉︎ 何⁉︎ 何が起きた⁉︎」
パイルで叩かれた頭をさすりながら、彼は現実に戻ってきた。
状況をまるで理解できず、彼はアレクシアに質問を浴びせかける。しかしアレクシアはそれを意に介さず、「いいから手伝いなさい」と一蹴して作業に戻った。
「せっかくいい夢見てたのに……」
しょんぼりとうなだれるパーヴァートさん。それでもみんなを起こすべきだと察したのか、テキパキと周りに声をかけていった。
〜〜〜〜〜
そんなこんなで、ホールにいた全員を起こし終わった。あとは2階だ。
「おい、俺たちで地下室の連中ぶっ殺してくるから、お前らは上行ってこい」
一通り落ち着き、状況の説明を受けたアニキは早速暴れ回ろうとする。
確かに彼は戦力として十分だ。でも、総司令は努めて冷静だった。
「ダメよ、誘い込まれてる可能性もあるの。また人質取られたらたまったもんじゃないわ。だからまずは全員で集まること! わかった⁉︎」
気の強さを全面に押し出して、アレクシアは正面から向かいあう。これじゃ平行線だ。
「なあ、アイツらは一緒じゃないのか?」
会話が途切れかけたところで、アニキの横から気まずそうな声が聞こえた。声の主はピート、アニキの子分の1人だった。アイツらというのは、マルカたちのことかな。
「マルカは上だよ。カオルもそこにいる」
それを聞くと、ピートはあからさまに2階へ行きたそうな顔をした。ついでに大人2人も。
「なんだって⁉︎ 起こさないと危ないじゃないか! 早くカオルの寝顔を見に行くぞ!」
「それは急がなければな! 恩を売るチャンスだぞ!」
パーヴァートさんもオウミさんも、人としてどうかと思う反応だ。だけど勢いをつけるには適任だった。
「はいはい、いいから行くわよ!」
アレクシアが踵を返したその瞬間、2階から件の少女が駆け降りてきた。
「わっ! マルカ⁉︎」
「助けてくださ〜い! カオルさんが……カオルさんが!」
〜〜〜〜〜
「起きないんです」
全員でなんだなんだと階段を駆け上がったところ、そこにはだらしない顔と格好で眠るカオルがいた。
「私、何分か前に目が覚めたんです。そ、そしたらなんか宿の雰囲気が変わったように感じて、だんだん怖くなって! カオルさんを起こそうとしたけど起きなくて! それで、下の方からみなさんの声が聞こえてきたので……」
涙ながらに説明するマルカ。けれど彼女の痛ましさも、ベッドの上に転がる淫魔を前に霞んでしまう。
布団をはだけさせて、最低限の衣服で眠る美女。しかしながらありがたさは一切ない。
「あっ、そこはダメだよユウくん。そんな、人前で……」
本当に、人前で何をやってるんだろう。しかも僕まで巻き込んで。
「はぁ〜ごめんなさいカオルさん! 私も頑張ったんです! 決してあなたの姿を晒したかったわけではありません!」
マルカは真摯に、祈るように謝罪する。その必死さがむしろバカバカしかった。
「うーむ、これは眼福。ではないな! なんだこのザマは!」
「なんで夢の中にこの子がいるんだよ! カオルの夢を見ていたのはこのパーヴァートだぞ⁉︎」
「こんな状況で……タフな女だな、コイツも」
みんな幻滅しちゃってる。それも当然なくらい、情けない姿を晒す女がそこにいる。
「というわけでして。ユウくんが起こしてくれませんか? たぶんユウくんが必要なので。……そ、それと、その格好は?」
「俺も気になってたぞ。よくそれで出てこれるなぁ、変態かお前。まあコイツにはお似合いだけどな」
「色々あったんだよ……気にしないで」
今思うと、僕もカオルのことを言えないくらい情けない様を晒している。もう弁明するのも恥ずかしい。アレクシア以外には紋章を見られていないだけ、まだマシというものだ。
「カオル、起きて、早く、お願い」
適当に言っただけでは効果がなかった。
僕は仕方なく彼女に近づき、耳元で声をかけることにした。
「みんなに見られてるよ。それとも見せたいの? どうしたらいいか……カオル、わかってるよね?」
「エッッッッッ!…………あ、あれ?」
彼女と出会って何度目かのモーニングコール。体が勝手にコツを掴み、すらすらと言葉が出てきてしまうのが悔しい。
そうして、腰布一枚の少年と下着の女がベッドの上で目覚めを共にする、そんな光景を仲間たちに見られながら、全員集合が完了してしまった。




