62.桃色の閃光
「あなたは……」
掴んできた手を振り払い、即座に距離を取る。
完全に油断していた。
この宿、最初から!
「存外に力が強い。薬も効いていない……ただの子どもではないか。侮っておりました」
彼は眉間を緩め、慇懃に頭を下げる。仮にも計画が狂ったはずなのに、これもまた一興と言わんばかりの態度だ。
「ご夕食は楽しんでいただけましたか? 私、腕には自信がありましてね。これまでクレームを頂いたことは一度もありません」
「味なんてわからなかったよ!」
半分は事実だった。あのステーキを食べた時、僕は途中から味がわからなくなっていた。年上女性にからかわれて気まずくなっていたのが原因かもしれないけど、おそらくは薬のせいだ。
いや、今そんなことはどうでもいい。とにかく、この男と料理についての話なんてしたくない。だってあれは……。
「クレームがないのも、全員始末してるからじゃないのか……」
間違いない。こいつが『人狩り』だ。ターゲットを薬で眠らせて売りさばくブローカー。
あの時食べた肉、あれは……!
「いいえ、お客様にはご満足頂いておりますとも。ええ」
そもそも、なぜ僕たちを狙った? ただの偶然? 可能性は低い。これだけの人数を無計画に襲うなんて、リスクが高すぎる。中には衛兵だっているんだ。
でも計画的だとしたら、一体いつから仕組まれていた?
人狩りが狙うのは、やっぱり女性のはず。途中で合流したアレクシアは予定外と考えると、カオルかマルカのどちらかになる。二人とも若く、容姿も整っている。この世界には娼館だってあるらしい。どんな目的にしろ、確実に高く売れる。
だけど二人を狙っているのなら行動が早すぎる。マルカはついこの間まで普通の女の子だったし、カオルは有名になってきている方だけど、この世界に来てまだ日は浅い。通信技術が未発達な世界で、ここまで素早く目をつけ、ピンポイントに狙えるものか。
ならアレクシアを? 尚更おかしい。相手は衛兵隊総司令だ。たとえそれを知らなかったとしても、もっと慎重に、一人でいる時を狙うべきだ。
(考えがまとまらない……)
今更になって、肉の味が鮮明に思い出される。腹の奥底から逆流して、頭蓋の内を浸していく。
僕は口を覆いながら狼狽えた。目の前のこの男がただの悪党ではないと感じて、得体の知れない恐怖に身を包まれた。
「で、味は?」
「……え?」
彼は僕の様子を見ても変わらず、いや、少し苛立ったように聞いてきた。後ろ手を組み、まるで尋問官だ。
「感想を」
「だから味なんて」
「ふざけるな」
壮年の紳士が、鬼の形相を露にして豹変する。思わず体が強張ってしまうほど、彼の姿は恐ろしく映った。
行動の端から端まで理解できない。この男はそんな相手だ。
「私のこだわりが分からない、と? どれだけ素材選びに頭を抱えたと思っているのか……私の理念を愚弄する気かぁっ!」
開いた口が塞がらない。
……彼の頭は、とにかくそれだけだ。こんな奴の理念なんて理解してたまるか。
「何が素材選びだ。ただの人殺しじゃないか! しかもそれを……食べさせるなんて……っ」
自分の意識をハッキリと保つように、僕と彼の間に明確な線を引くように、うわずる声で正面から対峙する。けれど、そんなものは彼には通じなかった。
むしろ身を屈め、上から覗き込む姿勢で、僕に近づいてくる。
「食べさせる? 人をですか? 冗談じゃない! 食材に足るほどの人間など未だ見たことが無い」
何のスイッチを押してしまったのか、彼は一心不乱に語り出す。
「人はどうしても人特有の穢れがある。そんなものを使えば、他の食材の味を損ねてしまうのです」
こんな状況で、こだわりの話は止まらない。僕は気圧されながら、口だけでせめてもの抵抗を続けた。
「薬を盛るのはどうなんだ。本来の味から遠のくんじゃないのか」
「そのために特殊なルートで特殊な薬を仕入れているんですよ。一切邪魔をしない薬を。そしてさらに、その成分を分析し、食材との調和を生み出す技術も研鑽しているのです。だからっ、味がわからないなんてありえないっ!」
言葉を紡ぐごとに彼の目は輝いていく。完全に、自分の行いに酔いしれている目だ。
「何やってんだよ旦那~、また発作かあ?」
騒ぎを聞きつけたのか、階下から別の誰かがやってきた。口調からしてコイツの仲間だ。
どんどん不利になっていくことに苛立ちを覚える。それでも追い込まれることによって、僕は少しずつ冷静になっていった。
(この宿には地下室もあるのか……?)
目の前の異常者から目をそらし、新たに登ってきた男の方を見る。そこにいたのは、食事の時に僕たちのテーブルに料理を運んできた男だった。やはりここは、最初から人狩りの巣だったんだ。
彼が出てきたのはホールの奥、おそらく厨房の方だ。
「って、おいおい、ガキが起きてんじゃねえか。夜ふかしするなんて悪い子だなぁ。」
ヘラヘラと笑う彼の目は、僕のことなんか大した問題にはならないと語っていた。
油断してくれるのは好都合。だけど今の僕だけじゃ対処しきれないのも事実だ。
敵の正確な数は未知数、眠ってしまっているみんなは実質的な人質だった。
「まあガキの始末は任るわ。俺はあの女の方に行くぜえ~」
(ッ!)
僕たちのそばを横切り、彼は2階へ続く階段がある扉へ歩いていく。
向こうから物音は聞こえない。いかにカオルと言えど、無防備な状態ではどうにもならない!
「待てっ!」
「待つのは君です!」
走り抜けようとした僕を、旦那が羽交い締めにする。すぐに振りほどこうとしたけれど、この体では力が足りなかった。
「フンフフ~ン♪」
扉に手が掛けられ、ゆっくりと開いていく。あたかも僕に見せつけるように、じわじわと。
(僕がカオルを守るって……約束したのに!)
人が通れそうなほどに隙間が広がる。
「商品が傷つかないように注意してくださいよ、ボスにお叱りを受けるのは御免ですから。それ以外はご自由に」
「へへっ、あざーす」
頬を伝う汗が、砂時計の最後の一粒のように、時間切れを告げて床に落ちる。
だけど男が進もうとした瞬間、扉の向こうから華奢な影が伸び、男の腕をガシッと掴んだ。
「なにっ」
「しゃあっ!」
男が殴り飛ばされ、埃が舞う。
目を向けた先では、薄明かりの中で輝く流星のように、桃色の髪が尾を引いていた。
「な、なんだあっ」
唐突な出来事に旦那は驚き、腕の力が緩んだ。そのスキを突き、僕は拘束を抜け彼女の元に駆け寄った。
「アレクシア」
「うわ、なんて格好してんのアンタ! ま、まあそれより、状況を教えてくれる」
アレクシアは一瞬こっちを見下ろした後、すぐに目を反らして冷静になった。
「あっ……わ、わかった」
僕はずり落ちそうな腰のタオルを直しながら、彼女に状況を伝えた。
「ふうん、そういうことか」
辺りを見回し、アレクシアは腕に着けていた鉄塊を叩く。これは……カオルのパイルバンカーだ。
「あなたも薬が効かないのですか……私の、レシピ……」
旦那は忌々しげに、殺意すら込めてアレクシアを見る。けれど彼女が余裕を崩すことはなかった。
「アタシの力は防御特化なの。たいていの薬には対処できる。今回は時間かかっちゃったけどね」
「防御……?」
「いや驚いたわ〜。気づいたら私も皆も眠ってて、これは何かあるなと思って降りてきたらコレよ。漫画かっての。アドラに聞かせたら大はしゃぎね」
世間話でもするかのように、彼女は誰にともなく喋りかける。どうして彼女が動けているかは僕にもわからないけど、魔法か何かで目覚めたようだ。
「で、アンタが人狩りで合ってる?」
「だとしたら、どうしますか」
旦那は、自分の料理が通用しなかった相手がもう1人現れたことに相当憤っているようだった。動揺しつつも、いつでも戦闘に移れる姿勢を取っている。
「私は元々人狩りを追ってこの辺りに来てたのよ。これで手間が省けたわ!」
右手を引き、パイルを唸らせるアレクシア。その構えは漫画のように大袈裟で、素人の雰囲気を醸している。それでも、彼女が戦える人間であることは、その気迫から伝わった。
「ゴングを鳴らしなさい! 戦闘開始よっ!」
アレクシアは僕へ「ニッ」と不敵に笑い、旦那へ向かって疾走した。




