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『聖女なんだから当然でしょ?』――は? ふざけんな  作者: NEA_


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第6話 ここでいい



 目を覚ました時、窓の外は夕暮れだった。


 アンナはしばらく天井を見つめた。


 扉を叩く音はしない。次の予定を告げる声も聞こえない。


「……朝か?」


 身体を起こして窓へ寄る。沈みかけた太陽を見て、ようやく夕方だと気づいた。


 一階へ降りると、宿屋の主人が目を丸くした。


「ようやくお目覚めですか」


「どれくらい寝てた?」


「一日半ほどです」


「一日半……」


 五年分には足りないな、とアンナは思った。


「教会の方が何度か来られましたが、お約束どおり起こしておりません」


「助かった」


 主人は温かい食事を用意してくれた。


 誰にも急かされず、スープを飲み、肉を食べ、焼きたてのパンを最後まで味わう。


 途中で何度も、次の予定を思い出しかけた。


 だが、もう何もない。


 それだけのことが、妙に落ち着かなかった。


 翌朝、アンナは法衣を袋へ押し込み、外套を羽織って王都の大商会へ向かった。


 王家と教会から受け取った金の大半は、すでにこの商会へ預けてある。金貨を抱えて歩くつもりはなかった。


 応接室へ通されると、商会主が立ち上がった。


「聖女様」


「もう違う。ただのアンナだ」


「失礼いたしました。アンナ様」


 商会主はすぐに帳簿を開いた。


「お預かりしたお金は、王都以外の支店でも引き出せる証書に替えられます」


「それで頼む。それと、隣国の都、ディランへ行く馬車を用意してくれ」


「ちょうど明朝、交易品を運ぶ隊商が出ます。護衛もおりますので、そちらへご同乗いただけます」


「十分だ」


 手続きを終えたあと、アンナは商会の紹介で目立たない服と丈夫な靴を買った。白い法衣は畳みもせず、袋の底へ押し込む。


 鏡に映った姿は、どこから見ても聖女には見えなかった。


「こっちの方がマシだな」


 商会へ戻り、紙とペンを借りた。


 宛先は、五年間ほとんど会えなかった家族だ。


 無事でいること。聖女を辞めたこと。そして、今はまだ実家へ戻らないことを書いた。


 帰りたい気持ちはあった。だが、自分が今戻れば、王家や教会が家族まで利用するかもしれない。


 最後に、住む場所が決まったらもう一度手紙を送ると書き添え、ペンを置いた。


 アンナは手紙を折り、商会主へ渡す。


「これを家族へ。それと、預けた金から少し送ってくれ」


「どれほどお送りしましょうか」


「しばらく困らないくらいでいい」


「承知いたしました」


「必ず届けてくれ」


「お任せください」


 翌朝、アンナは商会の馬車で王都を出た。許可を求める相手もおらず、戻る時間を告げる必要もない。馬車が王都の門を抜けても、追ってくる者は誰もいなかった。



 一週間の旅の末、隣国へと入った。


 そこから数日後、馬車は荷物を下ろすため、小さな街へ立ち寄った。


 畑に囲まれ、古い家が並ぶだけの街だった。道端では子供たちが遊び、畑帰りの者たちが互いに声をかけ合っている。


 豊かではないが、どこか穏やかだった。


 ディランまでは、まだ二日かかるという。


 荷下ろしを待つ間、アンナは街の食堂へ入った。


 料理が運ばれてきた直後、外から騒がしい声が聞こえた。畑で足を切った男が、荷車で運ばれていた。


「治療師は?」


「この街にはいないよ。都まで運ぶしかない」


 男の足からは、まだ血が流れていた。


 アンナは深く息を吐き、椅子から立ち上がった。


「そこに寝かせろ」


「姉ちゃん、治せるのか?」


「いいから早くしろ。血が出てんだろ」


 傷へ手を当てると、白い光が広がった。


 深く裂けていた傷が塞がり、血が止まる。


 男の妻が何度も頭を下げた。


「ありがとう。本当にありがとう」


「今日は畑に戻るなよ」


「でも、収穫が」


「倒れて余計に迷惑かけたいのか。寝てろ」


 食堂のおばちゃんが声を上げて笑った。


「ずいぶん口の悪い治療師だねえ」


「悪かったな」


「いいや。助かったよ」


 冷めた料理の代わりに、新しい皿がアンナの前へ置かれた。


「ほら、食べな。人を治して、自分が倒れたら馬鹿みたいだよ」


「分かってる」


 誰も、ついでに自分も診てくれとは言わなかった。


 誰も、聖女様とは呼ばなかった。


 それどころか、食堂のおばちゃんは他の者たちへ手を振った。


「今日はもう休ませな。見世物じゃないんだから」


 アンナは何も言わず、温かい料理へ視線を落とした。


 荷下ろしが終わり、商会の男が迎えに来た。


「アンナ様、そろそろ出発します」


 アンナは立ち上がり、通りの先にある古びた建物を見た。


「あれは?」


「昔の治療院だよ」


 食堂のおばちゃんが答える。


「治療師が亡くなってから、ずっと空き家さ」


「借りられるのか?」


「街の持ち物だから、話を通せばね。でも、あんたは都へ行くんだろ?」


 アンナは小さな街を見回した。


 立派な教会も、豪華な屋敷もない。


 治療師もいない。


 だが、ここにはアンナを聖女として知る者もいなかった。


「悪い。荷物を下ろしてくれ」


 商会の男が驚く。


「ここで降りるんですか?」


「ああ」


「それと、私がここに残ったことは内緒にしてくれ。面倒なのが探しに来るかもしれない」


 アンナは商会の男だけでなく、食堂のおばちゃんにも目を向けた。


「ディランまでの契約ですが」


「残りの金は取っておけ」


「未使用分は、預かり金へ戻しておきます」


「……返すのか?」


「乗っていない分まで、いただけませんよ」


 アンナは少しだけ黙り、それから頷いた。


「わかった」


 馬車が街を去っていく。


 食堂のおばちゃんが、呆れたようにアンナを見た。


「本当に、こんな小さな街でいいのかい?」


「都まで行ったって、できる事は治療くらいだ」


 アンナは古びた治療院へ目を向けた。


「だったら、ここでいい」


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