第4話 ふざけんな
「……は?」
執務室が静まり返った。
周囲の神官たちは目を見開き、大司教ティッツェンも穏やかな笑みを浮かべたまま、わずかに首を傾げた。
「アンナ?」
「ふざけんな」
「い、今、なんと?」
「ふざけんなって言ったんだよ!」
「アンナ!」
大司教の顔が赤くなる。
「聖女ともあろう者が、なんという態度ですか!」
アンナは大きく息を吸った。
「黙れハゲが!」
執務室中が凍りついた。
若い神官が口を開けたまま固まり、別の神官が手に持っていた書類を床へ落とす中、大司教は無意識に自分の頭へ手を伸ばしかけて動きを止めた。
「ハ、ハゲ……?」
「そうだよ! 五年前からずっと思ってたわ!」
「なんですか! その言葉遣いは!」
「こっちが素なんだよ!」
「お前らが勝手に理想を押しつけてきたから演じてやっただけだ!」
「毎日笑って、丁寧な言葉使って、嫌な顔一つしなかっただろ!」
「わ、私たちは……」
アンナは机へ手を叩きつけた。
紅茶のカップが跳ね、中身がこぼれる。
「だから、壊れるまで黙って働くと思ったか!?」
「だ、だが……一度も、つらいとは……」
「じゃあ聞くぞ」
アンナは大司教を指さした。
「私はこの五年間、何日休んだ?」
「それは……」
「何日だ!」
大司教は答えられない。
「一日もねぇよ!」
アンナの声が部屋に響く。
「朝から治療。昼は祝福。夜は祈祷。寝ようとすれば扉を叩かれて、病人だ、王族だ、貴族だ、結界だ!」
大司教が口を挟んだ。
「聖女は神に選ばれた――」
「なんで、神に選ばれた私が寝ずに働いて、選ばれてねーお前らが寝てんだよ! 頭おかしいのかてめぇら!」
「金払え!」
大司教が言葉を失う。
「私の給金は?」
「聖女は神に仕える身であり……」
「給金は!?」
「……」
「五年間、一枚でも払ったか?」
沈黙。
「払ってねぇよな?」
「住居も食事も、教会が用意してきました」
「牢屋の囚人にも住む場所と飯くらい出るわ!」
アンナは止まらない。
「服も教会指定。出かける場所も教会指定。朝起きる時間も、夜寝る時間も、お前らが決める」
「それで住居と飯を与えてやった?」
「飼ってるだけじゃねぇか!」
「そのような言い方は……」
「じゃあ私に自由はあったか? 何か自由に買ったか?」
大司教は答えない。
「何を買ったんだよ、私の金で」
「……」
「金なんか一枚も持ってねぇんだから、答えられねぇよな!」
アンナは床に落ちた書類を踏みつけた。
「今日で聖女は辞める」
大司教の顔色が変わった。
「なっ……」
「そして、この国を出る」
「お待ちなさい!」
大司教が身を乗り出す。
「そのような勝手が許されると――」
「勝手?」
アンナが睨みつける。
「十八歳の女を勝手に連れてきて、五年間タダ働きさせた奴が、私に勝手って言うのか?」
「聖女は国と民を守る神聖な使命を――」
「神聖ならタダ働きでいいのか? 寝ずに働くのが当然なのか?」
「そういう意味ではありません!」
「じゃあ、お前も今日から寝ずに無給で働け」
大司教が固まった。
「大司教なんだから当然だろ?」
「……」
「朝から晩まで働け。夜中も呼ばれたら起きろ。飯だけは食わせてやる。金はいらないよな? 神に仕える神聖な仕事なんだから」
「それとこれとは……」
「何が違う?」
アンナは机を回り込み、大司教の前へ立った。
「答えろよ」
「……」
「私が聖女だから?」
「お前が大司教だから?」
「何が違うんだ?」
大司教は何も言えなかった。
アンナは吐き捨てる。
「聖女なんだから当然」
「聖女なんだから我慢しろ」
「聖女なんだから金はいらない」
「聖女なんだから寝なくていい」
「人間じゃねぇのかよ、私は!」
最後の言葉だけが、わずかに震えた。
だがアンナは泣かなかった。
泣くより先に、怒りが溢れていた。
「アンナ。落ち着きなさい」
「落ち着いてるわ!」
アンナは大司教の机に積まれた帳簿を指さした。
「巡礼祭で、いくら集めた?」
「それは教会の運営に必要な――」
「いくらだ!」
「……」
「百年ぶりの聖女を見せ物にして、国中から人を集めたよな?」
「見せ物などと……」
「私の名前で祝福札を売った」
「私の姿を見るための特別席を作った」
「私が作った聖水だって値段を上げた」
「寄付箱は何個埋まった?」
神官たちが目を逸らす。
アンナは知っていた。
地下の保管庫へ、金貨と銀貨の入った箱が何度も運ばれていることを。
「私のおかげで巡礼者が集まった」
「巡礼者が宿に泊まり、飯を食い、土産を買った」
「商人が集まり、王都に金が落ちた」
「教会にも、国にもだ!」
アンナは大司教の机を拳で叩く。
「私のおかげで稼いだ金が、たんまりあんだろうが!」
誰も反論できなかった。
「今までの働きに見合った金を出せ」
大司教が青ざめる。
「そんな……急に言われましても」
「急じゃねぇよ。五年分だ」
「ですが、金額をどのように決めるか……」
「お前らが決めろ」
アンナは冷たく言う。
「私が納得できる額を出せ」
「納得できなければ?」
「結界を解除してから出ていく」
部屋の空気が変わった。
「な……」
大司教の唇が震える。
「そのようなことをすれば、王都が危険に晒されます!」
「知ってる」
「魔物が近づく可能性も!」
「知ってるよ」
「民に罪はありません!」
アンナは窓の外へ視線を向けた。
「私が何もしなくても、王都の結界はあと二か月は持つ」
神官たちの顔に、わずかな安堵が浮かぶ。
「その間に、次の方法を探せ」
「別の結界術師を集めるなり、魔道具を用意するなり、好きにしろ」
「私は今日で終わりだ」
大司教は胸を押さえる。
「では、二か月は……」
「ただし、金を払えばな」
安堵が消えた。
「払わないなら、今すぐ結界を解除する」
「そ、それは脅迫です!」
「違う」
アンナは即座に切り返した。
「私が作った結界だ」
「私が神聖力を注ぎ続けて維持してきた」
「辞めた後も二か月残してやる。それが最後の猶予だ」
「猶予が欲しいなら、今までの対価を払え」
「嫌なら解除する」
「選べ」
大司教は口を開いたまま、何も言えなかった。
「それと」
アンナは続ける。
「教会だけじゃ足りねぇ」
「何を……」
「国にも払わせる」




