第17話 「兄が残した声」
焚き火の火が静かに揺れていた。
夜風が草原を撫でる。
ぱちり、と薪が弾けた。
レインは炎を見つめたまま黙っていた。
兄と再会した。
何年も探し続けた兄。
死んだと思っていた兄。
ようやく見つけた。
なのに。
胸の奥に残ったのは安堵よりも、言いようのない違和感だった。
兄は生きていた。
だが、どこか遠かった。
まるで自分たちと別の世界に立っているような目をしていた。
「また難しい顔してる」
隣からリズが顔を覗き込んできた。
「してない」
「してる」
「してない」
「してる」
「ガキかお前ら」
クロウが呆れたように言った。
リズはぷくっと頬を膨らませる。
「だってレインが聞いてくれないし」
「何をだよ」
「ずっとお兄さんのこと考えてる」
「……」
図星だった。
リズがむっとする。
「ほら」
「いや、それは……」
「それは?」
「兄さんのことが気になるのは当然だろ」
「私は?」
「え?」
「え?」
沈黙。
クロウが吹き出した。
「ぶはっ」
「笑うな!」
「いや無理だろ!」
レインは首を傾げた。
リズは耳まで真っ赤になった。
「もう知らない!」
「なんで!?」
「気付いてないならいい!」
そう言って反対側を向く。
レインは本気で理由が分からなかった。
クロウは腹を抱えて笑っている。
「お前、本当に勇者の弟か?」
「関係あるか?」
「恋愛方面だけは才能ゼロだな」
「意味分からん」
リズが小さく呟いた。
「ほんとに分かってない……」
焚き火の音だけが響く。
少しだけ重かった空気が和らいでいた。
兄のことばかり考えていたレインも、気付けば笑っていた。
翌朝。
三人は北へ続く古道を進んでいた。
兄が向かった方向。
北。
そこに全てがある。
その確信だけはあった。
道中には激しい戦闘の痕跡が残されていた。
砕けた大地。
焼け焦げた岩。
何か巨大なものが通ったような深い溝。
リズが口笛を吹く。
「すごい……」
「普通の戦闘じゃないな」
クロウも周囲を警戒する。
レインはしゃがみ込み、地面を触った。
岩肌に刻まれた斬撃。
その角度。
その深さ。
その癖。
忘れるはずがない。
「兄さんだ」
クロウが眉を上げる。
「分かるのか?」
「ああ」
即答だった。
「子供の頃から見てた」
兄の剣を。
兄の背中を。
追いかけ続けてきた。
だから分かる。
絶対に間違えない。
リズが微笑んだ。
「好きなんだね」
「兄さんを?」
「うん」
レインは少し考えた。
そして頷いた。
「尊敬してる」
リズはどこか嬉しそうで、少し寂しそうだった。
その表情にレインは気付かなかった。
気付いたのはクロウだけだった。
「鈍感って罪だな」
「何の話だ?」
「いや別に」
その時だった。
ガサッ。
草むらが揺れた。
次の瞬間。
黒衣の男が飛び出した。
「いたぞ!」
監査官。
さらに周囲から四人。
合計五人。
「勇者の弟を確保しろ!」
「殺しても構わん!」
レインたちは即座に構えた。
監査官たちが一斉に襲いかかる。
「交換!」
反射的に能力を発動する。
しかし。
何も起きない。
「なっ!?」
一瞬。
ほんの一瞬。
判断が遅れた。
監査官の剣が肩を切り裂く。
鮮血が飛んだ。
「レイン!」
リズが叫ぶ。
後退。
痛みが走る。
だが。
レインが悔しかったのは怪我ではない。
まただ。
また能力に頼った。
兄が言っていた。
力に使われるな。
その意味が今なら分かる。
「くそ……!」
監査官たちが迫る。
交換は使えない。
ならどうする。
兄なら。
兄ならどう戦う。
レインは視線を走らせた。
敵五人。
岩場。
傾いた巨岩。
足場の悪い地形。
そして閃く。
「クロウ!」
「何だ!」
「あの岩を落とせ!」
クロウが笑った。
「なるほど!」
短剣が飛ぶ。
支点へ命中。
轟音。
巨大な岩が崩れた。
監査官たちの隊列が乱れる。
「今だ!」
レインが飛び出す。
一人目の足を払う。
転倒。
剣を奪う。
二人目を岩陰へ誘導。
リズの矢が肩を貫く。
「ぎゃああ!」
三人目。
クロウが背後から首筋を打つ。
「寝てろ」
残る二人。
監査官たちは動揺していた。
「能力が使えないはずだ!」
「なぜ戦える!」
レインは剣を構えた。
息は荒い。
肩は痛い。
それでも。
「使えなくても戦える」
兄に比べれば。
まだ全然弱い。
だけど。
昨日の自分よりは前へ進めた。
監査官たちは撤退した。
静寂が戻る。
リズが真っ先に駆け寄る。
「怪我!」
「平気」
「平気じゃない!」
腕を掴まれる。
近い。
思わず息が止まる。
リズの顔が目の前にあった。
「無茶しないで」
真剣な声だった。
レインは少しだけ目を逸らした。
「ごめん」
リズが一瞬固まる。
そして小さく笑った。
「うん」
クロウが遠くでニヤニヤしていた。
「青春だなぁ」
「黙れ」
「黙ってください」
声が揃った。
クロウは腹を抱えた。
戦闘後。
監査官たちの荷物を調べる。
その中に。
古びた金属箱があった。
レインの手が止まる。
箱の側面に刻まれた紋章。
兄の紋章だった。
鼓動が跳ねる。
「まさか……」
震える手で蓋を開く。
中には記録装置。
古代文明の遺物。
レインは起動した。
ノイズ。
砂嵐。
そして。
『もしこれを聞いているなら』
兄の声。
レインの呼吸が止まった。
リズもクロウも黙る。
『レイン』
それだけで胸が締め付けられる。
『ここまで来たなら、もう止まらないだろう』
兄らしい声だった。
少し呆れたような。
少し優しい声。
『俺は勇者になった』
映像が揺れる。
『だが世界を救うためじゃない』
レインの目が見開かれた。
『世界を終わらせないためだ』
沈黙。
風が吹く。
『監査官は敵じゃない』
クロウが眉をひそめた。
『本当の敵はもっと奥にいる』
『北へ来るな』
『だが来るなら覚悟しろ』
兄の声が少しだけ弱くなる。
『俺が背負ったものを』
『お前も背負うことになる』
その言葉に。
レインは初めて気付いた。
兄は苦しんでいた。
ずっと一人で。
誰にも言えず。
戦い続けていた。
『レイン』
最後の声。
『すまない』
レインの瞳が揺れた。
兄が謝った。
初めて聞いた気がした。
ノイズ。
映像が崩れる。
『門を閉じろ』
そこで音声は途切れた。
誰も喋らない。
北の門。
世界を終わらせる何か。
兄が命を懸けて止めようとしているもの。
その時だった。
記録装置が再び光る。
「まだ続きがある?」
リズが呟いた。
ノイズ。
そして。
兄ではない声が流れた。
低く。
冷たく。
知らない声。
『見つけた』
全員の背筋が凍る。
『ようやく見つけたぞ』
映像は真っ暗だ。
だが。
誰かがこちらを見ている。
そんな錯覚を覚える。
『勇者の弟』
レインの心臓が跳ねた。
次の瞬間。
映像の奥。
ほんの一瞬だけ。
巨大な赤い瞳が映った。
人ではない。
化け物でもない。
何か。
もっと異質な存在。
『待っている』
そこで記録は途切れた。
完全な沈黙。
風だけが吹いている。
誰も言葉を発せなかった。
やがて。
レインは拳を握る。
兄が戦っている。
そして。
自分を知る何者かが北にいる。
逃げる理由はない。
「行こう」
リズが頷く。
「うん」
クロウも笑う。
「面白くなってきた」
北風が吹いた。
兄の真実。
北の門。
世界の秘密。
そして。
勇者すら恐れた敵。
その全てが。
北で待っている。
レインたちは歩き出した。
まだ知らない。
この旅が。
世界の運命を変える戦いへ繋がることを。
読んでいただきありがとうございます。
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