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第18話 「北へ続く地図」

焚き火の火が静かに揺れていた。


 兄と再会し、そして再び別れた夜。


 レインは眠れなかった。


 目を閉じるたびに兄の背中が浮かぶ。


 ようやく会えた。


 だが何も聞けなかった。


 なぜ勇者になったのか。


 なぜ姿を消したのか。


 なぜ一人で戦っているのか。


「……兄さん」


 小さな呟きが夜に溶ける。


「また起きてる」


 隣から声がした。


 振り向くとリズがいた。


 毛布を抱えたまま当然のように隣へ座る。


 近い。


 かなり近い。


「お前さ」


「なに?」


「近くないか?」


「寒いんだけど」


「俺も寒い」


「じゃあお互い様」


 理屈がおかしい。


 だが言い返せなかった。


 少しだけ心地よかったからだ。


「眠れない?」


「ああ」


「だろうね」


 リズは焚き火を見つめた。


「兄さんのこと?」


「……分かるか」


「分かるよ」


 優しく笑う。


「レインって兄さんのことになると顔変わるもん」


「そんなにか?」


「そんなに」


 即答だった。


「でも」


 リズは少しだけ真面目な顔になる。


「追いかける理由があるって羨ましいな」


 その言葉にレインは言葉を失う。


 リズには家族がいない。


 だからだろう。


 彼女の笑顔が少し寂しく見えた。


「リズ」


「ん?」


「北まで付き合え」


「え?」


「兄さんを見つけるまで」


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ。


 リズの顔が真っ赤になった。


「な、ななな何それ」


「何って」


「それ告白みたいじゃん!」


「は?」


「は?」


 二人同時だった。


「違うからな!?」


「分かってるわよ!」


「顔赤いぞ」


「うるさい!」


 拳が飛んできた。


 少しだけ。


 気持ちが軽くなった。



「おーい」


 翌朝。


 クロウが現れた。


「朝から夫婦喧嘩か?」


「違う」


「違います」


「息ぴったりだな」


「黙れ」


「黙ってください」


「だからそこなんだよ」


 クロウは腹を抱えて笑った。


 殴りたい。


 本気で。



 朝食後。


 三人は兄の残した資料を広げていた。


 石板。


 古い地図。


 勇者記録。


 そして兄の手帳。


「何かあるはずだ」


 レインは呟いた。


「兄さんはわざわざ記録を残した」


「そうだな」


 クロウも頷く。


「お前の兄貴が意味のないことをするとは思えん」


 リズが地図を覗き込む。


「この印は?」


「違う」


「じゃあこっち?」


「それも違う」


「むぅ」


 頬を膨らませる。


 可愛い。


 また思ってしまった。


「今かわいいって思ったでしょ」


「ぶっ!」


「図星だ」


「何で分かる!?」


「顔」


 最悪だった。


 クロウが爆笑している。


「レイン、お前本当に分かりやすいな」


「黙れ」



 数時間後。


 クロウが突然立ち上がった。


「見つけた」


「何?」


「暗号だ」


 彼が指差したのは数字の羅列。


 一見すると意味不明。


 しかし地図の座標と重ねると。


「北……?」


 レインが呟く。


「全部北を示している」


 クロウの目が鋭くなる。


「兄は北へ向かった」


「北に何がある」


 沈黙。


 そして。


「北の門」


 空気が変わった。


 世界最北端。


 勇者伝承にだけ登場する神話級遺跡。


「兄さんは門を目指したのか」


「たぶんな」


 クロウが答える。


「そしてまだその先にいる」


 レインの鼓動が速くなる。


 近づいている。


 確実に。


 兄へ。



 その瞬間だった。


 ドォン!!


 森が揺れた。


 木々が大きくしなる。


「来るぞ!」


 クロウが叫んだ。


 次の瞬間。


 巨大な黒い獣が森を突き破った。


 全身が影。


 燃えるような赤い瞳。


 殺気だけで息が詰まる。


「影の眷属!」


 レインは剣を抜いた。


 獣が突進する。


 速い。


 だが。


「交換!」


 能力を発動。


 しかし。


 何も起きない。


「なっ!?」


 初めてだった。


 交換が反応しない。


 獣の爪が迫る。


 避けきれない。


「レイン!」


 リズが飛び込んだ。


 鮮血。


 肩が裂ける。


「リズ!」


「平気!」


 全然平気じゃない。


 怒りが湧く。


 だが能力は使えない。


 ならどうする。


 兄なら。


 能力がなくても戦うはずだ。


「考えろ」


 周囲を見る。


 崖。


 倒木。


 泥沼。


 そして獣の重い体。


「そうか」


 方法はある。


「クロウ!」


「分かった!」


 説明はいらなかった。


 クロウも気付いている。


「リズ!」


「援護する!」


 三人が同時に動く。


 レインが囮になる。


 獣が追う。


 全力疾走。


 爪が背中を裂く。


 痛み。


 だが止まらない。


「こっちだ!」


 沼へ誘導。


 獣が跳ぶ。


 その瞬間。


「今だ!」


 クロウが倒木を切断。


 巨大な木が横倒しになる。


 獣の体勢が崩れる。


「燃えろ!」


 リズの炎が炸裂。


 視界を奪う。


 そして。


 獣は沼へ踏み込んだ。


 ズブリ。


 足が沈む。


 さらに沈む。


 もがく。


 だが遅い。


「終わりだ!」


 レインは飛んだ。


 剣が振り下ろされる。


 一閃。


 首が落ちた。


 影が崩壊する。


 黒い霧となって消えていった。



「はぁ……」


 三人はその場に座り込んだ。


「死ぬかと思った」


 クロウが言う。


「同感」


 レインも苦笑した。


 リズの肩から血が流れている。


「見せろ」


「大丈夫だって」


「見せろ」


「……はい」


 素直だった。


 レインは包帯を巻く。


 丁寧に。


 できるだけ優しく。


「ありがとう」


 小さな声。


「当然だろ」


 リズが視線を逸らした。


 耳が赤い。


「……そういうところなんだよな」


 ぼそり。


「何か言ったか?」


「別に」


 クロウがまたにやにやしていた。



 夕方。


 戦闘跡地を調べていた時だった。


「レイン!」


 リズが叫ぶ。


「これ!」


 岩陰。


 そこに見覚えのある刻印があった。


 兄の印。


 震える手で触れる。


 そして。


 短い文字を見つけた。


『門まであと七日』


 息が止まる。


「七日……」


 兄はここにいた。


 最近まで。


 あと少し。


 本当にあと少しだ。


 だが。


 その下にさらに文字が刻まれていた。


 掠れている。


 読みにくい。


 それでも。


 レインは読んだ。


『もし見つけたなら――来るな』


 空気が凍った。


「兄さん……?」


 なぜ。


 なぜそんなことを書く。


 その意味を考えるより先に。


 空が暗くなった。


 違う。


 雲じゃない。


 北の空。


 遥か彼方。


 世界の果て。


 巨大な赤い瞳がゆっくりと開いていた。


 空そのものが見返しているような錯覚。


 圧倒的な恐怖。


 生物としての本能が警鐘を鳴らす。


 逃げろ。


 近付くな。


 あれは見てはいけない。


 それなのに。


 レインの手は震えていなかった。


 兄がいる。


 あの先に。


「行くぞ」


 静かに言った。


 リズが頷く。


 クロウも笑う。


 北の空で。


 巨大な瞳がゆっくりと見開かれた。


 まるで。


 彼らを待っているかのように。

読んでいただきありがとうございます。

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