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第15話 「振り向いた背中」

夜明け前。


 焚き火の残り火が小さく弾けた。


 レインは眠れなかった。


 兄を見た。


 確かに見たという目撃証言。


 これまで何度も掴んでは消えた情報だったが、今回は違う。


 胸の奥がざわついていた。


 期待と恐怖が混ざり合う。


 もし本当に兄なら。


 もし違ったら。


「まだ起きてるの?」


 柔らかな声。


 振り向くとリズが毛布を抱えて立っていた。


「……寝られなくて」


「知ってる」


 リズは当然のように隣へ腰を下ろした。


「目の下すごいよ」


「そんなに?」


「うん。ひどい」


「傷付くな」


「事実だから」


 くすりと笑う。


 少しだけ緊張が緩んだ。


「ねえ」


「なんだ?」


「兄さんを見つけても、一人で飛び出さないでね」


「……」


「その沈黙が怖いんだけど」


「努力はする」


「絶対する気ないでしょ」


「半分くらいは」


「半分!?」


 リズが呆れたように顔を覆う。


「ほんと馬鹿」


「悪かったな」


「でも」


 彼女は少しだけ視線を逸らした。


「……死なないでよ」


 その声は小さかった。


 レインは返事に困る。


 だから。


「努力する」


 それしか言えなかった。


 リズは不満そうに頬を膨らませる。


「だからその努力って言い方やめて」


「じゃあ何て言えば」


「絶対って言って」


「無理な約束はしない」


「そういうところ真面目なんだよね」


「褒めてるのか?」


「半分だけ」


「お前も半分かよ」


 二人で笑った。


 その瞬間。


「朝っぱらから仲良しだな」


 クロウの声が飛んできた。


「げっ」


「げっとは何だ」


「空気読めよ」


「俺のせいなのか?」


「百パーセント」


 クロウが肩をすくめる。


「夫婦喧嘩は他所でやれ」


「違う!」


「違います!」


 二人の声が重なった。


 数秒。


 沈黙。


「息ぴったりだな」


「黙れ!」


 今度は完全に重なった。


 クロウが腹を抱えて笑い出す。


 リズは真っ赤になった。


 レインは頭を抱えた。


 だが。


 重苦しかった空気は消えていた。


 そして。


 数時間後。


 山岳地帯へ足を踏み入れた時だった。


「止まれ」


 クロウの声が低くなる。


 空気が変わった。


 レインも気付く。


 殺気。


 それも複数。


「囲まれてるな」


 岩陰。


 木々の隙間。


 無数の気配。


 次の瞬間。


 黒衣の男たちが姿を現した。


 監査官。


 六人。


 しかも全員が精鋭級。


「面倒なの来たな」


 クロウが剣を抜く。


 監査官の一人が言った。


「目標確認」


「交換能力保有者」


「排除開始」


 直後。


 全員が動いた。


 速い。


 前に戦った監査官とは別格だった。


 レインは咄嗟に交換を発動する。


「交換!」


 岩と位置を入れ替える。


 一瞬で死角へ。


 だが。


 監査官は迷わず剣を振った。


「なっ!?」


 読まれている。


 能力を知っている。


 剣先が頬を掠めた。


 血が飛ぶ。


「レイン!」


 リズの魔法が炸裂した。


 閃光。


 敵の視界が白く染まる。


「今!」


「助かる!」


 レインは飛び退く。


 だが呼吸が乱れていた。


 焦っている。


 兄のことばかり考えている。


 冷静さを失っている。


 その隙を。


 敵は見逃さない。


 背後。


 剣閃。


 死角。


「しまっ――」


 間に合わない。


 そう思った瞬間。


 金属音が響いた。


 クロウだった。


 剣と剣が火花を散らす。


「何やってる」


「……悪い」


「兄のことしか見えてない」


「……」


「そんな状態で会ったら兄貴に怒られるぞ」


 反論できない。


 悔しかった。


 何も成長していない。


 十年前と同じだ。


 兄が絡むと周りが見えなくなる。


 拳を握る。


 その時。


 そっと。


 手が重なった。


 リズだった。


「落ち着いて」


「……」


「レインなら出来る」


 真っ直ぐな瞳。


 信じている顔。


 不思議だった。


 それだけで呼吸が整う。


「ありがとう」


「貸し一つ」


「高そうだな」


「すごく高い」


「怖いな」


 リズが笑う。


 その笑顔で。


 ようやく頭が冷えた。


 見る。


 考える。


 兄を追うために戦うんじゃない。


 生きて会うために戦うんだ。


 レインは周囲を観察した。


 岩場。


 崖。


 狭い足場。


 そして敵の配置。


 閃いた。


「クロウ!」


「何だ!」


「左を崖際まで誘導しろ!」


 クロウが笑う。


「やっと戻ったな」


 理解した。


 わざと押される。


 敵を誘導する。


 崖際。


 あと数歩。


「今だ!」


 交換発動。


 監査官と大岩が入れ替わる。


 景色が反転。


 敵の顔が驚愕に歪む。


「な――」


 落下。


 絶叫。


 一人脱落。


「よし!」


 そこからは早かった。


 三人の連携が噛み合う。


 リズが拘束。


 クロウが切り崩す。


 レインが交換で戦場を支配する。


 十分後。


 最後の監査官が倒れた。


 静寂。


 荒い息だけが残る。


「終わったか」


「多分な」


 クロウが敵の懐を探る。


 そして。


 一枚の黒い金属板を見つけた。


 奇妙な紋章。


 見覚えはない。


 だが。


 裏面に刻まれた文字を見て。


 レインの血が凍った。


『価値なき英雄は排除せよ』


「……」


 兄の記録。


 勇者の肉声。


 そこに残されていた言葉。


 繋がった。


 兄はこの組織を知っている。


 この組織も兄を知っている。


 偶然じゃない。


「急ごう」


 レインは立ち上がる。


「兄さんに近付いてる」


 そして。


 さらに二時間後。


 峡谷地帯。


 そこでレインは足を止めた。


 地面に落ちている銀色のペンダント。


 震える指で拾う。


 忘れるはずがない。


 幼い頃。


 兄がずっと身につけていたものだった。


「兄さん……」


 最近落としたばかり。


 そうとしか思えない。


 胸が高鳴る。


 近い。


 本当に近い。


 走り出したくなる衝動を必死に抑える。


 峡谷を抜ける。


 そして。


 夕陽に染まる荒野。


 その先。


 一人の男が立っていた。


 黒い外套。


 風に揺れる髪。


 見間違えるはずがない。


 十年間。


 探し続けた背中。


「兄さん……」


 喉が震えた。


 足が勝手に前へ出る。


 世界の音が消える。


 見えるのは。


 あの背中だけ。


「兄さん!!」


 叫んだ。


 十年分の想いを乗せて。


 男の足が止まる。


 風が吹く。


 ゆっくり。


 本当にゆっくり。


 男が振り向いた。


 横顔。


 目元。


 口元。


 全部覚えている。


 忘れたことなんて一度もない。


 兄だった。


 生きていた。


 本当に。


 生きていた。


 兄の瞳が揺れる。


 驚き。


 後悔。


 安堵。


 そして。


 どうしようもない優しさ。


 兄の唇が震えた。


「レイン――」


 その瞬間だった。


 轟音。


 空が裂けた。


 巨大な黒い影が二人の間へ落下する。


 大地が崩壊した。


 衝撃波。


 土煙。


 視界が消える。


「何だ!?」


 クロウが叫ぶ。


 煙の向こう。


 ゆっくりと立ち上がる巨大な人影。


 今まで見たどの怪物よりも大きい。


 そして。


 兄は静かに剣へ手をかけた。


 まるで。


 ずっと待っていたかのように。


「来るな」


 兄の声が響く。


 十年間聞きたかった声。


「レイン」


 優しく。


 悲しく。


 諦めたような声だった。


「まだお前は――ここへ来るべきじゃない」


「待って!」


 叫ぶ。


 走り出す。


 だが。


 兄は笑った。


 十年前と同じ笑顔で。


「生きていてくれて良かった」


 その言葉だけを残して。


 兄は巨大な影へ向かって駆け出した。


 レインは立ち尽くす。


 手を伸ばしても届かない。


 ようやく見つけたのに。


 ようやく会えたのに。


 兄の背中は再び遠ざかっていく。


 そして。


 巨大な影が咆哮を上げた。


 世界を震わせるような咆哮だった。


 レインは拳を握り締める。


 今度こそ。


 絶対に。


 兄を失わない。


 そう誓いながら――。


 兄と巨大な影の激突が始まった。

読んでいただきありがとうございます。

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