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第9話 「残された声」

「俺は進む」


その言葉が、静まり返った石室に落ちた。


焚き火の火がぱちりと弾ける。


誰もすぐには返事をしなかった。


迷宮の休息地点。


探索隊全員の顔に疲労が浮かんでいる。


赤い目の存在と遭遇して以来、まともに眠れた者はいない。


あの視線を思い出すだけで、背筋が冷たくなる。


「正気か?」


沈黙を破ったのは隊員の一人だった。


「さっきの化け物を忘れたのかよ」


「忘れてない」


俺は即答する。


「だからこそ進む」


「意味が分からねぇ」


「兄さんがこの先にいる」


再び沈黙。


誰も笑わない。


誰も否定しない。


ここまで来た理由を全員が知っているからだ。


クロウが腕を組んだ。


「感情論だな」


「そうかもしれない」


「なら却下だ」


容赦がない。


「探索隊はお前一人のためにあるわけじゃない」


正論だった。


正論だからこそ苦しい。


俺は拳を握り締めた。


反論できない。


その時だった。


「でも」


リズが口を開いた。


「全部感情論ってわけじゃないと思う」


視線が集まる。


リズは兄の手帳を開いた。


「これ見て」


そこには大量の書き込み。


血が滲んだ跡さえ残っている。


「赤い目と遭遇したあとも、この人は進んでる」


「……」


「つまり進む理由があった」


クロウの表情がわずかに変わった。


「命を賭けるほどの理由か」


「そう」


リズは真剣な顔で頷く。


「私はそう思う」


俺は手帳を見つめた。


震えた文字。


乱れた筆跡。


それでも最後まで書かれている。


兄さんは逃げなかった。


なら。


俺も逃げられない。


「行く」


俺は立ち上がる。


「兄さんが残したものを見つけるまで」


焚き火の向こうで、クロウが深く息を吐いた。


「……頑固な兄弟だな」


それは反対ではなかった。



話し合いが終わる。


俺は壁際に腰を下ろした。


すぐ隣にリズが座る。


肩が少し触れた。


「無茶するよね」


「そうか?」


「そうだよ」


呆れたように笑う。


だがその目は優しかった。


「ありがとな」


「何が?」


「助けてくれて」


赤い目と遭遇した時。


完全に動けなくなった俺を助けたのはリズだった。


「ああ、そのこと」


リズは少し照れたように視線を逸らした。


「別に」


「別に?」


「当然でしょ」


「当然?」


「仲間なんだから」


耳が赤い。


分かりやすすぎる。


俺は思わず笑った。


「顔赤いぞ」


「なっ!?」


「熱でもあるのか?」


「ない!」


「あるな」


「ないってば!」


その瞬間。


後ろから声が飛んできた。


「お前ら付き合ってるのか?」


探索隊全員がこちらを見ていた。


「違う!」


リズが即答する。


「早いな」


「否定が」


「怪しいな」


「怪しくない!」


「でも仲良しだよな」


「距離近いし」


「結婚式は呼んでくれ」


「呼ばない!」


石室に笑いが起きる。


久しぶりだった。


恐怖で張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


クロウまで小さく笑った。


「若いな」


「お前が言うな」


「誰が年寄りだ」


「反応した」


「図星か」


また笑い声が広がった。


こんな時間があるから。


人は前に進めるのかもしれない。



翌朝。


探索を再開する。


座標が示す場所へ。


迷宮の奥へ。


通路はさらに狭くなっていた。


壁には無数の傷。


剣で刻まれたような跡。


兄のものだろうか。


そう考えた瞬間。


ガサッ。


物陰が動いた。


「接敵!」


クロウが叫ぶ。


黒い影が飛び出した。


四足。


長い爪。


鋭い牙。


迷宮獣だ。


一直線に俺へ向かってくる。


速い。


だが。


前より見える。


恐怖で足が止まらない。


俺は横へ飛んだ。


爪が石床を砕く。


破片が飛び散る。


「今だ!」


クロウが斬り込む。


だが獣は身を捻った。


浅い。


反撃。


クロウの喉元へ牙が迫る。


危ない。


俺は咄嗟に足元の石を拾った。


投げる。


狙いは目。


石が命中した。


獣が怯む。


ほんの一瞬。


だが十分だった。


「クロウ!」


「分かっている!」


銀閃。


剣が走る。


首が飛ぶ。


獣は崩れ落ちた。


静寂。


荒い息だけが残る。


クロウがこちらを見る。


「助かった」


珍しく素直だった。


「初めて礼を言われたな」


「二度目はない」


「あるんだな」


「黙れ」


隊員たちが笑う。


俺も少し笑った。


前ならできなかった。


恐怖に飲まれて終わっていた。


少しだけ。


成長できた気がした。



数時間後。


ついに座標地点へ到着した。


小さな石室。


何もない。


そう思った。


だがリズが壁を触る。


「待って」


彼女は壁を軽く叩いた。


コン。


音が違う。


「空洞?」


全員が集まる。


クロウが壁を調べる。


「隠し部屋だ」


剣を差し込む。


石が崩れる。


暗い空間が現れた。


その奥。


小さな台座。


そして。


一つの記録装置。


俺の心臓が大きく跳ねた。


「兄さん……」


間違いない。


兄の印が刻まれている。


震える手で拾う。


起動。


光が浮かぶ。


ノイズ。


そして。


映像が映った。


そこにいたのは。


兄だった。


「聞こえるか」


その瞬間。


胸が締め付けられる。


生きていた。


少なくとも。


この映像を残した時は。


確かに。


「もしこれを見ているなら」


兄がこちらを見る。


まるで本当に俺を見ているようだった。


「お前はここまで来たんだな」


声が震える。


俺の方だった。


会いたかった。


ずっと。


ずっと。


「だが」


兄の表情が変わる。


恐怖。


絶望。


後悔。


俺の知る兄ではない。


初めて見る顔だった。


「これ以上は来るな」


全員が息を呑む。


「頼む」


「今すぐ引き返せ」


兄がここまで怯える相手。


そんなものが存在するのか。


映像が乱れ始める。


ノイズ。


途切れる音声。


それでも兄は何かを叫んでいた。


必死に。


命を削るように。


そして最後。


ノイズの向こうで。


確かに聞こえた。


『交換するな――』


映像が消えた。


完全な沈黙。


誰も動けない。


交換。


この世界で最も忌まれる力。


兄はなぜその言葉を残した。


何を知った。


何を見た。


その時だった。


ゴゴゴゴゴ……。


石室の奥が震える。


壁が動く。


誰も知らなかった通路が現れる。


暗闇。


底が見えない。


冷たい風が吹いてくる。


そして。


その闇の奥で。


赤い光が一つ灯った。


違う。


一つじゃない。


二つ。


三つ。


四つ。


無数。


闇そのものが目を開いたようだった。


クロウが剣を抜く。


リズが息を呑む。


誰も言葉を発せない。


その暗闇の奥から。


聞き覚えのある声が響いた。


『……来るなと言ったはずだ』


俺の全身が凍り付く。


今の声は。


間違いなく。


兄だった。

読んでいただきありがとうございます。

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