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第8話 「見つけた者」

「止まれ」


 クロウの低い声が響いた。


 その一言だけで、全員の足が止まる。


 薄暗い通路。


 崩れた壁。


 湿った空気。


 そして――奥の闇から流れてくる嫌な気配。


 まるで誰かに見られているような感覚だった。


「……またか」


 仲間の一人が顔を引きつらせる。


 俺はポケットの中の紙片を握った。


 兄の手帳。


 ここまで辿り着いた証拠。


 兄は確かにこの先へ進んだ。


 なら。


「俺は行く」


 クロウが即座に睨んだ。


「却下だ」


「兄がいるかもしれないんだ」


「だから死にに行くのか?」


「違う」


「違わねえよ」


 火花が散る。


 その時だった。


「ふふっ」


 リズが吹き出した。


「何だよ」


「いや、二人とも本当に仲良いなって」


「どこがだ!」


「どこがだ!」


 また声が重なる。


 リズが腹を抱えて笑い始めた。


「ほら、また」


「笑うな」


「笑うだろこんなの」


「笑うなって」


「夫婦喧嘩みたい」


「違う!」


「違う!」


「息ぴったり」


 仲間たちまで笑い始める。


 重かった空気が少しだけ軽くなった。


 クロウが大きくため息を吐く。


「帰ったら置いていくぞお前ら」


「隊長、それ毎回言ってます」


「今度こそ本気だ」


「嘘ですね」


「お前から捨てる」


 小さな笑いが広がる。


 だが。


 その空気は一瞬で消えた。


 コツ。


 通路の奥から足音が響いた。


 たった一歩。


 それだけで全員の顔色が変わる。


 笑い声が止まった。


 誰も喋らない。


 コツ。


 また一歩。


 ゆっくり。


 確実に。


 近付いてくる。


「……移動するぞ」


 クロウの声も僅かに硬い。


 俺たちは足早に先へ進んだ。



 十分ほど進んだ先で小部屋を発見した。


 崩れた棚。


 朽ちた机。


 腐食した鉄箱。


 その中で。


 俺の視線が止まる。


「……あった」


 机の上。


 古びた紙。


 見覚えのある筆跡。


 兄の文字だった。


 胸が跳ねた。


 駆け寄る。


 震える手で紙を持ち上げた。


『奥へ行くな』


 掠れた文字。


 その下。


『あれは――』


 そこで途切れている。


「くそ……!」


 肝心な部分だけ消えていた。


 だが裏返した瞬間。


 別の文字が見えた。


『もし生きているなら』


『逃げろ』


 思わず息が止まる。


 兄。


 何を見た。


 何に遭った。


 どうしてそんな言葉を残した。


「兄貴か」


 クロウが覗き込む。


「ああ」


「……少なくとも、この時は生きてたな」


 その言葉に胸が熱くなる。


 生きていた。


 少なくともここまでは。


 希望が灯る。


 だが同時に恐怖も増した。


 兄が逃げろと言う相手。


 それはどれほどの存在なのか。


「来る」


 リズが呟いた。


 全員が振り返る。


 暗闇。


 その奥。


 赤い光が二つ。


 浮かんでいた。


 目だ。


 赤い目。


 あの存在。


「走れ!」


 クロウが叫ぶ。


 全員が飛び出した。


 通路を駆ける。


 足音が響く。


 だが後ろから聞こえる足音は異常だった。


 速くない。


 全力で走れば離せるはずだ。


 なのに。


 距離が縮まる気がする。


 コツ。


 コツ。


 コツ。


 一定のリズム。


 死神が歩いてくるようだった。


「なんなんだよあれ!」


「知るか!」


「クロウでも知らないのか!」


「知ってたらここにいねえ!」


 誰かが悲鳴を上げる。


 曲がり角を曲がる。


 階段を飛び降りる。


 だが足音は消えない。


 まるで真後ろにいる。


「まずい!」


 一人の仲間が足を取られた。


 派手に転倒する。


「くっ……!」


 俺は反射的に振り返った。


「立て!」


「無理だ!」


「立てる!」


 肩を貸そうとした瞬間。


 来た。


 圧力。


 身体が凍る。


 肺が動かない。


 視界が揺れる。


 恐怖。


 本能が絶叫していた。


 逃げろ。


 逃げろ。


 逃げろ。


 なのに。


 足が動かない。


 兄を助ける。


 そう決めたのに。


 俺は。


 何もできない。


「っ……!」


 情けなさで歯を食いしばる。


 その瞬間。


 強い衝撃が横から来た。


 俺の身体が吹き飛ぶ。


「え――」


 次の瞬間。


 黒い影が俺のいた場所を通り過ぎた。


 床が砕ける。


 轟音。


 リズだった。


「何してるの!」


 彼女が叫ぶ。


「リズ!」


「死にたいの!?」


「違う!」


「なら動いて!」


 涙目だった。


 怒っている。


 震えている。


 それでも。


 俺を守るために飛び込んできた。


 胸が締め付けられた。


「……悪い」


「後で説教」


「はい」


「三時間」


「長い」


「六時間」


「増えた!?」


 こんな状況なのに。


 少しだけ笑ってしまう。


 リズも口元を緩めた。


 その笑顔で。


 頭が冷えた。


 怖い。


 当たり前だ。


 だけど。


 怖いから止まるのと。


 怖くても進むのは違う。


 兄はもっと恐ろしいものを見たはずだ。


 それでも先へ進んだ。


 なら俺も。


「行こう」


 リズが目を丸くする。


「大丈夫?」


「ああ」


「強がりじゃなく?」


「少しは成長した」


 彼女が微笑んだ。


「それなら合格」



 しかし。


 その直後。


 最悪の事態が起きる。


「行き止まりだ」


 クロウが呟いた。


 全員が凍り付く。


 通路の先。


 崩落。


 完全に塞がれていた。


 逃げ場がない。


 そして。


 背後から足音が止まる。


 静寂。


 誰も動けない。


 赤い目が現れた。


 ゆっくり。


 ゆっくり。


 闇の中から。


 人の形をしている。


 だが人ではない。


 輪郭が揺らいでいる。


 顔が見えない。


 赤い目だけが鮮明だった。


 リズが俺の前へ出る。


「下がって」


「リズ」


「下がって」


 声が震えている。


 それでも前へ出る。


 俺を守るために。


 胸が熱くなった。


 俺は一歩前へ出る。


 逃げない。


 今だけは。


 赤い目が止まった。


 そして。


 初めて口を開いた。


「…………」


 低い声。


 聞き取れない。


 だが次の瞬間。


 はっきり聞こえた。


「やっと」


 全員が息を呑む。


 赤い目は。


 真っ直ぐ俺を見ていた。


「やっと来たな」


 背筋が凍る。


 なぜ俺を知っている。


 なぜ待っていた。


 赤い目は続ける。


「待っていた」


 クロウが武器を構える。


 誰も動けない。


 そして。


 そいつは言った。


「お前の兄も」


 心臓が止まりそうになる。


「同じ顔をしていた」


 兄。


 知っている。


 こいつは兄を知っている。


 俺は震える声で尋ねた。


「兄はどこだ」


 赤い目が僅かに首を傾げた。


 笑ったように見えた。


 そして。


 闇の奥を指差す。


「もうすぐ会える」


 全員が息を呑む。


 だが。


 赤い目はさらに続けた。


「会えればな」


 空気が凍った。


 次の瞬間。


 赤い目の姿が闇へ溶ける。


 消えた。


 完全に。


 残ったのは静寂だけ。


 誰も動けない。


 俺だけが。


 奥の闇を見つめていた。


 兄は生きている。


 だが。


 そこへ辿り着ける保証はどこにもない。


 それでも。


 行くしかなかった。

読んでいただきありがとうございます。

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