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第6話 「生存記録」

俺の名前。


 兄の名前。


 そして無数の交換者たちの名前。


 第零区画の壁は、墓標のようだった。


 いや。


 違う。


 墓標ならまだ救いがある。


 ここに刻まれているのは、終わった人間だけじゃない。


 今も続いている記録だ。


「……兄貴」


 指先で名前をなぞる。


 冷たい。


 石の感触しかない。


 それなのに胸の奥が熱かった。


 ここまで来た。


 ようやく兄の痕跡に辿り着いた。


 死んでいるかもしれない。


 そう思いながら進んできた。


 でも今は違う。


 この名前は、生きている匂いがした。


「大丈夫?」


 隣からリズの声。


 顔を上げると、心配そうな瞳がこちらを見ていた。


「……わからない」


「正直でよろしい」


「無理して強がる余裕もない」


「それもよろしい」


 そう言ってリズが笑う。


 少しだけ肩の力が抜けた。


「でも」


 彼女は俺の袖を掴んだ。


「一人じゃないから」


 たったそれだけ。


 たったそれだけなのに。


 胸の奥の重さが少し軽くなる。


「……ありがとう」


 言うと、リズは少しだけ目を逸らした。


「べ、別に普通だから」


「顔赤いぞ」


「赤くない!」


「いや赤い」


「赤くない!」


「おい」


 後ろから仲間が割り込んできた。


「こんな死ぬほど怖い場所でイチャつくな」


「イチャついてない!」


「息ぴったりだな」


「うるさい!」


 声が綺麗に重なる。


 一拍。


 沈黙。


 そして仲間が吹き出した。


「やっぱ付き合ってるだろ」


「付き合ってない!」


「付き合ってません!」


 再び重なる。


 今度は全員が笑った。


 クロウ以外。


「くだらない」


「お前も少しは笑えよ」


「笑う価値がない」


「お前、人間性を交換してきたのか?」


「お前よりは残っている」


「喧嘩売ってんな?」


 緊張が少し緩む。


 その空気のまま、探索は続いた。


 壁の記録を順番に読む。


 名前。


 日付。


 結果。


 そして末路。


「気付いたか」


 クロウが言う。


「何をだ?」


「失敗者の記録だ」


 指差された先を見る。


 交換成功。


 交換成功。


 交換成功。


 交換失敗。


 交換失敗。


 交換失敗。


 文字が並んでいた。


「失敗した奴が結構いるな」


「違う」


 クロウは首を振る。


「見るべきは場所だ」


 さらに記録を追う。


 俺も気付いた。


「……全員、第零区画に来てる」


「その通りだ」


 クロウの目が細くなる。


「偶然ではない」


「つまり?」


「真実に近づいた者ほど失敗している」


 ぞくりとした。


 まるで。


 知ってはいけない何かがあるみたいだった。


「嫌な話だな」


「だが事実だ」


 クロウは壁を見つめる。


「そして、この先にいるのはその真実を知った者だ」


 兄のことだ。


 俺は拳を握った。


 すると。


「見つけた」


 クロウが足を止めた。


 全員の視線が集まる。


 そこに刻まれていたのは。


 兄の名前だった。


 今まで見たどの記録よりも深く。


 強く。


 まるで壁そのものに焼き付けられているかのように。


 俺は駆け寄った。


 息が苦しい。


 心臓が痛いほど鳴る。


 文字を追う。


 交換実行。


 深層移行。


 被験体登録。


 そして。


 交換失敗。


「……っ」


 頭が真っ白になった。


 失敗。


 その二文字だけが視界に残る。


 失敗。


 失敗。


 失敗。


 嫌な想像ばかり浮かぶ。


 兄が死ぬ光景。


 助けを求める声。


 何もできなかった自分。


「おい」


 誰かが肩を掴んだ。


 リズだった。


「落ち着いて」


「でも……!」


「まだ全部読んでない」


 震える声。


 彼女だって怖いはずだ。


 それでも支えてくれている。


 俺は深呼吸した。


「……読む」


 下を見る。


 さらに下。


 そこにあった文字を見た瞬間。


 今度は別の意味で息が止まった。


 生存確認。


「え……?」


 俺は瞬きを繰り返した。


 読み間違いかと思った。


 違った。


 何度見ても同じだった。


 生存確認。


 生きている。


 兄は生きている。


「兄貴……!」


 膝から力が抜けそうになる。


 嬉しい。


 信じられない。


 泣きそうだった。


 だが。


 クロウがさらに下を指差した。


「日付を見ろ」


 そこに刻まれていた記録日時。


 俺は固まった。


 数年前じゃない。


 数か月前でもない。


 ほんの数日前だった。


「嘘だろ……」


 仲間が呟く。


「最近まで生きてたじゃない」


 リズも目を見開く。


 クロウだけが静かだった。


「違う」


「え?」


「最近まで、じゃない」


 クロウは言う。


「今も生きている可能性が高い」


 誰も言葉を失った。


 俺の頭の中だけが真っ白になる。


 生きてる。


 本当に。


 兄は。


 生きてる。


 その瞬間だった。


 壁が光った。


 淡い白光。


 名前の列が揺らぐ。


「な……?」


 全員が後退した。


 文字が動く。


 あり得ない。


 石に刻まれたはずの文字が。


 生き物みたいに蠢いている。


 ガリ。


 ガリガリ。


 耳障りな音。


 誰かが壁を削っているみたいだった。


 そして。


 一文字ずつ。


 新しい文章が浮かび上がる。


『来るな』


 俺の心臓が跳ねた。


 兄だ。


 兄からの言葉だ。


「兄貴!」


 思わず叫ぶ。


 だが返事はない。


 代わりに。


 文字がさらに増えた。


 ガリガリガリ。


 削る音が大きくなる。


 仲間が顔を青くした。


「おい……これやばくないか」


 誰も答えられない。


 やがて。


 二つ目の文章が完成した。


『もう遅い』


 空気が凍る。


 その瞬間。


 第零区画の奥。


 誰もいないはずの暗闇の向こうから。


 コツ。


 と。


 足音が響いた。


 全員が振り返る。


 もう一度。


 コツ。


 コツ。


 近付いてくる。


 そして壁には。


 三つ目の文字が浮かび始めていた。


『見つかった』


 俺たちは知らなかった。


 その言葉が。


 第零区画最大の悪夢の始まりだったことを。

読んでいただきありがとうございます。

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