第3話 「兄の残した言葉」
「……もう一度、見せてくれ」
俺は机の上の写真を手に取った。
紙は古く、端が擦り切れている。
何度も誰かが見返した痕跡だった。
その写真の隅に立つ男。
俺の兄。
消されたはずの存在。
死んだと信じていた人間。
それが今、目の前にいる。
写真の中でだけ。
「似てるな」
クロウが呟いた。
「兄弟だからな」
「顔じゃない」
「じゃあ何だよ」
「目だ」
クロウは俺を見た。
「絶対に諦めない目をしてる」
「褒めてるのか?」
「半分は」
「残り半分は?」
「面倒臭そう」
「おい」
リズが吹き出した。
「ふふっ……確かに」
「リズまで!?」
久しぶりに笑い声が響く。
監査官との戦いから一日。
疲労は残っている。
けれど。
絶望だけだった昨日とは違った。
兄は存在した。
それだけで前へ進める。
「レイン」
リズが隣に腰掛ける。
「ん?」
「無理してない?」
「してるかもな」
正直に答えた。
驚いたようにリズが目を丸くする。
「今日は正直なんだ」
「隠しても意味ないだろ」
「そうね」
リズは少し笑った。
「でも、一人で抱え込むのは禁止」
「命令か?」
「お願い」
その言葉が妙に胸に残った。
俺は視線を逸らす。
すると。
クロウがニヤニヤしていた。
嫌な予感しかしない。
「なぁ」
「言うな」
「まだ何も言ってないぞ」
「顔に書いてある」
「お似合いだなって」
「黙れ」
「即答だった」
リズの耳まで赤くなる。
「ち、違うから!」
「どこが?」
「全部!」
「全部らしい」
「実況するな!」
そのやり取りを見ていた妹が小さく笑った。
その笑顔を見た瞬間。
少しだけ安心する。
最近まで、あんな顔すら見せなかったから。
だが。
妹の視線が再び写真へ向いた。
そして。
ぴたりと動きが止まる。
「……あ」
「どうした?」
妹の指先が震える。
写真の中央。
顔を削られた人物を指した。
「この人……」
全員が息を呑む。
「知ってるのか?」
「わからない……」
妹は苦しそうに額を押さえた。
「でも……会ったことがある気がする……」
断片的な記憶。
まただ。
最近になって増えている。
消された記憶の欠片。
「無理するな」
俺は肩を支える。
妹は小さく頷いた。
「ごめん……」
「謝るな」
本当に謝るべきなのは俺だ。
兄のことも。
妹のことも。
何も知らなかった。
何も守れなかった。
兄貴。
あんたは何を背負ってたんだ。
何を知っていたんだ。
「重いなぁ」
クロウがわざとらしくため息を吐く。
「空気読め」
リズの拳が飛んだ。
ゴッ。
「痛ぇ!?」
「今のは読めない方が悪い」
「理不尽だろ!」
「理不尽じゃない」
「理不尽だ」
「理不尽じゃない」
「仲良いな」
妹がぽつりと言った。
「付き合ってるの?」
「ぶっ!!」
俺は盛大にむせた。
リズも真っ赤になる。
「ち、違う!」
「そうなの?」
「そうだから!」
「どっち?」
「そこ突っ込むな!」
クロウが腹を抱えて笑う。
「ははは! いや、これは面白い!」
「お前だけだ!」
久しぶりに全員が笑った。
ほんの短い時間だったが。
確かに温かかった。
だが。
その空気は突然壊れる。
「ん?」
クロウが棚の奥を見る。
「どうした」
「何かある」
資料の山を引き抜く。
古い書類が崩れ落ちる。
その中から。
一枚の紙が滑り出た。
ひらり。
床へ落ちる。
クロウが拾う。
そして。
表情が変わった。
「……おい」
「何だよ」
「これ」
紙を受け取る。
見た瞬間。
呼吸が止まった。
文字。
癖のある筆跡。
忘れるはずがない。
子供の頃。
何度も見た字だった。
兄の字だ。
間違えるはずがない。
手が震える。
紙を持つ指に力が入らない。
そこには。
たった一行だけ書かれていた。
『もしお前がここまで来たなら、まだ世界は終わっていない』
静寂。
誰も喋らない。
兄の言葉。
消された人間の言葉。
俺へ向けられた言葉。
涙が込み上げる。
兄は。
最後まで戦っていた。
諦めていなかった。
「……兄貴」
情けない声が漏れる。
リズが隣へ来る。
何も言わない。
ただ。
そっと俺の手を握った。
温かかった。
その温もりが。
崩れそうだった心を支えてくれる。
「行く」
俺は顔を上げた。
「第零区画へ」
クロウが頷く。
「そう言うと思った」
「止めないのか」
「無駄だろ」
「まぁな」
「なら言わない」
リズも前へ出る。
「私も行く」
「危険だぞ」
「知ってる」
「帰れないかもしれない」
「それでも行く」
迷いはなかった。
真っ直ぐだった。
強かった。
「どうしてそこまで」
俺が聞くと。
リズは少し困ったように笑う。
「放っておけないから」
ドクン。
心臓が鳴る。
クロウがニヤニヤしている。
本当に殴りたい。
その時だった。
突然。
部屋中に警報が鳴り響いた。
ビーッ!!
ビーッ!!
ビーッ!!
全員が立ち上がる。
「何だ!?」
クロウが端末を起動する。
画面を見た瞬間。
血の気が引いた。
「ありえない……」
「何がだ」
「送信元だ」
画面を覗く。
そして。
俺も凍り付いた。
送信元。
第零区画。
封鎖区域。
誰も存在しない場所。
そのはずだった。
表示されたメッセージは一行。
『生存者確認』
空気が凍る。
クロウの手が震える。
「馬鹿な……」
第零区画に人間がいる。
そんなことはありえない。
ありえないはずなのに。
さらに。
送信者欄を見た瞬間。
俺たちは言葉を失った。
そこに表示されていた名前。
見間違えるはずがない。
忘れるはずがない。
死んだはずの。
消されたはずの。
俺が追い続けていた名前。
兄だった。
そして次の瞬間。
画面に新しい文字列が表示される。
『レインへ』
俺の背筋を冷たいものが走った。
兄は――
俺が来ることを知っていた。
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