第2話「消された勇者」
「お前は――やはり、あの男の弟か」
監査官の声が響いた。
その瞬間、レインの頭から理性が吹き飛んだ。
「兄さんを知ってるのか!」
床を蹴る。
一気に間合いを詰める。
拳を振り抜く。
だが。
ガンッ!
監査官は片腕で受け止めた。
「遅い」
次の瞬間。
腹部に重い衝撃が突き刺さる。
「ぐっ……!」
レインの身体が吹き飛び、机を巻き込みながら壁へ激突した。
資料が宙を舞う。
「レイン!」
リズが駆け寄る。
「大丈夫!?」
「……平気だ」
強がった。
だが平気ではない。
痛みより悔しさが勝っていた。
まただ。
兄のことになると冷静さを失う。
監査官はゆっくり近付いてくる。
「感情制御不足」
「うるせぇ」
「勇者の血統としては不完全」
レインの瞳が揺れた。
「勇者……」
クロウが低く呟く。
「おいおい。随分と面白い単語が出てきたな」
監査官は答えない。
武器を構える。
殺気が膨れ上がる。
「対象排除を再開する」
「させるか!」
リズが飛び出した。
短剣が閃く。
金属音。
火花。
二人の距離が一気に縮まる。
「レイン! 頭冷やしなさい!」
「でも……!」
「でもじゃない!」
リズは監査官の攻撃を受け流しながら叫んだ。
「兄さんを探したいんでしょ!?」
その言葉でレインの身体が止まる。
「ここで死んだら終わりよ!」
監査官の刃が迫る。
リズが横へ跳ぶ。
石床が砕けた。
「だから考えなさい!」
「……っ」
「いつものあんたなら出来るでしょ!」
レインは歯を食いしばった。
悔しい。
だが正しい。
感情で突っ込んでも何も得られない。
兄の情報を手に入れるためにも。
勝たなければならない。
「クロウ」
「ようやく冷静になったか」
「何か見えたか?」
クロウは笑った。
「二つ」
「何だ」
「一つ目。あいつは強い」
「知ってる」
「二つ目。融通が利かない」
「……は?」
「行動が全部最適解だ」
クロウは指を鳴らした。
「つまり最適解じゃない事態に弱い」
レインの目が細くなる。
なるほど。
だからさっき棚に埋まった。
想定外への対応が遅い。
「お前、頭いいな」
「今さら?」
「腹立つ」
「褒め言葉として受け取ろう」
リズが叫んだ。
「二人とも! 後にして!」
「はいはい」
クロウが肩を竦める。
「夫婦喧嘩は帰ってからな」
「違う!」
「違う!」
二人の声が綺麗に重なった。
監査官ですら一瞬動きを止める。
クロウが吹き出した。
「ほらな」
「あとで覚えてろ」
リズが睨む。
だが少しだけ頬が赤かった。
レインは見なかったことにした。
今はそれどころじゃない。
「行くぞ」
監査官が踏み込む。
同時にレインも走った。
真正面からではない。
横へ。
さらに横へ。
監査官の視線を揺さぶる。
「無意味」
武器が振られる。
だが。
その瞬間。
「交換」
能力が発動した。
監査官の足元に転がっていた瓦礫。
レインの位置。
入れ替わる。
監査官の身体が僅かに傾いた。
「今!」
リズが飛び込む。
短剣。
クロウが棚を倒す。
視界が遮られる。
監査官が一瞬判断に迷った。
その隙。
レインが背後へ回る。
「交換!」
今度は武器と瓦礫。
監査官の手から武器が消えた。
「なっ……」
初めて驚きの声が漏れる。
「捕まえた!」
レインが胸倉を掴む。
壁へ叩きつけた。
「兄さんはどこだ」
監査官は沈黙する。
「答えろ」
反応はない。
「答えろ!」
拳を振り上げる。
だが止まる。
殴れば終わりだ。
情報が消える。
レインは深呼吸した。
監査官を睨む。
「兄さんは何者だった」
数秒。
監査官が口を開いた。
「勇者」
部屋の空気が変わる。
「世界を救うはずだった存在」
「はずだった?」
クロウが聞く。
「記録上はそうだ」
「記録上?」
「だが結果は異なる」
監査官は淡々と言った。
「最も危険な勇者となった」
レインの拳が震える。
「嘘だ」
「事実」
「兄さんはそんな人じゃない」
「お前は知らない」
その一言が胸に刺さった。
知らない。
本当にそうだった。
顔も。
名前も。
思い出も。
何も覚えていない。
「……だったら教えろ」
レインは俯いた。
「兄さんに何があった」
監査官は沈黙した。
そして。
「彼は最後まで世界を憎まなかった」
静かな声。
「それだけは記録されている」
レインの心臓が大きく脈打つ。
理由は分からない。
でも。
その言葉だけは本当だと思った。
次の瞬間だった。
監査官の身体が光り始める。
「まずい!」
クロウが叫んだ。
「離れろ!」
レインは反射的にリズを引き寄せた。
爆音。
閃光。
衝撃。
部屋全体が揺れる。
煙が晴れた時。
監査官の姿は消えていた。
「逃げたか……」
クロウが舌打ちする。
その時。
レインの足元に何かが落ちていることに気付いた。
一枚の写真。
古びた写真だった。
恐る恐る拾い上げる。
そこに写っていたのは。
一人の青年。
優しい笑顔。
どこか自分に似ている顔立ち。
胸が締め付けられる。
「兄さん……」
自然と口から零れた。
間違いない。
この人だ。
夢の中の背中。
ずっと探していた人。
そして。
写真にはもう一人写っていた。
幼い少年。
肩車されて笑っている。
「これ……」
リズが息を呑む。
「レイン?」
「ああ」
間違いない。
幼い自分だった。
だが。
三人の視線は写真の中央へ向かった。
そこだけが不自然に切り取られていた。
誰かがいる。
兄とレインの間に。
だが消されている。
「誰だ……」
その時だった。
入口から足音が聞こえた。
妹だった。
写真を見る。
瞳が揺れる。
涙が一筋流れた。
「やっと……」
レインが振り返る。
「何か思い出したのか!?」
妹は震えながら写真を指差した。
「この人……」
兄を。
「探さなきゃ」
「何でだ」
「分からない……」
苦しそうに頭を押さえる。
「でも」
涙が零れ落ちる。
「この人が全部知ってる」
沈黙。
レインは写真を握り締めた。
世界から消された勇者。
自分の兄。
その存在は確かにあった。
そして今。
初めて真実へ繋がる手掛かりを掴んだ。
写真を裏返す。
すると一枚の紙が滑り落ちた。
そこには文字が記されていた。
『勇者記録保管庫 第零区画』
さらにその下。
見覚えのない筆跡。
だがなぜか分かる。
兄の字だ。
『真実はここにある』
レインは静かに顔を上げた。
「行こう」
リズが頷く。
「うん」
クロウが笑う。
「面白くなってきたな」
誰も知らない真実。
消された勇者の記録。
そして兄の足跡。
その全てが眠る場所へ。
彼らは踏み出そうとしていた。
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