第11話 「忘れられた約束」
空が震えていた。
灰色の雲の向こう。
巨大な影。
その存在を認識した瞬間から。
世界そのものが軋んでいる。
怪物が後退る。
初めてだった。
あの怪物が。
恐怖している。
記録者は空を見上げる。
無表情。
だが。
その瞳だけが揺れていた。
「まだ来るには早い」
小さく呟く。
レインは聞き逃さなかった。
「知ってるのか」
記録者は答えない。
代わりに。
怪物の胸部が完全に開く。
鎖。
無数の手。
そして。
奥にいる人影。
今まで見えなかった顔が。
少しだけ見える。
レインの心臓が跳ねた。
知らない。
知らないはずなのに。
なぜか涙が出そうになる。
その瞬間。
頭の奥が弾けた。
白い世界。
今までで最も鮮明な記憶。
夕暮れ。
赤い空。
幼い自分。
誰かと並んで歩いている。
男か女かも分からない。
顔だけが見えない。
だが。
声は聞こえた。
『約束だ』
幼いレインが笑う。
『忘れない』
『絶対に』
その言葉で。
記憶は終わった。
レインは膝をつく。
呼吸が荒い。
忘れない。
そう言った。
なのに。
自分は忘れている。
何を。
誰を。
なぜ。
その時だった。
記録者が笑った。
初めてだった。
感情のある笑み。
「思い出したか」
「少しだけだ」
レインが睨む。
記録者は首を振る。
「違う」
「お前はまだ思い出していない」
その声は静かだった。
だが。
どこか哀れむようだった。
「お前も忘れた側だからだ」
レインの背筋が凍る。
意味が分からない。
だが。
なぜか否定できない。
その瞬間。
怪物が咆哮した。
今までで最大。
地面が裂ける。
空間が歪む。
胸部から伸びる無数の腕。
全員を飲み込もうとする。
リズが叫ぶ。
「来るぞ!」
クロウが前へ出る。
妹を庇う。
しかし。
レインは動かなかった。
見ていた。
胸部の奥。
鎖の人影を。
そして理解する。
あれが本体だ。
あれを解放しなければ終わらない。
初めて。
勝利条件が見えた。
「交換」
能力発動。
対象。
怪物の胸部を縛る鎖。
代価。
記憶の断片。
世界が軋む。
レインの脳から。
何かが消える。
何を失ったのか。
もう分からない。
だが。
鎖が一本砕けた。
轟音。
怪物が悲鳴を上げる。
今までで初めて。
苦しんだ。
記録者の目が見開かれる。
「やめろ」
初めてだった。
記録者が感情を露わにした。
「やめろ!」
怪物が暴れる。
空間が崩壊する。
しかし。
レインは止まらない。
「お前が守りたいものは何だ」
記録者は答えない。
「忘れられたくないんだろ」
沈黙。
「だったら閉じ込めるな」
怪物が震える。
「覚えていてほしいなら」
一歩前へ。
「生きてなきゃ意味がないだろ」
記録者の顔が歪む。
怒り。
悲しみ。
絶望。
その全てが混ざる。
だが。
理解はしない。
受け入れない。
二十年。
壊れ続けた存在は。
もう戻れない。
だから怖い。
だから敵だった。
その時。
空が裂けた。
巨大な影が。
一歩。
踏み出した。
誰も動けない。
怪物ですら震える。
記録者ですら見上げる。
そして。
妹だけが。
その姿を見てしまう。
顔色が消える。
「そんな……」
それだけだった。
名前は言わない。
まだ。
言ってはいけない。
だが。
レインは見た。
巨大な影の胸元。
そこに刻まれた紋章。
見覚えがあった。
いや。
記憶が知っていた。
忘れたはずなのに。
知っている。
その瞬間。
再び記憶が流れ込む。
『絶対に迎えに行く』
誰かの声。
そして。
初めて。
その人物の輪郭だけが見えた。
レインより少し年上。
誰か。
だが。
顔はまだ見えない。
もう少し。
あと少しで届く。
その時。
鎖がもう一本砕けた。
怪物が絶叫する。
記録者が叫ぶ。
「駄目だ!」
「それを解放するな!」
レインの瞳が細くなる。
初めてだった。
記録者が本気で恐れている。
なら。
あそこに答えがある。
第二章最後の扉が。
ついに開こうとしていた。
(第12話へ)
読んでいただきありがとうございます。
感想・評価励みになります。




