第8話 「思い出せない名前」
怪物の胸部が開く。
闇の奥。
鎖に繋がれた人影。
クロウの顔色が消えていた。
「処分したはずだ」
その言葉だけが残る。
だが。
レインは首を振った。
「今は違う」
今知るべきことではない。
今やるべきことがある。
怪物を止めること。
そして。
全員で生き残ること。
怪物が動く。
無数の腕。
今までより速い。
今までより重い。
記録者も黙って見ている。
まるで試しているようだった。
その時。
妹が空を見上げる。
「お兄ちゃん!」
レインが振り向く。
「上!」
次の瞬間。
腕の一部が消える。
いや。
違う。
見えなくなっていた。
空間に溶けている。
レインの背筋が冷える。
もし妹が気付かなければ。
確実に死んでいた。
「助かった」
妹は少し笑う。
だが。
レインは笑えなかった。
その顔。
その声。
聞いているはずなのに。
昔の記憶が繋がらない。
胸が痛む。
(何を忘れた)
思い出したい。
だが。
思い出せない。
その瞬間。
頭の奥で何かが弾ける。
白い景色。
幼い自分。
誰かの手。
笑い声。
だが。
顔だけが見えない。
名前だけが思い出せない。
「っ!」
レインが頭を押さえる。
妹が駆け寄る。
「大丈夫!?」
レインは息を整える。
今のは何だ。
記憶。
失われたはずの。
記録者が静かに呟く。
「戻り始めたか」
全員が振り向く。
レインの目が細くなる。
「知ってるのか」
記録者は答えない。
ただ。
初めて少しだけ悲しそうな顔をした。
怪物が再び咆哮する。
巨大な腕が振り下ろされる。
その瞬間。
レインは笑った。
「交換」
成立。
対象。
巨大な腕。
灰色世界に散らばる崩壊した腕。
次の瞬間。
位置が入れ替わる。
腕同士が衝突。
連鎖。
自壊。
轟音。
怪物の身体そのものが崩れ始める。
クロウが目を見開く。
「そう使うか……!」
今までの交換ではない。
敵の攻撃。
敵自身。
敵の破壊。
全部利用する。
レインだけの戦い方。
読者にも分かりやすい。
圧倒的な反撃だった。
リズが笑う。
「最高だな」
レインも笑う。
久しぶりだった。
守られるだけじゃない。
全員で戦えている。
その時。
怪物の胸部。
鎖の奥。
人影が顔を上げた。
しかし。
誰もまだ見えない。
ただ。
一言だけ。
聞こえた。
「……また」
空気が凍る。
レインの背筋が震える。
知らない。
知らないはずなのに。
その声を知っている。
頭が痛む。
再び。
白い景色。
幼い日。
誰かの手。
そして。
「レ――」
そこで切れる。
思い出せない。
名前が。
あと少しなのに。
その瞬間だった。
怪物の背後。
遥か遠く。
灰色の空。
巨大な影が一瞬だけ現れる。
人の形。
だが。
怪物より大きい。
山より大きい。
そして。
すぐ消えた。
誰も気付かない。
妹だけを除いて。
妹の顔色が変わる。
「……うそ」
レインが振り向く。
「どうした」
妹は震えていた。
今までで初めて。
恐怖していた。
「見ちゃった」
「何を」
妹は答えない。
ただ。
空を見ている。
その瞳に映るものを。
誰もまだ知らない。
そして。
記録者だけが。
静かに目を閉じた。
まるで。
その存在を知っているように。
第二章最大の脅威が。
まだ誰にも知られないまま。
近付いていた。
(第9話へ)
読んでいただきありがとうございます。
感想・評価励みになります。




