第6話 「忘れた声」
巨大な腕が崩れ落ちる。
灰色の砂が舞う。
レインは膝をついたまま呼吸を整えていた。
頭が痛い。
酷く。
嫌な予感がしていた。
その時。
妹が駆け寄る。
「お兄ちゃん!」
レインは顔を上げる。
妹が何かを言っている。
必死に。
何度も。
しかし。
聞こえている。
聞こえているはずなのに。
違和感があった。
レインは眉をひそめる。
(なんだ……?)
妹の口が動く。
言葉も聞こえる。
だが。
そこに記憶が繋がらない。
まるで初めて聞く声だった。
妹が立ち止まる。
「……どうしたの?」
レインは答えられない。
思い出せない。
この声を。
この声で呼ばれていた日々を。
何一つ。
妹の表情が曇る。
「お兄ちゃん?」
その顔を見て。
レインは理解した。
代償は成立している。
本当に失ったのだ。
記録者は静かに眺めていた。
「悲しいか」
レインは立ち上がる。
「悲しいさ」
「でも後悔はしてない」
記録者は少しだけ首を傾げた。
理解できない生き物を見るように。
「なぜ」
「失う」
「苦しむ」
「忘れる」
「それなのに守る」
レインは即答する。
「守りたいからだ」
記録者は黙る。
そして。
少しだけ笑った。
「人間らしい」
その声には嘲笑がなかった。
突然。
リズが叫ぶ。
「離れろ!」
全員が振り向く。
怪物の胸部。
そこにいた少年が苦しみ始めていた。
身体が崩れていく。
砂のように。
リズが飛び出す。
「待って!」
少年が顔を上げる。
ぼやけた瞳。
そして。
初めてリズを見る。
「……リズ」
少女の呼吸が止まる。
三年ぶり。
ずっと会いたかった仲間。
だが。
少年は笑った。
悲しそうに。
「逃げろ」
リズの表情が凍る。
「え?」
「ここにいるな」
「俺たちはもう――」
言葉が途切れる。
身体が崩れる。
そして。
消えた。
完全に。
リズは動かなかった。
何秒も。
何十秒も。
ただ立ち尽くす。
記録者が呟く。
「残念だったな」
リズは振り向かない。
「彼は生きていない」
「記録だ」
「残骸だ」
「君の欲しかった過去だ」
空気が変わる。
レインは気付く。
まずい。
リズが怒っている。
今まで見たことがないほど。
静かに。
深く。
怒っている。
「お前」
リズが呟く。
「何人閉じ込めた」
記録者は答える。
「数えていない」
「全員を覚えているから」
リズの拳が震える。
記録者は続ける。
「忘れられる方が可哀想だ」
「だから残した」
「だから保存した」
「だから集めた」
狂気だった。
本人だけが気付いていない。
リズが前へ出る。
「違う」
「それは残してるんじゃない」
さらに一歩。
「縛ってるんだ」
記録者の表情が初めて曇る。
その時だった。
クロウが低く呟く。
「思い出した」
全員が振り向く。
クロウは記録者を見ていた。
「お前……人間だったな」
沈黙。
記録者が止まる。
初めて。
完全に。
動きを止めた。
クロウは続ける。
「処分記録にいた」
「名前は――」
記録者が叫ぶ。
「言うな!」
世界が揺れた。
初めて感情を露わにした。
怒り。
恐怖。
拒絶。
レインは目を細める。
(名前を隠している)
記録者ではない。
本当の名前がある。
その瞬間。
妹が空を見る。
「来る!」
巨大な腕。
再生。
再構築。
怪物が立ち上がる。
しかし。
レインは怪物を見ていなかった。
記録者を見ていた。
怒っている。
焦っている。
怯えている。
つまり。
弱点がある。
レインは静かに笑う。
「見つけた」
記録者が睨む。
レインは言う。
「お前も失ってるんだな」
記録者の表情が歪む。
そして。
初めて本気の殺意を見せた。
「黙れ」
世界が震える。
怪物が咆哮する。
だが。
レインは一歩も引かない。
妹の声は思い出せない。
もう戻らないかもしれない。
それでも。
失ったから分かる。
失う痛みを。
だから。
絶対に見過ごせない。
記録者も。
リズも。
クロウも。
救えなかった誰かも。
レインは拳を握る。
第二章の戦いは。
怪物との戦いではない。
失った者たちとの戦いだった。
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