第5話 「失いたくないもの」
無数の腕が空を埋める。
巨大な怪物。
そして。
記録者。
リズの前には。
死んだはずの仲間。
三年間。
罪悪感だけを抱えて生きてきた少女の前に。
突然現れた過去。
だが。
レインは違和感を覚えていた。
少年は立っている。
しかし。
何も言わない。
表情も薄い。
目に光がない。
まるで。
「記録」だけが残った存在。
記録者が笑う。
「返したわけじゃない」
「見せただけ」
リズが叫ぶ。
「黙れ!」
飛び出そうとする。
だが。
レインが腕を掴んだ。
「待て」
リズが睨む。
「離して!」
「今行かなきゃ!」
その顔は必死だった。
三年間。
抱え続けた後悔。
だが。
レインは首を振る。
「今行ったら死ぬ」
「……っ!」
リズが言葉を失う。
その時だった。
記録者が楽しそうに言う。
「面白い」
「君は変わらない」
「いつも選べない」
空気が凍る。
リズの拳が震える。
図星だった。
そして。
レインは理解する。
こいつは知っている。
リズの過去を。
記録者は続ける。
「だから全員失った」
「今回も同じ」
「誰も救えない」
レインの中で何かが軋む。
妹。
浮かぶ。
白い世界。
失われた記憶。
名前しか残らなかった日。
守れなかったら。
また失う。
その瞬間。
記録者がこちらを見る。
「君も同じだ」
「交換者」
「失うことでしか進めない」
「可哀想だ」
初めてだった。
記録者が感情を見せた。
嘲笑ではない。
本当に憐れんでいた。
レインは問う。
「お前は何なんだ」
記録者は少し黙った。
そして。
初めて空を見上げた。
「私は集める」
「失われたものを」
「忘れられたものを」
「捨てられたものを」
その声は静かだった。
「誰も覚えていないなら」
「存在しなかったのと同じだから」
レインは眉をひそめる。
記録者は続ける。
「だから私は残す」
「全部」
そこには狂気があった。
しかし。
歪んだ善意もあった。
クロウが低く呟く。
「……だから記録者か」
記録者は笑った。
「そう」
「君も覚えている」
その瞬間。
クロウの顔色が変わる。
記録者が言う。
「処分した子供たちを」
沈黙。
クロウが拳を握る。
何も言い返せない。
事実だから。
レインは見ていた。
全員傷を抱えている。
リズも。
クロウも。
自分も。
だからこそ。
記録者の言葉は危険だった。
傷を肯定してくる。
諦めを肯定してくる。
その時。
巨大な腕が振り下ろされる。
回避不能。
逃げ切れない。
妹が叫ぶ。
「お兄ちゃん!」
レインは前に出た。
交換。
成立する。
対象。
巨大な腕。
代価。
妹の声に関する記憶。
世界が悲鳴を上げる。
レインの脳が焼ける。
思い出が消える。
妹がどんな声だったか。
どんな風に呼んでいたか。
全部。
消える。
だが交換は成立する。
巨大な腕。
その重量。
数百メートル先の岩山。
両者を交換。
轟音。
怪物自身の腕が崩壊する。
世界が揺れる。
リズが息を呑む。
クロウも絶句する。
記録者だけが静かだった。
「そこまで失うか」
レインは膝をつく。
耳が鳴る。
苦しい。
だが。
笑う。
「決まってる」
ゆっくり立ち上がる。
そして。
妹を見る。
名前しか分からない。
思い出も。
声も。
ほとんど残っていない。
それでも。
「失いたくないからだ」
妹の目が見開かれる。
記録者は沈黙した。
初めてだった。
言葉を失ったのは。
その瞬間。
巨大な怪物の胸部。
閉じ込められていた少年が。
ゆっくりと目を開く。
だが。
誰もまだ気付かない。
第二の真実が。
静かに動き始めていた。
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