〈9-8〉背負う覚悟
「………………私は……進む」
小さな声だった。
けれど、青年の耳には確かに届いていた。
「そうか…」
「………………このままなら、誰も傷つかないのかもしれない」
リゼットは崩壊した街へと視線を向ける。
昨日まで聞こえていた人々の声はどこにもない。
「………………死ぬ人も、失う人もいない。ずっと同じ一日ならきっと、平和なままでいられる」
「なら何故だ」
青年はリゼットに問いかける。
「何故、お前は進む」
「………………」
リゼットは、ただ静かに自分の胸へと手を当てる。
そして、これまで自分達が歩いてきた街を思い出す。
崩壊したアストルフォも、焼け落ちたマルクシオも。
もう二度と戻ることのない人々。
死んでしまった人々の姿はもう戻らない。
壊れてしまった街も、簡単に直るものじゃない。
それでも、彼らは最後に自分達へ夢を託した。
想いは、夢は、消えていなかった。
「…………無くならなかったから」
「?」
「…………街が壊れても、人がいなくなっても、全部が無くなるわけじゃなかった」
リゼットの言葉を、青年はただ黙って聞いていた。
「…………だから」
リゼットは青年を見る。
その青い瞳に、もう迷いはなかった。
「…………それでも、私は進み続ける。この街が無くなってしまったとしても、きっと、この街にあった夢は消えないから」
「……………………」
青年は何も答えなかった。
ただ静かにリゼットを見つめている。
やがて顔を俯せ
「…………そうか」
と、その言葉と同時に青年は目を閉じた。
次の瞬間、崩壊したシャルルマーニュが、白く染まり始める。
全てが白へと溶けていき、そして再び二人は何も存在しない、あの白い世界に立っていた。
「なら、この魔法を解けばいい」
「…………うん」
リゼットが右手を上げる。
しかし
「だが」
その声にリゼットの手が止まった。
青年が立ち上がる。
「俺は、この街を守るために全てを捨てた」
「………………」
「時間を作った。時間を止めた。何度も戻した。それでも、それでも運命を変えることはできなかった……」
「………………だから…」
「あぁ、永遠にした」
「……………………」
「俺が死んでも、この街だけは生き続けられるように」
青年はリゼットを見つめる。
その顔には怒りなどない。
ただ長い、長い時間。
この街だけを守り続けてきた者の瞳があった。
「そんな俺が」
青年の身体から、ゆっくりと魔力が溢れ始める。
「たった一度会っただけのお前の言葉で全てを終わらせると思うか?」
「………………」
リゼットは青年を見つめる。
敵意でも、殺意でもない。
だからこそ、彼が何を求めているのか理解した。
「…………証明すればいい?」
青年の口元が僅かに上がった。
「話が早いな」
次の瞬間、リゼットの周囲に土魔法が現れる。
「…………っ!」
リゼットは至近距離で襲いかかる土魔法を辛うじて避ける。
突然現れた土魔法。それは青年の時間停止の魔法によるものだ。
「名乗っておこう。俺の名はホラ」
そう名乗ると、ホラは言葉を続ける。
「証明しろ。お前がこの街の想いを背負えるのか。そして、それを成し遂げる強さがあるのか」
「……………………わかった」
ここは心象世界。
この場所にいるのはリゼットとホラの二人だけ。
他から干渉されることも無く、そして彼はこの世界から出ることは出来ない。
つまり、リゼットにとっても都合が良かった。
「……………………少しだけ、本気で行く」
誰にも見られない。
本気で戦っても、自分を恐れる人はいない。
「………………傀儡魔法」
リゼットは人形を展開する。
その数は三十体。
今までの戦いとは違う、時間魔法という厄介な魔法に対抗するためにはこれまでよりも更に本気を出す必要があった。
それは、展開した人形が物語る。
「……………………」
リゼットはただ静かに人形を動かし、魔法を繰り出す。
しかし、その度に時間を止められる。
魔法を出しては止められ、出しては止められの繰り返し。
だがリゼットはタイミングを見極める。
時計塔の中を歩いた時と同じ、時間が止まるタイミングを。
しかし、ホラもただ時間を止めてるだけではない。
「………………っ!」
再び目の前に現れる土魔法。
しかしそれも人形の防御魔法で防ぐ。
上から、下から、左右から、様々な方向から魔法を撃つ。
そして時間が止まるタイミングを、ホラの攻撃するタイミングを、全て計算する。
そしてリゼットは彼の魔法の法則に気が付く。
時間が動き出してから、次に停止するまでの間隔。
その全てが同じだった。
「…………………クールタイムは、五秒」
四回目の時間停止にて、リゼットはホラの時間魔法の弱点を解析。
「もうそこに気が付いたのか……」
ホラは異常なまでの解析速度に目を見開く。
そして
「………………じゃあ、証明するね」
リゼットは静かに指を動かし、人形を配置する。
「時間魔法!!」
ホラはリゼットが魔法を撃つ前に時を止めようとする。
しかし、クールタイムの五秒が過ぎていることは既にリゼットも知っていた。
「………………演算反転」
世界を停止させようとしていた魔力が、逆方向へと流れ始める。
「なっ……!?」
ホラが初めて大きく目を見開いた。
「俺の時間魔法を、逆算したのか?」
「………………うん。四回、見たから」
リゼットは魔法を逆算し、時間が止まるのを防ぐ。
「………………傀儡魔法・時ノ停止」
次はリゼットが心象世界の時間を止めた。
それだけでは無い。
複数の人形をホラの目の前に集め、そして光魔法を集約させる。
「……………………解除」
瞬間、ホラの目の前から光魔法が放たれる。
「時間魔法!!」
ホラが再び時間を止めようとした。
「……………………無駄」
人形の放つ光線は時間が止まるよりも早く、ホラの体を包み込んだ。
「これは…」
まるであの時と同じ光。
シャルルマーニュの街を滅ぼした、神々しくも残酷な光の魔法。
それを目前にしたホラの脳裏に、この街の最後の記憶が流れる。
守りたかった。
ただ、この街の平和を守りたかった。
けれどそれは、一時の幸福でしかない。
「そうか、そうだったのか……」
光の中に包み込まれたホラは静かに瞳を閉じる。
最後まで戦った。
自分だけではない。街の人々も、最後まで抗った。
その結果の運命だ。
「…………そうか」
ホラはようやく理解したように笑った。
「俺はずっと……終わった時間を、終わらせないようにしていたのか」
光がホラの身体を包んでいく。
「俺達はもう、死んでいるんだったな……」
微かに移るリゼットの姿。
それが今は何故か、この街を滅ぼしたヴェルテクスの姿と重なって見える。
けれど、少しも嫌な気持ちにはならなかった。
この少女が思いを受け継いでくれるなら、きっと……
「これもまた、運命だな……」
ホラはそのまま倒れ込んだ。
「…………………………」
その姿を、リゼットが静かに見つめる。
「………………証明、した」
「あぁ、完敗だ。お前ならこの街の運命を背負って生きていけるはずだ」
しかし、リゼットはただ後ろを振り返った。
本当に自分に運命を背負う覚悟があるのだろうか。
この街の人々の想いを受け継ぐことができるのだろうか。
未だ自分とすら向き合えていないのに、何故それができる?
「………………………………」
リゼットはただ考えた。
前に進もうとするのは簡単だ。けれど、前に進むことは簡単に出来ることでは無い。
そんな時、リゼットの脳裏に声が響く。
「リゼットーーー!!!!行くよー!!」
「り、リゼット……。僕もいるからね」
「大丈夫よ、リゼット」
「シャキッとしろやリゼット」
「リゼットさん。私も隣にいますよ」
それは、誰よりも大切な友達の声。
自分を受け入れてくれた、大切な人たちの声。
「……………………大丈夫」
例え今ここにはリゼット一人しかいなくても、全てを一人で背負う必要は無い。
そして、やがてきっと自分の正体を明かしたとしても、皆ならきっと…………。
「……………………受け入れる。この街の想いも、君の想いも、全部」
そう言うとリゼットは、ただ静かにその手を前に出す。
「……………………演算反転」
永遠に繰り返される街はこの時、永遠を失った。




