〈11-5〉束の間の休息
翌朝。
柔らかい朝日が窓から差し込み、ホテルの食堂を穏やかに照らす。
リゼット達は一つの食卓を囲み、それぞれ朝食を取っていた。
テーブルに並ぶのは、焼きたてのパンと温かな料理の数々。
リゼットはその中から一つのパンを手に取り、小さく口を開けて一口かじる。
ふんわりとした生地からは、ほのかに香ばしい匂いが漂い、割れ目からは白い湯気がゆっくりと立ち昇っていた。
「ついに今日、出会えるのね」
パンを飲み込んだスピカが、ふと思い出したように呟いた。
その言葉が指している人物は、言うまでもない。
冥淵の魔術師アビスのことだ。
「うん。いつになるかは分からないけど、まぁ気楽に待とうよ」
向かいに座るエメリアは、いつもと変わらない調子で答える。
「アビスかぁ……。うぅぅううん、やっぱりなんか知ってる気がするんだけど、ぜんっぜん思い出せないんだよね。なんなんだろうね」
そんな中、シキが腕を組み、難しそうに首を傾げた。
「昨日もそれ言ってただろ。ただ名前を聞いたことがあるってだけだよ。深く考えんな」
隣に座るアルケーが呆れたように言葉を返す。
しかし、シキはどうにも納得がいかない様子だった。
昨夜から何度も記憶を辿っているものの、アビスという名前をどこで耳にしたのか、どうしても思い出せない。
確かに聞き覚えがある。
それなのに、思い出そうとすればするほど、その記憶がどんどん遠ざかっていく気がしていた。
「うーーん……」
「いつまでも考えてねぇで、とっとと飯食っちまえよ。お前らしくねぇぞ」
アルケーはそう言って、再び朝食へと手を伸ばした。
「シキのことは置いておくとして、エメリア。アビスってのは一体どんな人なの?」
スピカが話題を切り替えるように口を開いた。
「肩書きだけ見れば、物凄い魔術師だってことは分かるわ。でも、どんな性格なのかまでは知らないのよね」
アーカーシャ教団の創設者にして、魔道具開発の第一人者。
さらには、セフィラの魔術師。
これほどの肩書きを持つ人物ならば、さぞ厳格で威厳に満ちた女性なのだろう。
スピカはそんな姿を思い浮かべていた。
しかし、エメリアから返ってきた答えは、その想像を裏切るものだった。
「自由奔放な放浪ババアだよ」
「…………え?」
あまりにも遠慮のない言い方に、スピカが思わず目を瞬かせる。
「いつもどっかに行って、それっきり帰ってこないと思ったら急に現れる。簡単に言えば、神出鬼没な女さ」
エメリアは肩を竦め、小さく溜息を吐いた。
「性格もシキみたいな感じだね。一言で言えば、かなりめんどくさい」
「えぇええええ!?!?なんかうちがめんどくさいって言われてる気分なんだけど!!!」
その言葉に真っ先に反応したのは、当然ながらシキだった。
勢いよく身を乗り出して不満を露わにする。
しかし、そんな彼女に対してスピカは至って冷静に言葉を返す。
「あなたは常にめんどくさいわよ。少しは自覚を持ちなさい」
「ちょっとスピカ!!酷くない!?!?」
食堂にシキの声が響き渡る。
そんな賑やかなやり取りを眺めながら、エメリアは苦笑を浮かべた。
「まぁ、アビスが来るまで時間は充分にあるだろうし、今日はゆっくりしてよっか」
「……………………ゆっくり?」
その言葉に、リゼットが復唱する。
「うん。オルド大国でも色々あったしね。たまには休息も必要でしょ?」
アビスが到着するのは今日。しかし、具体的な時間までは決まっていない。
いつ訪れるかも分からない人物を、ただ待ち続ける必要はないだろうと考えたエメリアは、この日を休息に充てることにしたのだ。
「やったぁぁぁあああ!!!」
その瞬間、シキが椅子から勢いよく立ち上がった。
「じゃあうち行ってくるね!!!」
と、シキは残ったパンを口に咥えたまま外へと飛び出して行った。
「は!?おい、ちょっと待て!!」
アルケーが呼び止めようとした時には既に遅かった。
風のような速さで出ていくシキを止めるのは至難の業だ。
「速すぎだろあいつ」
伸ばしかけた手を下ろし、アルケーは呆れたように頭を抱える。
「はは……相変わらず元気な子だな」
その様子を見ていたリベリオが、思わず笑みを零す。
「………………うん」
リゼットもまた、シキが駆けていった扉へと視線を向ける。
「………………でも、それがシキのいいところ」
ぽつりと零れた言葉に、リベリオは小さく頷いた。
「そうだな」
「ま、まぁ、今日くらいは許してあげようよ」
そんな二人の会話に、ヴェーターが控えめに口を挟む。
「せっかくの休憩なんだし、みんな好きなことをして過ごそうよ」
「そうですね。ヴェーターさんの言う通り、少しくらい羽目を外してもいい日なのかもしれません」
ラミアも穏やかな笑みを浮かべて同意した。
「そうね。それじゃあ、今日は各自自由行動ってことにしましょう」
スピカはそう言って席を立った。
「シキのところには後で私が行くわ。放っておいたら何をするか分からないもの」
「確かに。頼んだぜ」
アルケーが苦笑する。
「ええ。さて、みんな今日を満喫しましょ」
その言葉を最後に、八人はそれぞれ思い思いの時間を過ごすことになった。
アストルフォを旅立ってからというもの、リゼット達は幾つもの街を訪れ、数え切れないほどの出来事を経験してきた。
一つの出来事が終われば、また次の出来事が待ち受けている。
そんな旅を、ずっと続けてきた。
思い返せば、こうして何の予定にも縛られずに過ごせるのは、メドーロ以来かもしれない。
「………………休息」
リゼットは、その言葉を小さく繰り返した。
何をするべきで、どこへ向かうべきか。
今だけはそんなことを考える必要がない。
ただ自分の好きなように時間を使っていい。
それは今の彼女にとって、どこか新鮮なことのように思えた。
窓の外へと目を向ける。
朝日に照らされた街並みの向こうには、雲一つない青空が広がっていた。
「…………何、しようかな」
リゼットはふと呟いた。
久しぶりに訪れた、何気ない一日。
リゼットはその時間に、密かな胸の高鳴りを覚えていた。
─────────────────────
「………………やっぱり、ここが落ち着く」
リゼットがやってきたのはやはりドールショップだ。
人形が好きな彼女は、街の探索となると必ずと言っていい程ドールショップへと足を踏み入れる。
「…………あっ」
ふと、自分の身体が鏡に映る。
自分もここに並ぶ商品と同じ人形。
けれど、今の自分はそれを受け入れることができる。
みんなが、それを受け入れてくれたから。
リゼットは鏡に映った自分にそっと笑みを浮かべると同時に、そっと胸に手を当てる。
あの時話して良かったと、受け入れて貰えてよかったと。
そして、自分は呪われてなんかいない、むしろ恵まれた存在なんだと、改めて感じた。
「………………かわいい子、いるかな」
そう言いながらリゼットは視線を変え、人形のいる方へと向かっていった。
こうしてゆっくりできるのは久しぶりだ。
リゼットだけでは無い。
飲食店を駆け巡るシキ、それについて行くスピカ、トレーニングをするアルケー、図書館で本を読むヴェーターにエメリア、そしてルークの墓の前で昔のことを語るリベリオ。
それぞれが自分の好きな時間を過ごしていた。
そんな時だった。
「………………っ!?」
異常な魔力を感じ取ったリゼットが、ふとその方角に顔を向ける。
とてつもなく大きな魔力、それも街の中だ。
彼女が飛び出すようにドールショップを出ると、辺り一面の人達がまるでなにかに押しつぶされたかのように倒れていた。
「………………なに、これ…重力魔法………?」
外に出てしまったリゼットもまた、まるで身体が押しつぶされるような感覚に襲われる。
「………………傀儡、魔法…」
リゼットはなんとかして魔法を使い、人形を展開。
「…………演算反転……」
そのまま自分へと作用する魔法演算を逆算し、その干渉を封じ込めた。
なんとかしてこの状況を脱出できたリゼットだが、街の人達は未だ地に顔を伏せたままだ。
演算反転によって魔法を打ち消すことは可能ではあるが、街の人達全員にかけるとなるとキリが無い。
一番早い方法は、術者本人を特定すること。
リゼットは魔力のする方角へと進んだ。
休息の時間は束の間に、新たなる刺客が既にリゼット達にたちはだかろうとしていた。




