第9話 検収作業とクレーマー
今日は薬の検収作業を自分でやってみることになっていた。検収とは薬を注文したものを受け取る作業のことだ。やり方はスーパーやコンビニなどと変わらない。違うのはここで間違うと薬の取り違えなど大きな問題に発展してしまうことだが…
といっても取違なんてめったに起こることじゃない。医薬品にはあらゆるところにバーコードがついているからだ。しかも最近のバーコードには変動情報、使用期限の情報も含まれているので、期限切れの医薬品が間違って届くこともまずないらしい。こんなこと、大学では勉強しないことだって美夜先生にいうと、笑顔で「知り合いに詳しい人がいるから詳しいのよ…」とだけ返された。
まあ、私としては豆知識のようなものが増えたから、いいことなんだけど。
開封された医薬品の容器をまとめているボックスから1つ1つ丁寧にバーコードを読み取りながら葵はある医薬品を読み込んだ時、見慣れない画面が表示されたので、少し気になった。「先生、このバーコード読み取ったときに画面に『現在、包装変更品あり』って表示されたんですけど?」
「ああ、その言葉通りで今その医薬品は箱のどこかが変わったものがあるってことよ。といっても本当に微々たる部分ばかりだから患者さんに関係する部分は少ないけどね」
そういいながら美夜先生はパソコンで何かを調べ始めた。
「あった、これ見てみて。その医薬品の企業のサイトを見ると、今回は… う~ん社名と住所の文字の大きさを大きくしたみたいね。」
「…それだけですか?」
「それだけよ?」
美夜先生は不思議そうにこちらを見つめている。私がおかしいのかな。
「え、だってそれくらいなら別にそんなに大々的にしなくても…」
「う~ん。私もその意見には賛成だけど、世の中には面倒な人も多いのよね~。例えば箱が今みたいに変わっただけで連絡しなかったら大激怒するお医者さんもいたらしいのよね~」
「そ、それは理不尽ですね。なんか…」
「まあ、医療従事者ってなんか変な人多いのよね~。ほかの分野の人たちが一緒に仕事するとストレスが半端ないらしいわよ。知り合いのシステムエンジニアも言ってたわ。」
「そ、そうなんですね…」美夜先生ってやっぱり顔が広いんだ。
➋❾〇
すべての医薬品を読み込み、パソコン上で一覧を確認後、注文した。今ではクリック1つで注文が可能なので楽なものだ。注文すると次の日の昼過ぎに来ることになっていた。
持ってくるのは医薬品卸売の会社で、「クイックキャット」と呼ばれる中小企業だそうだ。まだ設立して10年くらいしかたってないらしい。ちなみにこの薬局の担当の人は美夜先生によるととっても優しい人らしく、名前は鬼虎 なぎさ(鬼虎 なぎさ)というらしい。苗字はあれだけど、下の名前は確かにさわやかなイメージがある。昨日も来たらしいが、そのとき私はちょうど休憩時間中だったので、更衣室におり、会えなかった。
だから楽しみでもあるし、自分が何かやらかさないだろうかと少し不安でもあった。
➋❾〇
休憩が終わり、調剤室に戻ると、美夜先生はパソコンの前に座りながらお弁当を食べていた。お弁当はどうやら手作りのようだ。
「美夜先生って料理できるんですか?」私はほとんどできないので少し興味がある。
「ええ、大学1年生のころからやってるからもう9年目くらいかしら。」
「すごいですね! 私、料理苦手で全然できないんですよね…。」八雲先生は料理できない人はやっぱり好きじゃないかな…
「大丈夫よ。葵ちゃんなんでもできる子に見えるから、できないと逆にギャップ萌えで、かわいいって思うわよ!私はそう思うわ。」
「美夜先生… それってフォローしてくれてるんですよね?」
「っ、うん」美夜先生は口に手を当てながら答えた。
にゃーんとそのとき、気が抜ける音が聞こえた。例のインターフォンだ。
「ん、どうやら卸の人が来たみたいね。葵ちゃん、対応してあげて。」
「わかりました。」とりあえず、気を取り直して集中しないとね。そう思いながら、担当の人を見ると、顔が固まった。
「はじめまして。自分は鬼虎 なぎさと申します。実習生の方ですよね? 自分も未熟者でありますが、よろしくお願いします。」深々と頭を下げてくれた、その男は身長は2メートルはあり、肩幅も広く、プロレスラーと言われても疑いはしないだろう。そして顔つきは、目は鋭く、顔のほりは深い。右目のあたりには、刀傷のようなものが1つあった。こ,
こ、この人ってもしかしてヤク…?
「どうされました?もしかして自分、何か間違えちゃいましたか?大変申し訳ありません!」
目の前の巨大な男が頭を深く下げるが、それでも私の胸くらいの位置に頭がある。葵は固まってしまっていたが、その時、男の後ろにいるキサラがじっとこちらを見ていることに気づき、少し落ち着いた。
「い、いえ、私が…なんていうか、その緊張してうまく話せなかっただけです。すみません。ちなみに私は実習生の桜庭です。よろしくお願いします。」話すたびに冷静になっていたので、うまく話せたが、やはりこの人の顔を直視しながら話すのは難しい。だって怖いんだもん…
そう思いながらも、一緒に注文した薬を確認しあいながら検収を行った。うん、注文通りに全部届いてるね。
「ああ、そういえば…」その時、鬼虎さんの表情が一瞬にやりとなった。そしておもむろに懐に腕を入れ、何かを探っている。一瞬、昔見た仁侠映画の一シーンが脳内に再生され、寒気を覚えた。
「こちらが、自分の名刺になります。渡すのが遅れて、申し訳ありません!何かあれば、こちらに連絡ください。死ぬ気で頑張りますので!」
「あ、ありがとうございます」気が抜けて一瞬くらっとしたが何とか踏みとどまれた。
「無事に終わったようね。」美夜先生が、調剤室から出てきた。
「我流さん、お疲れ様です!」鬼虎さんがすごいスピードで礼をした。その勢いで私は少し、どきっとした。キサラちゃんは慣れているのか全く動揺せず、あくびをしていた。
「お疲れ様ね。なぎさちゃん。ところでちょっと新規に注文したいものがあるんだけど、そこのソファーに座ってくれる?」鬼虎さんの性格上断ると思ってたけど、「わかりました。失礼します」とだけ言い、ソファーへ座った。
「葵ちゃんは、これを集めといてくれる?」
そう言いながら1枚の処方箋を渡してきた。さっきメールできたらしく、少し離れた病院の処方箋だった。結構数が多い。8種類くらいある。とりあえず集めようと思い、調剤室の奥に引っ込むと、例の猫のインターフォンが聞こえた。誰か来たようだ。
「どうされました?」美夜先生は鬼虎さんと話しているので私が出ることにした。相手は初老の男性で不機嫌な表情をしていた。すごく嫌な…予感しかしない。
「この薬と同じ奴が欲しいんだけど」不機嫌さを隠しもしない口調に少しむっときたが、こらえて薬を見た。ロキソプロフェンという熱や痛みを抑える薬だ。
「失礼ですが、処方箋はお持ちでしょうか?」
「あん、なんだっけ、りふぃなんとかってやつで今までもらってたから言えばもらえるんだろう?」
この人はリフィル処方のことを言ってるんだろう。リフィル処方とは血圧や血糖値を下げる薬など長期間にわたって同じ薬を飲む場合に医師の負担を減らすために考案されたものだ。これは検査値などから前回と同じ薬を出せると判断すれば薬剤師でも処方できるというもので、海外でもやっている。だが、これは薬剤師が適当だと判断した場合だけで、患者の希望で出せるわけではない。
「すみません。お名前教えてもらってもよろしいでしょうか?」
「なんであんたにそんなこと教えなきゃいかんのだ!いいからとっととこの薬を出せや!」
「これは患者さんの希望で出せるわけじゃないんです。薬剤師の判断でして…」
「わけわからんこと言わずにとっとと出せや」うう、どうしよう… 葵は怒られ慣れていないので少し怖くなってきていた。もちろん理不尽さに悔しさもあるが、恐怖のほうが勝っているため、何も言うことができずにいた。
「どうされました?」美夜先生が笑顔でその男に話しかけていた。笑顔であるが、なんていうか…感情がこもっていない笑顔だ。
「どうしたもこうしたもねえよ! 俺はこの薬が欲しいんだよ!」男は錠剤を美夜先生に突き出した。
美夜先生はその男を一瞥した後、ハアとため息をついた。
「ここじゃあ出せないので、病院行ってください。」すでに笑顔ではなく無表情だ。
「ああ、だから…」その男は最後まで言うことができなかった。なぜなら目の前に巨漢の鬼虎さんが現れたからだ。
「ご老人、我流先生にあまりご迷惑をかけてはいけません。怒りは醜いものです。さあ、怒りを鎮めて冷静に話し合いましょう!」
正論だが、その男には聞こえてなさそうだ。足が震えており、それでもなんとか動かそうとしたのか足がもつれてこけてしまった。
「大丈夫ですか? さあこの手につかまってください!」鬼虎さんがかがんで近づくが、正直かなり怖いだろう。その男は口をパクパクしながらその手を無視して立ち上がり、ふらふらしながら出て行った。去り際に「覚えてろ!」叫んだが、その外見にはさきほどの恐怖を駆り立てるような雰囲気は一切なかった。
「大丈夫? 葵ちゃん」美夜先生が私の肩に手を置いてきた。表情はいつもと違い少しまじめな顔だった。「あの、えっと」何か言おうとするがうまく、話すことができない。情けなくて少し、涙ぐんでしまった。
「ぎゅ~と!」美夜先生が私に思いっきり抱きついてきた。甘い香りがいっぱいに広がった。
「怖かったわよね~。あんな口だけの底辺に絡まれて。お~よしよし、お姉さんが慰めてあげる!」いつもの軽い口調でふざけてるような言い方をしてきた。しかも頭もなでなでどころか激しすぎてわしゃわしゃである。
「ちょっと、先生! やめてください!」突然のことで驚き、急いで振りほどく。
「いや~、もうちょっと葵ちゃんを堪能したかったんだけど残念。もう少し、お姉さんに甘えてもいいのよ?」
「甘えません!」
「あの美夜先生、自分はそろそろ次の薬局へ向かいたいのですが…」
急に話しかけられて少しドキッとしたが、鬼虎さんのこわもて…いやまじめな表情を見て、恥ずかしくなってきた。美夜先生は気にしてない様子だけど…
「ああ、今日はありがとね。また明日もよろしく!」美夜先生は親指を突き立てながら言った。
「あ、さっきはありがとうございます!あと、これからもよろしくお願いします!」私も便乗して、礼をする。
「はい、桜庭さんも頑張ってください。あと、美夜先生はすごい人なんで、絶対に桜庭さんを大きく成長させてくれると思います!ですから、先生を信じて頑張ってください!」
「え、は、はい!」美夜先生に対する鬼虎さんの信頼がやばいなと思った。どうでもいいけど頑張ってください、2回も言われたのってなんか意味あるんだろうか?
「お疲れ様です!」最後まできっちりした対応をしながら鬼虎さんは出て行った。しかもキサラちゃんにまで挨拶していた。まじめすぎでしょう。でも見た目と違っていい人だったなあ…
「じゃあ、葵ちゃん、さっきのこと”注意患者情報”に書いとこうか~」
美夜先生は私のほうをいつもと変わらぬ笑顔で見ながら言った。思えばさっきの変な行動のおかげで私は泣くのをこらえることができた。もしかしたら、美夜先生は私のためにあんな行動を起こしたのだろうか… まさかね… でも、鬼虎さんの言うように少しは信じて見てもいいのかも… 変な人ではあるけど。
そう思いながら、葵は調剤室のパソコンに向かうのであった。




