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宿屋は朝食だけは出してくれた。
焼いた卵とハム、バターつきパン、オレンジジュース。
パスポートの職業欄によれば、殺し屋は旅行作家だった。つまり、旅行記を書く人間であり、村を歩いてネタを探さないといけない。
消えた工作員については手詰まりだから、気分転換が必要だ。
殺し屋は車は出さずに、湖岸沿い道路を歩いた。
桟橋には釣り舟やモーター・ランチが係留してあり、日の出前に漁を終えた漁師たちは既に漁獲物を魚屋に売り払っていて、自分の家へと眠りに帰るところだった。
魚屋には小ぶりの鱸、鱗が鏡みたいな鯉、それにナマズが売られていた。
ボロボロのトップハットをかぶった魚屋はエプロンで手をふきながら、どの魚も最高にうまいと言った。
確かにナマズの売れ行きはよかった。近所の主婦や女中があっという間に買い尽くしてしまった。
魚屋から坂をのぼって、また村役場に着くと、外に小さなテーブルが出ていて、そこにはライブラ村の案内と称した手書きの冊子があった。あの村長がつくったのだろうなと思い、手に取ると、簡単なライブラ村の地図があった。
村はほぼ丸い湖の西岸にあり、時計で言えば、七時から十時の位置に建物が集まっていた。そこから七本の橋が中央の島へと伸びている。
村長の傾向は図書館の賛美に向いていて、その絵は特に細やかで、使う色鉛筆も多種多様で(建物の影を描くのに紫と青、それにほんの少しの黄色い線を用いていた)目立つ真ん中に書いてあった。
村については簡単に道路を引き、番号がふってあった。
冊子の右端には番号に対応して、一番は村役場、二番は笛吹き広場とあって、他には雑貨屋、パン屋、レストラン、と知っていると便利な施設を紹介していた。十八番はレコード・楽器・楽譜取り扱い商とあった(これが一番長い名前だ)。
〈モーリス商会 蓄音機・楽器・楽譜取り扱い〉は二本の通りが交わる狭まった土地にケーキみたいな店を立てていた。
細い店は左右に長いショーウィンドウを持っていて、艶やかなフルートやクラリネット、ソナタの楽譜、アサガオ型のラッパ管を伸ばした蓄音機、そして、指揮者の写真付きで売られているレコードが並べてあった。
三角形の鋭角頂点にあるガラスのドアを開けると、やかましいライズがきこえてきた。奥、つまり、ケーキでいうところのスポンジが尽きるところにカウンターがあり、若い男が座っていた。室内でも黒眼鏡を外さず、取り外しのできない大きな襟のシャツを着るが、チョッキは着ない都会風のスタイルで、蓄音機のラッパ管から流れてくるライズの音に合わせて、指をパチパチ鳴らしていた。
「よっ、なんか、面白いことある?」
「ぼくとしては、この盆地にただ一軒だけあるレコード・楽器・楽譜取り扱い店と取材したくて来たんですけど」
「あんた、記者?」
「旅行作家です」
「作家? 旅行したことを書くのかよ?」
「そうですね」
「それってオモロいの?」
「あんまり」
「じゃあ、書くのやめれば。ミステリーとか書きなよ」
「ミステリーは書けないんだ」
「なんで?」
「ぼくが書くミステリーはいつも完璧すぎて犯人が捕まらないんだ」
「へえ」
「ここの店のことが知りたいな」
「ケツの穴そっくりだよな」
「えーと」
「クラシックぅ? くっだらねえ。まさにケツの穴ミュージックよ。でも、これ、全部売らなきゃ仕入れを好きにさせてくれねえってばあちゃんが言うんだ。マジ、ケツの穴」
「でも、クラシックの楽器だって、ライズには必須じゃないかな?」
「電気トランペットのほうが百万倍かっこいい」
「でも、感電事故が怖いね」
「それがいいわけ。だってさ、まさに命がけ? いつ黒焦げになるか、わっかんないなかでつくる音楽がさ、オモロくないわけがないよね。あのミュージシャンも、そのへん分かってた」
ミュージシャン=工作員。殺し屋は興味のないふりをした。
「音楽家がいるの? この村に?」
「いねえよ。あれは観光客。でもさ、明らかに言ってることがクラシックなのに、ライズのこと、理解してんの。ありえなくね? クラシックのミュージシャンだぜ? 楽譜ちょっとでも改造するくらいなら腕切り落としたほうがマシとか抜かす連中がさ、楽譜バリ無視のフィーバー・ソロのこと、理解してんの。ありえなくね?」
ああ。これは。殺し屋のなかで工作員の生存率が下がっていく。
「そのこと、誰かに教えたりした?」
「村長に教えた。なんかやたらとミュージシャンのこと知りたがってたから。おれも別に隠すことじゃねえから教えた」
「村長さんか。彼は図書館の館長について、いろいろ教えてくれたよ」
やめてくれよ、と若者が手をふった。
「村長は馬鹿なんだよ。ここにあるものは、その新しい蓄音機を含めて、館長サンが就任する前からあるんだよ。村長みたいにバチバチに崇拝してるやつもいるけど、みんながみんな、そういうわけじゃないんだぜ」
「なかなかオモロい意見だね。また、話をききにきてもいいかな?」
「いいぜ。おれはビリー・モーリス。ウィスキーみたいな名前だろ。覚えておいて損のねえ名前だぜ」
午後一時ごろに宿屋に行くと、店主が電報が来ていると言った。電信装置は観測所にあって、観測員が買い物に村へ降りるときに一日分の電報を持ってくるのだ。
『シヨウシャシュ バークヘイデン 4432』
涙色のクーペに乗って、村をあちこちまわってみる。古いロードスターかトラックしかない村だが、修理屋の裏庭にバークヘイデンがあった。
「すいません。オイルの交換をしてください」
修理屋がボンネットを開けているあいだ、殺し屋はバークヘイデンについて、きいてみた。
「ここにはロードスターかトラックしかないと思ってた」
修理屋はオイル・ボトルを棚から取り出しながら、
「村のもんじゃないんだよ」
「外国人?」
修理屋はうなずいた。
「音楽家だって言ってたな。預けたきり取りに来ない」
「結構する車ですよね」
「いかにも都会の車だよ。点火プラグの交換を頼まれたが、取り寄せだよ。ここの車はみんな旧式のプラグで走ってる。あとはトラック用のやつ。あんたのクーペも、プラグの在庫がないから、壊れたら取り寄せだよ」
「どうして、ここには古い車しかないの?」
「図書館のせいだな。図書館はロードスターとトラックの修理法しか載せてない」
「でも、あなたはぼくの車をいじれるんでしょ?」
「いじれる。でも、それを吹聴すると、ちょいと厄介なことになるんだよ」
「厄介?」
「図書館にない技術のことはないものとする頑固なやつがいるんだ」
ちらりと、裏庭を見る。バークヘイデンのセダン。角ばったフォルム。トランクは革製の外付けだ。
「プラグの掃除、お願いできますか?」
「いいよ」
修理屋が工具を持ち出しているあいだに、殺し屋は裏庭をぶらついた。バークヘイデンのトランクを見ると、四桁のナンバー入力型の錠前がかかっていた。4432。錠を開けて、修理屋がこちらを見ていないのを確認すると、トランクを開けた。空っぽ。いや、紙きれが一枚入っていた。それを取って、ポケットに入れる。
「あんま、プラグ、汚れてないぜ」
殺し屋は青色紙幣を渡した。
「こまめに見てもらいたくて。それにしても、バークヘイデン、いい車ですよね」
「いい車なのは違いない。はやいとこ、図書館がバークヘイデンの本を手に入れてくれりゃあいいのに」
「図書館はどこから本を買っているんですか?」
修理屋は肩をすくめた。
「知らんよ。いつの間にか増えてる」
車でベンチが四つしかない湖岸公園に行き、紙切れを見た。何も書いていない。四つ切り紙で罫は引いていない。あぶり出し用のインクで書いたのなら、太陽にあてれば、少し筆跡が残るが、これにはその筆跡もない。本物の白紙だ。
だが、その白紙は工作員の車のトランクから見つかった。工作員の唯一の手がかりだ。
あるいは、この紙が工作員を引き寄せるかもしれない。
もちろん、工作員が生きていればの話だが。




