波間に揺られて
朝の光が穏やかに差し込む中、フェリーはゆっくりと柳田町の港を離れていった。
コウたちは、職業体験のため臨海都へと向かっていた。
海の向こうに見える大きな街並み。
フェリーの甲板で吹き抜ける潮風。
遠ざかる柳田町の風景──
「うわっ!水かかったー!」
「臨海都って言ったら、臨海スカイツリーだよね〜!」
生徒たちは甲板に出て、はしゃいでいる。
「海だ! やっぱり広いね!」
「ほらほら、写真撮ろうよ〜!」
千織やセイラ、翔は甲板へと駆け出し、海の写真を撮ったり、はしゃいでいた。
スマートフォンのカメラのシャッター音が、絶えず響く。
「コウ、あんたも来なよ!」
千織が手を振る。
「俺はいいよ…」
コウはその場から動かなかった。
(フェリー、初めて乗った…)
そんなことを思いながら、彼は船の中からみんなの様子を眺めていた。
理由は簡単だった。
船は、昔も今も苦手だった。
緩やかに揺れる感覚が、微かに腹の奥を不快にさせる。
座席の隅に腰掛けながら、コウは静かに目を閉じた。
(……戦場では船旅なんてほとんどなかったから)
あの時代、渡航手段といえば馬か徒歩が基本だった。
船を使うのは、大陸間の移動くらいだ。
そして、その時の記憶が朧げながらも蘇る。
戦の合間。
揺れる甲板の上で、同じように座り込んでいた自分。
それを見下ろしながら、「情けねぇな」と笑っていたあの男の姿──
(……ケイ)
コウは、ふと視線を上げた。
目の前に立っていたのは、かつての戦友ではなく先生だった。
「気分が悪いのか?」
「…少し」
先生は、短く息を吐いた。
「外の空気を吸った方がいい」
「……みんながいるところへ?」
「いや」
先生は、軽く顎を動かして示した。
「こっちだ」
そう言って、彼が向かったのは──
みんながいる場所とは正反対の、船首の方だった。
────────────
甲板に出ると、ひんやりとした潮風がコウの頬を撫でた。
船首からは、海の水平線が広がり、波の音だけが静かに響いている。
千織たちがいる甲板とは違い、こちらにはほとんど人がいなかった。
「どうだ?」
先生が横で問いかける。
コウはゆっくりと息を吐いた。
「少し、マシになった…」
確かに、風を浴びると頭の重さが軽くなっていく気がする。
しばらく、2人は何も言わずに海を眺めた。
ふと、先生が口を開く。
「尾崎先生に頼まれた」
「?」
「学級プリントに載せる写真を撮りたいらしい。お前の写真も欲しいって」
コウは、一瞬目を瞬かせた。
「俺の?」
「そうだ」
「いや、いらないだろ…そんなもの」
先生は微かに肩をすくめた。
「なら、俺も一緒に写る」
「いいってば……」
コウは断ったが、押しに負けて小さく頷いた。
先生がスマートフォンを取り出し、船首の風景を背にして並ぶ。
──カメラのシャッターが切られた。
画面に映るのは、並んで立つコウと先生の姿。
(…笑顔ぎこちない)
だが、それでも──
(まぁいっか…)
コウは、写真を見つめながらそう思った。
もし、昔に写真機があったら、仲間の姿を思い返すこともできたのだろうか。
肖像画は何枚かあったが、それらは戦争の中で炎に包まれ、今は残っていない。
そして──記憶すらも、少しずつ薄れてきている。
(……みんなの顔、声、仕草……どんどん忘れていく)
考えるほどに、胸の奥に何かが引っかかる。
「……」
ふと、先生が静かに言った。
「よく撮れてるじゃないか。写真を撮るのは、そんなに悪いことじゃないだろ?良い思い出になる。」
コウは、その言葉の意味を噛みしめるように、もう一度写真を見た。
忘れたくないものがあるなら、残しておくべきなのかもしれない。
────────────
フェリーが港に着くと、コウたちはまず港近くの食堂で昼食をとった。
「うわ、メニューめっちゃあるじゃん!」
「都会の食堂ってすごいな……!」
翔とセイラが目を輝かせる。
千織は落ち着いた様子で、「せっかくだし、地元の名物を食べようかな」と悩んでいた。
コウは、適当に選んだ食事を静かに口に運んだ。
(都会の味…)
柳田町の素朴な味と違い、どこか洗練された風味がする。
それを感じながらも、コウの思考は別のところにあった。
──写真のこと。
──記憶のこと。
──そして、自分がこれから体験する"教師"という職業のこと。
(今更だけど、思いつきで教師選んで良かったのかな……)
かつての仲間である"センセイ"も、あだ名通り教官として、戦士となる前はロザリンデの宮殿に仕えていた。
(…なんで教官になったのか聞けずに終わっちゃったな)
コウはチラリと先生の方を見る。
(大学で話聞いたら、何かわかるんだろうか…)
答え合わせをすることはできないが、その答えの一端は見つかるかもしれない。
────────────
昼食を終え、バスでホテルへと向かう。
そして、林間学習の拠点となるホテルに到着した。
「ここが、今日からの宿か……!」
翔が感慨深げに呟く。
「意外と豪華じゃん!」
セイラがロビーを見渡している。
「早く部屋に荷物置いて、休もうよ」
千織が、少し疲れたように言った。
コウは、ホテルの広々としたロビーを眺めながら、小さく息を吐いた。
(いよいよ職業体験スタートか…)
この臨海都での3日間が、どんなものになるのか。
──それは、まだ誰にもわからなかった。
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