職業体験の始まり
コウが学園へ戻ってきたのは、風邪をひいてから一週間が経った頃だった。
朝の光が差し込む昇降口で、ゆっくりと靴を履き替える。
久しぶりに袖を通す制服は、わずかに肌に馴染まない感覚があった。
(たった一週間なのにな…)
教室へ向かう廊下は、相変わらず生徒たちの賑やかな声で満ちていた。
いつも通りの朝。
──だが、教室の扉を開けた瞬間、そのいつも通りは一変した。
「コウ!」
一際大きな声が、教室に響き渡る。
声の主は、千織だった。
「あっ!やっと来た〜」
瞬く間に翔とセイラも駆け寄ってきた。
「お前、ほんとに大丈夫なのか? まだ顔色悪くねぇか?」
「めちゃくちゃ休んでたから、重病かと思ったよ!」
「もしかして、家で倒れてるんじゃないかって心配したんだぞ!」
次々と浴びせられる言葉に、コウは思わず目を瞬かせた。
(すごい心配してくるな…)
「ただの風邪だよ」
コウはできるだけ淡々と答えた。
「もう治ったから、大丈夫だって」
「本当に? ちゃんとご飯食べてる? 水分摂ってる? ちゃんと──」
「…大袈裟だな、俺は子供じゃない」
コウが少しだけ眉をひそめると、千織は「でも!」と食い下がる。
その横で、翔が少し肩をすくめた。
「まぁ、元気そうならいいけどよ。でも無理すんなよ?」
「そうそう、また倒れたりしたら大変だからね!」
セイラも笑顔で付け加える。
コウは、それ以上何も言わなかった。
(こっちに来てから、心配されてばっかだな…)
──だが、心の奥底で、何かがじんわりと温かくなるのを感じていた。
────────────
1時間目の終わりに、担任の尾崎が職業体験の説明を始めた。
「えー、来週から始まる職業体験だが、今年は1・2年合同で2泊3日の林間学習として都心で行う」
教室がざわつく。
「おぉ〜! ついに都会に行けるのか!」
「2泊3日ってことは、夜はホテル? ちょっと楽しみかも!」
生徒たちが盛り上がる中、翔が小声で言った。
「田舎から出られるのはいいけど、職業体験って地味にキツそうだよな」
「まぁね。だけど、都会でいろんな仕事を見るチャンスだよ!」
セイラは意外と前向きだった。
「なぁ、コウはどう思う?」
「あー、特に何も…」
コウは、窓の外をぼんやりと見つめていた。
(職業体験、か)
今まで"仕事"という概念を真剣に考えたことはなかった。
戦場にいた頃の"仕事"といえば、"戦うこと"そのものだった。
しかし、この世界で生きていく以上──いずれ何かを選ばなければならない。
(興味がないわけじゃないけど…)
「よし、じゃあまずはホテルの部屋割りを決めるぞ」
先生が名簿を手に取りながら言った。
「基本的には4人部屋だが、人数の関係でどうしても1人部屋が出る。自由に決めていいが、もめるなよ」
すぐにクラスのあちこちで相談が始まった。
千織とセイラは当然のように同じ部屋になった。
「205号室:千織、セイラ、他の生徒2名」
翔はケンと同室になり、男子4人組を作った。
「102号室:ケン、翔、コウ、他の生徒1名」
そして──1人になった生徒がいた。
「なんで俺だけ1人部屋なんだよ!」
その生徒は不満そうに呟いた。
先生も困ったように眉をひそめる。
「誰か1人、部屋を移動してやれないか?」
生徒たちが顔を見合わせる。
だが、誰も手を挙げようとしない。
(……)
コウは、ふと口を開いた。
「じゃあ、俺が1人で泊まる」
教室がざわめく。
「えっ、お前マジで?」
翔が驚いたように言う。
「別に1人でも寝れるし…」
「でも、それって……」
千織が言いかけたとき、別の声が割って入った。
「じゃあ、俺と泊まれ」
静かな、けれど有無を言わせない声。
先生だった。
「は?」
コウは、思わず先生を見た。
「学校側が、お前を1人部屋にすることを許可すると思うか?」
「……」
「211号室。俺とお前だ。同性だからまぁいいだろ」
それは決定事項のように告げられた。
コウは一瞬だけ何かを言いかけたが、先生の圧を前に諦めた。
「わかったよ」
こうして、「211号室:コウ、先生」が決定した。
次に、職業体験の選択が始まる。
選択肢は以下の5つだった。
1. グランドスタッフ
2. 警察官
3. 看護師
4. 消防士
5. 教師
「私はグランドスタッフ!」
セイラが即断する。
「空港で働くとか、絶対かっこいいでしょ!」
千織は少し考え、看護師を選んだ。
「従兄弟が看護師だから、どんな仕事なのか知りたくて」
翔は消防士を選ぶ。
「昔、家が火事になった時、消防士さんに助けられてさ。ずっと憧れてたんだよ」
ケンは警察官を選んだ。
「親父が警察官だから、どんな仕事なのか気になってた」
そして、コウ。
「……俺は、教師」
「えっ、コウが!?」
セイラが驚く。
「教師って、コウが一番苦手そうなのに!」
「なんだよ」
(否定はしないけど…)
コウ自身も、そう思っていた。
だが、先生を見ているうちに、教師という存在に興味が湧いた。
(先生は、なんで教師をやってるんだろう)
この体験を通して、少しでもその答えが見えるかもしれない。
──こうして、職業体験の第一歩が始まった。
閲覧ありがとうございました。誤字脱字等ありましたらすみません。




