その4
翌日、リンネは朝早くに艦長室へ赴き、任務に協力することをエリゼナに伝えたらしい。
エリゼナはあくまでも事務的な対応に終始し、そのうえでリンネに感謝の意を述べた。もちろんその裏に複雑な感情があるのは当然だが、エリゼナは決してそれを表に出すことはしなかったようだ。
「“生き残ったからには背負うべき責務がある……私も、あなたも”―――エリゼナ艦長はそう言っていました」
艦内の食堂にてリンネは、目の前に置かれたサンドイッチを口にして、隣に座るアシュレイに言った。両手首には魔力器官の活動を抑制するリストバンド状の装置が取り付けてある。
これはリンネが自らエリゼナに頼んで貰ったものだ。無論、リンネほどの魔導遣いを完全に封じることはできないだろうが、付けていることで周囲の人間の抱く恐怖心を少しでも和らげることができればとのことだった。
星暦になり魔導遣いが現れてから一〇〇年以上経った今でも、人々は魔導遣いという存在を特別視し、自分たちとは異なる生物として距離を置く者も少なくない。
「戦争によって生まれた歪みを正すのは、俺たち生き残った者の役目ってことか。彼女らしいな」
午前九時の食堂は人も少なく、外部の魔導遣いであるリンネたちを好奇の目で見て来る者もいない。この時代しては珍しく、機械によるオートマではなく人の手によって作られた料理が並ぶ食堂のため、厨房では調理師たちがいた。
「もう少し違ったところで出会えれば、あの人ともお友達になれたかもしれませんね」
「今からでも遅くないさ。ただちょっと事情が複雑なだけで」
そうこれが終わったら、ようやくリンネの人生が始まるのだ。恋も友情も、これから先でたくさん知ることになるだろう。隣の部屋の黒髪の女性も、事情を説明すれば、リンネと仲良くやってくれそうだ。
未来のことを想像して笑みを浮かべている、そんなアシュレイの隣に、ドンッと足を組んで座ってきた人物がいた。少女漫画に出てくるヒロインのようにつぶらな瞳が特徴的な、緑のロングヘア―の長身美少女だ。
「ッたく、よォ……ここの艦内、空気悪すぎだろ。軍艦ッてどこもこんな感じなのか?」
その口調でようやくアシュレイは理解した。目の前のアイドル美少女めいた存在が、昨晩襲撃してきた傭兵のキリエであるということに。
「お前……ッ!」
「ちょい待て。もうオレは帝国軍残党の依頼を遂行する気はねぇ。それに見てみろ」
ビキニの上に軍服を羽織っただけの姿は周囲から浮きまくっているが、キリエは一切気にしていない様子で自分の首に掛かったリングを指さした。
「体内の魔力器官の活性化に反応する小型爆弾だ。エリゼナって女がオレに付けやがった。こいつがある限り、お前らを襲って殺そうなんて考えねぇッての」
「ってことは、お前……エリゼナに雇われたのか?」
「覚えとけ。傭兵は金で動く」
アシュレイやリンネだけでなく、傭兵とはいえ敵対関係にあった魔導遣いとまで協力関係を結ぶとは。どうやらエリゼナという女性の肝は“据わりすぎている”ようだ。
「ということで、お邪魔するぜ? まぁ仲良くしようや」
「お、おう……」
キリエの勢いに押され気味なアシュレイとは対照的に、外敵を見つけた番犬のような唸り声を上げているリンネは、噛みつかんばかりの勢いで身を乗り出して、
「あなたとはたとえ世界最後の二人になったとしても、絶ッッッ対、仲良くなんてしませんからっ! 貴方も! こんな女と一緒にいると男が落ちますよ!」
「お、おう……」
「愛されてンなぁ、旦那」
戦闘時のテンションから数段階落ちた、どちらかというと気だるげな様子で、キリエは噛みついてくるリンネを受け流している。拘束具をつけられて放置されていた間に何かあったのか。下手に手を出すと火傷しそうなので、アシュレイはそっと二人の様子を見守っておくことに決めた。
「で、私たちに何の用ですか。アシュレイを取りに来たのですか」
「いや、略奪愛の趣味はねーよ。てかこいつ好みじゃねーし。まァあれだ」
少し気まずそうに天井を二度三度見上げたのち、キリエは静かに語り出す。
「金がねぇ」
「は?」
「金がねぇんだよ。お前ら襲撃する前に、ギャンブルで散財しちまってよ」
「自業自得だろ」
「宵越しの金は持たねぇことにしてんだよ」
「これからは宵越した後のことも考えるんだな……」
「ってことで、頼む。このままだと飢え死にしちまう。なにか恵んでくれ」
「と言われてもなぁ……」
既にアシュレイは朝食を済ませていたし、リンネのほうも……と視線を横に向けると、急いでサンドイッチを小さな体に詰め込んでいる恋人がいた。
「ひゃげまひぇんからね」
「食い終わってから喋れッての……分かった、物々交換だ」
キリエは軍服のポケットから新書サイズの本を取り出して、リンネの前に出した。クチャクチャのスーパーのレシートが栞代わりに挟まっていることから、読みかけであることが分かる。
「読みかけだがお前に貸してやる」
「なんですかこれ」
「〈異世界転生した悪役令嬢、S級ギルドを追放されるも、イケメン王子召喚スキルで無双する〉ってタイトルの古典文学作品だ。こいつとサンドイッチ一枚、どうだ?」
「西暦時代のものでしょうか。魔導書なら分かるのですが、文学は知らないですね……」
「西暦二〇二〇年代にジャパンという国で発刊されたヤツだ。古典文学はいいぞ。最近の薄っぺらいゲロ甘作品と比べて、文章と物語構成に深みがある。なにより登場人物の心理描写が丁寧だ」
キリエの見せた意外な教養と知性に、リンネは思わず興味を示してしまう。
「マイナーな作品だが、一度読んでみるといいぜ。その時代の異世界転生小説は一味違う」
「……分かりました。取引には応じます」
顔を赤くし視線を逸らしながらも、サンドイッチを一枚キリエに渡したリンネは、代わりに出された古典文学の新書を手に取った。
「よっしゃ、やりィ」
お腹を空かせていたのか、サンドイッチを一口で胃袋まで投げ込んだキリエは、満足げな笑みを浮かべる。
「俺たちに自分のMWを破壊されたというのに、なんでそんなにも友好的なんだ?」
「昨日の敵は今日の味方。親でも殺されてなけりゃ、恨む理由なんざねぇよ。マルドゥカリスに関しちゃ、メーカー修理行きは確定だがな。しばらくは予備機でやりくりするしかねぇな……おっと、賠償金を請求しているわけじゃねぇぜ?」
魔導自体は西暦時代に想像されていたファンタジー世界のそれと同じようなものだが、MWは機械工学に基づいて設計開発された工業製品だ。開発企業はいくつもあるし、中には魔導遣いと契約を結んでいるものも存在する。
「むしろテメェらが不殺で助かったぜ。命はいくら金を積んでも返ってこねぇからな」
そう語って、キリエはリンネに渡した本を指さす。
「転生でもしない限りはな」
「……そのことを他の誰かに喋ったか?」
「いや、艦長とごく一部の人間しか知らねぇよ。今の時点ではな」
しかし、とリンネのほうに視線を向けた後、周囲を確認しつつキリエは静かに言う。
「〈真空の大火〉が生きていた。その噂はすでに広まっているぜ」
「俺たちはこの任務が終わったら、争いごとからは退くつもりだ」
「だとしても、覚悟はしておけよ」
キリエは立ち上がると、爪楊枝を口にくわえて二人を見た。
「あと半日もすりゃ目的地に到着するだろうよ。楽しむなら今のうちだぞ」
「なにをだ」
「医務室の扉のすぐ横に自販機がある」
「なんのだ」
「コンド―――」
アシュレイはキリエの口を塞ごうとしたが間に合わなかった。
それはともかく、アシュレイは帰りに医務室の近くまで立ち寄ることにした。
「―――ムってなんですか、ねぇ。教えてくれてもいいでしょう、貴方ぁ!」
艦内の廊下を早足で駆け抜けるアシュレイの背中に、リンネは質問を投げかけ続けている。どうしても気になるようだが、今ここで答えるわけにはいかない。答えようにも人前で言うことではないし、そもそも一から説明すると大変なことだからだ。
「貴方! 答えてください! こーたーえーてください~」
玩具をねだる子供のように背中に縋りついてくるリンネだが、それでもアシュレイは黙々と歩き続けた。そして部屋に入って、リンネの両肩を掴むとまっすぐな視線を向けて、これ以上ない真剣な表情で言う。
「リンネ、聞いてくれ! キスで子供はできない!」
「え……」
かなりの衝撃だったようで、先ほどまで興味津々だったリンネの様子が一変。まるで石器時代の人類がVR空間を体験しているような、今世紀最大級のカルチャーショックを受けて脱力していた。
「俺はこの一年、たくさん恋について知った。ああ、勘違いしないでくれ。知識が入ったというだけであって、他の女性と関係を持ったとかそういうわけじゃない。部屋の隣がエッチなお店で、壁越しに色々聞こえてきただけだ。そこまでいいか? 誤解するなよ?」
「は、はい……えっ、えっ、ええっ、っと……」
リンネの両眼がぐるぐると回転を始め、じゃあどうして子供はできるのかと言うことを必死に考えている。
「俺も最初は驚いたさ。でもキスじゃ子供は生まれない。コウノトリが運んでくるわけでもなければ、キャベツ畑に取りに行くわけでもないんだ!」
アシュレイも最初は信じられずに、何度も黒い髪の女性に壁越しに聞き直した。すると笑いながら「違うわよ~。男の子の凸を、女の子の凹にガッチャンコしたら、生まれるってワケよ~。実体験で教えてあげよっか? いい? 結構? 興味ない? 拒否りすぎワロタ。あ、でも家族計画立てて無いなら、ちゃんとしなさいよ~、コンド―――」といつものテンションで丁寧に教えてくれた。
「どうやって子供を作ればいいんですか! キス以外になにがあるっていうんですか!」
「……今から説明する」
アシュレイはベッドに腰掛け、覚悟はいいかとリンネに尋ねた。リンネはベッドの上に正座をして静かに頷く。さすがは〈真空の大火〉と呼ばれた最強の魔導遣いだ。未知の領域であったとしても、一歩踏み込む勇気を持っている。
「まずはお互い裸になる」
「それは前にしませんでしたか?」
「いや、上半身は関係ないんだ。下半身も脱ぐんだ」
「それって相撲ファイトのルールに反していますよ、貴方!」
「残念ながら、子作りと相撲ファイトは関係ないんだ……!」
「な、なんですって!?」
「よく考えてみろ。上半身だけ裸になって抱き合って子供ができるのなら、相撲ファイターたちは試合ごとに子供を作ってしまう!」
「それは盲点でした……じゃあ、下半身も裸になって抱き合ってキスをしたら子供ができるっていうんですか?」
ここからが重要なんだ、とアシュレイはリンネと向かい合うかたちで正座。
「いつもおしっこをしている部分、あるだろ?」
「ありますね、下半身に」
「そこをだな」
「そこを」
「こう」
「え」
「そう」
「えっと」
「こうやって」
「ひゃっ……そんな……汚くない、でしょうか……」
「そういう、ことだ……不思議と、魅力的に見える、らしい」
「…………」
「…………」
静寂。真っ赤に火照った顔を向かい合わせることができず、両者ともに視線を俯く。しばらく考えたのち、葛藤。そして葛藤の後、両者はほぼ同時に声を上げた。
「「み、見せ合い―――」」
「ませんか!?」
「っこしよう!」
それはごく当然の結論だった。気になる。それはとても気になることだった。
両者は互いの言葉を同意とみなし、これ以上言葉を交わすことなく無言でズボン、もしくはスカートを脱ぎ始める。そして上半身は普通に服を着て、下半身だけパンツ一丁という、なんとも言い難い恰好になった二人は、真剣に向き合う。
戦士たちの間に言葉はいらなかった。
視線のみが交差し、そして両者は己のパンツに手をかける。
二人は己のパンツに向かって視線を下げた。確実に脱げるように、何度か手つきを確認し、よしいけると思って笑みを浮かべる。
そして早撃ちのガンマンが如く、素早い動きで両者は同時にパンツを脱いだ。
「さぁ!」
「どうだ!」
両者、一斉に視線を上げた。
その瞬間、パンツを脱いだ恥ずかしさよりも、圧倒的な好奇心が勝っていた。
「ある」とリンネ。
「ない」とアシュレイ。
衝撃的な光景だった。同性のものしか見たことがなかった両者は、思わず言葉が止まってしまう。無論、両者ともに話には聞いていた。そうらしい、と漠然とした知識はあった。
だが、トイレが男女別に分かれている理由ぐらいにしか考えておらず、まさか対峙するべき存在だとは思ってもみなかったのだ。
リンネは、未知の物体に興奮と戸惑いと底知れぬ恐怖を覚えた。
アシュレイは、未知の領域に対する理性的な視点と本能的な欲望を自認した。
そして両者は思った。今のこの気持ちじゃ、この先は難しい―――と。
初陣で軽口を叩きながら平然と引き金を引き、帰還してシャワーを浴びてぐっすり寝れる新兵などないのと同じだ。どちらか片方が歴戦の勇士なら話は別だが、二人はともに今日初めて戦争を知ったような新兵同士だ。とてもじゃないが無理。できない。
二人は幾度かの衝撃に耐えた後、無言でパンツを履きなおしてベッドに横たわる。そして天井を見上げて、先に口を開いたのはアシュレイだった。
「……どうだった?」
「……貴方の、はじめて見ました」
「紹介が遅れてすまない、俺の息子だ」
「じゃあ私のは娘ですね」
「リンネの娘か」
「アシュレイの息子……」
「なんじゃそりゃ……」
「おかしいですね」
「ああ、おかしい。けど面白いな」
思わず吹き出してしまったアシュレイに、リンネはそっと寄り添うと彼の胸に手を当てて静かに微笑み、
「また貴方に恋を教えてもらいましたね」
「ああ、もっと教えたいことがたくさんあるんだ」
「ふふふ、楽しみにしていますね。でも今は―――」
リンネは起き上がるとアシュレイの上にまたがると、紅潮した頬を隠すことなく顔を近づけて、翡翠の瞳で見つめて言った。
「貴方の唇が欲しいです」
返事を待たずして、リンネは唇を重ねてきた。潤った唇の感触が伝わる。目の前で合わさった視線。愛らしい顔。思わずアシュレイはリンネの背中に手を回して、ギュッと抱きしめた。
それからしばらく、二人は抱き合いながら何度も唇を重ねた。
「ずっと我慢していたのですから」
「俺は一年以上我慢していたぞ?」
「なら、一〇年分のキスを貴方にあげますよ」
正直なところ最初は姿の変わったリンネに対し、アシュレイは戸惑いを抱いていた。だからこそ自分からキスをすることは中々できず、底知れない不安が胸の内に広がっていたのだ。もしかすれば目の前の少女は、ただ単に生前のリンネを真似ただけの赤の他人なのではないかと―――。
だがこうして触れ合って確信した。
愛おしいと。
「リンネ」
「はい」
「今度こそ、俺は君を守る。守り抜く、絶対に」
二度と失ってはならない存在だと、今なら天地がひっくり返ろうとも思うことができる。
「そして結婚するんだ」
「それじゃあ私も、貴方を守ります」
ギュッと抱き返したリンネの手が、不器用な青年を優しく包み込む。
「二人で生きて、幸せな結婚生活を送るんです―――」
翡翠の瞳は言った。
「楽しみにしているんですから。約束ですよ、貴方」
「ああ、約束だ」
アシュレイは未だに瞼の裏に焼き付いていた、藍色の髪の少女が死んでいく光景を胸に、今一度決意した。
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