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二

 ところで私には、一人だけ未だに先生と呼ぶ人がいる。先生と出会ったのは私が中学二年生の秋口で、生徒と家庭教師という立場だった。

 私と先生の出会いのきっかけは、母が私の勉強の習慣付けと成績向上を狙い、私に黙って家庭教師の派遣会社に連絡したことだった。確かに学校の成績は良かったわけではないが、特段悪くもなかった。きっと母には私の勉強嫌いが強く写っていたのだろう。

 それから少しして、初めて先生が家に来た時、私は驚いてしまった。正直、教師と言うからには、如何にも真面目そうで、ワイシャツなんかを着た大人しくつまらなそうな大学生を想像していた。

 しかし、先生の髪はオールバックで、黒のレザージャケットを着ており、おまけに鋭い目つきをしていて、あまりにも私の家庭教師像とはかけ離れた存在感を発していた。

 先生の切れ長な目に私は少し睨まれたように感じてしまって、先生を前にして何も言えずにいた。

「大学三年の乾シンゴね。よろしく。」

 そんな私を見てか、先生は爽やかな笑顔で挨拶をしてくれた。喋り方や動作からは、大雑把な印象を受けた。「よろしくお願いします。」と私が返答する頃には、母は机に二人分のお茶を置いて別室に移動してしまった。

 家のリビングで机を挟み二人で話をした。どんな会話をしたかは記憶に無いが、それでも楽しく一、二時間は勉強もせずただ話をしていた覚えがある。

 そこから先生は見た目や所作からの印象とは違う人間であることがわかった。

 話を聞いて私は、先生を野心家で、自分の武器をより多く増やすために勉強をしている人間だと感じた。当時の私からすると、これがとても新鮮だった。

 私は今まで勉強は基本的に強制されるものだし、将来、実用的に使うことはないだろうと考えていた。先生は私のその幼さを直接言及することなく、自分の生き様で真っ向から否定した。

 先生は常に自分のためだけに勉強をしていたし、新しい知識を得ることにも貪欲だった。先生と出会わなければ、きっと私はそのまま成長することは出来なかっただろう。

 授業は基本的に週一回、定期テスト時は週三回くらいの頻度だった覚えがある。そこで先生の話を聞くたびに、私の先生に対しての尊敬の念はますます深まっていった。

 教科書よりも簡単で、中学校の先生よりもわかりやすい教え方で、よくする脱線も面白かった。

 それから先生が大学で地域経済を学んでいることを知り、その分野に対して私は興味を持った。そのことを知った先生は、教科書に大学で学んだことが使えそうな問題が出題された際には、惜しみなくその知識を伝えてくれた。

 そのあたりから私は将来、地域経済を学ぼうと思うようになったし、勉強に対しても以前より積極的になっていった。

 その翌年、私が中学三年生の時は、私も先生も火が出るほど勉強した。勿論私は高校受験のためだったが、先生は大学院への試験のためだった。

 その時期の先生は常に勉強漬けだった。普段から悪い目つきが寝不足でより悪くなっていたのが印象的だった。

 私を教えるための勉強と、大学院に向けての勉強。さらに同時期に卒業論文を書いており、あまりに苛烈な日々だったことは想像に難くない。

 しかし先生はやり遂げた。私は第一志望の高校に合格し、先生も大学院に合格。卒業論文は学科内の最優秀賞に選ばれた。

 結局私は、高校入学後も先生に勉強を教わり続けた。教わる頻度は下がったが、私の勉強の意欲向上には先生の授業が必要だった。先生もこの契約延長を快く快諾してくれた。

 入学して一年は先生と遊ぶこともよくあった。授業とは別に、先生が車を運転して私が行ったことが無いようなところに連れて行ってもくれた。

 地域経済を研究していると、街歩きもただの街歩きではなくなるようで、私とは違う視点で街を見る先生はやはり輝いて見えた。

 先生が当時付き合っていた彼女はガールズバーで働いていたそうで、二人でその店舗に遊びに行ったこともあった。その時は先生の彼女は出勤しておらず、会えはしなかったが、初めての経験に混乱していた記憶がある。

 それに今思えば、大学院生と遊んでいるという事実が、当時高校生の私からすると、それだけで背伸びをしているようで、非日常的な刺激を感じていたような気がする。

 ところが、先生は大学院を半年で辞めてしまった。本人は教授と反りが合わなかったと言っていたが、きっと沢山の葛藤があって、その決断をしたのだと思う。

 先生は半年程フリーターをして、翌年四月に建設の施工管理士の仕事に就いた。毎日激務をこなしながら、副業のような感覚で私に勉強を教えてくれた。

 家庭教師としての授業によく遅刻してくるようになっても、私の先生に対しての尊敬は薄まることはなかった。社会人に対しての知識がない当時の私は、きっと激務のせいで疲れているのだろうくらいに思っていた。

 結局、大学は先生が通っていたところに決めた。研究内容にもとても共感したし、何より憧れがあった。地元では有名な私立大学で、その地域一帯の殆どの高校生が進学する程のマンモス大学だ。

 大学入試には苦戦したが、無事何事も無く合格し、契約満了ということで約五年間の先生と生徒の関係はそこで終わった。

 しかし、私はまだ先生を先生と呼び続けていた。恩もあったし、尊敬もあった。それに私達の関係性として、先生と生徒以外の適切なものが思いつかなかった。

 何より、私自身が生徒であるという事に気持ちの良さを感じていたと思う。教わる立場はそれだけで居心地が良かった。

 それに先生自体も、私が先生と呼ぶことに反対した事は一度もなかった。寧ろ、そう呼ばれる事に喜びを感じていた時もあった様子だった。

 大学生として二度目の夏を迎える頃には、先生とは連絡もしなくなっていた。今まで私から連絡する事は少なかったが、それでも定期的に遊んでいたので寂しさを感じる事もあった。しかし、大学という新しい環境に、私は充分な満足を感じていたし、そう頻繁に会っても迷惑だと考えた。

 その夏、大学内で講義へ向かう最中に、先生の友人と名乗る男に出会った。聞くと先生と同じゼミに所属していたそうで、学生時代は仲良くしていたらしい。現在は大学職員として、母校であるこの大学に勤めているそうだ。どうやら先生から私の事を聞いていたようで、先生が私を可愛がっており、私の大学入学時の写真を見せられ、それを覚えていたらしい。

 彼は先生と最近まで連絡を取っていたようだった。だから自然と、私は先生の現在を彼に聞いた。

 結局、施工管理士としての仕事は二年間で辞めた事。その後は地元農家で栽培や、販売の仕事をしたが、それも半年で辞めてしまった事。現在はフリーターとして食い繋いでいること。結婚すると息巻いていた彼女と別れ、その後新しい彼女を作りその家に住んでいる事。

 野心家であった先生は、出世して経験を積み、そのうち独立して会社を作りたいとよく言っていた。それが今は見る影も無い。

 私が大学三年生になった頃。つまり、先生と私が初めて会った時の先生の年齢に追いついた頃、先生から一つ連絡が来た。実に二年振りの連絡だった。

「次は、東京。」その一言だけの連絡だった。遂に地元を離れるのかと思った。

 先生はこの土地を好いていた。この土地に住む事に誇りすら感じていたはずだった。先生が地域経済を学んでいたのは、この土地で活躍するためのはずだった。自分の武器を作るために勉強をすると言っていたその武器を、先生は捨ててしまった。

 何か理由があるのかはわからない。聞くに聞けなかった。

 大学を卒業して地元企業に就職し、もう十年が経った。結局先生とはそれから一度も連絡していない。

 私にとって先生は、恩師であり、先輩であり、兄のような存在だった。私は先生に対して多くの尊敬を寄せていたし、先生も私をよく可愛がってくれていた。

 先生は野心家で、かつ勤勉だった。それに当てられて、私は当時勉強にのめり込む事ができた。

 苛烈なスケジュールをこなしながら、日々自分の武器を蓄える先生には、敵わないなと思いながらどこかで憧れを感じていたように思う。

 私の目に映る先生は、孤高で、ストイックで、たまに吐く大口もこなしてみせた。格好いいなと思っていた。

 大学院を中退しても、先生の野心はそのままだった。先生はきっと理想と現実のギャップに苦しんでいたのだと思う。

 今思えば、私との授業に遅れてしまうようになったのも、段々と体が追いつかなくなってしまったからなのかもしれない。そのあたりから髪も髭もほったらかしになっていた。

 ここじゃない何処かへと就職しても、私との授業からは逃げられなかった。先生は家庭教師は楽しいと言ってくれていたが、本当にそうだったのか。

 私が先生と同じ歳だった時に、私のように無知で、無条件に慕ってくる人間がいたらどう思うのだろうか。私はきっと重圧に感じてしまう。

 先生は性格上、私に弱音を吐かない。というか、プライドが邪魔して弱音を吐けないと思う。そういうタイプだ。先生に対する私の期待が、きっと先生の首を絞めていた。

 私の尊敬で、先生が気持ちを病んでしまったのなら私は謝りたい。しかし、先生は私の謝罪を受け入れないだろう。その時もきっと自分のせいだと先生は言ってしまう。

 ああ、またこの考えだ。先生ならきっと。これが良くない。最後に会ったのはもう二十年以上前のことだ。先生は今三十八歳頃だろうか。いい加減、あの時の先生でなくてもいいじゃないか。

 未だにこの期待とも違う固定観念が、私の中で払拭されない。あの時の先生ではない先生を私は想像できない。学生時代の、人生を変えるほどの強烈な印象を、上書きする事ができない。

 しかし、きっと先生はあの頃の先生のままだろう。これは期待や固定観念ではなく、私の簡単な憶測だ。

 あの性格の先生が、四十歳を手前にしたところで大人しくなると思えないのも一つだが、なにより、先生のプライドの高さが私の前でそうはさせないと思うことがこの憶測の大きな根拠だ。

 私が先生のことを先生と呼び続ける限り、先生は自分を先生であると自覚する。それは、先生にとって先生と呼ばれる記憶の殆どが家庭教師としての記憶だからだ。私はその記憶を消さない限り、先生はあの時の先生であり続けてくれると考えている。

 私は先生が落ち着いて、あの野心や覇気が消えてしまった姿を見たくはない。格好良い先生であり続けてほしいし、そんな姿を見ると、私の中で答え合わせが始まる気がするからだ。

 だから、私は未だに先生を先生と呼んでいる。

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