第6話 承認欲求という名の自己申告
新宿税務署の3階、徴収部門のフロア。
一般の窓口業務が終わった午後6時過ぎ、薄暗くなり始めた室内で、宮本マリのデスクのモニターだけが青白い光を放っていた。
画面に映し出されているのは、区役所の高木から送られてきた暗号化USBメモリ内の映像データだ。ダンジョンの薄暗い岩肌を背景に、標的が非合法な私設買取業者と高額の現金取引を行っている決定的な瞬間が記録されていた。
「……なるほどね。随分とアナログな受け渡しをするじゃない」
マリは映像を一時停止し、アタッシュケースから帯封のついた札束を取り出しているスーツの男の顔を拡大した。撮影者の隠密スキルとウェアラブルカメラの性能のおかげで解像度は高く、男の顔の輪郭や特徴ははっきりと識別できる。
彼女はすぐさま、国税庁が独自に構築している要注意人物・法人のデータベースにその顔写真を照合にかけた。膨大なデータをスキャンし、数分の検索ののち、画面に一つの企業名が弾き出される。
表向きは貴金属や海外雑貨の輸入販売業者。だが、その実態は海外のペーパーカンパニーを利用したマネーロンダリングの仲介を請け負う、いわゆる暴力団のフロント企業的なダミー会社だ。
「やっぱり繋がってた。ギルドの正規レートより3割も手数料を引かれるのに、わざわざこんな怪しい業者をダンジョン内に呼び出してまで使う理由は一つしかないわよね」
マリは静かにキーボードを叩き、そのダミー会社を起点として、標的の過去数年間の資金の流れを徹底的に洗い出し始めた。
特別国税徴収官、通称『トッカン』である彼女に与えられた権限は絶大だ。国税犯則取締法に基づく調査権限を用いれば、国内の金融機関の口座情報は手に取るようにわかる。
数時間に及ぶ地道で緻密な追跡の末、マリは無数に散らばった口座情報の点と点を、一本の明確な線に繋ぎ合わせた。
手口はこうだ。
標的がダンジョン内で私設業者に魔石を渡し、現金を受け取る。業者はその魔石を自社の「正規の仕入れ」としてギルドや海外市場に流し、利益を得る。一方、標的が受け取った現金は、彼の知人や親族の名義を借りた国内の数十の口座に細かく分散して入金される。そこから一度、タックスヘイブンとして知られるB国のペーパーカンパニーへ送金され、「海外企業からの正当な広告収益」や「コンサルタント料」という名目に資金の性質を書き換えられる。そして最終的に、彼自身が管理するメイン口座へと堂々と還流していたのだ。
「……手口としては古典的だけど、素人が一人で思いつくスキームじゃないわね。裏で知恵をつけてる悪徳税理士か、その筋のコンサルタントがいるはず」
マリは冷めたコーヒーを一口飲み、小さく息を吐いた。
しかし、裏にどんな知恵者がいようがいまいが関係ない。資金の出どころと流れが特定できた以上、もはや反論の余地はない。年間の無申告額は、優に2億円を超えていると推測される。これに追徴課税や重加算税を含めれば、標的に課せられる税額は莫大なものになるはずだ。
悪質な所得隠し。それは、真面目に働き、日々の生活の中から税金を納めている多くの国民への明確な裏切り行為に他ならない。
「ダンジョンの裏金だろうと、マネーロンダリングの果てだろうと、1円残らず回収してやるわ」
マリは冷たい笑みを浮かべた。その瞳の奥には、脱税者を絶対に逃がさないという狩人の鋭い光が宿っている。
彼女はすぐさま直属の上司への報告書をまとめ、裁判所へ提出する「強制調査」の令状請求書の作成に取り掛かった。
★★★★★★★★★★★
翌日の昼下がり。
新宿区役所ダンジョン管理課の窓口は、いつも通りの慌ただしさを見せていた。
まひるは、冒険者が持ち込んできた魔石の重量を量りながら、チラチラと隣のデスクの高木を盗み見ていた。
昨日、高木から「国税が動くのもすぐだ」と聞かされて、まひるは胸が熱くなった。自分が危険を冒して押さえた現場の証拠が、巨悪を討つための強力な武器になったのだ。だからこそ、今朝からどうにもそわそわと落ち着かない。
(あのデータ、税務署の宮本さんはどこまで解析を進めてくれたんだろう。早く令状のメドが立てばいいけど……)
まひるの期待と緊張が入り混じった視線に気づいたのか、一段落したタイミングで、高木がふと顔を上げた。
「安藤さん。お疲れ様」
「あっ、はい! 主任もお疲れ様です」
「昨日のデータだけどね。税務署の宮本さんから、昨夜のうちに連絡があったよ」
高木は声を落とし、周囲の来庁者に聞こえないマイルドなトーンで言った。
「君の映像に映っていた業者の顔から、資金洗浄のルートが特定できたそうだ。現在、彼女が裁判所に強制調査の令状を請求している。証拠が明確だから、そう遠くないうちに許可は下りるはずだよ」
「本当ですか……!」
まひるの顔がパッと明るくなる。
自分が潜入して撮影してきた結果が、国税という巨大な組織を本格的に動かし、悪質な脱税者を追い詰める決定的な一打になったのだ。これまで冒険者として物理的にモンスターを倒した時とは違う、静かだが確かな達成感が胸に広がった。
「君の勇気と的確な判断力のおかげだ。改めて礼を言うよ」
「いえ、私は主任の言った通りに証拠を集めただけですから! でも……いざ強制調査が入るとして、あいつが資産を現金化して急いで海外に逃げたり、証拠を隠滅したりする可能性はないんですか?」
まひるの懸念はもっともだった。相手は数日前、この窓口で高木から直接「強制調査による差し押さえ」の可能性を示唆されている。普通の神経なら、すでに財産をどこかへ移し始めているはずだ。
高木は少しだけ目を細め、机の引き出しから自分のスマートフォンを取り出した。
「普通の知能があればそうするだろうね。ただ、彼はどうやら私たちの想像以上に『普通ではない』らしい」
「え?」
「今朝から、彼の配信チャンネルが数日ぶりに更新を再開したんだが……まあ、見てみるといい」
高木がスマートフォンの画面をまひるに向けた。
そこには、動画プラットフォーム『Dチューブ』の画面が映し出されていた。タイトルには『完全復活! アンチども息してる? 祝・超絶レアアイテム購入配信!』と、いかにも彼らしい煽り文句が踊っている。
動画が再生されると、地下駐車場のような場所で、大河内リョウがドヤ顔でカメラに向かってポーズを決めていた。彼の背後には、黒光りする新車の高級輸入SUVが停まっている。
『はいどーもー! オレ様でーす! いやー、ちょっと野暮用があって配信休んでたけど、心配かけたな!』
大河内はサングラスを外し、大げさに手を広げた。
『アンチどもが、俺が区役所にビビって逃げたとか騒いでたらしいけど、笑わせんな! 俺はなぁ、新しい相棒を迎えに行く準備をしてただけなんだよ! 見ろよこれ!』
カメラが背後のSUVをなめるように映す。ボンネットのエンブレムは、誰が見てもわかる超高級車のそれだ。
『現金一括で買っちまったぜ! これでダンジョンまでの移動も最高にラグジュアリーってわけだ!』
まひるは開いた口が塞がらなかった。
(こいつ……国税の調査が迫ってるかもしれないのに、なんでこんなに堂々と金を使ってるの……?)
動画の中の大河内は、さらにテンションを上げていく。
『でもな! 今日見せたかったメインはこれじゃねえんだよ! これを買うためにわざわざ配信休んで、裏のオークションまで出向いてたんだからな!』
彼は車のトランクを開け、仰々しい装飾が施された、重厚な金属製の特殊耐熱ケースを取り出した。
『ジャーン! 見ろよこれ!』
幾重にもロックが掛けられたそのケースが開けられると、中には真紅の刀身を持つ両刃の剣が収められていた。柄にはめ込まれた巨大な魔石が怪しい光を放っており、刀身の周囲だけ、熱によって空気が陽炎のように揺らめいている。
まひるは元冒険者として、その剣が放つ異常な魔力の波長を画面越しにすら感じ取った気がした。
「あれは……」
「『紅蓮の魔剣』。第7階層のボスドロップ品だね。常に刀身が超高温を保ち、触れるものすべてを焼き切ると言われている。だからあんな特殊な保管ケースが必要になるわけだ。ギルドの公式オークションでもめったに出回らない、一級品のマジックアイテムだよ」
高木が静かに解説する。
『すげえだろ!? エンチャント付きの最高レアだ! こいつだけで1500万は下らねえからな! お前らみたいな底辺には一生縁がない代物だぜ! これで明日から、ダンジョンのモンスターどもを丸焼きにしてやるから楽しみにしてろよな!』
大河内は魔剣を誇らしげに掲げ、カメラに向かって高笑いをした。
動画はそこで終わっていた。
「……馬鹿なんですか、あいつは」
まひるは呆れ果てて呟いた。
「窓口で主任にあれだけ脅されたのに、なんでこんな証拠映像を全世界に発信してるんですか?」
「彼の中では、区役所の人間が言ったことは『単なる脅し』で終わっているんだろうね」
高木はスマートフォンを机に置き、腕を組んだ。
「海外のペーパーカンパニーを経由した資金洗浄のルートを、一地方公務員や税務署がそう簡単に暴けるはずがない。裏で指示を出している税理士にもそう吹き込まれているはずだ。だから、自分の資産は絶対に安全だと過信しているんだろうね」
「でも……」
「それに、承認欲求だよ。数日間配信を休んでアンチに叩かれたことで、彼のプライドは傷ついていた。それを手っ取り早く回復させるためには、自分の圧倒的な『力』と『財力』を誇示するしかなかったんだ」
そこへ、高木の机の上のスマートフォンが短く振動した。
画面を見ると、メッセージアプリの通知が一件届いている。送り主は宮本マリだった。
『見てる? 彼、差し押さえの目録リストを自分で読み上げてくれてるわ』
短い文章の後に、にっこりと笑うスタンプが添えられている。
高木は小さく息を吐き、キーボードを叩いて返信を打った。
『ああ。車のナンバーも、マジックアイテムの購入価格までご丁寧に自慢してくれている。差し押さえ対象の資産価値を特定する手間が省けたよ』
まひるは高木の横顔を見上げた。
国税局による包囲網が音を立てて狭まっていることなど露知らず、自らの首を絞める証拠を喜々として世界に発信し続ける哀れな男。
大河内が自慢げに見せびらかした1500万の魔剣も、ピカピカの高級車も、すべては数日後に国に没収される運命にあるのだ。
「主任。なんか……ちょっとだけあいつが可哀想に思えてきました」
「同情する必要はないよ。彼が脱税した金は、本来ならダンジョンの安全管理や、区民の生活を支えるためのものだ。私たちが取り戻さなければならないんだよ」
高木は静かに、だが確かな重みのある声で言った。
「それに、あれだけ派手に見せびらかしてくれたんだ。いざ差し押さえの時に『そんなものは持っていない』という逃げ道は、これで完全に断たれたね」
高木は手元のファイルをゆっくりと閉じ、次の業務に取り掛かるべく、新しい決裁書類に静かにハンコを押した。




