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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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第48話 特権クランの崩壊と裏金口座の差し押さえ

 月曜日の朝6時半。

 高木の1LDKのマンションのリビングには、穏やかな朝日が差し込んでいた。


 高木はソファに腰を下ろし、あぐらをかいた膝の上に、先住猫であるマンチカンのベルを仰向けに抱え込んでいる。手には猫用の小さなハサミ型の爪切りが握られていた。


「いい子だ、ベル。動かないで」


 高木がベルのクリーム色の前脚をそっと握り、ピンク色の肉球を親指で軽く押し込むと、隠れていた半透明の鋭い爪がスッと顔を出す。高木は血管の位置を慎重に確認しながら、先端の尖った部分だけをパチン、とテンポ良く切り落としていく。ベルはすっかりこの儀式に慣れているらしく、されるがままにゴロゴロと喉を鳴らしていた。


 その様子を、少し離れたキャットタワーの最下段から、新入りのブリティッシュショートヘア、アッシュが不思議そうに見つめていた。丸い琥珀色の瞳が、高木の手元とパチンという音のたびにパチパチと瞬きをしている。


「よし、ベルは終わりだ」


 高木がベルを床に下ろすと、ベルはトテトテと歩いていき、ご褒美のカリカリをかじり始めた。


「次は君の番だよ、アッシュ」


 高木が手を伸ばすと、アッシュは「にゃっ?」と短く鳴き、逃げることなく抱き上げられた。我が家に来てから初めての爪切りだ。

 高木の膝の上に仰向けにされたアッシュは、見慣れない銀色のハサミが近づいてくると、少しだけ身をよじって抵抗しようとした。しかし、高木の分厚く温かい手のひらがその小さな体を優しく、かつ逃げられないようにすっぽりと包み込む。


「怖くない。すぐ終わるからね」


 高木がアッシュの右前脚を握り、肉球をぷにっと押す。シャキッと小さな爪が出た。

 パチン。

 乾いた音が響いた瞬間、アッシュは目を真ん丸に見開いて、短い前脚をビクッとすくませた。自分の体の一部が切り落とされたのに、痛みがないことに驚いているようだ。「にゃうっ」と抗議の声を上げ、左手で高木の手首をポカポカと叩こうとするが、高木の安定したホールドの前では無力だった。

 パチン、パチンと小気味良い音が続き、あっという間にすべての爪が丸く整えられる。


 床に下ろされたアッシュは、すぐさま自分の前脚を舐めて異常がないかを確認していた。そこへ先輩猫のベルが近づいてきて、頑張ったアッシュの頭を「よくやった」とばかりにペロペロと舐めてやる。アッシュも満更ではない様子で目を細めた。

 高木はその微笑ましい光景を静かに見つめ、ジャケットを羽織った。


「行ってくる」


 完璧に整えられた日常。今日、この国を揺るがす嵐が吹き荒れることなど微塵も感じさせない、静かな出勤だった。


★★★★★★★★★★★


 午前10時5分。霞が関、経済産業省の大会議室。

 新法案の最終答申を発表するはずだったその場所は、怒号と悲鳴が飛び交う阿鼻叫喚のパニック状態に陥っていた。


「どういうことだ! なぜ事前に情報を掴めなかった!」


 特区開発室長の神崎は、仕立ての良いスーツの胸元を乱し、血の気を失った顔でスマートフォンを耳に押し当てて怒鳴り散らしていた。

 彼が直視を避けている壁面の巨大モニターには、東証の株価チャートが映し出されている。特区関連の銘柄が、まるで滝のように垂直に暴落していく様がリアルタイムで更新されていた。

 外国人投資家によるパニック売りだ。


 今朝、世界中の主要ニュースネットワークと巨大動画プラットフォーム『Dチューブ』で、同時多発的にある告発データが拡散された。

 経産省と特権クランの癒着を示す、隠蔽のしようがない一次資料の数々。それが英語、中国語、スペイン語に翻訳され、秒速で世界中の端末へと届けられたのだ。


「情報統制だ! 国内のメディアに圧力をかけろ! この記事を今すぐ消させろ!」


 神崎の悲鳴に近い命令に、秘書官が震える声で首を横に振る。


「無理です! サーバーはすべて海外を経由しています。国内のメディアも、海外の報道を後追いする形で一斉に報じ始めました。……もう、我々の手には負えません!」


 一国の官庁が持つ国内の圧力など、国境を越えた情報のうねりの前では無力だった。神崎はスマートフォンを取り落とし、呆然とチャートの赤い線が地の底へ落ちていくのを見つめるしかなかった。


★★★★★★★★★★★


 同時刻。日本冒険者ギルド機構新宿支部、最上階。

 重厚なマホガニーの扉が乱暴に開け放たれ、オメガ・ファミリアの代表理事と専務理事が、靴音を荒らげて法務部コンプライアンス管理室に怒鳴り込んできた。


「大野室長! いったいどういうことだ! ネットに出回っているあのデタラメな労働データの出所を今すぐ特定し、ギルドの公式声明で全面否定しろ!」


 代表理事が、血走った目でデスクの前に立ち塞がる。彼らの目的は、ギルドに圧力をかけて事態を揉み消すことだった。

 しかし、彼らを待ち受けていた大野恵里は、ブルーライトカット眼鏡の奥の瞳を微塵も揺らさず、冷徹な表情のまま座っていた。


 彼女は、男たちがさらに言葉を継ぐよりも早く、デスクの上に分厚い決裁書類をパタン、と確かな重みを持った音を立てて置いた。


「株式会社オメガ・リソース、および系列の全クランに対し、ギルド規約第8条に基づく『冒険者ライセンスの無期限停止』、ならびに『ギルドからの永久除名処分』を通達します」


 氷のように冷たい宣告が、室内に響き渡った。


 代表理事の顔の筋肉が引き攣り、額に脂汗が浮かぶ。


「……な、何を言っている。我々のバックには国がいるんだぞ! お前たちのような民間法人が、国を本気で怒らせてタダで済むと思っているのか!」


 脅し文句は、かつてなら有効だったかもしれない。しかし、恵里はゆっくりと立ち上がり、哀れみすら含んだ視線で男たちを見下ろした。


「決定的な証拠は、すでに全世界に公開されています。あなた方が頼りにしてきた推進派の官僚たちも、今は自分の保身で手一杯でしょう」


 恵里は書類の表紙を指先でトントンと叩いた。


「もはやあなた方を庇う権力者は、この国のどこにもいませんよ」


 絶対的な法的根拠と、ギルドの権限をフル行使した鉄槌。国内トップ3の巨大クランは、ダンジョンに潜る権利そのものを完全に剥奪され、社会的な息の根を止められた。


★★★★★★★★★★★


 国内が未曾有の混乱に陥る中、オメガ・ファミリアのダミー会社のオフィスでは、神崎ら経産省の推進派官僚と結託した資金管理の責任者たちが、せめてもの抵抗を試みていた。

 彼らは裏金プール口座の資金を、追跡の難しい海外のタックスヘイブンへ一気に逃がそうと、ネットバンキングの画面に張り付き、キーボードを叩いていた。


「急げ! サーバーが生きているうちに、全額をケイマンの口座に移せ!」


 何重にもダミー法人の口座を経由させ、ようやく送金実行の画面に辿り着く。エンターキーを叩き、安堵の息を吐き出そうとした直後。


 画面の中央に、無機質なポップアップウィンドウが表示された。


『Error:この口座は国税当局の要請により凍結されています』


「……は?」


 何度画面を更新しても、別の口座でログインを試みても、結果はすべて同じ赤いエラーメッセージだった。


 新宿税務署、3階のセキュリティールーム。

 宮本マリは、リターンキーからスッと指を離し、モニターにズラリと並んだ「全口座凍結完了」の通知を見つめた。

 モニターの青白い光に照らされた彼女の顔には、目が全く笑っていない、底知れぬ圧を放つ冷酷な笑顔が浮かんでいた。

 週末の間、彼女は徹夜で海外の税務当局と極秘裏に連絡を取り合っていた。複雑に絡み合った国際的な資金洗浄ネットワークの全容を、すでに世界の監視機関と共有し、完璧な包囲網を敷き終えていたのだ。


「脱税とマネーロンダリングは、国家への反逆よ。1円たりとも逃がさないわ」


 圧倒的な調査能力と強権発動により、官僚と特権クランが溜め込んだ莫大な裏金は、すべて国庫へと強制的に差し押さえられた。


★★★★★★★★★★★


 重機のディーゼルエンジンが唸りを上げ、粉塵が空を舞っている。

 新宿御苑ダンジョン、特区ゲート前。

 違法建築物の撤去に向けた行政代執行が開始され、現場は異様な熱気に包まれていた。区が手配した作業員たちが次々とゲートの奥へと入っていく中、締め出されたオメガ・ファミリアの構成員や関連業者の男たちが、怒号を上げながらバリケードに詰め寄っている。


「ふざけんな! ここは国の特区だぞ! 区役所ごときが勝手に入り込んでいい場所じゃねえ!」

「中にはまだ俺たちの機材があるんだよ! 弁償しろ!」


 怒り狂う男たちの最前線。飛び交う罵声と重機の騒音のすぐ横に、場違いなほど事務的な空間が形成されていた。

 パイプテントの下に置かれた、長机と数脚のパイプ椅子。卓上には『新宿区役所 行政代執行 臨時窓口』と書かれたプレートが置かれ、高木乾三がヘルメット姿でそこに座っていた。


「国の特区であっても、建築基準法および消防法に基づく是正勧告に従わない違法建築物に対しては、地方自治法に基づく行政代執行の対象となります」


 高木は、目の前で顔を真っ赤にして凄むクランの幹部に対し、一切の表情を変えることなくバインダーの書類を指し示した。


「内部の機材につきましては、すでに目録を作成の上、区が指定する保管庫へ移送済みです。引き取りを希望される場合は、こちらの『動産返還請求書』に必要事項を記入し、保管および移送にかかった実費を納付していただきます。ここに署名と捺印をお願いします」


「てめぇ、俺たちを舐めてんのか……!」

「いえ。法令に基づいた適正な手続きをご案内しているだけです。署名されないのであれば、機材は一定期間保管ののち、公売にかけて代執行の費用に充当させていただきますが、よろしいですね」


 男はギリッと奥歯を噛み締めたが、高木の背後に控える区の警備職員たちと、目前の揺るぎない巨体のプレッシャーに抗うことはできず、忌々しげにペンをひったくった。


 隣のパイプ椅子に座り、書類の整理をしていたまひるが、手元のスマートフォンの画面を見て弾かれたように顔を上げた。


「主任! ギルドの公式サイトで発表が出ました。オメガ・ファミリア、永久除名です! それに、株価もストップ安で……マリさんたちも、完全にやったみたいです!」


 重機の騒音に負けないように声を張り上げるまひるの顔は、興奮で紅潮していた。

 高木は、男から乱暴に突き返された書類を受け取り、所定の欄に丁寧に確認印を押した。


「ああ。彼女たちなら、確実にやり遂げると信じていたよ」


 高木は押印済みの書類の控えを切り離し、クリアファイルに挟み込んだ。

 そして、未だにバリケードの外で不満げにたむろしている次の対象者たちの方へと、真っ直ぐに視線を向ける。


「次の方、こちらへどうぞ」


 高木の落ち着き払った声が、騒然とする現場の空気を切り裂き、確かな重みを持って響き渡った。

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