第4話 国家権力は笑いながら首を絞める
新宿区役所のダンジョン管理課。静まり返ったフロアの片隅で、高木がスマートフォンで呼び出したのは、新宿税務署の徴収部門だった。
耳に端末を当てると、数回のコール音の後に、明るくハキハキとした女性の声が聞こえてきた。
『はい、新宿税務署徴収部門、宮本です』
「高木だ。業務中にすまないね」
『あら、乾三くん。珍しいわね、そっちからかけてくるなんて。もしかして今夜飲みに行こうって誘い? それともまた、厄介な滞納者の差し押さえ手続きの相談?』
「いや、少し厄介な――いや、君にとっては『美味しい』案件の相談だ。大河内リョウという冒険者の名前を聞いたことはあるかな」
高木の言葉に、電話の向こうの空気が少しだけ変わったのがわかった。
『……大河内リョウ。ああ、最近ダンジョン内で初心者を煽ったり、迷惑行為を繰り返してるっていうDチューバーね。でも彼、確かうちには確定申告書を出してなかったはずよ。所得ゼロ扱いで』
「先ほど、彼が区役所の窓口で『先月だけで5000万稼いだ』と公言していってね」
電話の向こうで、カチャリとペンの落ちる音がした。
『……5000万? それ、本当に言ったのね?』
「ああ。周囲に証人も多数いる。魔石の換金益と配信の収益を合わせれば、年間の無申告額は億単位に上る可能性がある。区の管轄では限界があるからね。国税局の――いや、特別国税徴収官の出番じゃないかと思って」
『……上等じゃない。危険な場所で稼いだとはいえ、国民の義務を舐めてるわね。ちょっと裏から徹底的に洗ってみる。ありがと、乾三くん。後でまた連絡するわ』
声の温度が一気に下がり、獲物を見つけた狩人のような響きになったのを確かめ、高木は通話を切った。
隣で様子を窺っていた安藤まひるが、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。高木はスマートフォンをスーツの内ポケットにしまい、何事もなかったかのように再び目の前の書類の山へと向き直った。
★★★★★★★★★★★
それから数日後のことだった。
昼休みの時間が終わり、庁舎内に再び市民の姿が増え始めた午後1時過ぎ。ダンジョン管理課の自動ドアが乱暴に開き、一人の若い男がズカズカとフロアに入ってきた。
目深に被ったキャップに、黒い無地のパーカー。先日窓口に現れた時の派手な出で立ちとは打って変わり、顔を隠すような地味な服装だ。手にはジンバルもスマートフォンも握られておらず、背後でニヤニヤと笑っていた取り巻きの姿もない。
迷惑系Dチューバーの『オレ様』こと、大河内リョウだった。
「おい、この間のデカいおっさんを出せ!」
大河内は3番窓口に直行するなり、アクリル板をバンバンと乱暴に叩いた。対応にあたっていた若手職員がビクッと肩を揺らし、周囲の市民が怪訝な顔で振り向く。
「私ですが。本日はどのようなご用件でしょうか、大河内さん」
声が掛かるのとほぼ同時に、高木が書類から顔を上げ、ゆっくりと窓口へ歩み寄った。
「テメェ、この間の配信の後、運営からマジで警告のメールが来やがったぞ! 収益化停止の一歩手前だ! どう落とし前つけてくれんだ!」
大河内は血走った目で高木を睨みつけた。カメラが回っていない分、彼の本来の粗暴さや苛立ち、そして焦りがストレートに表に出ている。
「規約違反を指摘されたのであれば、ご自身の配信内容を見直すことをお勧めします。区役所としては、それ以上の対応はいたしかねます」
「ふざけんな! お前らがチクったせいだろうが!」
大河内はアクリル板越しに唾を飛ばさんばかりの勢いで怒鳴った。
「それに、なんだよあれ。俺のギルドの登録番号、税務署に回しやがっただろ! 昨日、実家の親から『税務署からお尋ねの封筒が来てる』ってパニックになって連絡があったぞ!」
高木は表情をピクリとも変えずに答える。
「大河内さんはここ数年、確定申告を提出されていませんね。区として、高額な所得が疑われる事案について関係機関と情報を共有するのは、適正な税務行政の一環です」
「だから! 俺は命を懸けてモンスターと戦ってんだよ! いつ死ぬかわからねえリスク背負って潜ってんのに、なんで安全なところでふんぞり返ってる国にカスみたいな税金払わなきゃなんねえんだ! 俺の金は俺の血と汗の結晶だ!」
冒険者特有の選民思想だった。
ダンジョンという死と隣り合わせの非日常に身を置くうちに、自分たちは特別な存在であり、地上の法律やルールに縛られるいわれはないと錯覚してしまう。
少し離れたデスクから様子を窺っていたまひるは、内心で「馬鹿か」と吐き捨てた。
リスクを背負っているのは、毎日真面目に潜って魔石を納品している大半の冒険者たちも同じだ。彼らは危険な目に遭いながらも、きちんと利益を申告して税金を納め、残った手持ちの資金で丁寧に装備のメンテナンスを行い、明日の探索に備えているのだ。
「おい、今すぐそのチクリを取り消せ! 誤解だったって税務署に連絡しろ! じゃねえと……!」
大河内が興奮のあまり、アクリル板の下の隙間から強引に腕を伸ばし、高木のネクタイを掴もうとした。
その瞬間、高木がわずかに前へ出た。
ワイシャツの下にある岩のような体躯が、アクリル板スレスレに迫る。見下ろすような形になり、高木の巨体が大河内の視界を完全に覆い尽くした。
「……暴力的な威圧による要求の強要。刑法第223条の強要罪、および第95条の公務執行妨害に抵触する恐れがあります」
低く、底冷えするような声だった。
大河内の伸ばした手が、空中でピタリと止まる。
「税金を払う筋合いがない、とおっしゃいましたね。ですが、あなたが利用しているダンジョンの入り口の安全管理、魔石の公的な流通システムの維持、さらにはあなたが日々歩いている道路の舗装に至るまで、すべて税金で賄われています。日本国憲法第30条に定められた納税の義務は、ダンジョンに潜るリスクの有無とは無関係です」
「う、うるせえ……!」
「それに、すでに事態は『お尋ね』の段階を越えつつありますよ」
高木は冷徹に、逃げ道を塞ぐように事実を並べ立てる。
「意図的に所得を隠蔽したと判断された場合、本来納めるべき税金に加え、最大で40パーセントの重加算税が課せられます。さらに延滞税も日割りで加算されていく。もし年間の無申告額が億単位となれば、刑事罰――懲役刑の可能性も十分に視野に入ってきます」
大河内がヒッと短く息を呑んだ。
「刑事罰……?」
「ええ。そして、国税徴収法に基づく強制調査が実行されれば、ご自宅のスタジオの配信機材、銀行口座の残高、さらにはダンジョンで得た貴重なマジックアイテムに至るまで、すべてが『差し押さえ』の対象となります。ダンジョンで得た利益だからといって、言い逃れはできません」
高木が告げる現実に、大河内の顔から完全に血の気が引いた。彼が最も恐れているのは、自分のアイデンティティであり力の源泉である「金とアイテム」を失うことだ。高級な防具も、配信用の高価なカメラも、すべて公権力によって紙切れ一枚で奪い取られる恐怖が、ようやく実感として迫ってきたのだろう。
「て、テメェら……俺の財産を奪う気か!」
「奪うのではありません。正当な手続きで徴収するだけです」
大河内は怒りに身を任せて高木を殴りつけようと拳を握り込んだが、その圧倒的な体格差と、法律という絶対的な壁を前にして、どうしても手を出せなかった。ここで手を出せば、それこそ言い逃れのできない本当の終わりだと本能が悟ったのだ。
「クソッ! 誰が払うか! 俺は絶対逃げ切ってやるからな!」
負け犬の捨て台詞を吐き捨てると、大河内は逃げるように区役所を後にした。
★★★★★★★★★★★
その日の夜。
新宿駅周辺の喧騒から少し離れた、落ち着いた雰囲気の居酒屋。
高木とまひるは、奥のテーブル席に座り、ウーロン茶を飲みながら相手を待っていた。
「主任、本当にあの後、税務署の人と打ち合わせなんですか? 私まで付いてきちゃってよかったんでしょうか」
「君は元冒険者として、ダンジョン内の実態や相場に詳しいからね。専門家も、現場の生の声を聞きたがっていたんだ」
まひるが少し緊張した面持ちでグラスを握りしめていると、カラン、とドアが開く音がした。
「ごめーん、待たせた?」
現れたのは、パリッとしたパンツスーツを完璧に着こなした女性だった。清潔感のあるミディアムショートヘアに、誰もが親しみを感じるような明るい笑顔。
年齢は20代の後半だろうか。まひるの目には、冷徹な税務署員というより、銀行の窓口にいるような愛想の良い綺麗なお姉さんに映った。
「お疲れ様、宮本さん」
「お疲れ、乾三くん。そっちの可愛い子は?」
「今年からうちの課に入った、安藤さんだ。元冒険者でね」
宮本マリ。新宿税務署の徴収部門に所属する特別国税徴収官――通称『トッカン』。
マリは高木の向かいの席に座るなり、店員に生ビールを注文し、ふうっと息を吐いた。
「さっそくだけど、乾三くん。大河内リョウの件、言われた通り洗ってみたわよ」
「どうだった?」
マリの笑顔から、すっと温度が消え去った。
「真っ黒よ。ギルドを通さずに、複数の私設買取所を回って魔石を小口で現金化してる形跡があったわ。それに、Dチューブの投げ銭収益も、海外のペーパーカンパニーの口座を経由させてマネーロンダリングもどきをやってる。かなり手の込んだ悪質な隠蔽工作ね」
「なるほど。やはりな」
「ええ。でも、尻尾は掴んだわ。あとは裏付けを取って、口座の完全な凍結と、強制捜索のタイミングを詰めるだけ」
運ばれてきたジョッキを傾け、マリは冷たいビールを喉に流し込んだ。
「……死と隣り合わせで稼いだ金だから税金は払わない? ふざけんじゃないわよ。脱税は国家への反逆。取れるところから、キッチリ搾り取ってやるわ」
その目が全く笑っていないことに気づき、まひるは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(この人……主任とは違うベクトルで、絶対に敵に回しちゃいけないタイプだ……!)
「安藤さん。君には、彼がダンジョン内で不当に利益を得ている証拠を集めるのを手伝ってもらえるかな」
高木が静かに言う。
「行政の指導、国税の差し押さえ、そして現場での違法行為の証拠。全てを揃えて、彼の逃げ道を完全に塞ぐんだよ」
まひるは身を引き締め、力強くコクンと頷いた。
この先に待ち受ける容赦のない修羅場を予感しながら、まひるはウーロン茶のグラスをぎゅっと握りしめた。




