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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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3/3

第3話 オレ様と規約違反と5000万のフラグ

 オレ様の挑発的な声がフロアに響き渡る中、まひるはいつでも相手に飛びかかれるよう、膝を軽く曲げて体重をつま先に移動させていた。相手が少しでも暴力の兆候を見せれば、その瞬間にジンバルごと腕を捻り上げ、床に制圧する準備はできている。

 だが、うず高く積まれた書類の山からゆっくりと立ち上がった巨大な影――主任の高木がわずかに右手を上げ、「待て」の合図を送ったため、まひるは奥歯を噛み締めて筋肉の緊張を解いた。


「庁舎内での無許可の撮影はご遠慮ください。ならびに、他のお客様のご迷惑となりますので、速やかにカメラを下ろしていただけますか」


 高木は手元のファイルから視線を上げることなく、極めて事務的なトーンで告げた。

 その落ち着き払った声と、ワイシャツの上からでもはっきりとわかる尋常ではない大胸筋の厚みに、オレ様の足が一瞬止まる。サングラスの奥の目が「でか……っ」と見開かれたのがわかった。

 しかし、数万の視聴者が見ている生配信の手前、ここで退くわけにはいかないのだろう。オレ様はすぐに持ち前の傲慢な薄笑いを顔に貼り付け、高木に向かってズカズカと歩み寄った。


「ハッ! 撮影ご遠慮ください? お役所仕事のテンプレ回答どうもご苦労さん! みんな聞いた? これが税金泥棒どもの隠蔽体質でーす!」


 カメラを高木の顔に向け、オレ様は得意げに声を張り上げる。取り巻きの若い男女が後ろでヘラヘラと笑い声を上げた。


 高木はデスクからゆっくりと歩み寄り、アクリル板の前に立った。


「隠蔽ではありません。新宿区庁舎管理規則第7条に基づき、庁舎内での許可のない撮影や録音、並びにゼッケンやプラカードの掲示、拡声器の使用等は明確に禁止されています。事前の撮影許可証はご提示いただけますか」


「許可証だぁ? そんなもん俺がいるかよ! 俺は『オレ様』だぞ! チャンネル登録者150万人のトップ配信者様だ! 俺がわざわざ撮影してやることで、このシケた区役所の宣伝にもなってやってんだろ! 感謝しやがれ!」


 オレ様はジンバルを握った手を大げさに振り回し、カメラのレンズをあちこちに向ける。


「許可証をお持ちでないのであれば、撮影は規則違反となります。直ちにカメラを停止し、データの消去をお願いいたします」


 高木は手元のクリップボードに挟んだ書類にボールペンでチェックを入れながら、まるで自動音声のように淡々と応じた。相手の熱量に一切乗らないその態度は、オレ様をさらに苛立たせるには十分だった。


「うるせえな! お前ら公務員は国民の奉仕者だろ! 俺は国民の代表として、お前らの怠慢を監視してやってんだよ! そもそもお前ら、ダンジョンの管理費とか言って税金からごっそり予算分捕ってるくせに、ろくに仕事してねえじゃねえか! 俺みたいにダンジョンで命張って魔石バンバン稼いでる真の貢献者に向かって、その態度はなんだ!」


 まひるの堪忍袋の緒が切れそうになる。命を張っているのは真面目に潜っている冒険者たちであって、安全な浅い階層で初心者を煽り散らしているお前ではない。そう叫びたくなったが、高木が冷ややかな視線でオレ様を見下ろしたため、ぐっと口をつぐんだ。


「私どもの業務にご意見がある場合は、所定の苦情申し立て窓口、あるいは区議会を通じてお願いいたします。ですが、現在あなたがされている行為は、区政への正当な批判ではなく、単なる『業務妨害』に該当します」

「あぁ!?」

「また、現在順番をお待ちいただいている他の来庁者の方々の顔が、無断でそのカメラに映り込んでいますが、これは明確な肖像権の侵害です。民法第709条に基づく不法行為として、映り込んだ全員から個別に損害賠償請求の対象となり得る行為ですが、そのリスクはご承知の上での配信ですか」


 高木の指摘に、オレ様は鼻で笑った。


「損害賠償? はっ、訴えたい奴がいれば勝手に訴えればいいだろ! 裁判費用なんか端金だ! こちとら先月だけでも、魔石の売り上げと配信の投げ銭で5000万は下らねえ額を稼いでんだよ! お前らみたいな薄給の公務員が何年働いても手が届かねえ額だぞ! 法律がどうとか、ビビってんじゃねーよ!」


 高木の目が、ほんの一瞬だけ鋭く光った。

 しかし、声のトーンはあくまで平坦なままだ。


「先月だけで5000万円の収益ですか」

「おうよ! 嫉妬すんなよ、公務員のおっさん!」

「ええ、そうですか。ご自身の経済力には大変な自信をお持ちのようですね」


 高木はスーツの内ポケットから自分のスマートフォンを取り出すと、画面を数回タップした。


「ですが、問題は損害賠償の金額ではありません。私は今、あなたの配信プラットフォームである『Dチューブ』の運営会社に対し、新宿区役所ダンジョン管理課の公式アカウントから、利用規約違反の通報を行いました」


 オレ様の表情が、ピクリと硬直した。


「……は?」

「Dチューブ利用規約第4条第2項、『他者のプライバシーを著しく侵害する行為』、ならびに同第3項、『現地の法令および公的機関の規則に違反する、またはそれを助長するコンテンツの配信』。あなたは現在、多数の視聴者に向けて、庁舎管理規則違反および肖像権侵害という違法行為をリアルタイムで公開しています」


 取り巻きたちが、不安げに顔を見合わせてざわめき始める。


「これは規約上、一発でアカウントの永久凍結の対象となる重大な違反行為です。現在、この配信の同時接続者数は数万人規模でしょう。それだけ多くの方が、あなたの規約違反の決定的な証拠を目撃していることになります。運営側も、行政機関からの公式な通報となれば、事態を重く見て迅速に対応せざるを得ないでしょう」

「なっ……」

「アカウントが凍結された場合、あなたがおっしゃった『5000万円』を生み出すチャンネルそのものが、過去の動画や収益金も含めて完全に消滅することになりますが……それでも配信を続けますか?」


 オレ様の顔から、さーっと血の気が引いていくのがわかった。

 彼にとって、チャンネルは唯一の金づるであり、承認欲求を満たす生命線だ。それが「今まさに消滅しようとしている」と突きつけられたのだ。


「な、お、脅す気かよ……っ!」

「事実と規約上の手続きをお伝えしているだけです。配信を続けるかどうかはあなたの自由ですが、あと数分もすれば、運営のシステムが自動的に回線を切断する可能性が高いですね」


 高木はスマートフォンを机の上に伏せて置き、オレ様を静かに見下ろした。

 その圧倒的な巨体と、一切の感情を排した冷徹な論理の壁を前に、オレ様は完全に戦意を喪失していた。ジンバルを握る手が小刻みに震え、カメラのレンズと高木の顔を慌ただしく交互に見る。


「クソッ……! おい、一回切るぞ!」


 オレ様は震える指で画面を激しくタップし、配信を強制終了させた。


「配信の停止、確認いたしました。ご協力ありがとうございます」


 高木は表情をピクリとも変えず、深く一礼した。


「庁舎内でのご用件が他にないのであれば、速やかにご退去ください。これ以上居座るようであれば、警察を呼びます」


「……っ! 覚えとけよ! お前らのこと、絶対ネットで特定して炎上させてやるからな!」


 オレ様は顔を真っ赤にして捨て台詞を吐くと、取り巻きたちを急かして逃げるように自動ドアから出ていった。


 嵐が去った後のフロアに、ようやく静寂が戻る。

 壁際に避難していた市民たちや、息を潜めていた他の職員たちが、一斉にホッと安堵の息をつく音が聞こえた。


 まひるは大きく深呼吸をしてから、高木に向き直った。


「主、主任……! 今の、すっごくかっこよかったです! あんな一瞬であの『オレ様』を撃退するなんて!」

「だから、よくある対応マニュアルの一環だよ」


 高木は何事もなかったかのようにデスクに戻り、保留にしていた書類の束を引き寄せてハンコを押し始めた。


「でも、アカウント凍結まで即座に通報しちゃうなんて、ちょっとやりすぎじゃ……」

「ああ、あれはただのブラフだよ。スマートフォンで見ていたのは新宿区の週間天気予報だ。一地方自治体の課が特定の企業にすぐ通報して、アカウントをリアルタイムで凍結させるなんて、手続き上そんなに簡単にできるわけがないだろう」


 まひるは絶句した。


(ブ、ブラフ!? あの緊迫した状況で、あんな堂々と嘘を!?)


 相手の弱点を正確に見抜き、最も恐れるペナルティをちらつかせて自滅に追い込む。それは剣や魔法を使わないだけで、完全に最前線で修羅場をくぐり抜けてきた熟練の冒険者の戦い方だった。


「それよりも」


 高木はパソコンのマウスを握り、モニターに向かって真剣な表情を浮かべた。


「安藤さん。さっきの彼、チャンネル名は『オレ様』だったね。本名か、ギルドの登録番号はわかるかな」

「えっ? ああ、はい。確か本名は『山田太郎』……じゃなくて、『大河内リョウ』だったはずです。以前、ギルドの広報誌にトップ冒険者として載っていたのを見たことがあるので。登録番号は調べればすぐにわかると思います」

「大河内リョウ、ね。調べてみてくれるかな」


 まひるは頷き、自分のデスクの端末を操作してギルドの公開データベースにアクセスする。


「出ました。大河内リョウ、22歳。冒険者ランクはB。登録番号は……」


 まひるが番号を読み上げると、高木はその番号を新宿区の納税者データベースに打ち込んだ。


 カチャカチャ、ターン。

 エンターキーを叩く音が、やけに重くフロアに響いた。


 高木の目が、画面に表示されたデータをスキャンするように動く。

 やがて、彼は小さく、しかしはっきりとした声で言った。


「……やはりな」

「何か、問題があったんですか?」

「大河内リョウ。昨年度の確定申告書、提出ゼロだ。区民税・都民税の課税台帳にも、ここ3年間、給与所得以外の申告記録が一切存在していない」


 まひるの目が丸くなる。


「えっ!? でもあいつ、さっき『先月だけで5000万稼いだ』って……!」

「ああ。Dチューブの広告収益と、魔石の換金益。どちらも立派な事業所得だ。彼ほどの再生回数と冒険者ランクなら、相当な額の収入があるはずだが、行政の記録上では完全に『無収入』扱いになっている」


 高木は椅子の背もたれに深く寄りかかり、腕を組んだ。


「魔石の私設買取所などを通じて、現金でやり取りして足がつかないようにしているんだろう。配信の収益も、海外のペーパーカンパニーなどを経由させて隠蔽している可能性が高い。典型的な無申告――脱税のパターンだ」

「それって……犯罪ですよね?」

「立派な脱税行為だね。しかも、先月だけで5000万なら、年間の無申告額は数億に上る可能性がある。追徴課税と重加算税を合わせれば、とんでもない額になるだろう」


 高木の分厚い胸板が、ゆっくりと一度だけ上下した。

 まひるは思い出す。先ほど、オレ様が自らの莫大な収益を自慢したあの瞬間、高木の目が一瞬だけ鋭く光ったことを。あの時からすでに、高木の頭の中ではこのシナリオが組み上がっていたのだ。


「区役所の権限でできるのは、あくまで住民税の督促や指導までなんだ。これだけの巨額の脱税疑惑となれば、我々地方公務員の管轄外になるからね」


 高木は机の上に伏せていたスマートフォンを再び手に取った。


「……国税を動かそう」


「国税って……あの、税務署ですか?」

「ああ。相手がこれほど悪質な無申告者となれば、強制調査の権限とノウハウを持つ専門家が必要になるんだよ。ちょうど、この手の案件に鼻が利く『腐れ縁』がいてね」


 高木は迷うことなく電話帳のアプリを開き、ある人物の番号をタップした。

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