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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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第2話 ゴブリンの死体は燃えるゴミですか?

 ダンジョン管理課に配属されて3日が経った。

 安藤まひるは、パソコンのモニターと手元の書類の山を交互に見比べながら、深々と息を吐き出した。


「主任。この申告書、どう見てもおかしいんですけど」

「どれかな」


 隣のデスクで、分厚いバインダーに目を通していた高木が顔を上げる。デスクに向かっていても隠しきれない規格外の広背筋と、ワイシャツの袖を今にも張り裂きそうな太い上腕二頭筋は、何度見ても市役所の事務机には似つかわしくない。


「『ポーション3本、計15万円』って領収書が添付されてるんですけど、宛名が空欄なんです。しかも裏面、よく見たら歌舞伎町のキャバクラのスタンプがうっすら押してあって……」

「ああ、典型的な架空計上だね。回復薬の購入を装って遊興費を経費で落とそうとしている。私的利用の疑いが強いから経費算入は否認して、本人のギルド登録番号を新宿税務署の要注意リストに共有しておいてくれるかな」

「……はい」


 まひるは呆れ顔でキーボードを叩き、システム上で対象者にフラグを立てた。

 元Cランク冒険者として言わせてもらえば、命懸けの探索で得た稼ぎを少しでも手元に残したい気持ちは痛いほどわかる。だが、こういう姑息な手段で税金をごまかそうとする輩に限って、いざという時の装備のメンテナンスや消耗品の補充を怠り、ダンジョンの下層で無様な死に方をするのだ。


「そもそも、ミスリル製の剣の研磨代って修繕費になるんですか? これ、領収書の金額が取得価額の半分を余裕で超えてますよ」

「単なる刃こぼれの修復なら通常の維持管理として修繕費でいいが、属性付与などの新たな価値を付加した場合は資本的支出として資産計上し、減価償却の対象になる。業者の明細に『火属性付与』とあるなら、耐用年数に応じて分割して経費化するよう指導してあげて」

「……わかりました」


 まひるは引きつった笑いを浮かべ、電卓を叩き始めた。

 冒険者の常識と、公務員の常識。この二つの世界の圧倒的なギャップに、まひるの脳は毎日パンク寸前だった。ダンジョンのドロップ品や探索費用がすべて税金と法律に直結するこの部署の日常は、今日も朝から慌ただしく回っている。


「はい、新宿区役所ダンジョン管理課です。……ええ、はい。清掃事務所の方ですね。お世話になっております」


 高木が保留にしていた電話に出る。その低く、落ち着いた声がフロアに響くと、周囲でバタバタと走り回っていた若手職員たちが少しだけホッとしたような顔を見せた。


「はい。第1階層の入り口付近に不法投棄されていたポイズントードの死骸の件ですね。ええ、毒腺の処理については規定通り……はい。完全に摘出および無害化の処理が済んでいる個体であれば、一般廃棄物として指定の可燃ゴミ袋で水曜日に出していただいて構いません。ただ、冒険者が事業活動に伴って大量に排出したと判断される場合は、産業廃棄物扱いになります。その場合は区の収集ではなく、専門の許可業者を手配するよう当課からギルドを通じて指導しておきますので」


 ゴブリンは燃えるゴミか。スライムの残骸は下水に流していいのか。

 ファンタジーの世界では放置されて自然消滅を待つだけのモンスターの死骸も、現実の日本では厳密な『廃棄物処理法』の網目にかかる。

 高木は電話口の相手に、環境省の最新のガイドラインと新宿区の条例をそらんじて的確に指示を出していく。その背中は、どんな高位の回復魔法の使い手よりも頼もしかった。


「高木くーん。今日も朝からフル回転だねえ。いやぁ、君がいると本当に助かるよ」


 背後から、のんきな声が掛かる。

 マグカップを片手にフラフラとやってきたのは、この課のトップである鈴木課長だった。年齢は50代半ば。事なかれ主義を絵に描いたような人物で、厄介な案件や判断に迷うクレームはすべて高木に丸投げしている。


「お疲れ様です、課長」

「うんうん。いやぁ、ダンジョン絡みの苦情は年々増える一方で困っちゃうけど、高木くんが的確にさばいてくれるおかげで、区長からのウケも上々だよ。じゃ、私はちょっと都庁の方に打ち合わせという名の情報交換に行ってくるから。午後の窓口も、よしなにやっといてね」


 鈴木課長はそう言い残し、さっさとフロアから姿を消した。

 まひるがジト目でその背中を見送っていると、フロアの前方、窓口の方から怒声が上がった。


「おい! どうなってんだこりゃ!」


 ビクッとして顔を上げると、3番窓口に中年の冒険者が身を乗り出していた。

 使い込まれた胸当てに、背中には大きなリュック。おそらく長年ダンジョンに潜っているベテランだろうが、その顔は怒りで真っ赤に染まっていた。


「魔石の換金レートが先週より一割も下がってんじゃねえか! 区がピンハネしてんだろ! ふざけんな、命がけで取ってきたんだぞ!」


 対応していた窓口の職員が、困惑した顔で後ずさりする。


「そ、そのようなことは……本日のレートは規定通りでして……」

「うるせえ! ギルドの連中とグルになって誤魔化してんのくらいわかってんだよ! どういう計算式でこうなるのか、納得いくように説明しろよ!」


 男がドンッ! と窓口のトレイに、魔石の詰まったずた袋を乱暴に叩きつけた。

 その瞬間、まひるの身体が勝手に動いていた。


「ちょっと、窓口で大きな声を出さないでください。他の方の迷惑になります」


 気がつけば、まひるはデスクを飛び出し、男の隣に立っていた。

 元Cランク冒険者の反射神経。不測の事態や危険因子を物理的に排除しようとする本能が、公務員としての理性を一瞬で上回ったのだ。


「あぁ!? なんだテメェ、新人の小娘がしゃしゃり出てくんな! 痛い目見たくねえならすっこんでろ!」


 男が忌々しげにまひるの肩を強く突き飛ばそうと、太い腕を伸ばしてきた。

 遅い。

 まひるにとって、その動きは止まっているように見えた。


(右腕の軌道、がら空き。体重移動が甘い――いける!)


 まひるは体を半歩沈め、男の伸びてきた腕を両手で下から絡め取るように掴んだ。そのまま自分の体を反転させ、男の手首と肘の関節を極めにかかる。いわゆる立ち関節技、アームロックの体勢だ。

 あとはこのまま体重を下に掛ければ、男は肩から床に崩れ落ち、完全に無力化されるはずだった。


「安藤さん。そこまでだ」


 低く、しかしよく通る声が、まひるの背後から掛けられた。

 まひるがハッとして動きを止めると、男の腕を掴んだままの彼女のすぐ横に、高木が立っていた。


「地方公務員法第33条、信用失墜行為の禁止。相手が誰であれ、窓口で市民に対して実力行使に出るのは懲戒処分の対象になり得るよ。手を離しなさい」

「でも主任! こいつ、私に手を出そうと……!」

「正当防衛の要件を満たすかどうかは、防犯カメラの映像と第三者の証言に基づく。私たちが先に手を出してしまえば、区の立場が悪くなるだけだからね。離して」


 高木はまひると男の間に、分厚い『新宿区例規集』をコトリと置いた。

 その静かで隙のない動作と、高木が背後から放つ圧倒的な巨体のプレッシャーに挟まれ、男は完全に怯んだ顔になった。


「申し訳ありません。当課の職員が失礼いたしました」


 高木は一応の形だけ頭を下げると、すぐに手元のクリップボードを開いた。


「魔石の換金レートに関するご不満ですね。新宿区における魔石の公的買い取り価格は、前日のニューヨーク魔石市場の終値に連動して算定されています。これは区の条例第45条に基づく正当な手続きであり、区の窓口担当者が独自の裁量で手数料を中抜きすることはシステム上不可能です」

「で、でもよ……先週より明らかに安いじゃねえか……」

「魔石の国際相場は、産出量や各国のエネルギー政策によって日々変動します。ここ数日、北米の巨大ダンジョンで新たな鉱脈が発見された影響で、全体的に値崩れを起こしているのが原因です」


 高木は事実だけを淡々と述べる。


「もし区の買い取り価格にご納得いただけないようでしたら、冒険者ギルドが認可している民間の私設買取所をご利用いただくことも可能です。ただし、そちらは市場価格に加えて業者側のマージンが上乗せされるため、最終的な手取り額は当窓口よりさらに目減りする可能性が高いですが……いかがなさいますか。このままお手続きを進めますか?」

「…………っ、わかったよ! 換金してくれ!」


 男は悔しそうに舌打ちをすると、乱暴に同意書へサインを書き殴った。

 手続きが終わり、男が逃げるように去っていくのを見送ってから、まひるは唇を尖らせた。


「主任、なんで止めるんですか。あいつ、絶対に私を殴ろうとしてましたよ」

「だからといって、区役所の窓口で冒険者を床に叩きつけるわけにはいかないだろう。備品が壊れたら始末書を書くのは私なんだよ」

「でも……」

「安藤さん」


 高木は少しだけ声を落とし、まひるの目を見た。


「君はもう、冒険者じゃない。公務員だ。私たちは力で相手を屈服させるのではなく、法律とルールに従って対応する。暴力には警察を呼び、不当な要求には規約で突っぱねる。それがこの社会での、一番確実で強い戦い方だ」


 その言葉には、長年クレーム対応の最前線に立ってきた者だけが持つ、重い説得力があった。

 まひるはぐっと言葉を飲み込み、「……はい。気をつけます」とだけ答えた。

 高木は小さく頷くと、「じゃあ、書類仕事に戻ろう」と踵を返した。


★★★★★★★★★★★


 昼下がり。

 午前中の喧騒が嘘のように、ダンジョン管理課のフロアには静かな時間が流れていた。

 まひるは税務処理の入力作業を進めながら、少しずつ減っていく書類の山に安堵を覚えていた。キーボードを叩く音と、時折鳴る内線電話のコール音だけが規則的に響いている。


 そんな平穏な空気を、けたたましい声が打ち砕いた。


「はいどーもー! オレ様ちゃんねるの時間だぜぇ!!」


 区役所の自動ドアが開き、派手な服装の男がズカズカとフロアに入ってきた。

 金髪にサングラス、首には太いシルバーチェーン。手にはジンバルに固定されたスマートフォンを持ち、カメラのレンズをこちらに向けている。その後ろには、取り巻きのような若い男女が数人、ニヤニヤと笑いながらついてきていた。


「今日はな! 命懸けで戦ってる俺たち冒険者から、血税をぼったくってふんぞり返ってるクソ公務員どもを成敗しに来ましたー! ここがその悪の巣窟、ダンジョン管理課でーす!」


 男はカメラに向かって大げさに身振りを交えながら、フロアのど真ん中を練り歩く。

 順番待ちをしていた市民たちが、何事かと驚いて道を譲る。他の職員たちも、突然の乱入者に戸惑い、誰も声をかけられないでいる。


「おいおいおい、税金泥棒の皆さーん! 息してるー? 今日は俺が、お前らの怠慢を全世界に生配信してやるから覚悟しろよな!」


 まひるは息を呑んだ。

 知っている。あの男は、ダンジョン内での過激な迷惑行為や、他人を晒し上げる動画で荒稼ぎしている、超人気かつ超悪質と名高いDチューバー、「オレ様」だ。


 男はカメラを構えたまま、一直線に窓口へと向かってくる。


「さあて、責任者はどこのどいつだぁ?」


 その挑発的な声に対し。

 書類の山から、ゆっくりと立ち上がる大きな影があった。


「庁舎内での無許可の撮影はご遠慮ください。ならびに、他のお客様のご迷惑となりますので、速やかにカメラを下ろしていただけますか」


 高木は手元のファイルから視線を上げることなく、極めて事務的なトーンでそう告げた。

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