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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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第36話 陽気な留学生と免税手続きの罠

 新宿区役所1階、ダンジョン管理課のフロア。

 昼前の窓口は、魔石の換金や手続きに訪れる冒険者たちの姿もまばらになり、比較的穏やかな時間が流れていた。


 まひるはデスクで書類の整理をしながら、静かに息をついた。ここ数日、悪徳クランや環境保護団体の処理で慌ただしかったため、この静けさが少しだけ心地よい。

 隣の席では、高木が相変わらずの凄まじい集中力で、分厚いファイルをめくりながらキーボードを叩き続けていた。タイピングのたびに分厚い背中の筋肉がスーツを内側から押し上げているが、その指先の速度と正確さは並の公務員を遥かに凌駕している。


 その時、庁舎の自動ドアが勢いよく開き、静かなフロアに場違いなほど明るい声が響き渡った。


「Hello, Shinjuku! ケンゾー、いる!?」


 順番待ちをしていた市民たちが、何事かと一斉に振り返る。

 そこに立っていたのは、まばゆいほどのブロンドヘアをポニーテールに結んだ、小柄な少女だった。日本の高校の制服を彼女なりにアレンジしたのか、短くしたチェックスカートの上に、動きやすそうなカラフルなスポーツ用のウィンドブレーカーを羽織っている。首元には防塵用のゴーグル、そして背中には彼女の体格には不釣り合いなほど大きなリュックを背負っていた。


「クロエちゃん、声大きいってば。ここは区役所だよ」


 まひるが慌てて立ち上がり、苦笑いしながら声をかけた。


「Oh、マヒル! 先週のハラジュクのクレープ、最高だったね! また一緒に行こうよ!」


 彼女の名前は、クロエ・ウィリアムズ。オーストラリアからの交換留学生であり、同時に日本のダンジョン特区インバウンド・ビザを利用して活動している外国人冒険者だ。


 クロエはまひるに満面の笑みを向けた後、迷うことなく3番窓口へと直行した。


「ケンゾー! 今日もダンジョンでたくさん狩ってきたよ! ノーウォーリーズね!」


 彼女は背負っていたリュックを下ろし、アクリル板の下のトレイに、ゴロンゴロンと無造作に魔石を転がし出した。


「庁舎内ではお静かに。……ウィリアムズさん、本日は魔石の売却益の申告ですね」


 高木はモニターからゆっくりと視線を外し、窓口へと歩み寄った。


「Yeah! ケンゾー、今日もクールね!」


 クロエがカウンター越しに身を乗り出し、親愛のハグを求めようと腕を広げる。しかし高木は表情一つ変えず、手元のクリップボードをスッと胸の前に立てて、彼女のハグを物理的にガードした。


「窓口での過度なスキンシップはご遠慮ください。それよりも、提出書類の確認をお願いします」

「Oops、ガード固いね。Okay、書類はこれ!」


 クロエがリュックのポケットから取り出したのは、クリアファイルに無造作に突っ込まれた大量の紙の束だった。

 高木はそれを受け取り、一枚ずつ丁寧に確認していく。

 しかし、数枚めくったところで、高木の指の動きがピタリと止まった。


「……ウィリアムズさん。この書類は、魔石の換金証明ではありませんが」


 高木がトレイの上に広げたのは、高級時計やハイブランドの化粧品、さらには最新の電化製品など、総額で数百万円に上る免税物品の購入記録のレシートだった。さらにその後ろには、それらの物品を海外の複数の宛先へ発送したことを示す、国際小包の伝票の控えが大量に綴じられている。


「Ah、それ? 日本の親切な友人に頼まれて買ったの!」


 クロエは全く悪びれる様子もなく、明るい声で答えた。


「私のパスポートを見せたら免税になって、すごく安く買えるんだって。それを海外の友達に送る手伝いをしてるだけだよ。日本のルールは複雑だけど、その友人が全部書類準備してくれるから、私はサインするだけで超簡単!」


 高木は手元の書類をパタンと閉じた。

 その横顔は、先ほどまでの事務的な平静さを失ってはいないものの、明らかに空気が一段階冷たく、重くなっている。


「……現在時刻、11時45分。少し早いですが、私は昼休憩に入ります」


 高木は立ち上がり、ジャケットのボタンを留めた。


「ウィリアムズさん。その友人について、少し詳しい話を聞かせていただけますか。ここではなく、外で」


「Wow! ケンゾーからデートの誘い!? 行く行く! 私、お腹ペコペコだったんだ!」


 クロエがパァッと顔を輝かせる。


「ちょ、ちょっと主任!? 私を差し置いて、他の若い女の子とデートに行くんですか!」


 まひるが慌ててデスクを飛び出そうとしたが、高木は静かに片手を上げてそれを制した。


「安藤さん。午後の窓口業務の準備と、少しの間、留守番を頼めるかな。これは、少し複雑な法令の解釈が必要になる案件だ」

「うぅ……わかりました」


 唇を尖らせて引き下がるまひるを背に、高木はクロエを伴って区役所の自動ドアを抜けた。


★★★★★★★★★★★


 新宿三丁目にある、落ち着いた佇まいの老舗蕎麦店。

 昼時の喧騒の中、高木とクロエは奥の静かな座敷席に向かい合って座っていた。


「Mmm! Delicious! 日本のテンプラは本当に最高ね!」


 クロエは箸を器用に使いこなし、揚げたての海老天をサクッと良い音を立てて頬張っていた。

 高木は自身の前に置かれた鴨せいろのつゆに蕎麦をサッと潜らせ、静かに音を立てずに啜る。関東風のつゆの芳醇な香りが、鴨の脂の重さを上品にまとめ上げている。


「口に合ったようで何よりです。……それで、先ほどの話の続きですが」


 高木は蕎麦を飲み込み、冷たいお茶で口の中をリセットしてから、クロエの目を真っ直ぐに見据えた。


「その親切な友人とは、いつ、どこで知り合ったんですか」


「ダンジョンの中だよ! 第2階層で私がオークをブーメランで狩ってたら、話しかけてきたの」


 クロエは天つゆの染み込んだ衣を美味しそうに咀嚼しながら答える。


「すごく優しくて、日本の複雑な税金のこととか教えてくれたの。それで、代わりに買い物を手伝ってほしいって」


「報酬は受け取っていますか」

「No! ただのお手伝いだよ。あ、でもお小遣い程度に、少しだけ現金をもらったかな。本当に少しだけ」


 高木は小さく安堵の息を漏らし、傍らに置いていた鞄から手帳を取り出した。


「ウィリアムズさん。あなたの在留資格は『留学』ですね。資格外活動許可を得ていたとしても、出入国管理及び難民認定法により、週28時間以内の就労しか認められていません」

「Yeah、だからダンジョンの探索も、週28時間ルールをきっちり守ってるよ!」


 クロエが胸を張る。


「問題はダンジョンの探索時間ではありません」


 高木の声が、一段階低く、重くなった。


「あなたが他人の資金で大量の免税品を購入し、それを海外へ反復継続して発送しているという事実です。これは『事業としての輸出入』と見なされる可能性が極めて高い。留学生ビザで認められている活動範囲を、完全に逸脱しています」

「……え?」


 天ぷらに伸ばしかけていたクロエの箸が止まる。


「さらに言えば、本来、免税品は購入者本人が日本国外へ携帯して持ち出すことが前提の制度です」


 高木は手帳のページを開き、先ほどのレシートの控えに記載されていた数値を指でなぞった。


「あなたが購入したとされる高級時計やブランド品の重量と、この国際小包の伝票に記載された重量が全く一致していません。おそらく、高額な商品はすでに国内の別の業者に横流しされ、代わりにダミーの安価な商品が海外へ送られている。消費税の還付金と国内での転売益の両方を不当に搾取するための、典型的なスキームです」


「えっ……でも、お店の人は何も言ってなかったよ?」

「ブローカーの手口です。店舗側も売上が欲しいため、書類の形式さえ整っていれば深く追求しないケースが多い。彼らはそうした心理を突いている」


 高木は容赦なく、事実という名の冷水を浴びせかけた。


「外国人旅行者や短期滞在者に対する免税制度は、あくまで『本人が消費する目的』で購入する場合にのみ適用されます。転売目的での購入、あるいは国内の第三者に横流しする行為は、明確な脱税――すなわち『密輸』に該当します。現在、日本の免税手続きは電子化されており、購入記録はリアルタイムで国税庁と税関に共有されています。一人の留学生が短期間に数百万円もの免税品を購入し、しかもそれを国際郵便で発送している記録は、システムの異常検知に必ず引っかかります」


 クロエの丸い瞳が、困惑に揺れた。


「Smuggling(密輸)……? 嘘でしょ、私はただ友人を助けただけで……」

「悪意がなくても、購入時のパスポート提示も、税関への申告書類のサインも、すべてあなたの名義で行われています。現在、日本の国税局は、外国人名義を利用した不正な免税購入ネットワークに対して極めて厳しく目を光らせています。このままいけば、近い将来に必ず税務調査の手が入るでしょう」


 高木は手元の湯呑みを見つめ、静かに告げた。


「その時、あなたの友人は真っ先に姿を消すはずです。残されるのは、書類上の実行犯であるあなただけ。……不法就労によるオーバーステイ、および関税法違反の嫌疑で逮捕され、最悪の場合はオーストラリアへ強制送還されます」


「逮捕……強制送還……」


 クロエの顔から、完全に血の気が引いた。底抜けに明るかった彼女の表情が、見知らぬ異国の法律という見えない刃を突きつけられ、恐怖で強張っていく。


「No……私、まだ日本のダンジョンでやりたいこと、たくさんあるのに……」


 彼女は両手で顔を覆い、小さく震え始めた。


 高木は残っていた蕎麦湯を湯呑みに注ぎ、ゆっくりと飲み干した。

 深く炒られた蕎麦の香りが、微かな怒りを含んだ高木の感情を静かに落ち着かせていく。


「……安心しなさい。あなたは新宿区の、ダンジョン管理課の窓口に相談に来た」


 高木は湯呑みをコトリと置き、自身のスマートフォンを取り出した。


「管轄内で起きた区民への不当な搾取を、行政が見過ごすわけにはいきません。相手が法の抜け穴を利用するのなら、こちらは法令の正面から迎え撃つまでです」


 高木が画面を操作する音が、静かな座敷に響く。


「これより、関税法および消費税法の例外規定を徹底的に洗い出し、あなたの名義で行われた取引に対する適正な『修正申告』の書類を作成します。悪意のない第三者としての要件を満たす事実証明を揃え、国税局への自発的な申告を行えば、重加算税や刑事告発を回避できる可能性が高い」


 クロエが両手の隙間から顔を上げ、すがるように高木を見つめた。

 高木は手帳を閉じ、会計の伝票を手に取って立ち上がった。


「午後からの窓口は忙しくなります。急いで区役所へ戻り、手続きの準備を始めましょう」


 彼はそのまま振り返ることなく、歩き出す。その背中を追いかけながら、クロエは慌てて目元を拭い、小さく頷いた。

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