第35話 強制隔離と外国人ブローカー
新宿警察署の取調室。
狭く殺風景な空間の中央に置かれた長机を挟んで、高木とゆき子は、会員制レストラン『エピキュリアン』のオーナーである西園寺と向き合っていた。
西園寺の顔には、数日前の店舗の裏口で見せたような威勢の良さは欠片も残っていない。整えられていた髪は乱れ、目の下には濃い隈が落ちている。
彼は机の上に組んだ両手をせわしなく動かしながら、弁解の言葉を口にしていた。
「……だから、何度も言っているでしょう。私はただ、肉を業者から買い取っただけです。その肉に、食中毒を引き起こすような菌がいたなんて知る由もなかった。私も被害者なんですよ」
「違法なルートで仕入れた食材を、偽装して客に提供していた。その時点で食品衛生法および食品表示法違反は免れませんよ」
高木が淡々と事実を指摘するが、西園寺は首を横に振った。
「罰金なら払います! 営業停止の処分も受け入れますよ! ですが、わざと客に毒を食わせたわけじゃない。業務上過失傷害の容疑は不当だ!」
いざとなれば罰金を払い、数年後にほとぼりが冷めたら別の名義で店を再開すればいい。西園寺の態度からは、そんな腹積もりが透けて見えた。
高木は無言で隣のゆき子へ視線を送る。
ゆき子は手元のクリアファイルから数枚の写真を取り出し、机の上に並べた。
「西園寺さん。我々が押収した厨房の包丁やまな板、そして冷蔵庫内の肉から検出されたのは、単なる食中毒菌ではありません」
ゆき子は写真の1つを指差した。電子顕微鏡で撮影された、奇妙な球状の物質の画像だ。
「これは、未知の寄生虫の卵です。極めて高い耐熱性を持ち、100度の熱湯で15分間加熱しても死滅しません。そして、この卵が体内で孵化し幼虫になると、即座に血流に乗って中枢神経系へ侵入し、細胞を破壊しながら増殖します」
西園寺の目が、写真とゆき子の顔をせわしなく往復した。
「き、寄生虫……? 中枢神経……?」
「ええ。神経線維を食い破るため、既存の回復魔法も効果を発揮しません。発症すれば、重篤な後遺症が残るか、最悪の場合は死に至る危険な代物です」
ゆき子は極めて事務的なトーンで事実を並べた。
「幸い、あなたの店の客は初期段階での投薬が間に合ったため、大事には至りませんでした。しかし……あなた自身はどうでしょうか」
西園寺の動きが、ピタリと止まる。
「押収した厨房の防犯カメラの映像を確認しました。あなたはオーナーシェフとして、日常的に素手で生肉の仕込みを行い、火の通りを確認するために幾度も試食を繰り返していましたね」
ゆき子の静かな言葉が、取調室の空気を急速に冷やしていく。
「つまり、あなたの体内には、すでにこの寄生虫の卵が大量に取り込まれ、定着している確率が極めて高いということです」
「な……」
西園寺の喉から、かすれた音が漏れた。
彼は自分の両手を裏返し、食い入るように見つめた。その手が、目に見えない恐ろしい虫に侵されているかのようにガタガタと震え始める。
「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律に基づき、本件を『新感染症』として対処します」
高木が書類を手に取り、宣告した。
「西園寺さん。あなたを第一種感染症指定医療機関へ無期限の強制隔離とします。外部との接触は一切遮断され、徹底的な検査と治療を受けていただきます」
「か、隔離……?」
西園寺は酸欠に陥ったように口をパクパクと動かし、背後のパイプ椅子にすがりついた。顔から血の気が失せ、小刻みに痙攣している。
「嫌だ……隔離なんて……俺の体に、虫が……!」
罰金や短期間の懲役とは次元が違う恐怖。自らの肉体を蝕む未知の存在と、自由を完全に奪われる無菌室への収容宣告が、彼の虚勢を完全に打ち砕いた。
「助けてくれ……俺は悪くないんだ! 買ったんだ、外国人の男から!」
パニックに陥った西園寺の口から、悲鳴のような自白が飛び出した。
「安くて上質なジビエ肉を卸せるって持ちかけられて……身元も名前も知らない! 裏路地で現金のやり取りをしただけだ!」
高木は手元のノートにペンを走らせる。
「……外国人、ですか。特徴は」
「背が高くて、金髪で……詳しいことは本当に知らない! だから助けてくれ、俺を病院に……!」
「……事情聴取は一旦ここまでとします。被疑者の移送手配をお願いします」
高木が同席していた警察官に目配せをすると、警察官たちは泣き叫ぶ西園寺の両脇を抱え、取調室から引きずり出していった。
扉が閉まり、静寂が戻った取調室で、高木はペンを置いた。
「……本日はお疲れ様でした。引き継ぎの書類は、当課で作成しておきます」
★★★★★★★★★★★
土曜日の昼下がり。
新宿三丁目の入り組んだ路地裏に、その店はひっそりと暖簾を掲げていた。
昭和の風情を色濃く残す、飴色に変色した木製のカウンターと、ステンドグラス風のペンダントライト。厨房から漂ってくるデミグラスソースとラードの焦げる香りが、胃袋を力強く刺激する老舗の洋食店だ。
高木は窮屈そうにテーブル席に収まり、運ばれてきた布製のおしぼりでゆっくりと手を拭いていた。
向かいの席では、私服姿の安藤まひるが、テーブルの上に置かれた大盛りのオムライスとエビフライのセットを前にして、目を輝かせていた。白いブラウスにデニムのスカートという、活動的で彼女らしい服装だ。
「いただきます!」
まひるはスプーンを手に取り、オムライスの中央に切れ目を入れた。卵がとろりと崩れ、中から湯気を立てたチキンライスが顔を出す。たっぷりとデミグラスソースを絡めて口に運ぶと、まひるの顔がパァッと明るくなった。
「んー! すっごく美味しいです、主任! 卵がふわふわで、ソースのお肉のコクがしっかりしてて!」
「それは良かった。現場の仕事が続いたからね。たまにはしっかり炭水化物を摂らないと」
高木は自身の前に置かれたポークジンジャーをナイフで切り分けた。厚切りの豚肉に、生姜の風味が効いた甘辛いソースがしっかりと絡んでいる。一口食べると、豚肉の脂の甘みを、生姜のキリッとした辛味が爽やかに切り裂いていく。白飯をかき込みたくなる、計算された濃いめの味付けだった。
今日は、先日の不法投棄騒動や、違法魔物肉の調査におけるまひるの働きを労うためのランチだった。
まひるはエビフライにたっぷりとタルタルソースをつけ、サクッという音を立てて頬張る。
高木はポークジンジャーとライスを交互に口に運びながら、傍らに置いていた文庫本サイズの書籍を開いた。
本の表紙には『詳解・出入国管理及び難民認定法』と書かれていた。その下には『関税法実務』という別の分厚い書籍も重ねられている。
「主任、ご飯の時くらい仕事のこと忘れません? っていうか、それなんの本ですか?」
まひるが水を飲みながら、高木の手元の本を覗き込む。
「少し確認しておきたい条文があってね。外国籍の人間が国内で非合法な取引を行っている場合、我々地方自治体の権限だけでは踏み込めない領域が出てくる」
高木はページを繰り、特定の項目にペンで薄く印をつけた。
「警察や入国管理局と連携し、彼らを国外へ退去させるための法的根拠を整理しておく必要があるんだ」
「うわあ……相変わらずですね」
まひるは呆れたように笑いながらも、オムライスの最後の一口を綺麗に平らげた。
「ごちそうさまでした! あー、美味しかった!」
高木もポークジンジャーの皿を空にし、紙ナプキンで口元を拭いた。
「食後にデザートを頼むかい? ここのカスタードプリンは昔ながらの固めで美味しいらしいが」
「本当ですか!? 食べます!」
まひるが即答するのを聞き、高木は店員を呼んでプリンと温かいコーヒーを追加注文した。
運ばれてきた固めのプリンを嬉しそうに崩していくまひるを眺めながら、高木は温かいコーヒーを一口飲んだ。
深く炒られた豆の苦味が、食事の油をすっきりと洗い流していく。
高木はカップをソーサーに戻すと、手元の『出入国管理及び難民認定法』のページに再び視線を落とした。




