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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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第33話 立入検査とバイオハザード

 翌朝。歌舞伎町の外れにある会員制フレンチレストラン『エピキュリアン』のオーナーである西園寺は、自身のスマートフォンを握りしめたまま、完全に血の気を失っていた。


 画面に表示されているのは、動画プラットフォーム『Dチューブ』で数百万人の登録者を抱えるチャンネル、『素子のダンジョン・スキャンダル』の最新ショート動画だ。


『最近、新宿区内の病院で謎の食中毒が多発してるの、知ってる? 実はこれ、歌舞伎町の裏手にある某・超高級会員制レストランが、違法な魔物肉を「最高級輸入ジビエ」って偽って出してるのが原因みたいなの。政財界のVIPもお忍びで通うお店らしいけど……常連の皆様、お腹の調子は大丈夫かしら?』


 動画の中で、エキゾチックな美貌を持つ女が、妖艶な笑みを浮かべながら語りかけている。

 具体的な店名こそ出していない。しかし、「歌舞伎町の裏手」「超高級会員制」「輸入ジビエ」というキーワードの組み合わせは、界隈の人間が見れば一瞬でエピキュリアンを特定できるほどに露骨な情報だった。


「クソッ……! どこから漏れた!」


 西園寺はスマートフォンをデスクに乱暴に叩きつけた。

 今朝から、今夜のディナーの予約キャンセルが相次いでいる。先ほども、都議会議員の秘書から「変な噂が流れているが、先生をお連れしても大丈夫なのか」と探りを入れる電話があったばかりだ。その場は「事実無根の悪質なデマです」と必死に繕ったが、電話を切った後の秘書の声には明らかな不信感が混じっていた。


 先日、区の保健所が突然立入検査にやってきた。その時は顧問弁護士の存在をチラつかせて門前払いしたが、行政が本格的に疑いの目を向けているのは間違いない。そこへきて、この暴露動画の拡散だ。警察や保健所が強制的な手段に出るのも時間の問題だった。


「……おい、料理長を呼べ!」


 西園寺は部屋に駆け込んできた従業員に怒鳴った。


「大型のクーラーボックスをありったけ用意しろ! 冷蔵庫の奥にある『あれ』を全部裏口のバンに積み込め。すぐに提携している処理業者に運んで処分させるんだ。急げ!」


 保健所が令状を持って踏み込んでくる前に、店内からすべての違法魔物肉を物理的に消し去る。証拠さえ見つからなければ、どれだけネットで騒がれようとも「事実無根のデマ」として突っぱねることができる。

 西園寺は額の冷や汗を乱暴に拭いながら、早足で厨房へと向かった。


★★★★★★★★★★★


 正午過ぎ。

 エピキュリアンの裏口が面している狭い搬入路に、一台の黒いバンがアイドリング状態で停まっていた。

 周囲を警戒しながら、コックコートを着た従業員たちが重そうなクーラーボックスを次々と荷台に積み込んでいく。アスファルトの照り返しと排気ガスの熱気の中、西園寺は苛立たしげにそれを急かしていた。


「早くしろ! トランクがいっぱいになったらすぐに出発だ!」


 最後のクーラーボックスが積み込まれ、バンのバックドアが閉められようとした、その時だった。


「搬出作業中、失礼いたします」


 路地の入り口から、静かで、しかしひどくよく通る声が響いた。

 西園寺がビクッと肩を跳ね上げて振り返る。

 そこに立っていたのは、先日店先に現れたスーツ姿の巨漢――新宿区役所の高木だった。その隣には白衣を着た工藤ゆき子が立ち、さらに彼らの背後には、制服を着た所轄の警察官が2名、油断なく周囲に目を配りながら控えていた。


「な……何の真似ですか! 警察まで連れてきて、令状はあるんですか!」


 西園寺は従業員を手で制し、バンの前に立ち塞がって声を荒らげた。


「本日は警察の捜索ではありません。食品衛生法第28条第1項に基づく、保健所の立入検査における同行支援です」


 高木は警察官を伴ったまま、極めて事務的な足取りで西園寺との距離を詰めた。


「現在区内で発生している食中毒の原因究明のため、当該車両に積載されている食品の出所と衛生状態を確認させていただきます」


「これはオーストラリア産の正規のカンガルー肉です! 鮮度が落ちたので、契約している廃棄業者へ引き渡すところなんですよ!」


 西園寺は顔を引きつらせながらも、必死に退路を塞ごうとする。


「廃棄予定の食材であれば、なおさら確認に問題はないはずです」


 高木は一切の感情を交えずに告げた。


「食品衛生法第28条により、保健所の職員は検査のために食品を無償で収去、つまりサンプリングする権限を有しています。これを正当な理由なく拒否・妨害した場合は、同法第30条に基づき、50万円以下の罰金に処される可能性がありますが……よろしいですね」


 高木が視線で合図を送ると、背後の警察官が一歩前に出た。

 行政の検査権限と、警察官という物理的な抑止力。逃げ道を完全に塞がれた西園寺は、ギリッと奥歯を噛み締め、忌々しげにバンの前から退いた。


「開けてください」


 ゆき子が白衣のポケットから真新しいゴム手袋を取り出し、静かに指示を出す。

 従業員が震える手でバンのバックドアを開け、クーラーボックスのフタを外した。中には、氷に埋もれるようにして赤黒い肉塊が大量に詰め込まれていた。


「……細胞の劣化がほとんど見られませんね」


 ゆき子はピンセットで肉塊の断面を押し広げ、じっと観察する。その目は、獲物を見極める猛禽類のように鋭く細められていた。


「だから、それはカンガルーの肉で……!」


 西園寺の弁明を無視し、ゆき子は白衣のポケットから1本の小さな試験管を取り出した。中には透明な液体が入っている。

 ゆき子はスポイトでその液体を吸い上げ、肉の断面に数滴垂らした。


 数秒後。

 肉の表面に触れた透明な液体が、シュワシュワと微かな泡を立てながら、瞬時に鮮やかな青紫色へと変色した。


「これは、ダンジョン特有の魔素と、特定の寄生バクテリアのタンパク質にのみ反応して変色する特製の試薬です」


 ゆき子は変色した肉片をピンセットでつまみ上げ、西園寺の目の前に突きつけた。


「オーストラリアのカンガルー肉から、新宿ダンジョンの第4階層に生息するキメラ特有のバクテリアが検出されるのは、生物学的にあり得ません。……食品表示法違反、ならびに食品衛生法違反、確定ですね」


 知的な冷静さの中に、一切の反論を許さない研究者としての絶対的な確信が宿っていた。

 科学的な実証と逃げ場のない事実を前に、西園寺は言葉を失った。彼は開け放たれたバンの荷台に手をつき、荒い呼吸を繰り返しながら、ただ力なくうなだれるしかなかった。


「公衆衛生に対する重大な脅威と判断し、本店舗に対し、食品衛生法に基づく即時の『営業停止』を命じます。並びに、冷蔵庫内および車両内の該当食材はすべて『殺処分』による廃棄を命じます」


 ゆき子はバインダーに挟んだ命令書に素早くサインを書き込み、淡々と宣告した。それ以上の言葉をかけることなく、彼女は手袋を外し、専用の廃棄袋へとサンプルの肉片を事務的に処理していく。


「では、署までご同行願います。食品偽装と業務上過失傷害の疑いで、お話を伺います」


 待機していた警察官が西園寺の脇を固め、静かにパトカーへと連行していく。


 高木はバンの荷台と、静まり返ったレストランの裏口を見渡した。


「店舗の解体確認と食材の廃棄手続きは、保健所にお任せしてよろしいですね」

「ええ。後は我々の管轄です。引き継ぎます」


 ゆき子がバインダーを小脇に抱えて頷く。


「ありがとうございます。では、明日の朝一で報告書をまとめます。本日はこれで直帰させていただきます」


 高木はゆき子と警察官に短く頭を下げると、きっちりと定時の17時15分に業務を終えられるよう、自身の歩幅で駅へと向かって歩き出した。


★★★★★★★★★★★


 夜。高木の1LDKのマンション。

 シャワーを浴びてさっぱりとした高木がリビングに姿を見せると、ケージの中で丸くなっていたベルが「にゃあ」と短い声を上げて立ち上がり、前脚を伸ばして大きなあくびをした。

 高木はベルの額を指先で軽く撫でてやり、そのままキッチンへと向かった。


 冷凍庫の扉を開け、霜がつくほどキンキンに冷やした重厚なタンブラーグラスと、ドライ・ジンのボトルを取り出す。

 今日の晩酌は、キリッとした冷たさとほろ苦さを味わうジン・トニックだ。


 氷を満たしたグラスにジンを注ぎ、フレッシュなライムをくし切りにして絞り入れ、果皮ごと氷の間に落とし込む。そこへ、強炭酸のトニックウォーターを氷に当てないように静かに注ぎ入れ、マドラーで底の氷を一度だけ持ち上げるようにステアする。グラスの表面に瞬時に細かい水滴がびっしりと付き、ライムとジュニパーベリーの爽快な香りが弾けた。


 合わせるツマミは、皿に並べたプレーンのクラッカー。その上に室温で柔らかくしたクリームチーズをたっぷりと塗り、鮮やかなオレンジ色のスモークサーモンを折りたたむようにして乗せる。仕上げに粗挽きのブラックペッパーを散らし、フレッシュなディルの葉を添えれば、手軽で洗練された一皿が完成する。


 グラスと皿を持ってソファに座る。

 クラッカーを一口かじる。スモークサーモンの濃厚な旨味と燻製の香りを、クリームチーズのなめらかなコクが包み込み、ブラックペッパーの辛味が味を引き締める。

 その余韻が残るうちに、氷の鳴るグラスを傾けてジン・トニックを流し込んだ。ジンのボタニカルな風味とトニックウォーターの爽やかな苦味、そしてライムの鮮烈な酸味が、口の中の脂をすっきりと洗い流していく。


 足元で気配がし、見下ろすとベルがソファの横にちょこんと座っていた。特に鳴くわけでもなく、ただ高木に寄り添うようにして静かに毛づくろいをしている。

 高木はグラスの水滴を指で拭い、静かな部屋の中で氷が溶ける微かな音を聞きながら、冷たいグラスを再び口元へと運んだ。

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