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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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第22話 見取り図と裏の協力者

 木曜日の朝。

 高木のマンションのリビングで、子猫のベルは未知の強敵と対峙していた。


 相手は、高木が仕事帰りにペットショップで購入してきた、たまご型の起き上がりこぼしだ。プラスチック製のつるりとした表面に、頂点にはカラフルな鳥の羽が1本だけあしらわれている。

 ベルは低い姿勢でテーブルの脚の影に身を潜め、丸い瞳でじっと獲物の動きを観察していた。そして、タイミングを計るように短い尻尾の先をピクピクと揺らし、弾かれたように飛び出して、クリーム色の小さな手でチョイッと羽を叩いた。


 ポヨン、と軽い音を立てておもちゃが傾く。しかし、底に仕込まれた重りのせいで、ゆらゆらと揺れながらすぐに元の直立姿勢へと戻ってしまった。


「にゃっ?」


 ベルは驚いたように目を丸くし、不思議そうに首をかしげた。自分が攻撃したはずなのに、全く倒れる気配がないのだ。


 今度は少しだけ力を込めて、右、左と連続で猫パンチを繰り出す。バシバシと音を立てておもちゃが激しく揺れるが、何度叩き伏せられても、まるでベルを挑発するかのようにスッと起き上がってくる。

 ついにベルはムキになり、おもちゃに向かって体ごと飛びかかった。両手でしっかりと抱え込み、自分の体重をかけて無理やり床に押さえつけようとする。

 後ろ脚でポカポカと蹴りを入れながら、なんとかしてこのしぶとい獲物を仕留めようと必死に格闘していた。


 しかし、その不自然な体勢のまましばらくフリーズしたかと思うと、やがてスースーと規則正しい寝息を立て始めた。遊び疲れて、起き上がりこぼしを抱き枕にしたまま眠ってしまったのだ。

 ネクタイを締めながらその一部始終を見守っていた高木は、あまりの無防備な姿に自然と口角を緩めた。ベルの柔らかな背中を指先でそっと撫でてから、静かにドアを閉めて出勤する。


★★★★★★★★★★★


 昼休みの時間帯。

 新宿区役所ダンジョン管理課の奥にあるバックヤードで、高木は自席のパソコンモニターに、新宿区の細かな都市計画図や、建築基準法などの分厚い関係法令集を展開していた。

 手元には赤ペンと付箋が置かれ、時折画面をスクロールさせながら、静かに、しかし凄まじい集中力で法令の適用範囲を確認している。


「高木くーん。なんだか難しい顔をしてるねえ」


 缶コーヒーを片手にした鈴木課長が、フラフラと高木の背後にやってきた。


「昨日窓口に来たっていう行方不明の冒険者の件だけどさ。やっぱり我々は手を引こうじゃないか。ダンジョン中層の違法エリアなんて、完全な治外法権だよ。悪いことは言わないから、ギルドに任せておけばいいじゃないか。ね?」


 自分の責任問題に発展するリスクを恐れる鈴木課長の小言を、高木はキーボードから手を離すことなく「ええ、承知しております」と適当に聞き流した。


「心配しなくても、区役所が直接危険な場所へ踏み込むような真似はしませんよ。……すでに必要な布石は打ってありますから」


 高木がモニターから視線を外さずに淡々と答えると、鈴木課長は「それならいいんだけどねえ」と肩をすくめ、自分のデスクへと戻っていった。


 隣でまひるが、焦燥感を隠しきれない様子で身を乗り出してきた。


「主任、布石って……昨日の夕方、主任が連絡していた『裏の協力者』のことですか?」

「ああ。今夜、ギルドと税務署の担当者を集めて協議を行う。そこへ呼んである」


 高木はそこで初めてタイピングの手を止め、まひるを振り返った。


「相手の懐に潜り込む準備だ。夜の会合に備えて、君も午後の業務を早めに片付けておいてくれ」


★★★★★★★★★★★


 その日の夜。

 新宿三丁目の喧騒から少し外れた路地裏にある、落ち着いた和風の完全個室居酒屋。

 分厚い一枚板のテーブルの上には、氷の上に美しく盛られた寒ブリの刺身や、出汁の染みた大根の煮付け、香ばしく炙られたイカなどが並んでいる。


 集まったのは高木とまひる、新宿税務署の宮本マリ、そしてギルド法務部の大野恵里の4人だ。

 恵里はタイトスカートのスーツ姿のまま、テーブルの上にタブレット端末を置き、周囲を警戒するように少しだけ声を落とした。


「結論から申し上げますと、ギルドの非公式な調査部隊を第15階層の未踏破エリア付近に派遣しましたが、成果はゼロです」


 恵里の眉間には、深い疲労の色が滲んでいた。


「空振り、ということですか」


 高木がウーロン茶のグラスを置き、静かに問う。


「ええ。対象のエリアは広大で、複雑な迷宮状になっています。さらに、かなり高度な認識阻害の魔法か、あるいはアーティファクトが使用されている形跡がありました。空間が巧妙に偽装されており、部隊がいくら探索しても、同じ場所を堂々巡りさせられるだけだったそうです」


 まひるが炙りイカを噛み切りながら口を挟む。


「それって、近くまで行けても素通りしちゃうってことですか?」

「それに近いですね。拠点そのものを定期的に移動させている可能性すらあります。正確な座標が掴めない以上、ギルドの大部隊を強行突入させることもできません」


 恵里の報告を受け、マリが冷酒のグラスをコトリと置いた。


「こっちの調査も壁にぶつかってるわ」


 マリは苛立たしげに前髪をかき上げた。


「行方不明の冒険者に送りつけられた督促状の業者。あれは港区の私書箱を住所にしたペーパーカンパニーだったけど、そこから複数のダミー会社を辿って、ようやく1つの不審な口座を見つけたの」

「巨額の資金が動いている形跡があったんですか」

「ええ。特定の周期で、数千万単位の現金が引き出されているわ。恐らく、ダンジョン内の『闇のセーフエリア』の運営資金や、非合法なアイテムの売買のために、足のつかない物理的なキャッシュとして持ち込まれているのよ。でも……」


 マリはテーブルの上の小皿を指先で弾いた。


「お金が『動いている』ことは分かっても、それがダンジョンのどこで、どうやって保管されているのかが分からない。運営実態を示す裏帳簿や、現金の保管場所を押さえない限り、国税としても強制調査に踏み切れないのよ。相手の場所が特定できないんじゃ、裁判所に令状を請求することすらできないわ」


 違法カジノや風俗、非合法アイテムの売買。それらを取り締まるのは本来警察の管轄だが、彼らもまた、令状の執行対象となる場所が特定できなければ動けない。


「つまり、今のままじゃ誰も手が出せないってことですか?」


 まひるが不安そうに高木の顔を見る。


 高木はおしぼりで指先を丁寧に拭き、静かに口を開いた。


「警察の刑事告訴や、税務署の強制調査のハードルが高いのなら……行政の手続きの枠組みで攻めるしかないね」

「行政の手続き……ですか?」


 恵里が怪訝な顔をして首をかしげた。


「建築基準法と、消防法だよ」


 高木はブリの刺身を箸でつまみ、わさび醤油をわずかにつけて口に運んだ。脂の甘みと醤油の香りが口の中に広がるのを確認してから、言葉を続ける。


「ダンジョン内であっても、一定規模の構造物があり、そこに人が継続的に滞在しているのであれば、それは建築基準法の適用対象になり得る。無許可で建てられた違法建築物であり、かつ消防設備も整っていない極めて危険な状態であると認定できれば、区の権限で強制代執行――建物の取り壊しを行うことが可能だ」


 マリが目を輝かせ、膝を叩いた。


「なるほど。連中を一人一人捕まえるんじゃなくて、箱そのものを物理的にぶっ壊して、インフラを丸ごと強制排除するわけね。相変わらずえげつない手口だわ」

「しかし、高木さん」


 恵里が腕を組み、現実的な懸念を口にする。


「行政代執行を行うためには、対象となる施設の正確な位置と、内部の構造を証明する『見取り図』が不可欠です。そして宮本さんが言うように、誰がその施設を運営し、どこに資金を隠しているかを示す『裏帳簿』も必要になる。……結局、振り出しに戻りませんか? その証拠を取るために場所を特定しなければならないのに、我々の正規の部隊では近づくことすらできないんですから」


 まひるが勢いよく身を乗り出した。


「だったら、私が潜入して証拠を取ってきますよ! 隠密スキルには自信がありますし……!」

「却下します」


 恵里が冷たい声で即座に遮った。


「安藤さん。あなたは先日のシルバーホーンの一件で、顔が割れすぎています。相手はならず者の集団です。もし身分がバレれば、生きて帰れる保証はありませんよ」


 高木も静かに頷く。


「大野室長の言う通りだ。ギルドの正規の調査員や、我々のような表の人間が不用意に近づけば、たちまち警戒されて証拠を隠滅されるか、拠点を移動されてしまうだろう。光の当たる場所を歩く人間に、あの暗闇の底は探れない」


 まひるは悔しそうに唇を噛み、引き下がった。


「じゃあ、どうするのよ。このまま泣き寝入り?」


 マリが苛立たしげに冷酒を煽ると、高木はグラスのウーロン茶を静かに揺らした。


「表のルールが通じない場所の地図と帳簿を手に入れるには、裏のルールで動ける協力者に頼むしかない」


 高木は時計に目をやった。


「昨日、少し心当たりのある相手に連絡を入れておいたんだ。……そろそろ着く頃だと思うが」


 高木がそう言い終えた、その時だった。


 スッ、と個室の障子が音もなく開いた。


「よっす。遅れてごめーん、おじさん。途中でギルドの巡回に見つかりそうになってさ」


 現れたのは、場違いなほどラフな格好をした小柄な人物だった。

 オーバーサイズの黒いパーカーに、だぼついたカーゴパンツ。首には防塵用の大きなゴーグルをぶら下げている。深く被ったフードの下からのぞく強いくせ毛のショートボブと、大きくつり上がった猫目。

 大人をからかうような、小悪魔的で生意気な笑みを浮かべた少女だった。


「えっ……中学生!?」


 まひるが思わず素頓狂な声を上げる。


「失礼な。もうすぐ16になるし。それよりおじさん、私を呼び出しといて、自分たちはこんな美味しそうなご飯食べてるとかズルくない?」


 少女は遠慮する素振りも全く見せず、するりと狭いスペースに入り込むと、高木の隣の座布団に勝手に腰を下ろした。そのまま高木の皿から厚焼き玉子を指でつまみ上げ、ポイッと口に放り込む。


 マリと恵里が、呆気にとられた顔でその少女を見つめた。

 法務と税務のトップエリートである彼女たちの前に、明らかに裏社会の空気をまとったストリートチルドレンが突然現れたのだから無理もない。


「高木さん……この子は、一体?」


 恵里が警戒心を露わにして問うと、高木は全く動じることなくウーロン茶を一口飲んだ。


「紹介しよう。彼女が、今回の我々の『目』になってくれる協力者だよ。……ダンジョン内の裏道と罠の解除において、彼女の右に出る者はいない」


 高木の紹介を受け、少女――谷口ヒカル子は、ニシシと犬歯を見せて笑った。


「よろしくね、お役人のお姉さんたち。裏の仕事なら、天才シーフの私に任せなよ」


 個室の空気が、ピンと張り詰める。

 行政、国税、ギルド。表のルールを司る大人たちの作戦会議に、ダンジョンの暗部を知り尽くした非公認の「運び屋」が交わった瞬間だった。

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