第11話 発芽玄米と不法投棄と冷徹な弁護士
正午を少し回った新宿区役所ダンジョン管理課のフロアは、昼休みの穏やかな空気に包まれていた。
窓口のシャッターが半分下ろされ、職員たちが思い思いに休憩を取る中、高木は自席のデスクにコンビニのレジ袋を置き、静かに昼食の準備を始めていた。
袋から取り出したのは、セブンイレブンで購入した『発芽玄米弁当』だ。
透明なフタ越しにも、栄養バランスが計算し尽くされたことがわかる。噛み応えのある発芽玄米のご飯に、こんがりと焼けた焼き魚、出汁の効いたひじきの煮物、香ばしいほうれん草の胡麻和え、そして中まで味が染み込んだ煮物が彩りよく詰められている。高木の分厚い筋肉を維持しつつ、午後の煩雑な事務作業に向けて脳に穏やかに糖分を供給するには、この上ない選択だった。
さらに高木は、引き出しから愛用の大きなマグカップを取り出すと、その中に小袋を開封して四角いブロックをポンと入れた。アマノフーズのフリーズドライ『松茸のお吸い物』だ。
給湯室のポットから熱々のお湯を注ぐと、ブロックがしゅわしゅわと音を立ててほどけ、上品な出汁の香りと、フリーズドライとは思えないほど芳醇な松茸の香りがフワリと立ち上った。
「うわぁ、すっごくいい匂い……」
香りに釣られたのか、隣のデスクで幕の内弁当をつついていた安藤まひるが、たまらずといった様子で身を乗り出してきた。
「主任、毎日お弁当作ってるのかと思ってましたけど、コンビニの日もあるんですね。でも、すごく健康そうです」
「休日は自炊をしているけど、平日はどうしても時間が読めないからね。今のコンビニ弁当は栄養価も高くて優秀だよ。お吸い物も、このフリーズドライは松茸の香りがしっかりしていて美味しいんだ」
高木は発芽玄米のプチプチとした食感を楽しみながら一口噛み締め、お吸い物をゆっくりとすする。出汁の旨味が胃の腑に染み渡り、午前中のクレーム対応でささくれ立った神経が落ち着いていくのを感じた。
大河内の一件から数日が経ち、ダンジョン管理課の窓口で声を荒らげる冒険者は目に見えて減っていた。彼の逮捕やアカウントの永久凍結という事実が、冒険者たちに「行政を怒らせると取り返しがつかない」という無言のプレッシャーを与えているのは間違いない。
「大河内がいなくなって、窓口もすっかり平和になりましたね」
まひるが卵焼きを頬張りながら、のんきな声で言う。
しかし、高木はマグカップをデスクに置くと、少しだけ視線を落とした。
「窓口は平和になったけれど……街の方は、そうでもないんだよ」
高木がキーボードを叩いてモニターをまひるの方へ向ける。
そこに表示されていたのは、新宿区内の地図に無数の赤いピンが立てられたデータだった。
「なんですか、これ。赤いピンがいっぱい……」
「今週に入ってから、区内の路地裏や公園で報告された『不法投棄』の発生件数だよ」
高木は弁当の焼き魚に箸を伸ばしながら、淡々と説明を続ける。
「捨てられているのは粗大ゴミじゃない。ダンジョン内で討伐され、魔石を抜き取られた後の『モンスターの死骸』だ。スライムの残骸や、ゴブリンの死体などが多いね」
「うわっ……最低」
まひるが顔をしかめた。
ダンジョンでモンスターを討伐した後、魔石をえぐり取った死骸は、そのままダンジョン内に放置すれば数日で魔素として自然分解される。あるいは、どうしても地上に持ち出す場合は、ギルドが指定する専門の処理業者に費用を払って引き取ってもらうのがルールだ。
しかし、浅い階層でモンスターを乱獲し、その場で解体する時間すら惜しむ素行の悪い冒険者が、死骸をリュックに詰めて地上に持ち出し、処理費用を浮かすために区内の公園やゴミ捨て場に夜陰に乗じて不法投棄しているのだ。
「魔石が抜かれているとはいえ、モンスターの死骸は強烈な腐臭を放つし、衛生上の観点からも放置はできない。清掃事務所が対応に追われているが、防犯カメラの死角を狙われているせいで証拠が少なく、投棄者の特定が難航しているんだ」
高木は最後のお吸い物を飲み干し、綺麗に空になった弁当の容器を片付けた。
「午後から、被害が酷い公園に現場視察に行ってくるよ。安藤さんは窓口の留守番を頼めるかな」
「はい、わかりました。主任、気をつけてくださいね」
★★★★★★★★★★★
午後2時。
新宿区内の住宅街にある、児童公園。
初夏の強い日差しが照りつける中、公園の隅の砂場の横には、不自然なほど巨大なブルーシートがこんもりと被せられていた。周囲には規制線が張られ、鼻を突くような強烈な悪臭が立ち込めている。
「お疲れ様です。ダンジョン管理課の高木です」
「ああ、高木さん。いつもすみませんねえ……」
現場で困り果てていた清掃事務所の作業員が、高木の顔を見てホッとしたように肩の力を抜いた。
高木は規制線を潜り、ゴム手袋をはめてブルーシートの端を少しだけめくった。
下から現れたのは、無残に胸を割られ、魔石をえぐり取られたゴブリンの死体が3体。初夏の強い日差しと高い湿度のせいで急速に腐敗が進んでおり、赤黒く変色した肉片にはハエがたかり、ツンとしたアンモニア臭に似た強烈な悪臭を放っている。死後硬直も解け、ドロドロに溶けかかっている部分すらあった。普通の人間なら直視するのすらためらう惨状だったが、高木は表情一つ変えずに手元のタブレットで現状の写真を数枚撮影した。
「酷い有様ですね。これは一般廃棄物ではなく、事業活動に伴って排出された産業廃棄物の不法投棄として処理します。費用は区の予算から捻出しますので、直ちに専門業者を手配して回収をお願いします」
「助かります。このままじゃ近所から苦情の嵐でしたよ。子供たちが遊ぶ公園にこんなものを捨てるなんて、信じられません」
「犯人は必ず見つけ出して、処理費用を含めて損害賠償を厳格に請求しますから、安心してください」
高木が作業員にそう告げ、ブルーシートを被せ直そうとした、その時だった。
「そのままにしておいていただけますか。それは我々の管轄事案です」
背後から、凛とした、ひどく冷ややかな女の声が響いた。
高木が振り返ると、そこには砂埃の舞う公園には場違いなほど洗練された女性が立っていた。
艶やかなダークブラウンの髪をタイトにまとめ、高級ブランドのシックなネイビースーツを隙なくスマートに着こなしている。エキゾチックで知的な美貌と、引き締まったプロポーション。コツコツと足音を響かせて歩み寄ってくる彼女の涼しげな目元には、明らかな敵対心と、冷徹な理性の光が宿っていた。
「……失礼ですが、どちら様でしょうか」
高木が問いかけると、女性は名刺入れからすっと一枚の名刺を取り出し、高木に差し出した。
「日本冒険者ギルド機構 新宿支部。法務部コンプライアンス管理室長の大野恵里と申します」
ギルドの法務担当。
高木は名刺を受け取り、自身の区役所の名刺を返しつつ、相手の素性を冷静に分析した。弁護士資格を持つ、ギルド内の法的なトラブル処理のトップだ。現場に自ら足を運ぶということは、事態を重く見ている証拠だろう。
「新宿区役ダンジョン管理課の、高木です。……ギルドの法務室長が、このような不法投棄の現場にどのようなご用件でしょうか」
「ご挨拶は結構です、高木さん。単刀直入に申し上げますが、この不法投棄の件から、行政は手を引いていただきたい」
恵里は高木の巨体に見下ろされても全く怯むことなく、冷たく言い放った。
「不法投棄の犯人が冒険者である可能性が高い以上、これはギルドの内部規則に抵触する問題です。ギルドの自治規定に則り、我々が独自に調査し、対象者に処分を下します。行政の過剰な介入は、現場の混乱を招くだけです」
その言葉には、国から強力な自治権を与えられているギルドという組織のプライドと、外部からの干渉を徹底的に嫌う法務担当としての強い意志が込められていた。ダンジョンの管理に関わる権益を、少しでも地方自治体に譲りたくないという意図も透けて見える。
しかし、高木は微塵も動じなかった。
「お断りします」
低く、静かな声だった。
恵里の細い眉が、ピクリと不快そうに動く。
「新宿区内の公有地にゴミが投棄された時点で、これはギルドの内部問題ではなく、廃棄物処理法第16条に違反する明らかな犯罪行為です。管轄は地方自治体および警察にあり、ギルドの内部規定が国の法律に優先されることはありません」
「法律論を振りかざすのは勝手ですが、現実を見てください」
恵里は冷笑を浮かべ、ブルーシートを顎でしゃくった。
「犯人を特定する確たる証拠すら、あなた方は掴めていないのでしょう? 行政の煩雑な手続きと限られた調査権限では、悪質な冒険者を捕まえることなど不可能です。我々に任せていただければ、ライセンスの停止権限をチラつかせて、即座に犯人を特定し自白させることができる。結果的に、それが一番の解決の近道のはずです」
恵里の言葉は、氷のように冷たく、そして鋭かった。行政の無力さを容赦なく指摘し、ギルドの強権によるスピード解決を正当化する。いかにもエリート弁護士らしい、効率を最優先した理屈だった。
「……ルールを無視した強権の発動は、単なる暴力と変わりませんよ」
高木は恵里の冷たい視線を正面から受け止め、静かに、だが確かな重みのある声で反論した。
「行政の手続きが煩雑なのは、適正なプロセスを経て、客観的な証拠に基づく公平な処罰を下すためです。推測や脅しでライセンスを剥奪するような組織に、法治国家の清掃業務を委ねるわけにはいきませんね」
二人の間に、火花が散るような緊張感が走った。
魔法も、物理的な暴力もない。ただ純粋な『法解釈』と『管轄権』を巡る、互いのメンツを懸けた真っ向からの衝突だった。
「……お役所仕事の理想論ですね。現場の冒険者たちは、そんな生ぬるい対応で尻尾を出すほど甘くはありませんよ」
恵里はフッと鼻で笑い、踵を返した。
「せいぜい、砂場に落ちている足跡でも探して頑張ってください。我々は我々のやり方で、ギルドの不祥事を片付けさせていただきます」
硬い靴音を残して足早に去っていく恵里の背中を見送りながら、高木は手元のタブレットに視線を落とした。
「……行政の持つ『データ』を、甘く見ないでいただきたいな」
高木は去っていく彼女の背中に向かって小さく呟くと、再びタブレットの画面を操作し始めた。
防犯カメラの死角を突かれようと、現場に証拠が残されていまいと関係ない。行政の巨大なネットワークには、産業廃棄物管理票の発行履歴や、区内各所の車両通過記録、さらには事業系一般廃棄物の回収ルートなど、冒険者たちが無意識に残していく膨大な痕跡が、システム上のデータとして確実に蓄積されているのだ。
「さて。午後からは、数字とのにらめっこになりそうだ」
高木はネクタイを締め直し、清掃作業員に改めて回収を依頼すると、静かに区役所への帰路についた。




