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新宿区役所ダンジョン管理課 ~魔法ゼロの筋肉公務員は、六法全書と税法で悪質冒険者を合法ざまぁします~  作者: 伊達ジン


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第10話 借金と規約違反とプロ顔負けの夕食

 ペーパーナイフを取り落とし、両膝をついて泣き崩れる大河内に対し、待機していた国税の捜査官たちが一斉に飛びかかり、その両腕を後ろ手にして床に押さえ込んだ。


「待ってくれ……! 行かないでくれ!」


 背を向けて立ち去ろうとする高木とまひるの足音を聞きつけ、大河内は捜査官の拘束を必死に振り絞るようにして身をよじり、二人の足元へ這いつくばった。額を床に擦り付ける、絵に描いたような土下座の体勢だった。

 高木が突きつけた「法律と延滞税」という名の絶対的な現実の壁を前に、彼の虚栄心はすっかりへし折られていた。


「頼む! 何でもするから見逃してくれ! 逮捕だけは勘弁してくれよ!」


 鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、大河内は哀れな声で泣き叫んだ。


「魔剣も、車も時計も全部売るから! だから国税の調査はなかったことにしてくれ! 犯罪者になったらチャンネルが消えちまう! そしたら俺の人生、もうおしまいなんだよ!」


 プライドも虚勢もすべてかなぐり捨てた、底辺の命乞いだった。

 しかし、高木は見下ろす視線の温度を1ミリも変えることなく、内ポケットから折りたたまれた数枚のプリントアウト用紙を取り出した。


「勘違いしているようだが、見逃すも何も、これは国が定めた正当な行政と徴収の手続きなんだよ。個人の裁量でどうにかなるものではないんだ。……それに、仮に逮捕を免れたとしても、あなたの状況は好転しないよ」


 高木はその用紙を、土下座する大河内の目の前にパサリと落とした。


「これは、私が事前に算出した、あなたが支払うべき追徴課税、重加算税、および延滞税の概算計算書だよ」

「け、計算……書……?」

「1500万の魔剣と高級外車を公売にかけ、家の中の現金をすべてかき集めても、億を超える税金の未納分には全く足りない。残りの莫大な借金は、刑期を終えた後、何十年もかけて真っ当に働くことで国に返すんだよ」


 大河内は床に落ちた計算書に印字された、暴力的なまでのゼロの羅列を見て、ヒューッと喉を引き攣らせた。

 口をパクパクと金魚のように動かしたのち、大河内は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。


「対象者、意識を喪失! 救急を手配しつつ、引き続き差し押さえを続行します!」


 捜査官たちの事務的な声が飛び交う中、高木はまひるを振り返った。


「さあ、今度こそ終わったね。冷めないうちに焼肉に戻ろう」

「は、はいっ……!」


 まひるは、床に転がる大河内をチラリと一瞥し、急いで高木の大きな背中を追ってマンションを後にした。


★★★★★★★★★★★


 それから数日後のこと。

 新宿区役所ダンジョン管理課のフロアには、いつもと変わらぬ慌ただしい日常が戻っていた。

 冒険者からのクレーム電話の対応を終えたまひるが、自分のスマートフォンの画面を見つめたまま、信じられないものを見たような顔で高木のデスクに駆け寄ってきた。


「主任! オレ様……大河内のDチューブのアカウント、消えてます!」

「ああ。だろうね」


 高木はハンコを押す手を止めず、淡々と頷いた。


「過去の動画も全部削除されて、『このアカウントは多数の規約違反により停止されています』って表示されるだけになってます! SNSでも大炎上してて、徹底的に終わってますよ……!」


 大河内が逮捕され、悪質な脱税と資金洗浄の事実が報道された直後、動画プラットフォームの運営会社は即座に彼のアカウントを永久BAN(凍結)する措置を取った。彼が違法な狩猟や初心者への恐喝まがいの行為を動画内で誇示していたことも、利用規約の重大な違反と見なされたのだ。

 アカウントの消失は、彼にとって何よりの致命傷だった。承認欲求を満たす場も、将来の収益を生み出すツールも失い、大河内が他者を見下して築き上げた砂上の楼閣は、文字通り跡形もなく崩れ去ったのだった。


 まひるは自分の腕をさすりながら、ブルッと身震いをした。


「……公務員って、国家権力と法律って……本当に恐ろしいですね。下手な魔法や物理攻撃より、よっぽどエグいです」

「恐ろしくなどないよ」


 高木は決裁箱にファイルを積み上げながら、静かに答えた。


「法律は、ルールを守る者のためにある。ダンジョンという特殊な環境下であっても、社会のシステムにタダ乗りして私腹を肥やし、ルールを破った者には、それ相応の対価を支払ってもらう。それだけのことだよ」


 まひるは大きく頷き、改めて目の前の巨大な上司に対する尊敬の念を新たにした。


 午後5時15分。

 フロアに、業務終了を告げるチャイムの音が響き渡った。

 高木は一切の無駄のない動きでパソコンをシャットダウンし、デスクの上のペンをペン立てに戻す。


「さて、定時だ。明日も仕事だから帰ろう」


 残業など微塵も考慮しない、潔すぎる宣言。

 高木はジャケットを羽織ると、「お疲れ様でした」と爽やかにフロアを後にした。


★★★★★★★★★★★


 午後6時半。

 都内にある高木の自宅マンション。1LDKのシンプルな部屋に、食欲をそそる芳ばしい香りが漂っていた。


 スーツを脱ぎ、ラフなTシャツの上に無地の黒いエプロンを着けた高木は、キッチンで一人、手際よく調理を進めていた。

 コンプライアンスにも、厄介なクレーマーにも、ギルドの規則にも縛られない。この自宅での自炊の時間こそが、高木にとって最高のストレス解消であり、至福のひとときだった。


 今日の献立は、疲れた筋肉と脳を癒すための少し豪華なイタリアンだ。

 まずは付け合わせのグリーンサラダの準備から。ボウルにたっぷりのベビーリーフと手でちぎったレタスを入れ、冷水でシャキッとさせる。

 そこに合わせるのは、こだわりの特製ドレッシングだ。フランスに留学している姪っ子が一時帰国した際に買ってきてくれたお土産の『クルミ風味のワインビネガー』を使用する。


 小さなガラスのボウルに、その芳醇な香りのビネガーと、上質なエキストラバージンオリーブオイル、そしてピリッとした辛味のディジョンマスタードを投入する。塩と粗挽きの黒胡椒で味を調え、小さなホイッパーでシャカシャカと素早くかき混ぜて乳化させる。

 トロリとした状態になったそれを、水気をしっかり切った野菜に回しかければ、プロ顔負けの奥深い味わいを持つグリーンサラダの完成だ。


 続いてメインディッシュ。鶏胸肉のディアブロ風ソテー、トマトソースがけ。

 高タンパク・低脂質の鶏胸肉を包丁で観音開きにし、肉叩きで叩いて均等な厚さに伸ばす。両面に塩胡椒でしっかりと下味をつけ、表面にたっぷりの粒マスタードを均一に塗り広げる。その後、細かく刻んだローズマリーやタイム、パセリなどの新鮮な香草をふんだんに混ぜ込んだパン粉をしっかりとまぶしつける。

 熱したフライパンに多めのオリーブオイルと、包丁の腹で潰したニンニクを入れる。オイルにニンニクの香りが移ったところで、鶏肉を皮目から静かに投入した。


 ジュワァァァッ!

 食欲を暴力的に刺激する音がキッチンに響き、ハーブとニンニクの香ばしい匂いが一気に立ち昇る。

 中火でじっくりと火を通し、パン粉がキツネ色にこんがりと焼けたら、身を崩さないようにトングで慎重に裏返す。外はカリッと、中は肉汁を逃さずしっとりと焼き上げるのがコツだ。焼き上がったソテーを温めておいた平皿に乗せ、隣のコンロで煮詰めておいた自家製の濃厚なトマトソースをたっぷりと添える。


 最後は、たらこといくらのパスタ。

 グラグラと沸騰した湯に粗塩を入れ、リングイネを投入する。茹で上がるまでの間に、大きめのボウルにほぐした新鮮な明太子と、たっぷりの無塩バター、隠し味に少量の醤油を入れておく。

 アルデンテに茹で上がったパスタを湯切りし、熱々のうちにボウルに投入して素早くトングで和える。バターが熱でなめらかに溶け出し、たらこの粒が麺の一本一本にねっとりと絡みつく。

 深皿に高くこんもりと盛り付けたら、その上から宝石のように輝く大粒の『いくら』をこぼれんばかりに乗せ、色鮮やかな千切りの大葉を天盛りにして完成だ。


 高木はエプロンを外し、ダイニングテーブルに並べられた豪華な夕食の前に座った。


「いただきます」


 まずは鶏胸肉のディアブロ風ソテーにナイフを入れる。サクッという心地よい音と共に、しっとりとした白い肉が現れた。トマトソースをたっぷりと絡めて口に運ぶ。

 パン粉の香ばしさと香草の爽やかな風味、マスタードのピリッとした刺激を、トマトソースの程よい酸味が完璧にまとめ上げている。

 すかさず、たらこといくらのパスタをフォークで巻き取る。口の中でプチプチとはじけるいくらの濃厚な海の旨味と、バターのコクが絡み合い、噛むほどに至福の味わいが広がった。箸休めに食べるグリーンサラダも、クルミ風味のワインビネガーの豊かな香りが野菜の甘みを引き立てており、いくらでも食べられそうだった。


 大柄な男が一人で黙々と、しかしこの上なく幸せそうに皿を空にしていく。

 食後の皿をシンクに下げると、高木は満足げに息を吐き、立ち上がってコーヒーメーカーのスイッチを入れた。


 豆から挽いた深煎りのコーヒーの香りが、キッチンを満たしていく。

 お気に入りのマグカップに注ぎ、ブラックのまま一口飲む。深い苦味と豊かなアロマが、食後の胃を優しく落ち着かせてくれた。

 高木はふうっと長く息を吐き、ソファに深く背中を預けた。

 スマートフォンを手に取り、明日のスケジューラを確認する。午前中は魔石の税務処理、午後は環境保全課との合同ミーティングが入っている。

 彼は画面をそっと閉じると、静かな部屋の中で、コーヒーの心地よい余韻をただ一人、ゆっくりと味わい続けた。

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