第28話 新たな朝は騒動と共に
ピピピ、ピピピ……というアラーム音を聴覚の端で捉えて、俺の意識が眠りの海から浮上する。
寝ぼけ眼で手に取ったスマホ……否、携帯端末を手に取ってみれば、時刻は朝の7時手前。
少し前までの平日——現代日本で仕事に汗水垂らしていた時の平日に比べて一時間も遅い起床時間は、ここ最近、傭兵生活を始めたあたりからの習慣となったものだった。
「ふぁ………んん〜っ」
大あくびと共に起こした身体をグッと伸ばし、ベッドから降りる。
リベルタの船内に誂えられた船員用居住区画のうち、最も広い船長用の部屋が今の俺の住まいだ。
サイズとしては6畳あるかないかでさほど大きくもないが、ベッドにテーブルに椅子と最低限の家具はある。寝泊まりする分には充分すぎるほどの広さだった。
スリッパをつっかけて部屋を出ると、廊下にぱたぱたという足音が控えめに響き渡る。
元日本人としてはリビングルームも裸足で歩きたいところだが、残念ながらリベルタの船内は船員室と客室以外すべて土足用だ。
いつかお金に余裕ができれば張り替えてもいいかもしれない……が、そうなると今度はリビングからコックピットへ移る際にわざわざ靴を履き替えないといけなくなる。それはそれで不便なので、替えるかどうかは悩ましいところでもあった。
パシュ、という、圧縮空気の抜ける音を経てて開いたドアの向こう。
いつも通り殺風景なリビングルームへ入り、寝起きのコーヒーを飲むために、キッチンに備え付けられた調理機へ向かおうとしたところで——
不意に、どこからか水の流れる音が聞こえてきたような気がした。
「……?」
聞き間違いだろうか、と思いつつ耳をそばだててみれば、音の出所はキッチンエリアの向こう側だということがわかる。
キッチンの裏側といえば、トイレや洗濯機、シャワールームといった水回りがひとまとめにされたエリアだ。俺以外に使う人間もいないのに、どうしてそんなところで音が——
「……そうか、ウィスタかティルナが使ってるのか」
というところまで考えて、ようやく俺は合点が行った。
ウィスタとティルナ。愛機を失った双子姉妹に声をかけて、リベルタのクルーとして雇うことが決まったのは、つい昨日のことである。
あれから姉妹は「これ以上は利用料金がもったいない」という理由で使っていた船乗り用のホテルを早々に引き払い、さっそくリベルタの船内に居を構えることとなったのだ。
今は二人でリベルタの船員室——俺の部屋とは違い、ベッドが二つあるだけの簡素な部屋だが——を使ってもらっていることに加え、「船の設備は好きに使ってくれ」と言い含めてもある。なので、起床時間次第では朝からシャワーを浴びる、なんてことをしていても不思議ではないだろう。
「……声をかけるのも悪いか」
一声かけておいた方が良いのかもしれないが、仮にも女性が一風呂浴びている最中にいきなり声をかけるのも、あまり心象の良いものではないだろう。
それに、万一向こうが扉を開けるタイミングにバッタリ出くわそうものなら、気まずいどころか変質者として張り倒されても文句は言えない。となれば、ここは一度、コーヒーだけ持って部屋に引き返し、後からまた顔を出すのが得策だ……と、俺は結論づけた。
船内備え付けの自動調理機をいじり、ホットコーヒーを注文。
30秒も待てば、金属製マグカップの中で湯気を立ち上らせるコーヒーの完成だ。
いつもならそのままリビングで飲むところだが、いつ姉妹のどちらかがシャワールームの扉を開けて、余計なトラブルに発展するとも限らない。
同じ船のクルー同士、そこまで気にするものでもないのかもしれないが、初日から関係性がギクシャクする、なんてことは避けたいのだ。
さっさと部屋に戻って——
パシュ。パタ、パタ、パタ。
という思考は、突然鳴り響いた音——扉が開く音と、それに続くスリッパの足音に、強制中断させられた。
「ん?」
「え?」
反射的に、音の出所——キッチンのすぐ横、シャワールームへ繋がる扉の方へ視線を向けてしまう。
そして、視線を向けた先から気の抜けた声が聞こえてきたのは、ほぼ同じタイミング。
そうして俺の視界に入ってきたのは——
どういうわけか、肩にかけたバスタオルとスリッパ以外の装備品を丸ごと取り払った状態でリビングに歩み出てきた、ウィスタの姿。
——そう。誇張抜きで、ウィスタは何一つとして身につけていなかった。
不自然な体勢で硬直しているのと、肩にかけたバスタオルのおかげもあって隠れるべき部分は見えていない。
だが、それ以外の部分——湯上がりで紅潮した滑らかな肌と、均整の取れたしなやかな体のシルエットは、惜しげもなくさらけ出されている。
そして、普段はポニーテールに纏められているピンクがかった赤髪は、ヘアゴムを解いた状態でしっとりと濡れたまま。
拭き取り残されていた雫が髪先を伝い、ぽたりと床に落ちる音が、やけに大きく聞こえた気がした。
不意を突かれたことによる驚きと、思いがけず目の当たりにしてしまった肢体の美しさ。
二つの要因でその場に縫い留められてしまったが故に生じた、数瞬の静寂。
それは、お互いがお互いの状況を把握するには、充分すぎると言ってもいいほどの長さで——
「——っきゃああぁぁぁーーーーーー!?!?」
直後、甲高い悲鳴と、バッチーン!!! という快音が、リベルタの船内に音高くこだました。
***
「その、レン。本当にごめんなさい。引っ叩くつもりはなかったんだけど……勝手に手が出ちゃって……」
「いや、こっちこそ……声もかけずに申し訳ない……」
それから、きっかり30分後。
ウィスタと俺——かたやいつもの服に着替え直し、かたや顔面に平手の跡で描かれた大きなもみじの葉を作っている——は、リビングルームで顔を突き合わせて、お互いに平謝りをかましていた。
「わたしからも、ごめんなさい。お姉ちゃん、普段はしっかりしてるんですけど、こういううっかりも珍しくなくて……」
で、向かいに座るウィスタの隣には、悲鳴を聞きつけて慌てて起きてきたティルナの姿がある。
ところどころに寝癖を残したままの彼女は、どういうわけか俺に向けて、申し訳なさそうに頭を下げていた。
何故、本来なら責められるべき立場にあるはずの俺ではなく、女性陣二人が逆に頭を下げているのか。
それは、あのあと取り行われたティルナによる事情聴取の結果によるものだ。
事情聴取の内容いわく、ウィスタがあんな格好でリビングに顔を出したのは、
「ホテルの個室でシャワーを浴びてる時と同じ感じで使ってたから、着替えを持ち込むのを忘れてたの。さっと戻れば大丈夫だと思ってたのよ……」
という理由があったらしい。
で、それを聞いたティルナは、
「ただうっかりしてただけならともかく、100%自分のミスなのにそれが原因で一方的にお兄さんを張り倒すのはどう考えてもお姉ちゃんが悪いよ!!」
と、有無を言わさずその場で一喝。
結果、図式としては俺に大いな非があるにも関わらず、姉妹二人から揃って頭を下げられる……というよくわからない事態に陥っていた。
「あー……その、俺は本当に気にしてないから。むしろ、俺としてはこっちが謝りたいんだけど……」
「いいえ、お兄さんは悪くありません。むしろもっとお姉ちゃんを叱ってください。そうしないと、また同じことをやらかしますよ?」
声のトーンこそふだんのティルナとあまり変わらないのだが、そう語る彼女の目は完全に据わっている。
隣のウィスタが何の反論も挟まずしょぼしょぼモードのままになっているあたり、どうもこういう時の力関係はティルナに絶対的な有利があるようだ。
「お姉ちゃん。わたしたちはあくまで居候に近い状態なんだよ。なのに家主のお兄さんに初日から暴力を振るうなんて、お兄さんじゃなければ問答無用で船から蹴り出されたって文句言えないんだよ? わかってるよね?」
「ハイ……」
滔々とお説教するティルナと、それを首をすくめて甘受し続けるウィスタ。側から見れば、どちらが姉でどちらが妹かわかったものじゃない構図だ。
普段はウィスタが引っ張り気味だが、やはり姉妹というだけあって、どちらが上という序列は存在しないんだろう。そんなやや場違いな感想を浮かべつつ、俺はひとまず咳払いを挟んだ。
「あー、ティルナ。そこまででいいんじゃないか。さっきも言ったとおり、俺がウィスタに恥ずかしい思いをさせたことも事実だ。だから、お互い悪かったってことで手打ちにしてくれないか?」
「むぅ……まあ、お兄さんがそう言ってくれるなら……」
若干不服そうにしつつも、ティルナはこちらの提案を受け入れる。
「そういうわけだから、お兄さんに感謝しようね、お姉ちゃん?」
「ええ……本当、ごめんなさいね。次からは気をつけるから」
「こっちこそ、覗きみたいな真似してごめんな。ティルナも、叩き起こすような真似して悪かった」
「いえ、気にしないでください。……こんなですが、改めてよろしくお願いします」
昨日と似たような、しかし微妙にニュアンスの異なる懇願を苦笑とともに受け入れつつ、俺は改めてマグカップを傾げる。
(……綺麗だったな…………)
張り倒された際、諸共お亡くなりになった一杯目に代わって淹れ直したコーヒーの味。
それと共に脳裏をよぎるのは、一糸纏わぬウィスタの肢体が描いていた、流麗なシルエット。
普段よりも濃い目に感じるコーヒーの味が呼び起こした光景は、反省の気持ちとは裏腹に、しばらく頭の片隅から消えてくれそうになかった。




