第55話 バン
非常階段の下にはフェンス扉の出口があったが、鍵がかかっていた。
なのでもうひとつの扉、建物の裏口を開けて中を覗く。
上の方にある窓からの太陽の明かりが、中に差し込んでいる。
中は薄暗く、静かだ。
遠くから喧騒は感じられるが、それが此処で無ければ良い。
「行って」
中は大丈夫そうだったので、バンは扉を支えて、アルトとモーツの2人を先に通す。
「ありがと……」
モーツを背負うアルトは、汗を滲ませながらも足を進ませた。
「オイ! 窓開いてんぞ!」
バンも入ろうとしたその時だ。
上から声がした。
ガンッ!
何かを叩く音がしてバンが見上げれば、誰かがこちらを見ている。
「見付けた!」
知らない男女が、こちらを覗き込んでいて、視線がどこか興奮と欲望を感じさせた。
「1匹だけか?」
「オイッ! 部屋ん中探しとけ! オレらは下に行くッ!」
どう考えても嫌な雰囲気だ。
バンは慌てて建物内に入り、扉を閉めて鍵も閉める。
ガチャンッ!
「アルト、行こう!」
「うん!」
ぐったりとしたモーツを背中に背負ったアルトと共に廊下の通路を進む。
バンは足を進めながらも、辺りを注意深く見渡した。
どうやら此処は、従業員用の裏方作業場が並んでいる場所のようだ。
少し進むとクリーニング室、裁縫室、靴磨き室、保管室、落し物室などの看板が見えた。
バンはどうするべきか頭を動かす。
誘拐されて、皮肉なことに口にしたラムネと栄養剤で、頭は冴えていた。
だが体力は相変わらず無い。
荒く息をするアルトと、動けないモーツの様子を見て、ごくっと唾を飲み込んで言う。
「どこかに隠れよう……」
ガンッ!
扉を叩く音がした。
裏口扉にあの男女が辿り着き、開かないと分かると騒いでいる。
バンは急いでクリーニング室の扉を大きく開けて、布を広げカゴをひっくり返す。
その一瞬で誰かが慌てて入ってきた雰囲気が出来上がった。
「2人はこっち」
バンはアルトの片手を掴み別の部屋に進む。
保管室に行くと想像通り、大きなキャリーケースがいくつもあった。
あの部屋はホテルの1室だとは思ったが、この裏方の並びを見て分かった。
此処はフラワーホテルだ。
フラワー地区で1番大きな立派なホテルで、約2年前に食糧が無いかと忍び込んだ事があった。
あの時は、お茶っ葉が残っていて持って帰ったのを覚えている。
「これじゃない……これも違う……」
全てのキャリーケースが開いて中身が荒らされていた。
大急ぎで中身が見えないようにひっくり返し、すぐに閉められるものは閉めて、キャリーケースを立てながら言う。
「これ……これが1番頑丈なやつだ。2人はこれに今すぐ入って!」
バンの勢いに押されて、アルトは頷いた。
「わ、分かった」
2人が大きなキャリーケースの中に入り、バンは外側から蓋を閉め、カーテン奥側にしまい込む。
──……このキャリーケースなら内側から開けれる……
「後で迎えに来るから! ラムネ食べながら静かに待ってて!」
「バン……?」
2人が入ったキャリーケースを目立たないようにして、他のキャリーケースを目立つように乱雑に並べ、部屋を出て扉を閉める。
「靴磨き室……」
靴磨き室を覗き込み、バンは予想した物を見付け掴んだ。
ドゥンッ!
銃声、振動。
「……ッ!」
息をひそめる。
裏口の扉の鍵が壊され、何人もが入ってくる音が聞こえる。
「……」
心臓が鳴っている。
止められない細かい呼吸が肺を動かしていて少し苦しい。
身体は、脳に空気を送りたくてたまらないみたいだ。
予想通り、男女はまず大きく開いていたクリーニング室に入って行ったようだ、すぐに靴磨き室から出て落し物室に向かう。
バンは鍵が壊れている落し物室に入ると、スライド式の扉を閉めて中をぐるりと見渡した。
「……ッ、フ……ッ」
荒く息をしながら、靴磨き室から取った汚れを照らす為の小さなライトを点ける。
埃っぽい部屋の中は、落し物だらけだ。
食べ物ではない無機物は、たくさん残っている。
──……大丈夫、魔物もいない……
落し物は色々と物が多い。
バンは、ぐっと歯を食いしばって、頭の中で自分に気合を入れる。
──……おれは雑貨屋の息子だ! 物知りばあちゃんの孫だ!
三脚、自撮り棒、ゴルフクラブを扉につっかえ棒として挟んでいく。
しかし、それだけではまだ弱い為、キーホルダーがついた鍵をスライド扉の隙間に挟み込む。
──……10分保てば良い……もし捕まったら、2人が逃げたのも気付かなかったのかって、バカにして笑えば良い……!
バンは傘を掴み開きまくった。
落し物には傘が特に多い。
その傘の持ち手に子供用の防犯ブザーの紐を取り付け、ピンを引き抜いた。
ビー! ビー! ビー!
数種類の防犯ブザーが次々と鳴り出す。
けたたましい音が鳴り響く中、急いで扉に誰かの落し物のグラスを投げ付け、割っていく。
「これ、デカいな……」
マスクの塊を掴み、何枚か重ねて顔に装着した。
マスクの落し物は大人が多いみたいだ。
バサッ!
業務用の透明なゴミ袋を空気で膨らませたところで、音に呼び寄せられた男女の声が聞こえた。
「オイ! ガキ! 出てきやがれ!」
ハサミで腕分の穴を開けて、腕を出した部分に、女性用の髪留めのゴムをビニールごと巻き付けた。
身体はビニールの中に入れている。
バンは小さなライトの電気を切り、息をひそめた。
扉にハメた鍵も、三脚やゴルフクラブも、大人達の力の前では弾け飛んでいく
力技で扉を開けて、大人達が現れた。
「ァア? なんだこりゃ……?」
扉を壊し入り込んだ男女は、薄暗い部屋の中の奇妙さに足を止めたのだった。
***
男女は7名。
全員が音に引き寄せられて落し物室に集まっていた。
彼らは騒動が始まってすぐに肉の確保に来たメンバーだ。
肉がいる部屋の場所は教えられていなかった為に、目ぼしい場所を探す内に多少の時間はかかった。
それでも1匹は見付けることが出来た。
話では2匹は上手く動けない状態らしい。
そう考えれば、そう遠くに行っていないか、最初の部屋のどこかに隠れているのだろう。
「なんでえ傘だらけじゃねえか」
ジャリッ。
下にも硝子屑のゴミが多いようだ。
歩く度に音がする。
ビー! ビー! ビー!
「なんの音だァ?」
「ブザーよ! 防犯ブザー!」
「ブザーうるせえなっ!」
「こんなんで隠れようとってか?」
「んんなもん廊下に出せば良いんだよ!」
「そりゃそうか!」
適当に傘を掴み、傘に防犯ブザーが付いていれば足で踏み潰し、圧迫されていた落し物室を広げていく。
「オレは、ずっとガキの肉が食ってみたかったんだ」
「ああ、柔らかそうだもんな」
「どんな美味さなんだろうね……」
口の中に涎が溜まり、唾液をゴクッと飲み込む男女。
何人かの腹が期待で鳴った。
全員が隠れているバンを捕まえて食べようと目を血眼にしている。
「もう2週間も肉を食ってねえんだ……」
「そうよね、あんなんじゃ足りなゔッ、カハッ!」
1人の顔に何か風のような噴射がかかった。
女は白い泡を吹き出し、自身の喉や胸を掻きむしりだす。
「おい?」
暗い部屋で状況が分かっていない男が、動きが変になった女に話しかけようとし、風が顔にかかる。
「ぐッ、お……カヒュッ! ヒュッ!」
男は自分の突然の変化に喋ろうとしたが上手く言葉にならず、変な息が喉から漏れ出た。
「あ?」
他面々も煩いブザーと視界の悪さ、物の乱雑さに反応が遅れ、3人目にも風が顔にかかった。
3人共が床に膝をつき泡を吹いて苦しみだしている。
涙や涎ばかりが出て、か細い声は空気をカヒュッカヒュッと切り、3人の視界が彷徨う。
「お前らどうしたんだ?」
部屋の圧迫感に3人しか入れず、廊下側で出された傘の防犯ブザーを潰していた面々は後退った。
「チクショウ! 何しやがった!」
1人が銃を構え、3人が身を低くして、倒れている仲間を部屋から引きずり出した。
「どうしたってんだ……」
引きずり出された3人は喋れず、ジタバタと暴れ、それもすぐに無くなる。
「おい? おいッ!」
泡を吹く3人は痙攣し、顔の色が土気色になっている。
1人は尿を漏らし、染みが広がり出した。
「ヒィ……!」
「まさか毒ガス?」
「そんなことしたら自分だって……」
4人は今すぐ捕まえて食べたい子供がすぐ側にいるのに、未知の恐怖に足が竦んでいる。
彼らは、敵わない相手からは逃げることを嫌でも学び、生き残った者達だ。
「……どうする?」
「……肉は」
「銃で吹っ飛ばしたら食えねえし……」
「だよな……」
下側を見れば今にも死にそうな3人の姿。
同郷が死にかけている。
しかし、あえて殺しはしないが、死ねば肉となる。
未知の何かを持つ子供は危険だが、肉は捕まえたい。
きっと美味い肉なのだ。
食いたい。
食いたい。
カン……。
鉄の棒が床に触れた。
空腹で考えるのも疲れてきた。
もう、3体分の肉は目の前に生まれたのだ。
「……なあ、もし毒ガスなら……こっちから閉めて死ぬまで待ってみるか」
1人の意見に3人は頷き、喋りだした。
「毒ガスって肉は食えるもんなのか?」
「肺と胃を洗えばいけるんじゃねえか」
「鉛銃の時は玉の周辺を抉れば……」
「オイ! クソガキッ! 死ぬまでそこにぐぇッ!」
扉を閉めようとした男の身が、急に扉ごと横に吹き飛んだ。
バゴーンッ!!
会話をしていた3人は、驚いて飛んだ男を見て、新たに現れた知らない男を見る。
「やるなあ、3人も倒すとは漢だねえ〜」
ヤムクーは落し物室内の傘の背後に隠れているバンに笑顔を向け、ウインクをした。
そして、廊下に落ちている傘を爪先で軽く蹴り上げて、掴み折りたたむ。
「やあ、はじめまして、ボクはヤムクー」
ヤムクーは驚いている3人に笑顔で自己紹介をした。
「な、な、なんなんだオマエ……!」
「ヤムクーさ」
「いやだからッ! 意味わかんねえんだよッ!」
3人は改造銃や鉄の棒、大型ナイフを振り上げた。
ズボッ!
傘の先が改造銃の筒奥まで入り込み、ヤムクーは大型ナイフを持つ男の手を下から蹴り上げる。
鉄の棒が背後から振り下ろされ、ヤムクーが身を後転させると、鉄の棒はナイフの男にドッと入り込んだ。
「ぎゃアッ!」
「あらら、仲間割れだーね。はいよっ!」
片手が鉄の棒を持つ男のズボンを掴み、ヤムクーは男を土台にして空中回転する。
「うわッ!」
改造銃の男は抜けない傘にあたふたしている間に、飛ばされた棒の男がぶつかり、床に尻餅をついた。
そして、その2人の頭を掴み床に挨拶させて、鈍い音を鳴らす。
鉄の棒の痛みで呻いていたナイフ男は、落ちていたナイフを拾おうとしたが、ヤムクーの足裏が頭に跳び乗って来て動かなくなった。
「はいっ、ミラン隊長、終了でーす!」
保管室を覗き込んでいたミランが、ヤムクーの声に身を廊下に出し、駆け寄ってくる。
「うーん、これは何のスプレーをかけたら……あ〜分かった。靴磨き室から持ってきたの、防水スプレーか! なるほどねー」
ヤムクーが感心して1人頷く。
「君はバン? それとも、アルトかな?」
そんな中、駆け付けたミランが落し物室に向けて声をかけた。
「俺はミラン。リーガルと協力し君達を迎えに来た」
その言葉にブザーの音ばかりだった中から別の音が生まれる。
カコンッ……コロコロコロ……。
缶が落ちて転がる音がして傘が動いた。
傘同士の隙間が開くと、その中から透明なビニール袋をかぶったバンが現れて、ふらふらと扉に近付きミランを見上げた。
「本当だ……」
「そうか、君がバンか」
ミランはしゃがみ込むと目線を合わせて、バンの無事に安心し、微笑んだのだった。




