その1 サナエの恋愛指南
治療院での、今日の仕事が終わった。
患者に処方した薬草などの後片付けをしたら、ローリーはボットの前に腰かけて、サホロの本院にいるサナエと打ち合わせを始める。これは、閉院後の日課となっていた。
両方の治療院での情報交換、こちらの分院に準備しておく薬草の補充、ここで乾燥・精製して本院に送る薬草製品の配送計画。そしてサナエと共同で始めた新しい取り組みの進捗など、話題は尽きなかった。
「おい、ローリー。もう遅い時間だぞ。」日が短くなったこの頃だ。ヨシユキは助手を務めるローリーに、帰宅を勧めた。
暗い夜道を、若い娘が一人で歩くものではない。仕方がないな、今日もボットを道案内に付けてやるか。
サナエとの通信を切ったローリーが、ヨシユキに振り向いた。
「まだまだ、やりたい事があるのにな。私、帰らなくちゃいけないの?」ローリーは、そう言うとヨシユキを睨む。プクリと膨らませた頬が、とても可愛い。
「だってさ、蚊避けの壺をもっと準備しておきたいし、そうそうヨッシー先生、よく発酵する種菌を見つけたんだ。」嬉しそうに、報告を始めた。
「だから、それは明日にして、今日はもう帰れって、言ってるだろーが。酵母の観察なら、俺とタローで見ておくからよ。」
「私、ここに泊まり込みしようかな。家からお布団とか着替えとか持ってきてさ。そうしたら、夜遅くまでサナエ先生との共同研究に打ち込めるのに。」と言ったら、ヨシユキから怖い顔で睨まれた。
蚊避けの壺とは、その名の通り蚊を寄せ付けないトラップの事だ。
壺の中に、糖度の高い果実などとお湯を入れ、必要ならば酵母菌を振っておく。するとアルコール発酵して、二酸化炭素が発生する。これで蚊をおびき寄せて捕集するのだ。
獣人族の里では、蚊が多い。そしてこいつらが媒介する風土病も多いのだ。
人の呼気に含まれる二酸化炭素に寄って来る蚊は、この壺で見事に捕集する事ができた。病気にならずとも、就寝中に蚊に刺されるのは嫌だ。この蚊避けの壺は、サナエとローリーが考えたこの里での公衆衛生の第一歩であり、事実 里の皆には大人気で、ローリーは仕込みに忙しかった。
そして、サナエはローリーに、課題を与えていた。発酵効率のいい酵母を選べと。エタノール生成能の高い酵母菌を選び、発酵効率を上げようというのだ。
そんな訳でローリーは、森の果実などから酵母を採取しては選抜する作業に、日々取り組んでいるところだ。
ちなみにサナエは、コウジカビの選抜を自らの課題として、ローリーと分担している。
蒸した穀物からアルコールを作るためには、まずは澱粉を糖化させる必要がある。コウジカビで糖化させ、これを酵母でアルコール発酵させる段取りだ。
そう、蚊避けだけではない。エタノールが作れれば、医療の面で消毒に使えるからと、この「カビ・酵母プロジェクト」はジローの強力な支援を受けていた。
何だか、ジローの思惑はもっとその先にありそうだったが、ローリーとしては本院のサナエ先生やジロー先生に認めてもらおうと、頑張っているのだ。
ヨシユキが睨んでいるので、とりあえず帰り支度を始めたローリーだが、
「ねえ、ヨッシー先生。私、ほんとうにここに住んじゃダメかな? 私の家、遠いし。」支度するふりをして、そっとヨシユキの表情を窺った。
「ダメに決まってんだろ~が! 男と女が一つの家に暮らしてるって事になったら、世間の目が怖いぜ。俺はこの里では新参者で、余所者の、尻尾無しの人族なんだぞ。」
「私は、ぜ~んぜん構わないんだけどな。」
ローリーは「また明日」と言い置いて、治療院を出た。ボットがローリーの隣に浮いて、明かりを灯して道案内についてきてくれた。
「あいつ、まだ気がつかないの。鈍い奴!」ボットから、サナエの声がした。まだ、サナエとの通信は繋がっていたらしい。
「ヨッシー先生は、獣人族のお嫁さんじゃダメなのかな。」
「そんな事ないよ。ローリーは可愛いしさ、仕事も良く出来てるじゃない。」
「助手としては認めてくれてるみたいだけど、」帰り道は、恋愛相談になった。
サナエは、ようやく実らせた自分の恋を思い返しつつ、何とかローリーのためになってやりたいと考えている。
十年の間、ジロー先生のもとで薬師として働きながら治療院を支えてきた。出会いは十歳、まだ子供だったサナエだが、その後はジローに憧れつつも心を打ち明けることなく、治療の助手として、日々の食事の用意も含め、ただジローに尽くしてきた。
そんなサナエを、ジローは頑張り屋の優秀な右腕として認めてくれていたけれど、恋愛の対象とは見てもらえない日々が続いていたのだ。
ところが、クレアとカレンという二人の押し掛け嫁が現れて、状況は一変した。
三人の嫁の一人としてではあるものの、憧れのジローは、まず最初にサナエを選んでくれたのだ。ほかの二人の嫁とも心を許せる親友となり、サナエは子育てに仕事に、忙しいながらも、今この時を楽しんでいた。
◇ ◇ ◇
ヨシユキとは、共にジローのもとで学び、育った仲だ。
二つ年下の彼の事は、サナエはなんでも知っている。自分と同様に、いやそれよりも幼い歳で親兄弟を亡くし、泣いているだけだったヨッシー。
サナエは彼の手を引いて、ジローの仕事の手伝いをさせた。少しでも里の役に立てと、叱咤激励しながらの毎日だったのだ。
チャラけているのは、寂しがり屋の裏返しなのよね。
親から愛され、可愛がられ、叱られた経験がないヨッシー。あいつは愛に飢えている自分を、自覚していない。
私に思慕を寄せている様子もあったけど、私はジロー先生一筋だったしね。あんたは可愛い弟で、恋愛対象じゃあなかったの。ごめんね。
でもさ、一緒に苦労してきた仲間だし、ヨッシーには幸せをつかんでほしい。家庭を持たせてやりたいと、思っているのよ。
ボットがローリーを自宅に送り届けるまでの小一時間、サナエはローリーの悩みを聞きながら、今後の作戦を練っていた。(続く)




