642 風が吹くと先生はどうなる?
時折強い風が吹き付け、ガラスの窓がカタカタと音を立てている。 灰色の雲はけっこうなスピードで流され、多少は覗いていた空の青さもだんだんと割合が減ってきたように思う。
そういや、早ければ夜明け前にも雪が降るかもーって、お天気お姉さんが言ってたな。
「……ふぅ」
俺は部屋でテキスト、というかマンガの元になる原稿を書いているのだが、どうも筆が乗らない。 ……ま、わりとよくあるんだけどな。
チャロちゃんも仕事があるのでお喋りに付き合わせるワケにはいかないし、外で木刀を振るには天気が悪すぎる。 俺は師匠やレイグさんとは違うのだ。
我が娘は風の子、というか精霊なので天候なんて関係なし! ということで遊びに出かけちゃったしなあー。 リソ君も、今はセーレお姉ちゃんとお遊び中。
……正しくは、セーレたんが引っ張ってリソ君の部屋に入り、俺を閉め出しているのである。
「はあー」
いや、分かってるんだよ? 前からあの子が、俺に内緒でナニカをしてるってコトは。 その「ナニカ」だって解っている。
でもなー。 そのせいですれ違いが増えて、スキンシップどころかまともに話す時間さえめっきり減ってしまっている。
まあ、お手伝いの時間も増えて、だんだん自分の時間を持つようになってきたって意味では、確かな成長の証ではあるのだが……。
「んあああー」
ダメだ! 頭がクラクラして全然筆が進まん……。
まさにお手上げだーとバンザイしていると、部屋のドアが優しくノックされた。
この叩き方は――。
『ジャス様、お茶をお持ちしました』
「あ、うん」
静かにドアが開き、お盆にお茶を乗っけたマールちゃんが姿を見せる。
今日は休みの日なので髪を下ろし、着ているのもメイド服ではなく私服だ。 前世でなら花の女子大生な年頃のマールちゃんだけど、今日もいつも通り落ち着いた、既に就職した社会人のお姉さんといった感じの服装をしている。
実際、就職はしてるんだけどな。 しかも俺のところに。
しかし、帰ってくるにしても昼過ぎか夕方かと思っていたのだが、天気が悪いせいかもう帰ってきたらしい。
「あ、あの、ジャス様……?」
「ん?」
マールちゃんは俺の姿を認めると、アーモンド型のキレイな瞳を大きく見開き、パチパチと瞬きをした。
そして、この時期でも乾燥しないみずみずしい唇をわずかに開き、呆然とした様子で俺のことを見上げた。
「な、何を、なさってるのですか……?」
「原稿を書いてる」
「……逆さま、で?」
「うん」
俺はいつもの小さなテーブルに最低限の資料を広げ、あぐらをかいて座っている。 ただし、床ではなく天井に。
敷物代わりにスライムを広げ、そこにテーブルや自分自身をくっつけ、コウモリのように上下逆さまになって張り付いていたのであった。
ちなみに書類とかは、また別の触手で下に落ちないよう固定している。
「いやね。 暇だから何かトレーニングしながら原稿書こうかな、って」
気分的には、身体を動かしたかったんだけどな? でも外はアレだし、遊んでくれる相手もいないんだもーん。
なにせ、日本の昔の偉い人も推奨していた方法である。 どこの小学校にも像が建っているあの人だ。
空いている時間が少ないのもあって、俺は勉強や他のことをしながらのトレーニングをよくやっている。 で、今日は忍者よろしく天井に張り付いてみたのだ。
「あの……それで、書けるんですか?」
「んーん、全然」
「……」
だって、ネタも文章もなんにも浮かばないし。 なにより、頭に血が上ってどうにかなりそう……。
活性化で一時的に血流を良くしたりもしてみたが、その効果も長くは続かなかった。 むしろ体温が上がって、後から余計に気持ちが悪くなったという。
そういえば……けっこう前に三半規管を鍛える目的で、天井からぶら下がってくるくる回りながら読書していたときも途中で酔ったな。
あやうく空中散布するところであった。
「……お顔の色が大変なことになっていますから、下りてください」
「はい」
素直にうなずく。 そろそろ限界だったしな……。 先にテーブルや書類などを下ろしてから、最後に俺自身を床に下ろす。
やっぱり、このトレーニングの組み合わせにも無理があったか。
またひとつ勉強になりました。
「大丈夫ですか?」
「うっぷ」
フラついた俺を、マールちゃんがひざ立ちになって優しく抱き留めてくれた。 持ってきたティーセット一式は、俺が下ろしたテーブルの上に置かれている。
全身の力を抜いてしばらくじっとしていると落ち着いてきたので、今度こそ床に座ってお茶をもらうことにする。
「まだ少し、赤いですね」
「まあ、うん」
お茶を淹れた後、俺の頬とおデコに手を当てて真正面からじーっと顔を覗き込むマールちゃん。
だがそれについては、受け止めてくれた体勢というか部位のせいでもあるような……。
なお、マールちゃんは着やせするタイプである。
「はあ~、生き返ったー」
「ふふっ」
シュガー多め、ミルク多めで温くなったお茶をもらい、ほっと一息つく。
頭から血が下がった代わりに、柔らかくなったお茶の風味と糖分が残念な脳みそを癒してくれる。
たまに窓が音を立てるくらいで、静かなゆったりとした時間が過ぎていく。
「ところで、髪を切ってきたんだね。 スッキリして、キレイになってる」
「あ、ありがとうございます……」
嬉しそうに口元をほころばせるマールちゃん。 何の用事かと思っていたら、それだったようだ。 目にかかりそうだった前髪がスッキリしているし、後ろ髪も少し短くなって毛先がまっすぐに整っている。
短い内はまだいいらしいけど、一定以上に伸びるとだんだん毛先がくねりはじめて絡まりやすくなる髪質だとずいぶん前に言っていた。
「予約していたので今日行ったんですけど……風のせいで、お店を出た瞬間にくちゃくちゃになっちゃいました」
「あはははっ」
ああー。 それで朝、ちょっと不機嫌そうだったのか。 今はちゃんと髪は整っているが、それは帰ってから自分でセットし直したんだろう。
そりゃ災難だったねーと返すと、マールちゃんも「もう、本当ですよ」とわざと拗ねて見せてから、すぐ笑顔になった。
カップが一つしかなかったので俺の飲んでいるお茶を勧めると、マールちゃんはためらいなく受け取って少しだけ口に含んだ。 他の家庭じゃそんなことはしないらしいが、ウチではまずお袋が気にしない人だからな。
よくあることである。
「ジャス様は、いつも気づいてくださいますね」
「まあね」
前世じゃほとんど気にもしなかったけど、特に生まれ変わった直後は細かいモノや場所、それらのほんのわずかな変化にも注意を払っていたからな。 少しでもこの世界の情報が欲しかったから、それこそ目を皿のようにして見ていた。
そのおかげか、特に意識しなくてもそういったことにも自然と気づくことが増えたような気がする。
予想外なスキルが身についたもんだなーと思いながら、返してもらったお茶を飲んでゆっくり深呼吸。
身体の調子もすっかり元通りだ。
「お代わりはいかがです?」
「マールちゃんが飲むなら、少しだけ」
「では」
カップに注がれる優しい音を聞きながら、髪を下ろしたマールちゃん。 その優しい顔を眺めていて、ふと朝のチャロちゃんの話を思い出す。
レイグ叔父さんが道端でキョドっていたらしいが、それについてチャロちゃんはマールちゃんとの間に何かあったのでは、と漏らしていた。 レイグさんが年上の優しいお姉さんに弱いっていうは、お袋やセラさんからも聞いてよく知ってるし。
それで昨夜、チャロちゃんはマールちゃんにも聞いてみたらしいけど、マールちゃん自身は「さあ?」と首を傾げていたって言ってたな。
「お砂糖とミルクはどうしましょう?」
「マールちゃんの好みでいいよ」
「はい」
お任せにすると、マールちゃんはさっきと同じくらいの量を入れ始めた。
先に飲んで小さくうなずいたマールちゃんに勧められ、俺も少しだけ頂く。
同じくらいの量だった。
「……うん、甘くてほっとする」
「よかったです」
気にならないかというと嘘だけど。
マールちゃんのふんわりとした笑みを見ると、聞いてみようかと思う気持ちにはならなかった。
翌日になると、強かった風はある程度マシになっていた。
だけど上空ではまだまだ吹きまくっているようで、高い空に吹きつけたような薄い雲がけっこうな速さで流れている。
「おーさむっ」
白い息を吐きながら、通学路の石畳をハニーと歩く。 ちなみに俺は、オサム君のことを言ったワケではない。 ……誰だよ。
風が冷たいというより、空気そのものがキンと冷えている感じだ。 気分は生ビールである。
「それにしても、セーレちゃんの髪って絡まないよな」
「ぅん?」
吹き抜けていく風に長い風に髪をなびかせ、我が妹様が小首を傾げる。 シャンプーのCMみたいにサラリと流れるのではなく、船の帆のように膨らむ一方で端っこの方はひらひらと舞い上がったりと、ウェーブがかった金髪は複雑な踊りを見せる。
更に晴れていれば無数の光のきらめきを髪に宿すわけで、そのキレイさはもう何時間見ていても飽きる気がしない。
「ちゃんとお手入れしてるの~」
「へえ」
あいにくと手袋をしているので見ているだけだが、髪の指を通すとすごく気持ちがいい。 だからついつい女の子の髪に触ってしまうんだけど……。
最近は、俺が手伝ったあげることもめっきり少なくなってしまった。 でも、ちゃんと自分でできているんだな。 えらいねー。
「面倒に思うことはないの?」
「ううん、楽しいの」
「そっか」
にっこりと微笑むセーレちゃん。 また強めの風が吹き、ふわりと髪が舞い踊る。
お袋も、トンでもなく長い自分の髪のケアをするのは楽しいって言っているし、やっぱり女の子だなーと思った。
子供達の列に並んで校舎に入り、いつものように教室へ。
まだ世間では風邪が流行っているので、セキやくしゃみをしている子もチラホラ見かける。
「おはよー」
「うむ」
俺が挨拶をすると、イケメンニート君は自分の席で腕組みをしたまま鷹揚にうなずいた。 貫禄満点なこと、マウンテンのごとしである。
なにしろ、初学生離れしたたくましい腕をむき出しにしてるんだからな。 肩に届く青い髪は暖かいのかもしれないが、服は厚着どころか長袖ですらない。
こんな格好でいつも学校に来てるんだもんなー。
「外、寒くなかったの?」
「朝起きたら、冷水を被るのが我が家の日課だからな。 何ともない」
「……」
一家全員でやっているらしい……。 どこの寺なんだお前んチは。
まさか、火のついた炭の上を裸足で走ったりしてないよな?
「俺はまだだ」
「……」
もう何も言うまい。
頑張って悟りを開いてくれ。
今日は水の日なので、三時間目は武術である。 上着を脱いで動きやすい格好になり、地下の体育館へ向かう。
例によってうさ耳王国――もとい、一組の面々に混ざって、俺達二組もそれぞれのグループに分かれる。 それぞれのグループの先頭には担当の、つまり一組と二組の担任と副担任の先生が立っている。
俺とセーレたんはもちろん、試合形式で組み手を行う「模擬戦闘」グループである。
「やっぱり少ないな」
「そうね」
板張りの床に体育座りしていると、後ろからマーヤお姉さんが相づちを打ってくれる。 ……相変わらず、常に俺の背後を取る人である。
ところで……風邪が流行っているのもあるけど、それよりも前から少しずつ各グループの人数が変わってきている。 本来は資格勉強をするための「受験講座」グループに、体調が良くない子だけでなく、卒業試験の勉強を優先したい子も移っているのだ。
今や全体の半分近くが集まるグループになっており、担当のシャルちゃん先生が大変なことになっている。 なので最近は、アズミーリ先生もあっちのフォローに回っていた。
で、一人で担当することになった一組の担任の……ええっと、絶叫先生は、今日も「いよっしゃああああああーーーー!!」と気合い十分である。 対して、大半の子が移動するか六級の資格を取り終わった「実技練習」と、運動が苦手だったりそもそも武術に興味のない子が集まる「基礎訓練」の組は、閑散としたものだ。
両方足しても十人といない。 ちなみに、その中にるー君も混じっている。
「すぴー」
その両グループをまとめて面倒を見ている、一組の副担任。 フーリエ先生は、今日も立ったまま器用に寝ているのであった。
身体全体をふらふらと左右に揺らし、それと正反対の向きにセミロングの髪とロングスカートが揺れている。 それでバランスを取っているのだろうか?
いつもよく倒れないなーと感心する。
見た目は相当に頼りない人ではあるが、これでも授業が始まったら必要最低限のことはしてくれるので不安はない。
「すぴー」
一定のリズムで先生が横に揺れているのをなんとなーく眺めていると、気だるそーに薄い目が開いて……俺を見た。
そしてマウスをクリックするように、人差し指の先だけでちょいちょいと招く動作をする。
「ん?」
自分で自分を指さすと、肯定なのか船をこいでいるのかビミョーなリアクションが返ってきた。 やっぱり俺をお呼びらしいので、おもむろに立ち上がる。
いちおう担当である絶叫先生の方を伺ってみると、「行って来おおおおおい!」と親指を立てられた。
間近で叫ばれてキンキンする耳を押さえながら、フーリエ先生のところへ向かう。
……言うまでもなく、生徒達からかなーりの注目を浴びながら。
「えっと、なんでしょう?」
「むにゃ」
左右に揺れるのは止まったが、先生は両目を糸のようにしていかにも眠そうである。 というか、寝言みたいな返事をされた。
まあ、この先生が目を見開いているコトなんてまずあり得ないのだが。
「……あれ? なんでしたっけー」
「……」
かくんと首を横に倒す先生。 だが、この人はいつもこんな感じなので誰も気にしない。
俺も気にせず待っていると、はっとしたように首をまっすぐに戻してちょっとだけ目を開いた。
「あー、そうでした。 オリオール兄くんはですね~」
「はあ」
「私の代わりに、今日は先生をしてください~」
「…………」
なんか、想像の枠を飛び越えて異次元的なことを言われましたぞ?
さすがに、聞いていた他の子達も目を見開いている。
言った当人は眠そうだけどなー。
「ちょちょいとやっといてくださいー」
「いやいやいや!」
なんで俺がっ!?
楽をするためだったらどんな面倒もいとわない、というスタンス。
前準備や根回しを万全にし、本番では必要最低限の仕上げだけ……その労力すら面倒がり、しばしば他の誰かに丸投げにして、それでも結果はキッチリと出すのがこの先生の特徴である。
大抵は一組の生徒や上司の絶叫先生を使うのに、今回はなぜか俺にお鉢が回ってきたぞオイ……。
「な、なんで僕が?」
「兄くんは、教えるのが得意って聞きましたので~」
いったい誰から? と振り返ると、体育座りしている子供達の中でるー君と目が合った。 次に、俺と同じグループで右側に座っていたニャル子ちゃんとも目が合い、「確かに言ったわね」という風なリアクションを見せる。
そして、勉強組に混じっていたラートくんは――黙々と本を読んでいた。
「い、いや、でも……僕ですよ?」
るー君だけならともかく、中には顔くらいしか知らない一組の子もいるわけで。 無論、るー君以外はみんな年上だ。
特に親しくもない上に年下なのに、大丈夫なの?
そういう意味でフーリエ先生を見上げると、やっぱりビミョーに焦点の合っていない眠たげな視線を返された。
「兄くん、四級持ってるじゃないですかー」
「まあ、そうですけど……」
両方のクラスを足しても、今のところ四級を持っているのは俺とハニーだけである。 実力的には、近い子も複数いるけど。
四級になると、筆記試験でも指導に関する内容が出たりするので、資格としてもいちおう大丈夫ではある。
「これも勉強ですよー」
「うぅむ」
うまいこと言いくるめられている感が甚だしいが、一理あるのも確かだ。
「一人で大変でしたら、妹ちゃんにも手伝ってもらいましょー」
「うぅ……」
しかもセーレたんにも手伝ってもらえば、ハニーにとっては特に勉強になる。 あんまり人に教えるのが得意な子ではないからな。
目を向けると、すぐに眩しいほどの笑顔で了承してくれた。
これで、あとは――。
「兄くんに教わるの、やな人いますー?」
後ろを見ると、るー君がうさ耳を揺らして首を横に振っている。
同じクラスの子は最初から反対していなさそうだし、一組の子も王様がすぐさまOKしたせいか、誰も何も言わない。
彼らがいいと言っているのならば、あとは俺が首を縦に振るだけである。
「じゃー、決まりですね~」
るー君が手を叩き始めると、釣られて他の子達も拍手を始めた。 特に一組の拍手は、まるでTV番組のスタジオ収録のように息が合っている。
何はともあれ、他のグループの子達も含めた賛成多数により、先生代理が可決されてしまった。
「……」
もしかして、るー君を通じてここまで完璧に根回しされていたのか? っていうか、他の先生達もさっきから何も言わないし……。
さすがは孔明。 恐るべし知謀ぶりである。
「ふー……」
肩の力を抜き、大きなため息をつく。 やってくれたなー? というジト目でるー君を見ると、かすかな苦笑いを返された。 朱い瞳にも、申し訳なさそうな色が浮かんでいる。
こういうとき、いつもなら「してやったり」的な薄い笑みが返ってくるものとばかり思っていたのに。
そう思っていると、るー君の視線が俺から隣のフーリエ先生へと向けられた。
俺もそれを追いかけ、先生の顔を見上げてみると。
(――助かりました)
ほとんど声には出さず、唇の形だけで俺にだけ届けられた言葉。 さっきからずっと、うつむき加減で髪に隠れていたから分かりにくかったけど……少し顔が赤い?
おでこや頬にくっついている髪も見られ、うっすらと汗をかいているのにも気づく。
先生、風邪で調子が悪かったのか……。
アズミーリ先生も小さくうなずき、シャルちゃん先生は苦笑い。 絶叫先生からも、今度は無言でサムズアップが返ってきた。
もしかすると……先生が言わないだけで、一組の子達もみんな気づいているのかもしれないな。
「後はよろしゅ~」
「ええ、どうぞごゆっくりー」
軽く手を上げ、先生はふらふらと出口の階段へと歩いていく。
すぐにアイコンタクトでセーレたんとるー君に付き添ってもらうようにお願いすると、俺は気合いを入れてフーリエ先生の代理に臨んだ。




