641 ○○するなら○をくれ(謎)
不意にご近所の奥さんから受けた「お願い」。 だがその場で決めるワケにはいかなかったため、取り敢えず検討してみると回答してから家に帰った。
そこで、夕飯の終わった団らんの場でみんなの意見を聞いてみる。
「空いている日に道場を使わせて欲しい、か」
「うん」
隣のお袋にお酒を注いでもらいながら、親父が俺の言葉を繰り返した。
テーブルには俺以外に親父とお袋、それから洗い物を終えたマールちゃんと、今日は休みだったチャロちゃんが私服姿で席に着いている。 マイシスターもいてくれてよかったのだが、お風呂が既に沸いているのでリソ君を入れてもらおうということになり、ニアちゃんも連れて三人で入浴中である。
ニアちゃんがいると、魔法でシャワーを出してくれるから便利なのだ。
「僕自身は構わないんだけどねー」
泡が目に入らないよう一生懸命に目をつむっているリソ君を想像しながら、自身の考えを話す。
なにしろ、オーナーたる俺が道場を使っているのは週に二日だけだ。 しかも片方は勉強会なので、実質的には週一。 せっかくの設備がもったいないし、要望に応えるのに否やはない。
たまーに、誰かさんが公務をほっぽり出して逃げてくるが……ま、住居部さえ立入禁止にしておけば大丈夫だろう。
「それに――」
「前にお住まいの方も、開放していらっしゃったらしいのよ~」
前に住んでいたという元騎士の老夫婦は、しばしば近所の子供達に道場を開放して剣を教えてくれていたらしい。 話を持ちかけてきた奥さんも、子供のときに通っていた一人だったという話だ。
奥さんは俺のいない日にもときどき道場を訪れ、掃除に行ってくれているお袋などにいろいろと思い出話をしたことがあったらしい。
俺がそのことを話そうとしたら、先にお袋が説明してくれた。 話を聞いた親父とメイドちゃんズが、それぞれ「なるほど」とうなずく。
しかしお袋の目は、主にマールちゃんに向けられていた。
「マールちゃん、どう?」
「は、はい」
俺もマールちゃんの顔を見つめる。 実際に管理をしているのは俺じゃない。 みんなが持ち回りでやってくれているワケで、中でもマールちゃんが実質的な管理人だ。
開放するとなれば当然負担が増えるんだから、その筆頭であるマールちゃんの意見を聞かないワケにはいかない。
「そうですね……。 さすがに毎日は困りますけど、週に一、二日くらいでしたら」
「よかったわ~♪」
お袋がぱふっと両手を合わせる。 俺も正直、ほっとしている。 チャロちゃんも異論はないようで、笑顔で「そうですねー」と首を縦に振ってくれた。
実はあの道場に新しい入居者が入った時点で、ご近所さん達の間でそういう話ができないかと打ち合わせていたらしい。 だが、新しくやってきたオーナーはなんと子供で――しかも天下の「御使い」様。
それでなかなか言い出せなかったと、奥さんが苦笑いしていた。
「それじゃあ、具体的にどうしましょうか~」
お袋の声に、俺とメイドちゃんズが一斉に首を捻る。 ちなみに親父は、酒をちびちびと舐めながら静かに耳を傾けていた。
俺と目が合っても口を開こうとする気配はなく、「お前の思ったようにやれば良いさ」とでもいうように口元を緩めるだけだった。
そうしている内に、実質的に道場を管理してくれている女性陣の間で話がまとまっていく。 もちろん俺にも意見を聞かれるが、ほとんどうなずくだけで特に言うべきことがない。
中でも、必ず誰かしら大人の人に付き添ってもらうという案は大賛成である。 子供達ばっかりで、もしものことがあったら大変だもんな。
……だけど、チャロちゃんの一言には思わず口を挟んだ。
「ところで、お金はいくらくらいもらいますー?」
「ええっ、お金取んの!?」
ちょっと腰を浮かせて声を上げる。 そんなつもりはまったくなかったので、まさに寝耳に水である。
が、他のみんなはまったくそうじゃなかったらしい。 マールちゃんもお袋も、さも当然とばかりに答える。
「はい」「ええ、そうね~」
そ、そういうもんなのか……? 親父を見ても、「それがどうした?」とばかりに目を大きくしている。 むしろ、俺が驚いていることにビックリしているっぽい。
親父も昔は師匠のところに通っていたが、そのときもお金を払っていたんだろうか?
俺の驚きっぷりから察してくれたようで、マールちゃん達が疑問に答えてくれた。
「はい、もらうのが普通ですよー」
「何もない方が、かえってみなさんに気を遣わせてしまいますからね」
「パパはママと遊んでくれたり、家のお手伝いをくれたりしたわね~」
「……セラさんにはこき使われたなぁ」
親父を見ると、なにやら意味ありげな苦笑を漏らしていた。
少し酔ったのか――って酔うほど飲んでないし、何を思い出したんだろうな?
「まあ……色々とな」
「うふふふ~」
親父が気まずそうに目を逸らせ、お袋は鈴を転がすような声で笑った。 イロイロとあったらしい。
だけど……うーん。 要するに、ギブ&テイクってことか。
かかる負担を考えれば、確かにその方がお互いに気が楽かもな。
「……だったら、掃除を手伝ってもらうとかでもいいの?」
でも、それなら身体で支払ってもらうという手もありそうだな。 現に親父がそうだったらしいし。
もちろん変な意味ではないぞ?
「それはいいですねー♪」
「え、ええっと……はい。 とても助かります……」
俺の思いつきに、チャロちゃんは白いねこ耳を跳ね上げて手を叩き、マールちゃんは申し訳なさそうにしながら微笑んだ。
汚れるといっても大抵はわずかなホコリくらいだが、それでもあの道場を掃除するのは骨が折れる。 俺も使った日は手伝ってるから、その苦労はよーく分かるもの。
「まんまー!」
「あら~」
とのとき、不意にリビング兼ダイニングのドアが開いた。 そこから風呂上がりのリソ君が飛び出してきて、ぱたぱたとお袋のところへ走っていく。 うっすらと立ち上る湯気を引き連れ、かすかに石けんのいい匂いがする。
ちなみにドアは、頭の上に乗っかっているニアちゃんが開けたようだ。
「お風呂、終わったの~」
「……うん、お疲れさん」
最後にパジャマを着たセーレたんも入ってきて、俺のところにやってきた。 湿り気の残った長い髪に、ほんのりと赤みを帯びた顔。 全身からはなんとも甘い香りが漂い、しきりに俺の鼻をくすぐる。
まだまだ幼いと言える歳なのに……それでも女の子として色気のつぼみをつけ始めていることに、なんとも表現し難い気持ちになる。
「セーレさま、少しお待ちくださいねー」
温かくてモチモチっとした頬をなでていると、チャロちゃんが席を立った。 もはや家族の共有物となっているドライヤーを取りに行くんだろう。 マイハニーも名残惜しそうに俺から離れ、その後についていく。
続いてマールちゃんも立ち上がり、恐らくは脱衣場に残った服やタオルを回収に行った。
そして二人が出ていった後、ブラザーの頭をなでなでしていたお袋もゆっくりと席を立つ。
「それじゃあ、次はママが入るわね~。
……パパも、久し振りに入ります~?」
「ぶほおッ!?」
親父が飲みかけの酒を噴きかける。 ……危うくリソ君がドランカーになるところだった。
そのリソ君は目を丸くしている。 頭上のニアちゃんはきょとんとしていた。
「ゲホッ、ゲホッ! ……い、いつの話だッ!!」
手の甲で口元を拭いながら咳き込む親父。 鼻からもちょっと出てるぞー。
二人は七つ違いの幼なじみだし、子供のときにはそういうこともあったんだろう。
……その後のことは知らん。
「ジャスちゃんは~」
「どうぞごゆっくり」
「んもう、つれないわね~」
つれなくてけっこーです。 昨夜、入ったばっかりでしょうに。
セーレたんでさえもうしなくなったというのに、お袋とマールちゃんはいまだに俺が入っていると後から突入してくることがあって困る。 ……わざわざ、脱衣場の鍵を開けてまで。
マイドーターもときどき文字通りに飛び込んでくることがあるが、そのときは親子水入らずである。
全身丸洗いの後に俺もシャワーしてもらったり、湯船に浮かんだ俺に我が娘を乗せて「イカダで漂流ごっこ」などをしたりして遊ぶ。
「うふふふふ~」
「いてらー!」
お袋が長い髪を揺らして出ていくのを、リソ君とニアちゃんが手を振って見送る。
俺と親父は、無言で見送った。
――翌日。 けっこう強くて寒い風がビュービューと吹きすさぶ中、俺とマイシスターは髪をぼさぼさにしてジョギングから帰ってきた。 さすがは風の日である。
昨日の話がまとまったので、向かいの奥さんがいたら俺の口から直接返事しようと思ったんだけど、残念ながら会えなかった。
日の出の時間にわざわざ家へお邪魔するのも悪いし、後でまた行こうかね。
「そういえばー」
「ん?」
朝食が終わって、アナさんが来た後。 リビングでお茶を飲んでいると、チャロちゃんがふと何かを思い出したように話し始めた。
なお、今日は入れ替わりでマールちゃんがお休みである。 何か用事があるらしく、いつもだったら解いている髪をポニーテールにしてコートを着込み、どんよりとした顔で出ていった。
「昨日、レイグさんに会ったんですよー」
「およ?」
えっ、レイグ叔父さんと? お袋が月に一度くらいは顔を出すように行っているのに、今月は来ないなーと思っていたら……。
けど、出かけていたチャロちゃんが会って、なのに俺が見ていないということは……この家にも道場にも、寄らなかったということか?
なんでだろう、水くさいなあー。
「ずーっと、ココの近くをうろうろしていたみたいです」
「?」
うーむ、意味が分からん。 ひとりで首を斜めにする。
今このリビングにいるのは、俺とチャロちゃんだけ。 お袋は道場の掃除に行く支度中で、ハニーも同じ当番だ。
俺も奥さんのとこへ行くついでに、その手伝いと稽古もしようかと思っていたのだが……ニアちゃんが出かけちゃったので、それよりもリソ君の遊び相手になってあげた方がいいかと悩んでいるところである。
小さいあの子を外へ連れ出すには、ちょっと天気が悪いしなあ。
「それで、レイグさんは何したの?」
チャロちゃんにもテーブルについてもらい、話を聞く。
「さあー。 何か落ち込んでいたいみたいなんですけど……」
「でも、何かは分からない、と」
「はいー」
ますます分からんな……。 もし悩みでもあるんなら、なおさらウチに来ればいいのに。 親父は仕事だったけど、お袋――自分のお姉ちゃんがいるんだしさ。
まあ、昨日はお袋もこっちの家にはいなかったんだけど、それでも待つか道場に来てくれれば会えたのに。
「もうっ! あんなに大きいカラダして、ウジウジしちゃって……」
珍しいことに、チャロちゃんが口を尖らせている。 背後のしっぽも大きく振り、分かりやすくイライラを表現していた。
俺の飲んでいたお茶を勧めると肩の力を抜き、「あ、すみません」と苦笑いを浮かべてカップを受け取る。
「はぁ……♪ あっ、それでですねー」
「うんうん」
ちょっとは落ち着いてくれたようだ。 両肩がすとんと落ち、耳がへにゃりと左右に倒れる。
それを見ながら、俺も返してくれたお茶を飲み、相づちを返した。
「わたしもお友達と約束があったので、次の休みにまた来なさい! って言っておきましたー」
「へえ」
我が家の大人達の中では最年少であり、小柄な見た目もあって、既に成人していることをどうにも忘れがちなチャロちゃん。
だが思い出してみると、レイグ叔父さんよりもこの娘の方が一コ歳上なんだよなあ。
ちょっと前まで落ちつきなくパタパタしていたイメージがあったのに、目の前にいるチャロちゃんはすっかりお姉さんである。
「ジャスさま……なーんか、失礼なコト考えてません?」
「あははっ、いやいや」
おおっと、ついつい温かい目差しで見つめてしまった。
そこでなぜかふっとマーヤさんの微笑みを思い出しながら、テーブルに頬杖をついてみる。
「素敵なお姉さんだなーって、思ってただけだよ」
「お、おねっ!?」
予想以上の慌てっぷりに笑みがこぼれる。 真っ白な耳としっぽが、思いっきり逆立っていた。
そういや……「可愛い」とかはよく言うけど、オトナ系のほめ方はした記憶がないな。
近所の子供からもフランクに「ちゃん」付けで呼ばれているチャロちゃんだが、そろそろ見方を改めないといけないかも。
「えへへ……お、お姉さん。 お姉『ちゃん』じゃなく、お姉『さん』……。 えへへへへ~♪」
「……あはは」
うっとりと遠いどこかを見つめ、にへら~と顔を緩ませているねこ耳メイドちゃん。
誰からも「お姉さん」と呼ばれるようになる日は、まだ当分先の話になりそうだ。




